第54話 公使館にて……


 ランスの王都グランヴィルには、二十の区画がある。一区には議事堂や過去の王達が暮らした宮殿、それからランスのあらゆる省庁が密集していた。

 それから二区に各国の公使館や市の行政を司る施設や軍事施設があり、三区以降が民間にも開放された地区となっている。


 ヴィルヘルミネがバルジャン隊の軍事顧問となり、賊徒との戦いに勝利したのは一昨日のことであった。そしてエルウィンが、この報に接したのは昨日、夕刻のことである。


 グランヴィル二区にあるフェルディナント公使館、そこの二階にある武官執務室にいたエルウィンの下にランスの情報武官がやってきて、いきなり礼を述べたことがきっかけであった。


「――いやぁ、デッケン少佐。流石はヴィルヘルミネ様ですなぁ! この度は、まったく助かりました! ありがとうございます!」

「やあ、クートン少佐……ヴィルヘルミネ様を褒めて頂くのはフェルディナント国民として嬉しいが、助かったとは一体何のことでしょう?」


 エルウィンは近頃懇意にしているランスの武官に苦笑して答えた。実際、この時点では何の情報も無かったのだから仕方がない。

 とりあえず情報武官には応接用のソファーへ座って貰い、エルウィンもその向かいに座った。


「実はつい先日、賊徒の討伐に向かわせた部隊から勝利の報が齎されたのです!」

「それは、おめでとうございます。しかし、それとヴィルヘルミネ様に何の関係が?」

「なんと、その部隊を軍事顧問として助けて下さったのが、ヴィルヘルミネ様なのです!」

「ほう……」


 ランスの情報武官はエルウィンの反応を伺いながら、先日の戦いを詳細に語った。特にヴィルヘルミネが、「数の上では敵軍よりも不利なランス軍を有利と見做し、攻撃を勧めた」という点を強調して。

 この武官は諜報一筋の人物である為、口調と内心が真逆ということもある。要するに、感情が一切読み取れないのだ。お互いに若いからエルウィンも懇意にしているのだが、相手は職務上の都合だけ――という可能性もあった。


 むろんエルウィンも外交においては、そのくらいの海千山千を相手にする覚悟はできている。というより、そういった者の相手をさせることで経験を積ませようと、ヘルムートや父ニコラウスが配慮してランスの駐在武官に推してくれたことを、理解できない彼ではないのだ。


 だからエルウィンは慎重に言葉を選び、相手の反応を伺うことにした。


「まあ、ヴィルヘルミネ様であれば、それも当然と言えば当然と言えますが……わざわざ、そのことを仰りに?」

「いえいえ、それだけではありません! これを国王陛下が大変お喜びになられまして、歓迎式典の後、戦勝祝賀もフロレアル宮で催したいと仰られました! それで居ても立っても居られず、まず貴官に知らせに参った次第です!」

「……なるほど、それはありがたいことです」


 エルウィンは顎に指を当て、夜空のような藍色の瞳で目の前の情報武官を見つめている。

 言葉の裏に潜む意図を見誤れば、フェルディナントに損失を齎すかもしれない。その緊張感から、ピンクブロンドの髪色をした青年は小さく息を吐いた。


「そうだ……紅茶を持ってきてくれないか。それから……何か焼き菓子を。少佐、すみません――何もなくては、喉も乾くでしょう」


 エルウィンは手で膝を打ち、脇に立っていた従卒に命じた。そうしている間に頭脳を回転させて、相手の意図を考えている。


 ――僅か一千の賊軍を破っただけで戦勝祝賀を催す意図が、どこにあるのか。財政難で苦しむランス王家が、ただの好意だけで幾度も式典を催すわけが無いのだ。ただでさえヴィルヘルミネ様を国賓として迎え、金を吐き出すというのに。

 であれば――フェルディナント公国が賊徒、即ち第三身分に属する農民や市民と敵対したと、知らしめる意図があるのかもしれない。


 ヴィルヘルミネ様がいくさに参加した意図は分からないが、恐らくランス王家は戦勝祝賀をプロパガンダとし、フェルディナントを味方に引き込むつもりなのではないか。


 そう考えれば、辻褄が合う。


 そもそもエルウィンは、遠からずランス王家が滅びると思っていた。むろんこれは宰相ヘルムートも同様の考えだから、ランス王国との軍事同盟には反対をしている。

 要するにランス王家とは付かず離れず、可能ならば穏健派に属する革命勢力の後押しをして政権を奪取させ、利権を得ることも視野に入れていたのだ。


 このようなフェルディナントの基本方針は、しかしランス王家にも読まれていると言ってよい。だからこそヴィルヘルミネが留学することは、その隠れ蓑にもなるはずだった。

 だがここにきてヴィルヘルミネが賊徒、即ち革命派を破ったという話が大きく報じられれば、彼女はランスの民衆――いわゆる第三身分の者達から敵視されてしまうだろう。


 そして今エルウィンはランスの情報武官が言う戦勝祝賀を、頭から突っぱねることが出来ない。


 ――まずい事にならねば良いが。


 そう思いつつ、微笑を浮かべてエルウィンは言った。


「戦勝祝賀などと、そのように大きな催しなど不要ですよ。ヴィルヘルミネ様におかれましては、勝利など呼吸をするようなもの。いちいち祝賀される程のことではありません。国王陛下のお気持ちだけで、十分でありましょう」

「何を仰る、エルウィン殿! これは我等が共に手を取り歩む、記念すべき第一歩ではありませんか! 是非にも祝わせて欲しいと、国王陛下も仰っておられましたぞ!」

「はは……そうまで仰られては、お断りするにも忍びない。まずは公使に報告し、本国にも確認を取りましょう」

「確認など――ヴィルヘルミネ様がこちらにこられるのだから、直接お伺いになればよろしいのでは?」

「いえ、我が国はヴィルヘルミネ様といえど、宰相の職分を侵したりしませぬ。要するにヴィルヘルミネ様がお望みでも、多少の手続きはあるということです。

 ――むろんあの方であれば押し通すこともできますが、それをなさらないのがヴィルヘルミネ様の御立派なところですから」


 ランスの情報武官が口をへの字に曲げて、エルウィンを睨んでいる。


「貴官の言い方を聞いていると、戦勝祝賀を催すことに反対なのかと思えますが……」

「まさか、あくまでも我が国の手順を申しているに過ぎません。ランスの国王陛下が望まれることに、小国たる我が国が異を唱えるなど、あろうはずが無いではありませんか」

「うむ、うむ! いやぁ、それなら良いのです! これで両国の絆が更に深まるというもの! 軍事同盟も夢ではありませんなッ!

 そうだ! 祝賀会には貴殿もぜひ参加されよ! 美味い食い物も酒も、たんとありますからなぁ! ははははッ!」


 ■■■■


 言うだけ言うと、ランスの情報武官は紅茶を飲み、菓子を二つ、三つ食べた後で慌ただしく出て行った。

 エルウィンは彼を扉の外まで見送ると、すぐに公使の執務室へ向かい、今の会話を簡潔に報告する。


「……とのことにござます、公使閣下」

「――そうですか、ご苦労様です、デッケン少佐。宰相閣下には私から早馬を使い、ご報告申し上げましょう」

「それで、公使閣下はこの件、どのようになるとお考えですか?」

「そうですね――これは少し不味いことになりそうです。我が国としては、あくまでも中立を保ちたい所ですから」

「はい。民衆の敵に回るなど、我が国としては不本意ですからね」

「ええ。そもそもヴィルヘルミネ様は、民衆の味方と言われるお方です。それがランスの国王派に回ったと報じられれば、我が国の民も穏やかではいられないでしょう」


 黒檀の執務机の上で手を組みながら、四十絡みの公使が頭を振った。だがそこでふと、エルウィンは思ったことを口にする。


「もしかしたらヴィルヘルミネ様には、何か深い意図があるのかも知れません」

「確かに、あの方は軍事の天才です。あるいは政治的にも、非凡なのかも知れませんね……」

「はい」

「そうだ、デッケン少佐。良かったらヴィルヘルミネ様のお傍にいて、そのお考えを聞いてみては頂けませんか」

「それは、もちろん構いませんが……閣下は?」

「私はランスの外務大臣と協議などがありますので、基本的にここを離れることが出来ません。ですが、あなたは自由でしょう?」

「分かりました。でしたらすぐにもフロレアル宮へ行き、ヴィルヘルミネ様をお待ちします。お会いしたら、必ずやその意図をお聞きしましょう」

「宜しく頼みます」


 こうしてエルウィンはヴィルヘルミネを前日から待っていた――という次第なのであった。

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