第69話 小心者の決断、智者の本領
バルジャンは早速フロレアル宮殿へ向け、部隊を進発させた。
一方で新たに編成した幼年学校、士官学校の生徒による部隊はこの場に残し、近隣の治安維持を任務として与えている。
暴徒を抑え込む目的であれば多くの兵力を必要とするが、宮殿を目指すことが前提であれば速度の方が大切だった。
そして速度と兵力の大きさは反比例するから、バルジャンはせっかく編成した部隊を切り離すことにしたのだ。
拠点防衛であれば学生も役に立つが、実戦の行軍となれば足手まといになる。まして暴徒に襲撃された際、学生を見捨てて逃げたとなれば、バルジャンの立場も危うくなろう。
よって保身を最優先するランスの英雄としては、学生部隊を不要と考えたのである。
ただしセレス=ダントリクのみ従卒として同行させ、色々と意見を聞くことにした。彼の中に、非凡なものを見たからだ。
「なぁ、ダン坊――ヴィルヘルミネ様に助けられたって本当かい?」
バルジャンはダントリクの身長が小さいことから、こんな愛称を付けている。しかも彼等は地元が近く、遠縁であることが分かった。途端、ゲスな中佐からダントリクへの親近感が、湧き水のように噴き出したのである。
「んだ。最初はユセフ君とジーメンス君が助けてくれて、そしたらヴィルヘルミネ様とゾフィー様も後から出てきて――その時もな、さっきのクートンって言うヤツに虐められてただが、四人でアイツを懲らしめてくれたんさ」
「ああー……それでヴィルヘルミネ様が居なくなったから、また……」
「んだ……クートンってヤツぁな、侯爵家の子息で、ヴィルヘルミネ様がおらねば誰も逆らえねぇだ」
「だとして、あれはやりすぎだ。今日のことは然るべく、抗議しといてやる」
「いいんさ、これは仕方がねぇべ」
「……ダン坊は、それで悔しくないのか? ヴィルヘルミネ様がいなきゃ、あいつ等にやられっぱなしなんだぞ?」
「悔しいけんど、逆らわなきゃ殺されることもねぇ。もともとオラの家は騎士とは名ばかりの平民で、バルジャン家とは違う。だから大貴族には虐げられるモンだと、最初から思ってるしな」
バルジャンは今朝髭を剃ったばかりのツルリとした顎に手を当て、馬上で「ふぅむ」と唸る。
「そうじゃないだろ!」と思い切り否定したいところだったが、そうすると自分がまるで革命派みたいになってしまうので、言う訳にはいかなかった。
とはいえ、これも大貴族の横暴である。これに義憤を感じるのは、当然のことと言えた。
なので「あれ、俺もしかして革命派?」などと思ってしまうバルジャンは、自分がいかに普段、何も考えていないかに思い至って愕然とする。そして思考を巡らせ、もう一度「ふぅむ」と唸った。
――考えてみたら民衆が大貴族に不満を抱くのも、当然だよな。俺だって奴等が上にいるから、前線に送り込まれるんだ。
そんな奴等が今、泡を食い逃げ惑っている。愉快な話じゃねぇか。なのに俺が奴等を護る為の軍を率いてるってのは、どうもなぁ……。
「どうしただか、いきなり黙り込んで」
徒歩でバルジャンに付き従うダントリクが、馬上で難しい表情をしている中佐を見上げて問う。
少年の分厚い眼鏡には、初夏の微風を思わせるような美男子が映っていた。ゲスなのに、顔だけは良いバルジャンである。
「いや、何でもない。ただダン坊にしてみりゃ、今回のような時には民衆の味方をしたいのかなって、少し考えちまっただけだ」
「オラが味方をするまでも無く、ランスの貴族は淘汰されるべ……クートンも然り……だからオラは、ただ待てばいいだけなんさ」
口の端を僅かに持ち上げて、ダントリクが言う。その声音に何かうすら寒いものを感じて、バルジャンは口を噤むのだった。
■■■■
順調に街路を進みフロレアル宮殿を目指していたバルジャン連隊だったが、途中、邸を襲われた伯爵一家と遭遇した。
彼等は家族五人でボロボロになった馬車に乗り、英雄となったゲスな中佐に助けを求めている。
「おお、卿は確か、バルジャン中佐! どうか私達を保護してくれんか!?」
「は、はぁ……」
多少の義憤を感じていても、上級貴族に頼まれれば断れない。バルジャンに染み付いた奴隷根性は、中々に根が深いものなのであった。
一方、伯爵を追ってきた群衆も過激だ。彼等は皆が手に武器を持ち、無抵抗の一家を追っている。それが脅しならば可愛気もあるが、剣には血が付いているし、銃は硝煙の匂いを漂わせていた。となれば、彼等が人を殺しているのは明白である。
――どうもなぁ、無抵抗の人を嬉々として殺そうとするなんざ……俺は嫌いだね。
バルジャンは群衆に対しても義憤を抱く。どうもこの中佐は、どちらの勢力も気に入らないようなのであった。
「伯爵の身柄を渡せ! そいつは不当にパンの買い込んで値段を吊り上げて、不当に財産を築いていやがる!」
追ってきた群衆の一人が、大声で叫んだ。伯爵は首を左右に振り、「誤解だ!」と返している。
実際に伯爵は暴利を貪る業者を懲らしめ、適正な価格でパンを買い取り、民に無償で提供していた善人である。だというのにこれだから、まさに言いがかりなのであった。
今や貴族というだけで、民衆に狩られてしまうのだ。
「――伯爵閣下は誤解だと仰っているが、諸君らは何か証拠があって断罪しているのかね?」
努めて穏やかな声で、バルジャンが民衆に問う。瞬間、騒めいた。
証拠など、ある訳がないのだ。あるなら裁判所でも弁護士でも、然るべき場所へ行けばいい。
それをせず彼等は、騒動にかこつけて伯爵の邸を襲ったに過ぎなかった。
――だからバルジャンに正論を言われ、キレる。
「おい、軍人ども! 邪魔をするなら、お前達も叩き潰すぞ!」
怒れる群衆の矛先が、バルジャンの部隊にも向いた。
バルジャンは迎撃の為に陣形を整え、街路を封鎖して移動を止める。
「バルジャン中佐――ここで止まるのは危険だべ。群衆はこの辺りでも一万人以上、こっちは千五百人しかいないのに、こんな場所で囲まれたら大変なことになるだ!」
「なに、ちょっと懲らしめたら、すぐに退散するつもり――って!?」
バルジャンが目を見開き、ギョッとしている。なんと後方から群衆が迫っているだけだと思っていたら、前方からも現れてしまったのだ。
それ程までに保護した伯爵が恨まれていたということか、それとも群衆の集団が無数にあって、それらが今、ここで合流しようとしているのか。どちらにしても、バルジャン連隊は完全に囲まれてしまった。
「中佐、大砲を使うべ!」
ダントリクが叫ぶ。しかしバルジャンの幕僚達は「馬鹿言うな、小僧! 民に大砲なんか向けられるかッ!」と大反対だ。実際バルジャンも首を横に振り、困り果てていた。
「流石に街中で大砲は使えん……」
「だからこそ、使うんだべ! ヴィルヘルミネ様なら、きっとそうしているべ!」
さらに言い募るダントリクだったが、結局バルジャンは首を縦に振らなかった。
確かに大砲を使えば、民衆は驚いて退くかも知れない。
けれど民に向け大砲を撃った男として、バルジャンの名が残ってしまうだろう。
そうした悪名に、彼は耐えられる男ではないのだ。何しろ小心者なので……。
だからバルジャンは方陣を組み、防戦の指揮を始めている。
だが数の差は圧倒的で、徐々に押され始めていた。
そんな時、ダントリクが言う。
「中佐、オラにこの辺の地図と、部隊の配置図を見せてくんろ。多分だけんど、この局面を打開できると思うだが……」
「大砲を使わずに、か?」
「んだ、使わね」
「ヴィルヘルミネ様だったら、この局面でも大砲を使わずに切り抜けられるのか?」
「そういう方法も、あるだ」
「分かった――だったらヴィルヘルミネ様のように、やってみせろ」
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