第56話 ヴィルヘルミネの真意


 金の装飾が施された白いテーブルの前に、ヴィルヘルミネが座っている。ゾフィーは彼女の斜め後ろに立っていた。エルウィンは二人を正面に見て、直立不動で立っている。


「ヴィルヘルミネ様、お人払いを願えますか?」


 エルウィンがチラリとゾフィーを見て、言う。


「ここには余と卿、それからゾフィーしかおらぬ」

「ですから……」

「ゾフィーと余は一心同体じゃ。どうせこれから話す内容を、余は必ず後で彼女にも語って聞かせるぞ。であれば人払いの意味など無かろうに」


 赤毛の令嬢は、エルウィンと二人きりになりたくなかった。いくら顔面点数が九十六点に上がろうとも、何だか彼の自分を見る目が怖いのだ。

 

 ピンクブロンドの髪色をした青年が、たいそうな野心家だと聞いたのは去年のこと。その目指すところまでは知らないが、彼の狙いが高い地位にあるというのなら、自分に取って代わりたいのではないか――と令嬢が思うのも当然のことであった。


 何しろヴィルヘルミネは内戦のおり、より高位を目指す実の叔父に命を狙われている。

 自分としては高い地位に魅力があるとは思えないが、案外と公爵という地位を欲しがる者は多い――と近頃は理解している令嬢なのであった。


 その意味ではエルウィンを重用することが危険だと思わなくも無いが、父のニコラウスがとても優しいので、彼がいる限りは大丈夫だろう――とヴィルヘルミネは考えている。


 とはいえ、二人きりになるのは不味い。

 実際エルウィンは二人きりになると、素知らぬ顔でヴィルヘルミネの横顔を伺っていたりする。令嬢が視線に気付いて顔を向けると、スッと目を逸らすのだ。

 二人きりでなくとも、近頃は公の席でもそうしたことが多くなっている。どこかに刺客を潜ませて、暗殺の機会を伺っているのかも知れない、超怖い! と令嬢はガクブルだった。


 しかし理性ではこのように考えているヴィルヘルミネだが、エルウィンがイケメン過ぎるので、ついつい側近くに居たり置いたりしてしまうのだ。

 

「命が惜しくてイケメンが愛でられるか!」と、謎の座右の銘を心に刻み、赤毛の令嬢はエルウィンと接している。

 だが、やはり命は惜しいと思うので、二人きりになることだけは極度に避けている――という次第なのであった。


 まったく――エルウィンとしては、淡い恋心が台無しである。


 しかし今は、そんな話ではない。エルウィンは、ランス軍に味方をしたという令嬢の意図が知りたいのだ。けれどゾフィーが聞き耳を立てていては、赤毛の令嬢が本心を話さないのではないか――と思ったに過ぎない。決して二人きりになることが目的で、人払いを望んだ訳ではないのだ。


 何しろ金髪の少女は、まだ軍属の立場。外交に関することは国家の最高機密だから、天才の呼び声も高いヴィルヘルミネが、いかに親友とはいえゾフィーの前で本音を語るとは思えなかった。


 そもそもエルウィンは、こう思っているのだ。


 ――実際に先程のヴィルヘルミネ様は、間者を意識して適度にランス王家を批判して見せたではないか。本心からそうであればランス軍が革命派の民衆を撃破するのに、軍事顧問として手を貸したりなさるはずがない。


 現在フェルディナントの立場は、ランス王家を積極的に支持するものではない。

 だからランス王家はヴィルヘルミネを国賓として遇し、味方に引き込もうとしているのだ。


 つまり先程ヴィルヘルミネが口にした言葉は、フェルディナントの立場を代弁したようなもの。そこに一切の齟齬は無い。

 そうであればこそ間者が国王派の手の者なら落胆させたであろうし、革命派であれば令嬢が必ずしも親ランス王家になった訳ではない――と解釈するので、喜ばせる言葉なのであった。


「エルウィン卿、あの……外交に関わるお話でしょうか?」


 エルウィンの意図を察したゾフィーが、静かに問う。若き少佐は頷き、ほほ笑んだ。やはり、この金髪の少女は聡明だな――と思う。


「あの……ヴィルヘルミネ様。わたしは隣室に控えておりますので、何かありましたらお呼び下さい」

 

 ゾフィーが一礼して、ヴィルヘルミネの側から離れていく。

 赤毛の令嬢は、「待って、余、狩られるから!」と内心で恐れ慄いた。顔面蒼白だ。

 しかし当のゾフィーは心の中で、「やった! ヴィルヘルミネ様がわたしのこと、一心同体だって!」と喜んでいる。

 

 親友と言う割に、意外と意思の疎通が出来ない二人。これでどこが一心同体なのか、まごうこと無き二心異体なのであった。


「ありがとう、ゾフィー。話はすぐに終わるから、少しの間だけ隣の部屋で待っていてくれるかい」

「はい、エルウィン卿。でも、本当にすぐですよ。ヴィルヘルミネ様の入浴の準備も整うでしょうし、それまでにお話を終えて下さいね」

「そ、そうだったね。分かっているよ」


 ■■■■


 エルウィンは、頬が赤くなるのを自覚する。ヴィルヘルミネが入浴すると聞き、思わず成長した令嬢の裸体を想像して、ドキドキしてしまった。どうしようもないロリコン十九歳だ。

 けれど気を取り直して背筋を伸ばし、「こほん」と咳払いをすると、エルウィンはヴィルヘルミネに改めて問いかけた。ゾフィーは既に隣室へ去っている。


「なにゆえ閣下は、ランス軍にお味方なさったのですか? 宰相閣下の方針としては、ランス王家とは距離を置き、可能なら革命派を支援すべし――とのことだったはずです。

 その方針に従って僕達も動いていたのですが……ヴィルヘルミネ様に何か深いお考えがあるのなら、ぜひお伺いしたく存じます。

 あるいは革命派への支援を打ち切るおつもりか、と――公使閣下も心配をしておられましたが……」


 ヴィルヘルミネは唇をワナワナと震わせて、目を白黒させている。


 「しまったぁぁぁあああああ! そうであったぁぁぁぁぁああああ!」


 赤毛の令嬢は今更にして、ヘルムートに念を押されていたことを思い出した。心の中で己の絶叫が響き、過去がリフレインして脳内を巡る。


「くれぐれも国王派に深入りなさいますな。やがてランス王国は革命派が勝利を収め、国王一家は追放か処断か――どちらかの憂き目に遭うでしょう。

 そうならぬよう我等は立憲君主という道を模索する勢力を支援いたしておりますが、それでも王家が余程上手く立ち回らねば、困難な道と言わざるを得ません。ですからヴィルヘルミネ様は付かず離れず、革命派とも仲良くお付き合い下さいますように……」

「んむ、くどいぞヘルムート。余は民衆の味方であるから、即ち革命派じゃ! 任せよ! フハ、フハ、ファーハハハッ!」


 得意満面で約束したのに、革命派をズタボロに打ち破ってしまった。これでは黒髪紫眼の宰相に、合わせる顔が無い。


 だが過去には戻れないし、やってしまった結果は覆らない。何よりヴィルヘルミネは、人に謝ることが大嫌いな子なのであった。

 だから赤毛の令嬢は、厳かに言う。口元に冷たい笑みを浮かべ、立ち上がってエルウィンを見上げながら――。


「あの革命派には、正義が無かったのじゃ」と。


 エルウィンはまるで雷鳴に打たれたかのように、その場に立ち尽くしてしまう。

 

 思えば、宰相ヘルムートが支援せよと命じたのは、立憲君主を旨とする革命派である。そして彼等は武力を用いず、議会を開き、三つの身分による公平な話し合いを――との要求を繰り返していた。


 対してヴィルヘルミネが打ち破った革命派は、何であったか。

 武器を取り、軍隊を巻き込んで要求を政府に突き付けた。

 そんな彼等と、かつてヴィルヘルミネに反旗を翻したボートガンプとは、一体何が違うというのだろう。


 ――そうか、違わない。どちらにも正義など無かった! だからヴィルヘルミネ様は断固たる態度で、彼等を打ち破ったのだ!

 僕達の方こそ革命派を一括りにして、その真贋を推し量ることもせずに……くっ……!

 

 エルウィンは余りにも偉大な君主の前に跪き、目に涙を溜めて赤毛の令嬢を仰ぎ見る。

 己の目が曇っていたことを恥じた若き少佐は、君主の聡明さに打たれて心も晴れやかに、令嬢の部屋を後にするのだった。


 ■■■■


 ヴィルヘルミネは部屋に運ばれた浴槽にゾフィーと入り、改めて「余、革命派じゃから」と小さな拳を握っている。

 

「そうすると、いつかレグザンスカ中尉が敵になりますね。楽しみです。わたし、あの女を寸刻みにして殺そうかなっ、あはっ!」


 ニッコリ微笑み頷いたゾフィーに、この世の終わりのような表情を見せるヴィルヘルミネ。


「そ、それはちょっと、どうかと思うぞ、ゾフィー」

「何を言ってるんです、ヴィルヘルミネ様。冗談ですから」


 ゾフィーの目の奥に光る剣呑な輝きを見て、イマイチ冗談だと信じ切れないヴィルヘルミネ。眉根を寄せて考えていると、その心の内に改めて疑問が湧き上がってくる。


「アデリーは……やっぱり国王派なんじゃろうか……? オーギュは平民じゃと言っていたから、内心では革命派かも知れぬし……」


 湯船の中に顔を沈め、ブクブクと息を吐きながらヴィルヘルミネが言う。もしかすると、この二人が戦う未来があるのかも知れない。

 そんなことにならなければいいなと心から願うヴィルヘルミネだが、元来がアホの子なので、何の対策も思いつかないのだった。

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