第66話 陸軍元帥ヴィルヘルミネ
エルウィンはヴィルヘルミネに命じられた通り、門の手前に陣取ったランス軍と合流した。
というより、いつの間にか令嬢の副官化したアデライードに要請されて、フェルディナント軍を動かしたのだが。
しかし彼としてもヴィルヘルミネを護る必要があるので、率先して行動している。状況を全てランス軍に任せるというのは、どうにも不安だった。
前方にはバリケードと宮殿の門があり、その先には怒声を上げる群衆が犇めいている。フェルディナントでは決して見ることの無い、嫌な雰囲気であった。
しかも群衆の一部は斧や槍、果ては
――最悪の場合は宮殿まで退き、籠城する必要がある。
そこまで考えて、エルウィンは群衆から視線を切った。
「……状況は、どのようなものです?」
エルウィンがランス軍の指揮官に問うと、四十代と思しき大佐の軍服に身を包んだ士官が、眉根を寄せて答えた。眉間には深い皺が寄っている。
「良いとは言えないが――しかし民衆が門を越えよう、という気配はない。彼等にもまだ、国王陛下への信頼と敬慕は残っているのだ。今のところは睨み合い、といったところですな」
「では、解散するように勧告してみては?」
「それは再三、勧告している。ただ、連中のリーダーと思しき男が言うには、国王か大臣、もしくは王家に連なる高貴な者を連れてこい、と――……要するに近衛の大佐如きに、用は無いということだ。私も軽く見られたものだが……」
そう言って、ランス軍の士官が肩を竦める。
彼は王族ではなく、純然たる近衛の士官だ。だから決定権を一切持っていない。このことを民衆のリーダーは知っていて、話が出来る人物を出せ――と要求しているのだ。
むろんこれに関してはエルウィンも予想していたことで、だからこそ胸を撫で下ろす。ヴィルヘルミネの狙いは「飴と鞭」だと、アデライードから説明を受けていた。
だから間もなく鞭が始まり、飴も到着するだろう。武力衝突は避けられるはずだ。そもそも鞭を体現する為にこそピンクブロンドの髪色をした青年は、部隊を率いてこの場に来たのである。
「そうですか。でしたら、もう間もなく解決するでしょう――ほら」
エルウィンが微笑を浮かべて言った瞬間、ドォォォン、ドォォォォォン、と砲声が轟いた。
珍しい六月の朝日を遮って、宮殿の屋上から濛々と灰色の煙が立ち上っていく。
その直後、民衆からも見える位置にあるバルコニーに、ランスの国王夫妻とヴィルヘルミネが颯爽と現れた。
まあ――確かに国王夫妻は颯爽としていたかも知れない。
しかしヴィルヘルミネの方は颯爽として見えるだけで、相変わらずのグルグル目で内心はガクブルだ。
赤毛の令嬢としては大砲で民衆を蹴散らし、部下に囲まれながら一目散に逃げるつもりだったのに。
その意図をアデライードが勘違いして、荒ぶる民衆の前に我が身を晒すことになってしまった。
――超怖いんじゃけども!
あれよ、あれよと言う間にフェルディナント軍近衛隊大佐の軍服に着替えさせられ、国王夫妻の横にチョコンと置かれた赤毛の令嬢は、しかも恐るべきことに現在、ランス軍の元帥杖まで持っていた。
――どゆこと!?
と令嬢が思ったのもつかの間、国王シャルルは言ったのである。
「ミーネには、このフロレアル宮を警護する軍の全権を与えよう。とはいえ、これは軍事同盟にあらず。余がミーネ、そなたを雇うのだ。
言ってしまえば傭兵だが、しかし我が軍は伝統的に傭兵にも位階を授けている。だからこその元帥杖だ。さ――ミーネ。軍事の天才と言われるその腕を、今こそ存分に振るわれよ」
――そんなことを言われても、杖をブンブン振ればいいのじゃろか!?
赤毛の令嬢としては、それしか思いつかない。
そんなとき、いつの間にか背後に控えていたアデライードが、よくわからん報告をしてきたのだ。
「全てはミーネ様の御命令通り、民衆に砲口を向けました」
そう言われたら目がグルグルのヴィルヘルミネは、こう答えるしかない。
「んむ――ならば撃て」
結果、ドォォォン、ドォォォォォン、と砲声である。
――なんぞ!?
思わずビックリしてヴィルヘルミネが、背後を振り返った。
「あっ!?」
「ご安心を、もちろんあれは空砲です。ちゃんと心得ていますから」
ホッと胸をなで下ろし、ヴィルヘルミネが元帥杖で手をパシリと叩く。
令嬢は前方で静まり返った群衆を見て、しめしめと思っていた。
ビックリして、そのまま帰ってくれんかな――というのが第一希望である。
「ですが――群衆の心胆を寒からしめるには十分だったでしょう」
「で、あるな」
■■■■
アデライードはヴィルヘルミネの意図を、このように解釈していた。
まず大砲を寄越せと言ったことに関して、指揮権を譲渡せよ――との意味に受け取ったのだ。
それと同時に大砲を効果的に使うなら、ここは脅しに使うべきである。
しかし仮にもランス国王が民衆に砲を向けるなど、あってはならない。
だからこそヴィルヘルミネは、群衆を「己の民ではない」と言い切ったのだろう。外国人である彼女が指揮官であれば、群衆にも砲口を向けられるからだ。
さりとて猶予も軍事同盟も無い現状、ヴィルヘルミネが正式に指揮権を譲渡される方法は少ない。
前回のように軍事顧問になる、などと悠長なことをしていたのでは、群衆が今にも突入してくるかも知れないのだ。
アデライードにとってヴィルヘルミネとは、どこまでもリアリストな戦術家だった。
だから彼女の言い方は、実力行使も辞さず――との意思表示だとアデライードは受け取っている。
「軍権」を「大砲」に置き換え、ヴィルヘルミネが直接的に言わなかったことは、彼女なりの配慮なのだろう。
何しろ「軍権を寄越せ」と直接に言えば、ランス軍を蔑ろにしたこととなる。「大砲」ならば、自衛の為にやむなく――との言い訳も立つのだ。
だからこそ自発的に、ランス軍はヴィルヘルミネへ軍権を渡すべきだった。そうでなければ、両国に軋轢が生まれてしまう。
ならばアデライードの為すべきことは、ヴィルヘルミネに正規の手順を踏んで軍権を渡すこと。
そう思ったから彼女はすぐさま国王に状況を報告し、ヴィルヘルミネに軍権を渡すよう進言した。その上で民衆の代表と、自分が交渉すると伝えたのである。
アデライードは軍隊における階級こそ低いが、王族だ。ヴィルヘルミネの武威を背景に民衆と交渉に臨めば、飴と鞭を行使できる。
だから今――アデライードはヴィルヘルミネと目を合わせ、ニッコリとほほ笑んでいた。
――ありがとう、ミーネ様。あなたなら、もっと強引なことも出来たでしょうに。もしかしたら、この状況を利用して、ランスを滅亡させることだって――……。
もちろん全てアデライードの勘違いなのだが、ともかく彼女はヴィルヘルミネに感謝することしきりなのであった。
「さて――これ以上ミーネ様の手を煩わせることも出来ません。ここからは、私の仕事――民衆との交渉に行ってきますね」
「――んあ! アデリーが行くのか!? 危なくない!?」
なお、一連の出来事をヴィルヘルミネは一切理解していない。だからびっくりして目と口をポーンと開いたのだが、それがアデライードには自分を心配する仕草と映ったのだろう。
立ち上がるとヴィルヘルミネをギュッと抱きしめ「大丈夫――……ミーネ様がここに居てくれるだけで、その武威が私を守ってくれるもの」と言い、ほほ笑んだ。
赤毛の令嬢は、それで大満足。
なんだかよく分からないが、胸を張ってバルコニーに立ち続けるのだった。
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