第60話 まるで絵画のように……
「今度のお相手は、バルジャン中佐ですわ」
「まあ! あの方が今回の
「もしかしたらヴィルヘルミネ様の本命は、あの方なのかしら?」
「どうかしらね――でもランスの英雄とフェルディナントの英雄だもの、お似合いですわ!」
赤毛の令嬢とバルジャンが踊っている最中、二人の周囲では噂話に花が咲く。ヴィルヘルミネは当然の事、耳をヒク付かせてそれらを不機嫌そうに聞いていた。
とはいえ髭を剃ったことで、バルジャンの顔面点数は跳ね上がっている。だから令嬢がギロリと睨んだところで、そこにあるのは爽やかなイケメンの顔。なのでヴィルヘルミネは、デレっとしてしまう始末なのであった。
「おい、バルジャン。卿は案外と踊りが上手いのじゃな」
結局ヴィルヘルミネは大した憎まれ口も言えず、少しだけ眉間に皺を寄せただけ。
バルジャンは周囲の噂話を雑音程度にしか思っていないのか、気にした素振りも見せず、「まあ、この程度しか取り柄がありませんので……」と笑っていた。
実際、バルジャンのエスコートは堂に入ったものだ。ダンスの苦手なヴィルヘルミネさえ、上級者のように見せるテクニックを持っているのだから。
「ヴィルヘルミネ様のお陰で中佐になり、王都防衛隊の連隊長代理に出世しました。そのお礼を一言申し上げたくて」
「それでわざわざ余の前に? まぁ、出世できて何よりじゃが、されど礼など要らぬぞ」
「はは、閣下なら、そう仰ると思っていましたよ。ただね……」
「なんじゃ?」
「文句も言いたかったのです」
「文句じゃと!?」
「正直これは、私の手に余る大任です。むしろ迷惑だ」
「卿は出世したいのか、したくないのか、どっちなのじゃ?」
「そりゃ、出世はしたいですよ。でも出来ればこう、後方で勤務して定時で帰り嫁を迎えて子供が三人くらい生まれたらいいなってのが理想でして――いやまあ、要するに私は敵と戦うってことが、向いていないと思うんです」
笑みを浮かべながらも、バルジャンの表情には陰りがあった。
「なんじゃ、自分の力量に自信が持てぬのか?」
「そりゃそうですよ――だって私は一千の敵にも怯える程度の男じゃないですか。それが風雲急を告げる今の時期、王都防衛の重責を担えるワケが無いでしょう」
「知るか、そんなもの。だっだら辞退すれば良いだけじゃろうが」
「ヴィルヘルミネ様――いいですか、王都防衛は国王陛下の勅命によって、その任に当たるんです。てことは異論、反論なんて私が口に出来るワケないでしょう?
でもね、思うんです。この任、例えばランベールでもレグザンスカでもどちらでもいいが――彼等こそ適任なんんじゃないか……ってね。二人は私より、余程優秀ですから」
ヴィルヘルミネはくるりと回転しながら、小さく頷いた。
ああ、この男、その程度の事は分かるのだな……と、少しだけバルジャン中佐の評価を上げて。
ただしヴィルヘルミネが評価するのは、全てが顔面点数である。よって優れている――というのもあくまで顔面の話なのであった。
「確かにオーギュやアデリーの方が卿より優れているが、それを余に申しても意味など無かろう」
「ですから、ヴィルヘルミネ様は国王陛下とも親しくお話なさる間柄でしょう? そこで私の任を、二人のうちどちらかに代わってもらうべく申し上げて頂けませんか?」
「なぜ余が、ランス軍の人事にまで口を挟まねばならんのじゃ」
「だってヴィルヘルミネ様が私を英雄なんぞに仕立ててしまったから、こうなったんですよ? このままじゃ私、暴動とか鎮圧出来なくて死にますからね!?」
「何でキレ気味なのじゃ!? 余には関係なかろうに! 勝手に死ね!」
「ありますって! 私が死んだら、ヴィルヘルミネ様も寝覚めが悪いでしょう!」
「はぁ……まったく……先日よりも大分良くなったと思っておったのに……」
「えっ、良く……どのくらい……です?」
「んむ――まあ、オーギュには及ばんが、卿も中々じゃと思うぞ。ランス軍の中でも間違いなく上位に入ろう」
むろん令嬢が言っているのは、顔面点数だ。
しかしバルジャンはこれを軍事的能力だと誤解したから、大きく頷いている。
ここでちょうど曲が終わりバルジャンは自信を取り戻すと、一礼してヴィルヘルミネの元を去るのだった。
もっともバルジャンの不安は当然のことで、彼が王都防衛を任されたのには、大きな裏がある。
実のところバルジャンを推薦した人物は、彼が任務に失敗することを前提として王都防衛隊に配属するよう、国王に進言したのだ。
バルジャンもまた、ランス内部に吹き荒れる国王派と革命派の争いに、有無を言わさず巻き込まれた一人だったのである。
■■■■
オーギュストと踊り始めた頃、体力の無いヴィルヘルミネは既にぐったりとしていた。せっかく彼と踊ることを楽しみにしていたのに、踏んだり蹴ったりの令嬢である。
「やれやれ――まさかバルジャン中佐が出てくるとは思わなくってね」
「まあ、それはよい。ヤツも色々と悩んでいるようじゃしの」
「ああ、任務のことかい? 王都の防衛を担うと言えば聞こえはいいが、民衆の敵役のようなモノだからね……」
「うむ。奴としては能力の不足を気にしておるようじゃったが……しかし、民衆の敵にもなるのか……」
純粋にヴィルヘルミネは、民衆を敵に回すことが嫌であった。それは自らの基盤を、民衆が支えていると理解していたからだ。
しかし一方で彼女には絶対君主という側面もあり、ランスの民衆が望む自由や平等からは対極の存在でもあるのだった。
だからこそヴィルヘルミネは国王派にもなれるし革命派にもなれる、表裏一体の存在なのだ。それが故にヘルムートは彼女に国王派を装うよう要請し、同時に革命派とも適度な距離を保つよう願っているのだ。
とはいえ元来が素直なアホの子ヴィルヘルミネに、そうした腹芸を行うことなど出来ないのだった。
「その言い方を聞いていると、ミーネはやっぱり民衆の味方なのかな?」
ゆったりと優しくヴィルヘルミネをリードし、オーギュストが何でもない事のように問う。
「むろん、民衆は好きじゃ。余の為に戦い、余の為に血を流してくれたからの」
「それはミーネがフェルディナントの民衆の為に戦ったからだろう? 持ちつ持たれつってやつじゃあないのかな」
「うむ、そうじゃな……だから彼等に報いねばと思うのは当然であろう。じゃからこそ、ランスの民衆は分からぬ。自由とは何じゃ、平等など、あり得るのか? そもそも本当に民衆が、そのように曖昧なものを求めておるのか?
街に溢れる失業者が求めるのは仕事であろうし、貧者が求めるのは今日のパンじゃ。国王はそれらを手配しようと励んでおるのに、何故かそれが民まで行き届かん。つまり余は――……」
「どちらの味方でもない、か。ま、ミーネの言うとおりさ。民衆が求めているものは、自由や平等なんかじゃないだろう――それを叫ぶ者達が、パンや仕事を与えてくれるような気がするから、彼等に味方をするだけだ。けれど革命派に縋りたくなるほど、今の国王には力がない。
――要するにこの国は今、八方塞がりなのさ」
ヴィルヘルミネはオーギュストの言い回しが難しくて、話の大半を理解できていない。ただ、彼の赤い瞳に不穏の色が宿っていることだけは分かったので、少しだけ聞いてみることにした。
「――のう、オーギュ。卿はもしかして、革命派なのか?」
「さあ? 俺は、あくまでも破綻した経済を回復させて、民衆が普通の暮らしに戻れればいいと思っているだけだよ」
「では、国王に力を取り戻させれば良いのではないか?」
「うん、それでも構わない。旧態依然とした権力の中間構造が破壊されれば、きっと経済も回復するからね。俺としては、それが一番望ましいよ。でも……」
「でも?」
「いや――もしも俺がフェルディナントに生まれていたら、何の迷いもなくミーネの下へ馳せ参じていたのにな。デッケン先輩が羨ましいよ。けど残念ながら、俺はランスに生まれてしまった、ははは」
「今からでも遅くはないぞ、オーギュ。我が国に来い。ヘルムートだって、元はランスにおったのじゃ」
「有難いね――……だけど、その誘いは受けられないよ。俺はこの国に家族がいるからね。この国をどうしようもなく愛してやまない、そんな家族が……」
ヴィルヘルミネを見つめるオーギュストの瞳は、しかし彼女を見てはいない。
何かうすら寒いものを感じて、赤毛の令嬢はブルリと身体を震わせている。
そうして曲が終わると、一陣の風が舞う。
真紅の髪と銀色の髪が黄昏の中に揺れると、それは一枚の美しい絵画のように見えるのだった。
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