第63話 幼年学校の伝説
ダントリクの提案でイルハン=ユセフとジーメンスが向かった先は、校舎に入ってすぐの階段であった。ここは狭い上に高所である。二人が並んで陣取れば、クートン一派がいくら三十人以上とはいえ、一斉に襲ってくることなど出来ないだろう。
ましてやユセフとジーメンスは、フェルディナント軍幼年学校随一と言われる格闘術の使い手だ。だからこそ、ここは数の不利を十分に覆せる場所なのであった。
クートン一派の面々が攻め寄せるたび、イルハンは上着を巧みに使って撃退する。ジーメンスの足技も冴え渡り、しかも二人の連携が見事だから、クートン一派には付け入る隙が無かった。
「クートン……手下をけしかけるだけで、本人はそこで見ているだけか?」
「おい、ユセフ! この期に及んで挑発などやめないかッ! 三分の一も倒せば逃げるのだから、大人しく戦っていたまえッ!」
冷然と敵を倒すユセフに、憮然とした表情で応じるジーメンス。だがその間も彼の足技は止まらず、迫る敵の鼻面を蹴り上げていた。
「おのれ、おのれ、おのれ……奴隷と下級貴族が調子にのりおって!」
これに業を煮やしたクートンが腰の銃に手を掛けると、「銃を使う気だべ! 誰か教官を呼んで!」とすかさずダントリクが叫んだ。
実際のところクートンは、銃を向けて脅すだけのつもりであった。しかし手にした銃が本物である以上、抜いてしまえば言い訳はきかない。
この結果、少数に対して多勢で襲い掛かるだけでも見苦しい上に、銃まで持ち出したクートン一派が悪である――という認識に周囲の目も定まった。
この現状認識を元に一般の生徒達が教官室へ走ったのだから、大儀はもはやユセフ達のものである。
クートンもここで引き揚げれば、これ以上の無様を晒すことは無かったかも知れない。しかし運命の女神は、彼に一切の幸運を許さなかった。
この状況を見ていた一人が教官よりも先に、まだ教室に残っていたヴィルヘルミネへ知らせてしまったのだ。
この者は砲兵科の生徒であり、令嬢は既に砲兵科を完全掌握している。であれば教官よりも先に彼女の下へ報告が届くのは、至極当然なのであった。
「ヴィルヘルミネ様! 玄関付近の階段にて、従者のお二人がガラの悪い連中に襲われております!」
「んむ? ……で、あるか」
午後の授業を全て居眠りで過ごし、誰にも起こして貰えなかった赤毛の令嬢は今、超絶に不機嫌であった。何しろ周りに気を遣われ過ぎて、逆に放置プレイの刑を食らったのである。
やっと起こしてくれたと思ったら、なにやらよく分からない話をされてしまうし……。
しかもヴィルヘルミネは、残念ながら自分が砲兵科を掌握している――などとは思ってない。アホの子なので、「うわぁあ、余、虐めにあっちゃった! 最悪!」と思い半べそであった。
すっくと席から立ちあがると、ヴィルヘルミネは帰る準備を始めた。奥歯を食いしばり、必死で泣くのを堪えている。
流石にフェルディナントの摂政が、虐めにあったくらいで泣いてはいけない。その位の分別は、彼女にもあるのだった。
そして、ガラの悪い連中に襲われている従者って誰だろう? とヴィルヘルミネは思う。
ゾフィーと誰か……というのは考え難い。
だってゾフィーなら、襲われる前に相手を倒してしまうだろう。むしろ警察沙汰になりかねない。それならジーメンスとイルハンかな……と考えた。
――ああ、やっぱり外国の学校は怖いのじゃ。あんなに強い二人でも、虐めにあっちゃうのじゃから。余なんて虐められて当然じゃの。根暗じゃし……じゃし。
ヴィルヘルミネは立ち上がると、いよいよ涙を堪えきれなくなった。ホロリ――水滴が、令嬢の白い頬を伝う。
その時、外の騒ぎを聞きつけた別の生徒が教室へ戻ってきた。令嬢の顔を見て、拳をワナワナと震わせている。
「何ということだ! ヴィルヘルミネ様が心を痛めておられる。許せん、許せんぞォォォ! ――人を集めろ! まだ校舎に残っている砲兵科の全員だ! ヴィルヘルミネ様の御従者を、救い参らせるッ!」
と――彼は言った。
令嬢はボンヤリと歩き出し、玄関へと向かう。そこにユセフ達がいることなど、すっかり失念をしたまま。
そうしてトボトボと歩くヴィルヘルミネの背後に、どんどん砲兵科の生徒が集まっていく。
令嬢の教室は三階にあった。
そこから階段で降りていくと、ヴィルヘルミネは十人程度を背後に従えたゾフィーと鉢合わせる。
――あれ、ゾフィー。こんなに人を従えて……いいのう、流石だのう……やっぱりゾフィーは、虐めなんかと無縁なんじゃ、余と違って……。
くさくさに腐った令嬢が、ニヒルな笑みを浮かべている。これを勘違いしたゾフィーは小さく頷き、こう言った。
「ジーメンスとユセフに手を出した愚か者に、制裁を与えましょう」
むろん令嬢の後ろにも、ゾフィーと同じほどに戦意を滾らせた少年達が従っている。
――何を言っておるのじゃ、ゾフィー。余、そんな力ないから……。
ヴィルヘルミネはそう言おうとして、ゾフィーの瞳に映る大勢の少年を見た。それから後ろを振り返ると、両目をぎらつかせた少年達がズラリ――自分に従っているではないか。
これにヴィルヘルミネは、「なんぞ、このサプライズ!」と思いながら、自分は虐められていなかったと喜びガッツポーズ!
――虐めにあったけど、余、まだ味方がいたのじゃ!
「フハ、フハ、ファーハハハハハ!」
こうして令嬢は無敵状態となり、一階へ続く廊下、その踊り場で戦うジーメンスとユセフに合流するのだった。
■■■■
「構えよ!」
ヴィルヘルミネの号令と共に、砲兵科の全員が一斉に拳銃を抜く。三人ずつ横に並び、前列、中列、後列と三段構えだ。人数がクートン側よりも少ないが、接敵する面積が少ないので十分に戦える。
それどころか高所から銃撃をしようという時点で、赤毛の令嬢はもう、相手を殺す気満々であった。
何しろ令嬢は今、絶好調である。虐められていないと分かれば、やりたい放題なのだ。アホの子なので調子に乗れば、この程度の横暴は仕方がない。
「ちょ、ちょっとお待ちを、ヴィルヘルミネ様! け、けけ、拳銃を抜くのは不味いのでは!?」
クートンが裏返った声で喚き、手を上げている。その隙にイルハンとジーメンスが後方へと下がり、ダントリクの怪我の具合を確かめていた。
「先に銃を抜いたのは、貴様らだろう! 総員、抜剣ッ!」
今度は金髪の少女が叫んだ。
騎兵科は全員、サーベルを装備している。だからゾフィーは剣を抜き、胸元に構えた。同時に彼女が掌握している騎兵科の面々も、彼女に倣い抜剣する。
金髪の少女はヴィルヘルミネが銃撃した後、即座に突撃を敢行する予定であった。むろん目的は、敵の掃滅である。一人とて生かしておくつもりは、無い。
赤毛の令嬢が「そのつもり」である以上、忠実な猟犬であるゾフィーに躊躇う理由など無かった。
「だ、だからって、わ、わ、私には撃つつもりなんか……無かったのに……」
クートンが尻餅を付き、自分に向けられた銃口と剣を見つめている。どう考えても紅玉のような瞳を持つ令嬢は真剣そのもので、冷然と自分を見下していた。
もう一人、紺碧のような瞳の令嬢も、ヴィルヘルミネが「止めよ」と言わない限りは止まりそうもない。
クートンは貴族の誇りを投げ捨てて、床に額を擦り付け謝罪をした。
「そ、その……わ、私達が追っていたのは、ダントリクという者です。ユ、ユセフ君とジーメンス君には、何も関わりありませんので……どうか、どうか、お許し下さい!」
この言い分に、ヴィルヘルミネの頬がピクリと動く。
相手の言い分を是とした訳ではない。そもそもクートンの顔面点数は、六十二点であった。それだけでも万死に値する。が――ダントリク、という名前が気になった。
イルハン=ユセフとジーメンスが庇っているならダントリクとは、さぞやイケメンだろうと令嬢は思ったのだ。
どこをどのように考えたらそういう理屈になるのかは分からないが、ともかくヴィルヘルミネはそのように思っている。
そこで令嬢は、くるりと回れ右をした。スタスタ歩いて、後方に下がったダントリクの顔を見る。紅玉の瞳にボサボサとした黒髪と分厚い眼鏡を映すと、顎に細い指を当て考え込んでいた。
――むむ……どうにもパッとせぬなぁ。
しかし次の瞬間、イルハンがダントリクの眼鏡に手を掛け、「目は、大丈夫か?」と問うた時……。
分厚い眼鏡の奥から現れた、氷のように澄んだ空色の瞳にヴィルヘルミネは魅せられた。ああ、何じゃ――超イケメン……、九十三点じゃああああああ!
という訳で、再び回れ右をした赤毛の令嬢は、哀れなクートンに言い放つ。
「余の従者が守っておった者もまた、余の従者である。よってそれに手出しをした貴様を、余が許す謂れなどない――死ね」
手を高々と掲げ、赤毛の令嬢が冷然と見つめるその先で――クートンは思わず失禁をした。ここでようやく教官達が到着したから、ヴィルヘルミネは殺人犯にならずに済んだのだ。
このとき命拾いをしたクートンは、決して運を「持っていた」訳ではない。
むしろ「持っていた」のはヴィルヘルミネの方で、この出来事はランス幼年学校において伝説となり、この後、誰も令嬢には逆らわなくなったという。
こうして赤毛の令嬢は、ランス幼年学校全学年を支配した。
ただし、本人だけは気付かぬままに……。
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