第55話 ヴィルヘルミネ対ランス情報部
フロレアル宮殿の門前で、ランス王国の廷臣等とエルウィンに出迎えられたヴィルヘルミネは、そのまま彼女の為に用意されている客間へと案内された。
彼女に付き従った兵達は、護衛の一個小隊を残して近隣の宿舎へと移動する。これらのことは、事前に決められていた通りであった。
白い壁に黄金色で草花を描いた装飾がある部屋へ案内されると、赤毛の令嬢は「ぷぇ」と気の抜けた声を出した。壮麗さがバルトラインの公宮とは段違いだ。外観も十倍は大きな建物であったから、ヴィルヘルミネはとても驚いてしまった。貧乏人が、「金持ちってスゲー!」と思う感覚に近いだろう。
学友達はゾフィーを残し、ヴィルヘルミネの部屋を後にした。流石に令嬢の居室とあって、男子組は遠慮したのだ。
彼等と入れ替わるように五名ほどの侍女達が現れて、「御用があれば、なんなりと」と中央に立つ最年長の女性が恭しく頭を垂れた。実に美しい所作で、非の打ち所がない。彼女は自分を侍女頭だと名乗り、残りの四名を紹介していった。
しかし全員の容姿が七十点前後であったから、令嬢は誰一人名前を覚えていない。それどころかお腹が「ぐぅ」と鳴ったので、彼女等の自己紹介をさっさと切り上げて、食事の催促をし始める始末なのであった。
「わかった、よろしくの。で、夕食はまだか?」
「まず、湯浴みの準備を整えますので、それが済みましたら、ご用意致します」
「余、今日の所は身体を拭くだけで十分なのじゃが」
「では浴槽を運ばせますので、ごゆるりとお寛ぎなされませ」
「ぐぬぬ……、まて、余――湯浴みするとは一言も言っておらん。話を聞いておらなんだか?」
「もちろん、聞いておりますとも、ヴィルヘルミネ様は薔薇風呂がお好きであると」
「そんなことでは無いのじゃが……じゃが……!」
「――ですから赤い花びらを、たっぷりと浮かべるよう指示してございます」
上目遣いの三白眼で、侍女頭がヴィルヘルミネを睨んでいる。超怖い。狩られる! と思った。なので令嬢は大人しく頷き、風呂へ入ることに決めた。
「……で、あるか。よきにはからえ」
侍女頭の女性は恭しいが、どうやらヴィルヘルミネの要望はあまり聞いてくれないらしい。もしくは令嬢が話をキチンと聞かなかった、その仕返しであろうか。
ともかく侍女頭の顔つきが怖いから、ヴィルヘルミネはこの辺で折れることにしたのだ。
何しろ赤毛の令嬢は強い者に弱く、弱い者には強い勇者だ。従って怖い人には、あんまり逆らわない主義なのである。
侍女軍団が出て行くと、部屋にはゾフィーとエルウィン、そしてヴィルヘルミネの三人だけとなった。
こうなると部屋が広く感じられて、赤毛の令嬢は落ち着かない。あっちにウロウロこっちへウロウロと歩き回り、顔と目を忙しくキョロキョロと動かし続けている。
こんな令嬢の仕草がエルウィンには、間者を警戒しているように見えた。そうとも知らずヴィルヘルミネは、楽しそうに喋っている。
それがまたランスの間者が聞いたら何かを思いそうなセリフなので、エルウィンは令嬢の意図をさらに誤解した。やはりこの部屋には、間者がいるのだ――と。
「凄い部屋じゃのぅ~~~エルウィン。ランス王家は財政難と聞いておったが、この金を全て剥がせば、そんなもの解消されるのではないかぁ?」
「はい、ヴィルヘルミネ様。民衆の中には、そのように言う者もいますね。王家はフロレアル宮を速やかに手放すべし、と」
「うむ――余もここへ来る途中、賊徒共と戦ったがの。逆になぜ、あの程度の者共に手こずるのか……」
「はは……ランスに人無し、と申されますか」
エルウィンは静かに答え、窓の隅で束ねられたカーテンを閉じる。外は中庭に面しているだけだから閉じる必要も無いのだが、彼はこれから令嬢の真意を聞こうとしていた。だから人目に付く可能性を、なるべく排除したかったのである。
それに間者が居るとなれば、令嬢の本音を聞かせることは絶対に出来ない。その所在を突き止めようとエルウィンは今、必死で気配を探っているのだった。
一方ヴィルヘルミネは大人の身長の倍以上はあろうかという天井を眺め、そこに描かれた絵を見つめている。またも「ぷぇ~~~」、と言っていた。令嬢の緊張感は、穴の開いた風船の空気と同じくとても抜けやすいものなのだ。
しかし、その天井に間者の気配を感じ取り、エルウィンとゾフィーが同時に上を向く。
「ヴィルヘルミネ様、少々お聞きしたいことがあるのですが」
上を向いたままのヴィルヘルミネに近づき、エルウィンが彼女の顔を上から覗き込む。すると「うわっ……」と反射的に仰け反り、令嬢はひっくり返りそうになった。
「な、何じゃ?」
仰け反った赤毛の令嬢を支える為に肩を掴み、エルウィンが微笑んでいる。それから再び天井画へ視線を向けた。
「この天井画を、気に入られたのですか?」
「そうじゃが、そんなことが聞きたいのか?」
「それだけではありませんが……まぁ、これは聖母テレーズと神の御子の晩餐――という天井画だそうです。ヴィルヘルミネ様が幼き頃に母君を亡くされていると聞いた王妃マリー様が、このお部屋を是非ヴィルヘルミネ様の為にと仰り、ご用意して下さったとのこと」
「……んむ、で、あるか。マリー様の気遣い、感謝しよう。それにしても――随分と精巧に描かれた目じゃの。まるで人の目のようじゃし……。
そうじゃ、ゾフィー。ちょっとテーブルの上に乗って、剣でツンツンしてみてくれぬか。もしかしたら血が出たりするほど、精巧かもしれぬぞ。もし血が出たら面白いのう、ブシューって! ブシューって! ぷぷーくすくす!」
もちろん令嬢の提案は、完全に遊びである。しかしお世辞にも趣味が良い遊びとは言えず、しかもこれに慄いたのは、天井にいる間者であった。
間者は今、聖母画の目の部分から下を覗いているのだ。剣などで突かれた日には、失明は必至である。本当に「血がブシュー!」だ。冗談ではなかった。
「くっ、はははッ!」
エルウィンは笑い、ゾフィーは「はッ!」真剣な様子で剣を抜く。二人もこの時、ついに間者の位置を特定したのだ。天井にいる間者の焦りが消していた気配に揺らぎを生じさせ、彼等に存在を悟らせるキッカケを作ったのである。
二人は武官である自分達よりも早く間者の居場所に気付いたヴィルヘルミネにまたしても感心し、その慧眼に感動すら覚えていた。
まあ、これも単なる勘違いなのだが……。
そうしているといつの間にか天井から気配が消えて、聖母画の目からも光は消え去った。
ランス王国情報部に所属する者は、誰もが武技に秀で、身も軽い。そう易々と目を潰されるような者はいないのだ。
それでもゾフィーは剣を天井に向けたまま、しばし構えを解かずにいる。
エルウィンはいざとなればヴィルヘルミネを抱え込み、盾になろうと令嬢の肩を強く掴んだ。
赤毛の令嬢だけは、いきなり光の消えた聖母画の目に違和感を覚え、「およ?」などと言っている。
ここでヴィルヘルミネは、ふと気が付いた。自分がずっと、エルウィンに肩を掴まれていたことを。そして恐る恐る彼の顔を見て、令嬢は今更ながら震えあがった。
――やっぱりエルウィン、目がギラ付いているよ。やばい、余、狩られる!
ジタジタとエルウィンの手から抜け出して、ヴィルヘルミネは部屋の隅にある椅子に座った。
「して――エルウィンよ。他にもあるのであろう、余に聞きたいことが」
エルウィンの意識を会話に逸らさねば、狩られてしまうとヴィルヘルミネは思っている。
だが同時に間者の気配が部屋から完全に消えたことで、エルウィンとゾフィーはまたも思うのだった。
――流石はヴィルヘルミネ様! と。
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