第65話 血の一週間、始まる


 三部会開催から国民会議宣言までの一週間を、ランスでは俗に「血の一週間」と呼ぶ。またこれを指して、「六月宣言」と言うのが一般的だ。

 

 実際、この一週間は激動であり宣言により収束するまで、実に多くの血が流れていた。しかしながらこの騒動が、議員達の身分検査に端を発していることは余り知られていない。


 当初、三部会に参加することとなった議員達は、身分を証明する為の書類を提出することが求められた。だが、これを提出してしまえば各々の身分が明確になる。

 明確になってしまえば各身分に分けられた上で会議が開催され、最終的には第一、第二、第三の三身分による多数決となるだろう。


 ――で、あるならば第三身分の意見は通らない。上位二身分の利害は、基本的に一致しているのだ。これでは、何の為の三部会か分からない。

 と、このように考えた第三身分の議員が、書類の提出を拒否したのが始まりであった。


 それが波紋のように第三身分の議員達に広がって、彼等は次々に書類の提出を拒否。

 また、これに同調して革命派に属する第一、第二身分の者も書類提出を拒否するようになった。

 こうして議事堂は騒然とし、三部会は開催どころではなくなったのだ。


 そして第三身分の議員達はグランヴィルの街頭へ散り、ことのあらましを語った。これが民衆の心に火を付け、瞬く間に数万人規模のデモとなる。

 

「身分差を無くせ!」

「公正な議会を!」

「仕事を寄越せ!」

「正当な賃金を!」

「パンの値段を下げろ!」


 街のあちこちでこうした声が上がり、グランヴィルの市街は騒然とした。

 さらに群衆は街の貴金属店を襲い、カフェを破壊し、服飾店を略奪するなど、もはやデモの域を超えて暴動となっていく。

 

 無論こうした事態を重く見たランス政府は戒厳令を発し、軍を出動させるのだった。

 しかしこうなれば、群衆と軍の衝突は火を見るより明らか。どちらが先に銃弾を放ったかは分からないが、三日目には既に数百人規模の死傷者を出している。


 そんな中、エルウィンはことを座して見るような真似はしなかった。

 彼は持ち前の嗅覚により事態のきな臭さを感じとり、三部会開催の初日にヴィルヘルミネの下を訪れている。


「ヴィルヘルミネ様、何やら王都が騒がしくなってまいりました。ここは一つ、本国へお戻りになられるのが得策かと存じます」

「……む、三部会とやらの開催が原因かの?」


 幼年学校の寄宿舎に居た赤毛の令嬢は、窓の外に広がるいつもより雑然としたグランヴィルの市街を眺め、眉根を寄せている。

 傍に控えるゾフィーは、じっと無言で主の横顔を見つめていた。


「――はい、どうもトラブルがあったようです。第三身分の議員達が議事堂に入らず、街頭で演説を始めました。彼等の下には民衆が続々と集まっていますし、今はまだ落ち着いているとはいえ、これが暴徒に変わる可能性は高いでしょう」


 ここ数日の王都グランヴィルは、三部会の開催でお祭り騒ぎのようになっていた。

 だから議事堂内部で議員達が身分証を巡って激しく対立し、それがデモに発展しようなど先見の明の無いヴィルヘルミネには、分かるはずがない。


 それでもエルウィンが言うのだから、民衆は暴徒に変わるのだろうか。

 にしても普段見ている暴徒なら、大したことがない。そう思った令嬢は、だから、このように言い放つ。


「――で、あるか。じゃが本国は遠い。民衆が暴徒に変わるというのなら、余はフロレアル宮へ行こう! あそこなら堅牢じゃし、暴徒といえども襲ってはこまい! んむ! ああ、そうじゃ、余の近衛も連れて行けば万全じゃの!」


 そもそもヴィルヘルミネはヘルムートに、国王派として振舞うよう依頼をされていた。だからきな臭いというのなら、国王の下へ行けばそれが証明できると思ったのだ。


 要するに、このお子様は状況をナメ腐っていた。

 暴徒なんて、大したこと無い。この機会に、せいぜい自分の立場を見せておいてやろう――と思ったのだ。


 こうして赤毛の令嬢は、はからずも「血の一週間」において、非常に重要な役割を演ずることになる。

 運が良いのか悪いのか、全然分からないヴィルヘルミネなのであった。


 ■■■■


 グランヴィル二区にあるフェルディナント公使館から、総勢二百四十名の近衛隊がヴィルヘルミネに付き従い、進発した。

 現時点で、騒乱の火種は既に生まれている。しかし、燃え広がるには今少し時間を要するから、赤毛の令嬢は余裕綽々であった。


「警戒を厳とせよ、されど民に手出しをしてはならぬ。負傷者がいれば救助せよ――フェルディナントとランスの友好のためじゃ」


 ――などと、随分気前の良い令嬢である。


 もしもこの時点でヴィルヘルミネが本国フェルディナントへ向かっていたなら、難なく国境を越えることも出来たであろう。そのくらい、まだ状況には余裕があったのだ。

 お陰で令嬢は鼻歌交じりに街路を進み、真紅の髪を六月の暖かな風に靡かせていた。


 だがフロレアル宮殿を警護していたアデライード=フランソワ=ド=レグザンスカ大尉は、状況をエルウィンと同じく正確に把握していた。

 だからこそ彼女はヴィルヘルミネが到着すると片膝を付き、心からの感謝を捧げている。


 三部会議員の動きによっては、その矛先が王家に向かわないとも限らない。

 およそ百万にも及ぶグランヴィルの民衆が議員達に煽動されて矛先を王宮へ向けたならば、兵が一千いるとはいえ到底守り切れないだろう。


 そんな中でヴィルヘルミネが二百四十名もの兵を連れ、フロレアル宮殿へ来てくれたことが、アデライードにはとても心強かった。


 特にヴィルヘルミネは軍事の天才だ、その存在だけでも万の兵に勝る。少なくともアデライードはそう思って、彼女の到来を喜んだのだった。


 また、こうしたヴィルヘルミネの判断を、ランス王シャルルもことのほか喜んでいる。

 これがフェルディナント公国の意志ならば、これほど心強いことは無かった。


 そもそも、シャルルも愚かな王ではない。フェルディナントが水面下で革命派――中でも立憲君主派と繋がっていることは知っている。

 であればどのような思惑であれ、ヴィルヘルミネがこの場にいるということは、王家を滅ぼす意図は無いと確信したからだ。


 ――もっとも、ヴィルヘルミネはお子様である。そうした水面下の策謀はヘルムートが画策し、リヒベルグが糸を引くお仕事なので、まったく与り知らぬところ。あくまでも令嬢は、彼等に抱き付く係なのである。


 ともあれ到着して初日と二日目は、退屈な幼年学校の授業からも解放され、ヴィルヘルミネは至って上機嫌であった。

 昼はアデライードと共に中庭でランス軍、フェルディナント軍の合同訓練に勤しみ、夜は国王一家と晩餐を共にする。

 与えられた居室はまたも豪華なもので、ただひたすら贅沢を満喫する赤毛の令嬢なのであった。


「余の判断に、間違いなかろう!」


 胸を張り、エルウィンに威張る赤毛の令嬢は、どこまでも調子に乗っていた。

 しかし――変化が訪れたのは、三日目である。


 なんと「三部会議員の身分証提出を不要とせよ」――と騒ぐ群衆が、宮殿の門前に集まったのだ。その数、じつに数千人である。

 しかも、その背後には「仕事を寄越せ」「パンを寄越せ!」と革命には一切関係ない群衆が続いていた。


 ヴィルヘルミネは朝から騒音で目を覚まし、慌ててバルコニーへ出た。すると遠目に黒々と蠢く群衆が見えたから、絶句する。


「ゾ、ゾフィー……あれは何じゃ……?」


 既に目を覚ましていた金髪の親友は軍装も整え、ヴィルヘルミネの側に跪いて言う。


「革命派の群衆です――そう呼んで差し支えなければ、ですが」


 ここに至りヴィルヘルミネは頭を抱え、震えていた。


 ――うわああああああ! 余、エルウィンの言う事、聞いておけばよかったのじゃぁあああ! こんなところで群衆に殺されるのはイヤァァアアアアア!


 さっさと逃げなかったことを後悔し、途方に暮れる赤毛の令嬢。

 だがしかし、そういえば兵がいた! と思い出し、慌てて手持ちの全軍を前庭に召集するよう命じるヴィルヘルミネ。彼女は、あろうことか大砲を持ってくることまで命じている。


「エルウィン! エルウィンはどこじゃ! 余の近衛を正門前に展開させよ! それから砲、大砲の用意じゃ! シャルル陛下に貸していただけ! 貸して頂けぬとかあらば、強引にでも接収せよ!」

「ミーネ様、大砲を貸して欲しいとは、どういうことです? まさか、民に砲を向けようというのですかッ!?」


 ちょうど令嬢の様子を見に来たアデライードは必死に反対したが、けれどヴィルヘルミネの目はグルグルだ。


「あれは余の民ではない――ランスの民じゃ。そもそも、鉈やら槍やら――銃までもって奴等、武装しておるのじゃぞ! ならば砲で黙らせるしかあるまいッ!」

「そのような……あっ……そうか! そういうことなのですね!? なるほど、流石はヴィルヘルミネ様ッ! あとは委細、お任せをッ!」


 が――どういう訳かアデライードは敬意に満ちた瞳をヴィルヘルミネへ向け、彼女の命令を忠実・・・・・に実行していくのだった。

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