第53話 別れと再会


 ヴィルヘルミネは馬車の窓から外を眺め、一面緑色の景色に「ほぅ」と関心をしていた。いよいよ首都が近くなり、一面に麦畑が広がっている。

 まだ幼い麦は背も低く緑色で、遠目には草原と見まがうばかり――キラキラと輝く紅玉の瞳でそれらを眺める令嬢の横顔は珍しく柔和で、豊穣の女神を思わせるのだった。

 

 そんなヴィルヘルミネを見つめ、ジーメンスがまたも軽口を叩く。


「小麦はこの時期、苗を踏んで寒さに強くするのですよ」

「ほう、ジーメンスは物知りじゃのう。しかしなぜ、苗を踏むと寒さに強くなるのじゃ?」

「茎を折ったり曲げたりすることで、苗が水を吸い込む力を弱くするんです。それで水分量が減って、寒さに強くなるんですよ。あとは、踏んでやると茎が太くなるんです。その理由は分かりませんが――……」

「随分と詳しいな、ジーメンス」


 ゾフィーまで目を見開き、紺碧のような瞳に感心の色を湛えている。しかし、それを台無しにするようなことを、イルハン=ユセフが口にした。


「ジーメンスの家は貴族と言っても……農家のようなものだったそうです。毎年麦畑を耕し……植えていたと聞きました。だったら私と同じですね、と――入学した頃に話したことを、よく覚えています」

「お、おい、ユセフッ! ボクのようなエリートが、畑仕事なんかするわけないだろッ! き、キミの家のような小作農と一緒にしないでくれたまえよッ!」

「……ん? しかし君の家は、家族ぐるみで小麦の栽培をしていたのだろう……? 領民なんていない……と、言っていたじゃあないか……」

「――ああもう、ユセフ、キミは少し黙っててくれないかッ!」


 大柄なイルハン=ユセフの口を、強引にジーメンスが塞ぐ。このような状況にヴィルヘルミネは、大満足であった。やはりこのカップリングは正解だと、大きく頷いている。


 だがもちろん一番の忠臣ゾフィーは、彼女の意図を大きく勘違いしていた。


 ――ヴィルヘルミネ様が供に選んだ者だから、ただのお調子者ではあるまいと思ってはいたが……どうやらかなりの苦労をしていたらしい。

 そうしたところを見込んでジーメンスを選んでいたとは、やはりヴィルヘルミネ様は流石ですッ!


 ■■■■


 ヴィルヘルミネ一行が王都グランヴィルの外縁部に到達したのは、月と太陽が僅かに共存を許された薄暮の頃合いであった。


令嬢の乗った馬車が、いくつかに分岐した街道の交差点で止まっている。真っ直ぐ進めばグランヴィルの市街地へ入り、左へ行けばフロレアル宮殿へ至る。右へ進み続ければ、やがてはプロイシェへと至る道であった。


 赤毛の令嬢としては、ランス軍と共にグランヴィルへ入るのだとばかり思っていたが、馬車がここで止まったのなら、どうやら違っていたらしい。あるいは、またも何か問題が発生したのだろうか。


 自分の行き先も把握していないヴィルヘルミネは馬車が急に止まったので、「また戦闘か!? 面倒くさい!」と細く無駄に美しい眉を吊り上げていた。


「何事です?」


 窓を開き、ゾフィーが側の騎兵に声を掛ける。主君の意図を察して即座に動くことも、側仕えとして当然の気遣いであった。


「はい――ランス軍とはここで別れることになりますので、あちらの指揮官達が閣下に、一言ご挨拶をなさりたいとのことです」

「そうですか、もう間もなく市街地なのですね。わかりました」


 ゾフィーが納得顔で頷いているが、しかしヴィルヘルミネには何のことやらだ。出来れば、詳しく説明をして頂きたい。

 そんな令嬢の思いを察して、ゾフィーがヴィルヘルミネに向き直る。


「我等はこのまま国王陛下のおられるフロレアル宮殿へ向かいますが、ランス軍はグランヴィル市内にある駐屯地へ戻らねばなりません。それゆえ、バルジャン大尉達がヴィルヘルミネ様に一言、お別れのご挨拶を――と申しているのでしょう」

「……で、あるか」


 ヴィルヘルミネはフェルディナントの摂政であり、ランスの国賓として遇される人物だ。となれば彼女が一路、王都グランヴィルの南西部にある宮殿へ赴くことは当然であった。

 あるいは王都の公使館に顔を出すという案も出立前にはあったのだが、スケジュール調整の過程でランス側から、直接宮殿へ来て欲しいとの要請があり、これをヘルムートが了承している。

 だからヴィルヘルミネの行動は多少のイレギュラーがあったものの、ここで修正される――ということなのであった。


 馬車を止めたヴィルヘルミネの下に、オーギュスト、アデライード、そしてバルジャンの三人が並ぶ。赤毛の令嬢も馬車から降りて、オーギュスト、アデライードの二人と硬い握手を交わした。

 彼女としては、史上最高のイケメンと美女に別れを告げることが、とても辛い。目に涙すら溜める勢いだ。


 まず最初に手を握ったのは、銀髪赤眼のオーギュストであった。


「卿等に会えたこと、余はとても嬉しく思う。また――会えるだろうか?」

「俺はともかく、アデリーとは近々会えると思うよ。だからミーネ、そんなに悲しそうな顔をしなさんな」

「オーギュ、余は卿とも離れとうはない」

「はは、そりゃ光栄です。でもランス王国じゃ俺は第三身分ってやつだから、軍隊の中以外じゃ、そうそうミーネには会えないんだよ。ごめんな」


 そういって令嬢の頭をクシャクシャと撫でるオーギュスト。ヴィルヘルミネと同色の瞳は優しく、温もりに満ちたものであった。


 オーギュストは平民だが、身分差をあまり意識しない男だ。そのせいか微妙に砕けた口調で、ヴィルヘルミネのことを「ミーネ」と呼んでいた。

 これには当初、令嬢の学友一同とバルジャン大尉が猛烈に反対したが、当のヴィルヘルミネが気にしていないので今に至っている。

 そもそも軍事上の階級では、オーギュストの方が上なのだ。その点をアデライードがやんわり言うと、皆も黙るしかなかった。


 オーギュストから泣く泣く離れると、ヴィルヘルミネはアデライードの手を取った。


「私の方はミーネ様と、そうですね……数日の内にはお会い出来るでしょう」

「おお、アデリー! それは良かった。では、しばしの別れじゃの」

「ふふ……私はこれでも王家に連なる公爵家の者ですから、宮殿で催される閣下の歓迎式典には、きちんと出席させて頂きますよ」

「ふむ……そういえば、そんなものがあるようじゃの」

「はい、そうです――もっともミーネ様とお会いする前は、欠席しようと思っていましたけれど」

「うむ、わかるぞ。式典などというものは、大概が面倒じゃからの!」


 悪戯っぽく笑うアデライードの手を握ったまま、ブンブンと上下に振る赤毛の令嬢だ。テンションは高いのに無表情だから、彼女の感情は誰の目にも全然分からなかった。


 しかし二人はよほど気が合うのか、いつの間にか握手が抱擁に代わっている。実際、お互いに「ミーネ」「アデリー」と呼び合う仲になったのだから、友情が芽生えていたとして不思議なことではなかった。


 そんな二人が離れたところを見計らい、バルジャン大尉が敬礼をした。


「今回はヴィルヘルミネ様のお陰で、本当に助かりました」

「で、あるか」


 ジトッとした目をバルジャンに向けて、ヴィルヘルミネは嫌そうに手を出した。それを両手でバルジャンは握り、跪いて恭しく掲げている。


「私にとって勝利の女神とは、ヴィルヘルミネ様のこと。またいつかお会い出来る日を、心より楽しみに致しておりますッ!」

「いや、余は別に……」

「そんなこと仰らずに、また知恵をお貸し下さいよ!」

「嫌じゃ」

「一度助けてくれたんですから、次があってもいいでしょう!?」

「理屈に合わぬ。余、もう二度と卿には会いとうない」

  

 顔面点数七十点以下には、相変わらず塩対応のヴィルヘルミネなのであった。

 

 こうして一行は二手に分かれ、街道を進んでいく。


 ヴィルヘルミネがフロレアル宮殿に到着したのは太陽が地平の下に沈み、細長い月が夜空を青く照らすようになってからのこと。


「お久しぶりです、ヴィルヘルミネ様」


 宮殿の門前で馬車が止まると、ドアの外にはピンクブロンドの髪色をした青年が立っていた。ヴィルヘルミネはパッと表情を輝かせ、馬車を降りていく。


「エルウィン、卿は公使館に居るのではなかったのか?」

「まさか――昨日からずっと、ヴィルヘルミネ様が来るのを待っていましたよ」


 伸びた身長は父を超え、表情にも精悍さを増した少年は、もはや青年になっていた。この年十九歳になるエルウィンは、今やランスで最も人気のある駐在武官であり、貴族の令嬢達から引く手数多の状態だ。

 実際、久しぶりに彼を見たヴィルヘルミネは、彼の顔面点数を大いに上げている。


 ああ――エルウィン、九十六点じゃ!


 なんとここにきてエルウィンの点数がオッドアイの近衛連隊長を超え、それどころか黒髪紫眼の宰相閣下さえ上回るのだった。

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