第61話 幼年学校


 四月に入るとヴィルヘルミネ達はランス王立陸軍幼年学校に入学し、四名はそれぞれ寄宿舎に入った。ヴィルヘルミネとゾフィーが同室、ジーメンスとユセフも同室という配慮が学校側により、なされている。


 ただしそれぞれ、進んだ兵科は違っていた。

 ジーメンスとユセフが歩兵科であったのに対し、ヴィルヘルミネは砲兵科でゾフィーは騎兵科だ。


 なので当然、ジーメンスとユセフ以外は学ぶ教室が違っている。

 正直ゾフィーはヴィルヘルミネと離れることが嫌であったし、また心配でもあった。

 むろんジーメンスとユセフも、ヴィルヘルミネを心配していたことでは変わりない。側にいなければ守ることも出来ないからだ。


 とはいえヴィルヘルミネは彼等の心配を他所に、あっさりと自らのクラスを掌握してしまった。

 何しろ彼女は軍事の天才と言われており、先のいくさでも容易く敵を打ち破ったという英雄だ。そのうえ容姿が神がかり的に美しく、黙っていれば冷然とした威厳を備えた美少女である。


「余が――ヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナントじゃ」


 結局そう言うだけで砲兵科の生徒達は赤毛の令嬢に心酔し、勝手に彼女の掌中へと転がり込んだのだった。


 一方ゾフィーは赤毛の令嬢を心配しながらも、自らの勉学を疎かにはしていない。だから授業の度に類まれなる能力を発揮して、こちらも瞬く間に騎兵科を掌握してしまうのだった。


「これは、アデライード=フランソワ=ド=レグザンスカと並ぶほどの天才騎兵だ!」


 教官達に称えられても、しかしアデライードをライバル視するゾフィーは、細く美しい眉を顰め憮然とした表情で言う。


「あの程度の女と一緒にされては困る……」


 だが一方でジーメンスとユセフは、そもそもがヴィルヘルミネの単なる従者という扱いだ。確かに二人もフェルディナントにいた頃から優秀ではあったが、だからこそ逆にランス人達は彼等をよく思わなかった。


 ましてやイルハン=ユセフは元奴隷の子孫であり、そもそも人種が違うのだ。

 なので歩兵科にいる彼等にこそ、様々な出来事が降り掛かるのだった。


 ■■■■


 五月に入ったある日、戦史研究科という不思議な兵科から一人の編入生が歩兵科へやってきた。

 彼は小柄で薄汚れたシャツを着て、それすらもズボンからはみ出た、軍人にあるまじき恰好をしている。

 極度に近視なのか、彼は分厚く丸い眼鏡を掛けていた。墨を溶かしたような黒髪はボサボサで、時折「ズズ……」と鼻を啜っている。


「あー、ダントリク、自己紹介をしてくれ」


 教官に促され、小柄な少年が頭をボリボリと掻きながら言う。


「ええと……オラ、セレス=ダントリクって言うだ。人数が足らんいうこって戦史科が無ぐなってもうて……こっちさ来たけんども。馬に乗るのも苦手だし大砲も重いもんで、おめぇなんぞはマスケットでも撃ってろと言われたんさ。んだども戦列歩兵って怖ぐでなぁ。皆さんも、そう思わねべか……?」


 全員が「お前、何で軍の幼年学校にいるんだ!?」と思うほどひ弱そうに見える少年だ。しかも方言丸出しで、言葉さえも聞き取りにくいものであった。

 こうしたことから、ガラの悪い連中がさっそく目を付けたらしい。盛大にヤジを飛ばしてる。


「おいおい、俺達は剣林弾雨の中、兵を率いて敵に突撃するんだぜ? そんな怖さなんか、とっくに克服してるに決まってんだろ!」

「だいたいなんだ、その言葉遣いは! そんなんで兵を動かせんのかよ!?」


 教官は眉根を寄せてはいるものの、生徒達の暴言を止めようとはしていない。彼も歩兵科だから、ダントリクの言い方が気に入らなかったのだろう。


「まあ、事情はどうあれ、ダントリクもこれからお前達の仲間になる。歩兵がどういうものか教える意味でも、しっかり歓迎してやってくれ――じゃ、あの席へ」


 教官がタンドリクに指差して見せた席は、ユセフの右隣であった。

 ユセフは自分と正反対の特色を持つ少年を、無表情で見つめている。特に思う所も無かったし、隣にきたら挨拶程度はしようと考えていた。


 もっともユセフは元奴隷の子孫だから、教室の端に席を与えられている。

 ヴィルヘルミネの従者という立場上、誰も表立って手出しはしてこないが、だからこそ彼はこのクラスで腫れ物のような扱いだった。

 その隣へ行けと言われた時点で、つまりダントリクの扱いも決まっている。


 だからこそ彼に対して、露骨なまでに邪険な態度に出た者が多い。

 さっそくその内の一人が、ダントリクに手を出している。

 小柄な体をさらに小さくして速足に席へと向かう彼に足を引っかけ、転ばせたのだ。それと同時に十人程度の連中が一斉に笑う。


「おいおい、ダントリク君! その分厚い眼鏡は飾りかな? 障害物も避けられないなんて、それで将来歩兵の指揮ができるのかね!? そんなんじゃ被弾する前に目の前の岩につまずいて、戦死しちまうぜぇぇええ! アーハハハハハハハハハッ!」


 これを見て、ひと際高い声で笑う人物が、侯爵家の次男坊なのであった。


 ■■■■


 ダントリクが席に着くと、ユセフは何事も無かったかのように声を掛けた。元々そのつもりであったし、どうせ自分が疎まれていることも知っている。今更気にする必要など無いのだ。


「私の名はイルハン=ユセフ……よろしく」


 ダントリクはキョトンと横を見て、静かにほほ笑んだ。といっても彼の頬は、僅かに引き攣っている。

 ユセフの体格が十二歳にしては圧倒的過ぎて、驚いてしまったのだ。とはいえ先程自分の足を引っかけた少年も大柄だったから、自分が小さいだけなのか――と、彼は思い、切ない溜息を吐き出した。


「はぁ……よろしぐ、ユセフ君。ええと、君は随分と南方から来たんだべか? オラも南の島出身だけんども……もすかして外国からの留学生――なんだべか?」

「ああ、フェルディナントだ」

「へぇ……フェルディナントかぁ」


 ダントリクは全てを察し、無言で頷いた。代わりに侯爵家の次男、クリュール=ド=クートンが嫌味な笑みを浮かべて言う。


「おやおや――あぶれ物はあぶれ物同士仲良くしようというのかね? いやぁ、いじましいことだ」


 彼は金髪碧眼でユセフに匹敵する巨躯だ。彼は家柄と体格によってユセフ達のいる歩兵科第三学年を、実質的に支配している少年であった。


「ま、そういうことだ。放っておいて貰おう」


 チラリとクートンに視線を送り、ユセフが腕を組む。

 別に間違ったことを言われた訳でもないから否定せず、ユセフは頷いていた。


「でもいいのかね、イルハン=ユセフ。セレス=ダントリクと言えば、戦史研究科の中でも有名だったんだよ。ククク、悪い意味でねぇ」

「そうか。それがどうした?」

「……ふん、別に」


 クートンの方も、相手がヴィルヘルミネの従者であれば、これ以上の暴言は吐けない。苛立たし気に目を逸らしている。


「あぁ、オラのせいで君まで目を付けられたなら……その、申し訳ねぇだ」


 小声で言うダントリクに対し、「別に……」とそっけなく答えるユセフ。そんな二人を斜め前の席からチラリと見て、ジーメンスが頭を抱えている。


 ――ああ、もう、ユセフ! 何で君はいつもいつも、天然でトラブルへ首を突っ込んでいくのだね! ボクは平和に何事も無く、ここを卒業したいのだよッ! そしてゆくゆくはヴィルヘルミネ様を妻に迎えて、グフフフ――ではなく! とにかくユセフ、そんな田舎者、放っておきたまえッ!


 というわけでジーメンスは他人のフリを決め込み、あとでユセフに説教しようと考えプリプリしているのだった。

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