第64話 三部会前夜


 帝歴一七八九年のランス国内における重大事件といえば、三部会の開催――そして「血の一週間」と呼ばれる事件を経て為された六月宣言であろうか。


 ランスの財政赤字は負債の利子だけでも三億リーヴルを突破し、もはや現行の体制ではどうにもならない所まできていたのだ。


 といって王政府が赤字を解消するために特権階級からの課税に踏み切ろうとしても、大貴族の既得権益たる高等法院の反対にあってしまう。それで今まで幾度も、抜本的な財政改革が失敗していた。

 まさにランス政府は、煮え湯を飲まされ続けていたのだ。


 だから前年、聖職者、貴族、平民からなる三部会を、本年度に開催することを王政府は決定した。言ってしまえば国民の総意により財政赤字の根幹たる貴族、聖職者の税制上の特権を廃止しよう――との目論見である。

 

 しかしながらこれは、王政府にしても身を切るような政策であった。何故なら王自らが革命派である――と宣言をするようなものだから。

 外で諸外国に王権の擁護を求めつつ、内では革命派とも通じる――ランス王シャルルとしては、まさに苦肉の策であっただろう。


 さてその三部会とは、かつて王の下に三つの身分の人々が集い、様々な意見を出し合う場であった。主な議題は税に関することであったと言われている。

 王は彼等の意見を尊重し、公平に判断して決定を下す――そういうシステムであったらしい。


 議員定数は聖職者二百名、貴族二百名、平民四百名となっており、合計で八百名にものぼる。しかしながら絶対王政の名のもとに至高王ルイ=フィリップがこれを廃止し、以来、開催は実に二百年ぶりのことなのであった。


 もっとも、絶対王政などまやかしである。

 王がただ一人で一千万人以上の人口を統治できるはずなど無い。そこには中間層が常に介在したし、彼等にこそ議会と云う存在が邪魔であったのだ。

 要するに彼等が至高王を隠れ蓑にした、というだけのこと。


 そして今回開催される議会こそ、この中間層――いわゆる既得権益を貪る貴族、富裕層、そして免税特権のある聖職者達の一掃を企図したものである。


 とはいえ、それらの理由は後付けだ。

 本質的には過激化の一途を辿る民衆を鎮める為、革命派の貴族や富裕層ブルジョワが叫ぶ理想を、王政府は追認する形で議会の開催を決定したに過ぎない。

 つまりは場当たり的な政策であり、詳細については一切が未定である。


 特に議決の方法が定められていない――という点が大きな問題であった。

 三つの身分による同時投票となるのか、それとも三つの身分をそれぞれに分けて別個で投票するのか――これが決まらない事には、何一つ始まらないのだ。

 

 実際、貴族と聖職者達は三つの身分でバラバラに投票をし、その結果を多数決で採択することを望んでいる。これならば上位二身分の意見が確実に通るから、当然であろう。しかしこれを第三身分たる平民議員に、納得しろ、などと言うのは無理な話。


 要するに議会が紛糾するだろうことは、開催前から識者の間では分かり切ったことなのであった。



 ■■■■


 六月――長雨の降るこの季節、ランスの王都グランヴィルは間もなく開かれるという三部会の話題で持ちきりだ。

 王都の台所と言われる十二区のとある居酒屋でも、連日様々な人々が訪れて、近い将来について語り合っている。


「おう、こっちだ、オーギュ! よく来たな!」

「やあ、兄さん……久しぶりだね」

「にしても、お前が軍人なんてなぁ……未だに信じられんよ」

「兄さんこそ、議員になったんだろう? おめでとう」

「はは、まあ、これからさ。議員になって、めでたいってわけじゃない。これから何をするか、そこが問題だな」

「兄さんらしい言い方だ、でも、そうだね」


 午後八時過ぎ、雨に濡れたコートを給仕に渡しクロークへしまって貰うと、オーギュストはすぐに赤ら顔をした兄の姿を店の奥に見つけた。

 兄は自分よりも背の高くなった弟の肩を叩き、弟は苦笑を浮かべている。二人はともに銀髪赤眼で、美しい顔立ちだ。


「それよりお前、革命派の民衆を倒したんだって?」

「相手が武器を持っていれば、戦うしかないだろう。任務だし、国を守る為だからね」

「あのなぁ、軍隊ってのは国じゃあなく、国民を守る為のもんじゃないのか?」

「――国民?」

「ああ、国民だ。これからはな、貴族も聖職者も農民も関係ない――みんなが国民になる! まあいい、細かい話は! さあオーギュ、こっちだ!」


 店内はどこも語り合う人熱ひといきれで、ムンムンとしていた。

 そんな中、オーギュスト=ランベールの兄ファーブルは、弟を店の奥へ奥へといざなっていく。


「オーギュ、俺達のリーダーを紹介するぞ! 公正論を読んだことはあるか!? なんとな、俺達のリーダーは、その著者なんだよ!」


 ファーブルはオーギュストとよく似た容姿をした若者だ。年齢は二十七歳で弟よりも十歳ほど年長だが、並んで歩くと瞳の輝きもあってか、二、三歳しか差があるようには見えなかった。むしろ軍人として死線を潜ったオーギュストの方が、老成して見える程だ。


 ファーブルはオーギュストの肩を抱きながら、二十人ばかりが集まった仲間達の下へ弟を連れて行った。


「アギュロン先生、コイツが弟のオーギュストです! まだ若いが、優秀な軍人ですよ! まあちょっと頭が固いところもありますが、根はイイヤツなんで宜しくお願いします!」


 今まで語り合っていた若者達が、一斉にオーギュストへ視線を向けてくる。その中の一人が立ち上がり、手を差し出してきた。


「やあ、噂はかねがね聞いています、私はマクシミリアン=アギュロン。この中ではリーダー……ということになっていますが……まあ、単に一番年長と言うだけのことで……はは、宜しくお願いします」

「宜しくお願いします、先生」


 大きな鼻に痘痕あばたの残る頬はお世辞にも美しいとは言えないが、瞳だけは夢見る少年のような男である。アギュロンは現在三十三歳で、地元モヴーシュでは弁護士だったという。


 オーギュストは彼の手を取り、静かにほほ笑んでいる。

 しかしこの出会いこそ、彼の人生を激動の中へと導くことになるのだった。


 ■■■■


 六月中旬、霧雨の降る中ヴィルヘルミネはフロレアル宮殿へと向かうことになった。

 

 彼女を招待する為に幼年学校の寄宿舎へ訪れたのが、近衛隊の華美は軍装に身を包んだアデライードだったから、話にも肉体的に思わず飛びついたヴィルヘルミネだ。

 例によってゾフィーは「ぎりっ」と奥歯を鳴らしてアデライードを睨んだが、それ以上に激しい反応は見せていない。


「王妃様が、久しぶりにミーネ様と午後のお茶を共にしたいと仰せです」

「んむ、余もマリー様と久しぶりにお会いしたいと思うておった。元気じゃろうか?」

「……元気、とは言えませんね。三部会の議員たちが、不穏な動きを見せていますから。それでなくとも近頃は……」

「近頃は?」

「いえ、何でもありません。ミーネ様のお気持ちを煩わせるようなことを申し上げて、失礼致しました」


 こうして数日後、ヴィルヘルミネはゾフィーに手伝ってもらいドレスに着替えてから、フロレアル宮殿へと向かったのだ。


 ただゾフィーは馬の蹄鉄を取り換えるとのことで、ヴィルヘルミネの供が出来なかった。そこでイルハン=ユセフを指名し、赤毛の令嬢は彼を護衛として宮殿に向かったのである。


 フロレアル宮殿に到着すると、ヴィルヘルミネは外がよく見える大きな部屋に通された。室内は金や銀、それから赤や緑と、外の薄暗さを感じさせない明るい作りだ。天井からぶら下がるシャンデリアも、煌々と光り輝いている。


「まあ、ミーネ! さっそく来てくれて嬉しいわ!」


 令嬢が暫く待っていると、満面に笑みを浮かべた王妃マリーが両手を広げてやってきた。ヴィルヘルミネも椅子から立ち上がり、王妃と抱き合って再会を喜んでいる。


「ミーネ、幼年学校はどうかしら?」

「んと……最初、虐めにあいました」

「えっ……」

「放置プレイ……されて……」

「えっ、まあ、それは可哀想……」

「でも、今は大丈夫……です。よく分からないけど、皆、よくしてくれています」

「そう、それは良かったわ! さあ、座って! 今日はね、とっても美味しいお菓子を用意したのよ!」


 ヴィルヘルミネは運ばれた茶菓子を見て、「ふわぁあああ」と感嘆の声を上げた。

 そんな令嬢を見て、王妃が悪戯っぽく笑う。


「三部会がどうなるかで、こういったお菓子も自由に食べられなくなるかもしれないから……今のうちに、ね!」

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