第59話 ダンス・ダンス・ダンス


 アデライードの提案は、至極簡潔だ。彼女は跪きヴィルヘルミネの手を取ると、令嬢を見上げて厳かに言った。


「姫君、宜しければ私と一曲、踊って頂けませんか?」


 緑玉エメラルドのような瞳に艶やかな優しさを湛え、ヴィルヘルミネに微笑む男装の麗人。もはや令嬢は完全にノックアウト状態であった。

 お陰でゾフィーは、またもライバル心がムクムクと湧き上がってしまう。


 ――こんなことなら、わたしもドレスなんか着るんじゃなかった! 


 そんなゾフィーは今、淡い青色のドレスを身に纏っている。そのせいで男装の麗人とは言えないが、後にその美しさを記憶していたランス人達は彼女を「フェルディナントの光華」と呼び、褒め称えている。それ程に金髪の親友は、美しい少女なのだ。

  

 もちろんヴィルヘルミネも既に、絶世の美女たる風格を備えていた。しかし十二歳という年齢にして、余りに妖艶であり覇気に満ちている(ように見えた)為、人々は迂闊なことを言えないのだ。


 そんなヴィルヘルミネが幾度も瞬きをして、跪くアデライードを見つめている。もはや踊るより、お持ち帰りしたい一心であった。


 しかし考えてみればアデライードは公爵家の出であり、王家とも繋がっている。女性であるという点さえ除けば、ヴィルヘルミネが最初に踊る相手としては申し分が無いのだ。


 アデライードは跪いたまま、周囲を見回して更に言う。


「私が踊った後でなら、オーギュがミーネ様と踊っても問題ないでしょう、デッケン先輩。ああ――でも、その前にデッケン先輩と踊った方が、順番的には良いのかも知れませんね」

「なっ、僕がヴィルヘルミネ様と!? だから、それはッ!」

「――だって先輩は伯爵家の出自でしょう? ですから丁度いいのでは?」

「い、いや、僕の家はつい数年前まで貧乏男爵家で――って、そういうことを言っているのではなくてだな、レグザンスカ……」

「お嫌なのですか、ミーネ様と踊るのが」

「い、嫌なものか! 踊る、僕はヴィルヘルミネ様と踊るぞ! 断じて踊るッ!」


 拳を握り天を仰ぎ見るピンクブロンドの髪色をした青年は、内心の高ぶる気持ちを抑えきれそうもない。

 一方ヴィルヘルミネは「超こわい」と思いながらも、まずはアデリー、それからオーギュと踊るのだと思えば、滾る欲望に塗れて大きく頷くのだった。


「まあ良い。とりあえずアデリーと、次の曲で踊ろう。じゃがの……余、踊りは超下手なのじゃが」

「大丈夫、私がきちんとエスコートしますから」


 ■■■■


 ヴィルヘルミネとアデライードが踊り始めると、途端に周囲がざわつき始めた。それは令嬢の幼くも麗しい姿に見惚れると同時に、アデライードが若き美貌の士官に見えたからであろう。

 

 フェルディナントの公爵令嬢にして摂政たる赤毛の美少女が、最初にダンスを踊った人物を見定めようと皆が注目しているのだ。

 だから年頃の令嬢達が胸をときめかせながら、キラキラと輝く瞳でアデライードを見つめている。次は自分を誘って貰えないだろうかと、二人の周りを年若い令嬢達が囲んでいくのだった。


 しかし赤毛の令嬢と金髪の士官は他を圧する程に美しく、黄昏時に舞う赤と金の蝶を思わせるほど。ヴィルヘルミネの次にアデライードと踊れる程、容姿の整った令嬢は存在しない。

 なので二人を取り巻く令嬢達は、感嘆のため息と共にさざめき合うだけで足を前には進めなかった。


「のう、アデリー。不思議なのじゃが――おぬし、なんで男性のステップで踊れるのじゃ?」

「王妃様の練習相手を務めていましたから」

「おお、マリー様の! で、あるか!」


 楽しそうに会話を交わしているが、基本的にヴィルヘルミネは運動神経が悪い。なのでよくステップを間違えそうになるし、アデライードの足を踏みそうにもなっている。

 だというのに赤毛の令嬢が下手だと思われずに済んでいるのは、アデライードの巧みなリードによってなのであった。


 瞬く間に一曲が終わり、二人が互いに礼をして別れる。

 周りにいた令嬢達が期待を込めた視線をアデライードに送っていたが、彼女はニッコリとほほ笑みゾフィー達のいる方へと戻って行った。

 

 一方、何事につけ動きの遅いヴィルヘルミネは、「あわ、はわ?」とその場で佇み、多くの男性に囲まれてしまう。そこへエルウィンが颯爽と現れて、「ヴィルヘルミネ様――次は僕と」と言った。


 普段であれば「狩られる!」と思いピューッと逃げ出す赤毛の令嬢であったが、今は周りを囲まれ過ぎて恐ろしかった。だから、それならいっそエルウィンでいいや! という気持ちで彼の手を取ったのである。


「まあ、ヴィルヘルミネ様の次のお相手――エルウィン卿ですわよ」

「ああっ、なんてお羨ましいッ!」

「エルウィン様、夜会などでは滅多に踊って頂けないのにッ!」


 そこかしこから、悔しがる令嬢達の声が漏れ聞こえた。

 そう――エルウィンはランス王国において、今最も人気のある駐在武官なのだ。


「のう、エルウィン――卿はランスで何をやっておるのじゃ? 随分と令嬢達に人気があるようじゃが?」


 曲が始まるなり、眉根を寄せてヴィルヘルミネが問う。そんな主を巧みにリードしながら、エルウィンは答えた。


「情報収集ですよ。令嬢達は父親や兄の話を聞いていたりしますからね、適度に踊って話を聞かせて頂いています」

「ふぅん――それにしても、随分と人気があるのじゃの」


 つまらなそうに口を尖らせる令嬢の意図は、「もっとトリスタンと仲良くせよ」というものだった。彼女としてはエルウィン、トリスタンのカップリングもアリなのだ。

 やはりイケメンはイケメンと仲良くして欲しいのであって、女性にモテるイケメンはちょっと不本意である。


 赤毛の令嬢にとってエルウィンは、自分を狩ろうとしている存在かも知れないが、推しカプとそれは別の話なのであった。

 ヴィルヘルミネはエルウィンとトリスタンというカップリングで、パンを三個は食べられる。これもまた、じゅるりなのだ。

 

 しかしエルウィンは、そんな令嬢のふくれっ面を「こ、これはもしかして、僕のことを気にしてくれているんじゃあないのかッ!?」と最大最良の解釈をする。だから優しく微笑んで、令嬢の腰に添えた腕に力を込めた。


「でも僕の心にいるのは、いつだってヴィルヘルミネ様お一人です。ご安心ください」


 ピンクブロンドの髪色をした青年が浮かべた笑みで、周囲の令嬢達がまたも騒めいた。


 エルウィンは剣も槍も銃も良く使い、戦術も巧みで外交官としても優秀だ。凡そ不得手というモノが無く、しかも端麗過ぎる程の美貌である。

 そんな彼が甘い笑みを浮かべて赤毛の令嬢を見つめているのだから、これを羨ましがらない女性はいないのだった。


 だが令嬢は、腰に据えられた手に力を込められたものだから、「か、狩られる!」と思い身を硬くして何も言えない状態だ。

 踊りながらもヴィルヘルミネはフルフルと震え、頬の横に冷たい汗を流している。そして彼女は心臓を早鐘のように打ち鳴らし、下唇を噛んで必至でダンスの終了を待っていた。


 そんな令嬢の仕草が、余計エルウィンの勘違いを拗らせる。それはヴィルヘルミネの心音が、密着した際に分かってしまったから。

 

 ――ああ、ヴィルヘルミネ様が僕と踊っている時、あんなにもドキドキしているなんて……! 待っていてください、いつか必ず、あなたに相応しい男になってみせる!


 こうしてエルウィンの順番が終わると、またも無数の紳士達がヴィルヘルミネの前に群がってくる。次はオーギュじゃ! と思っていたのに、ヴィルヘルミネとしては、とんだ誤算であった。

 そんな中、他を圧して一人の男が進み出る。皆も、彼であれば仕方がない――と言いたげな雰囲気を醸し出していた。


「ヴィルヘルミネ様、お久しぶりです! 次はぜひ、この私と踊って下さいませんか!」


 片膝を付き、凛とした褐色の瞳で見上げてくる茶髪の青年だ。ヴィルヘルミネは暫し首を傾げ、「誰じゃ?」と考えていた。


 見たところ顔面点数は八十三点――悪くはない。というか、良い。

 そんな男をヴィルヘルミネが忘れる筈など無いのだが、彼は「お久しぶりです」と言い、令嬢の記憶には無い相手だった。


「ん……誰じゃ、卿は……?」

「またまた、酷いですよ――ヴィルヘルミネ様! 私です! お忘れですか、マコーレ=ド=バルジャンです! ヴィルヘルミネ様のお陰で、此度のいくさの英雄になった男ですよ!」

「な……に!?」


 この時ヴィルヘルミネは、髭の有無で随分と人相が変わるものだと思い、うっかり彼の手を取ってしまったのである。

 二度と会いたくないと思っていたのに、そんな男と踊る羽目になる、迂闊な赤毛の令嬢なのであった。

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