第52話 起きた、見た、勝った!


 空にはまだ薄紫の闇が残り、ようやく地平に朱が差し込み始めた早朝。辺りに立ち込める霧が徐々に晴れてきたところで、ランス軍による凄まじい砲音が大気を裂いて轟いた。


 計画通りランス軍の総攻撃が、夜明けと共に始まったのである。

 とはいえ、この作戦計画を立案したとされる赤毛の軍事顧問は、この砲声によって目を覚ましたのだが……。


「んあっ!?」


 敵軍としては、今まで沈黙を保っていた敵がいきなり攻撃を仕掛けてきたことに面食らっていた。ましてやランス軍がフェルディナントの部隊と合流したことから、より安全策を選び、援軍を待つのではないかと思っていたから余計に、だ。


 一方ヴィルヘルミネも自分専用の天幕で、いきなりの轟音に面食らっていた。つい先ほどまでイケメンだらけの湖で、大木の陰から彼等の水浴びを見る夢を見ていたところだったから余計に、だ。


「なんじゃ、戦争か……。そんなものより、夢の続きが見たいのじゃ」


 再び毛布に包まる赤毛の令嬢を見て、流石にマズいと思うゾフィーが寄ってきた。


「ヴィルヘルミネ様! 攻撃開始の予定時刻を過ぎています! バルジャン大尉だけに任せておいて、よいのですか!?」


 毛布を剥がし、自分の肩を掴んでガクガクと揺らすゾフィーに、胡乱な目を向けヴィルヘルミネが言う。


「……此度のいくさは、バルジャンが手柄にしたいのであろう?」

「ですが万が一のことがあった場合は、どうするのです!?」

「ふうむ……」


 あんまりガクガク揺すられ過ぎて、ヴィルヘルミネは気持ち悪くなってきた。近頃ゾフィーは随分と力が強くなったので、令嬢には彼女を振り払うことが出来ないのだ。

 仕方なくベッドの上に半身を起こし、ヴィルヘルミネは手の甲で瞼を擦った。起きることにしたのだ。


 といって、自分がバルジャンの所へ行ったところで、万が一に対処できる筈もない。赤毛の令嬢は「どないしょー?」と思いながら、とりあえず身支度を済ませることにした。


「顔を洗う――湯と布を持て。ゾフィー……」

「はい!」


 ヴィルヘルミネは側仕えの侍女も連れてきているのだが、ゾフィーが近くにいる時には、だいたい彼女に身の回りの世話をしてもらっている。

 それは長年の習慣で馴れているということもあるが、ゾフィー以上の顔面点数をただき出した女子は、今のところアデライードだけなのだ。まさか彼女に、「余のお世話をして」と言えるわけがない。


 だからヴィルヘルミネはゾフィーを常に侍らせ続けているし、またゾフィーも令嬢に心酔しているから、他の者にやらせるよりも、自分が世話をすることを好んでいた。

 ある意味でゾフィーには、ヤンデレの要素が潜んでいるのかもしれない……。


「万が一って、どんなことがありそうなのじゃ?」


 湯を付けた布で顔を拭いてもらいながら、ヴィルヘルミネがゾフィーに問うた。


「砲声を聞き付ければ、敵の援軍が駆け付けるやも知れません。そうなれば、バルジャン大尉の手には余るかと」

「なるほど、の」

 

 むろん敵としても、ただ悪戯に時を過ごしてた訳ではない。近隣の町や村に声を掛け革命派を誘い、より強大な軍団を構築しようとしているのであった。

 実際、農民たちが民兵団を組織しつつあり、あと一週間も対陣が長引けば、敵は倍の数に膨れ上がっていただろう。


 だから賊徒と呼ばれる革命軍の指揮官は、声を枯らして徹底抗戦を叫んでいる最中であった。


「この攻撃を凌げば、味方が来るぞ! 数はこちらが勝っているんだ! 何としても耐えろッ!」


 しかし革命軍の士気は高くとも、中核となるのは所詮二個中隊である。これではオーギュストとアデライードを軸としたランス軍の猛攻を凌ぎ切れる筈もなく――。

 だからヴィルヘルミネがしっかり身支度を整えバルジャンの下へ辿り着いた頃には、戦いの趨勢も決していた。


 払暁に開始された会戦が、正午を迎える前には終わったのだ。

 これには事情を知らない敵や味方の兵達が唖然とし、畢竟ひっきょう、このいくさの指揮を執ったバルジャン大尉の名声が高まった。


 しかし戦いのハイライトは、やはりオーギュストとアデライードという二人の若き中尉の活躍であっただろう。


 オーギュストは味方左翼を指揮し、砲兵の巧みな運用によって敵を翻弄した。そして当初の計画通り敵左翼から兵を引っ張り出すことに成功している。

 あるいは彼なら左翼だけでも敵全軍を打ち破れたのではないか――という程の卓越した用兵を見せたから、アホの子ヴィルヘルミネも「おお」と短い感嘆の声を幾度も上げていた。


 そのせいか令嬢の中で、砲兵無敵説がムクムクと発生している。

 

 ――砲で遠くから一方的に敵を叩けば、余、安全じゃね? しかも楽じゃね?


 こうしてヴィルヘルミネは、留学先での専攻を砲兵科と定めたのである。楽をしたい一心での選択であった。砲兵のキツさを想像していないのだから、やはりアホの子である。


 一方でゾフィーは勝手にライバル視しているアデライードが、速く強く鋭い騎兵の運用をすることに驚いていた。

 味方から見えなくなるほど一時は大きく迂回したアデライード隊が、絶妙のタイミングで敵の後方を急襲、瞬く間に蹂躙して、その抵抗を排除したからだ。

 

 ――これがランス騎兵だというのなら、わたしはこの技を修めて帰るぞ!


 そう決意したゾフィーが騎兵科へ進むのは、至極当然のことなのであった。

 ましてや彼女は老ロッソウの薫陶よろしく、元より根っからの騎兵なのだ。

 より騎兵熱が高まった――と言っても過言ではないだろう。

 

 それはそうと、この会戦に勝利したことで大きく運命を変じた人物が一人いる。

 

 むろん、バルジャン大尉であった。


 彼は自分が何ら役立っていないことを知っているから軍の上層部に、ヴィルヘルミネを軍事顧問として協力を仰いだ――としっかり伝えたのだが。しかし英雄とみなされ、二階級進み中佐になってしまう。しかも王都防衛隊の連隊長代理に抜擢される、大出世であった。


 もとより栄達を望んで軍へ入ったバルジャンだが、実力以上に評価されてしまうことも恐ろしい。彼は元来が小心者なのだ。


「ヴィルヘルミネ様! 自分は閣下の采配に感服いたしましたッ! 今後とも何卒、よろしくお願い致しますッ!」


 そして幸か不幸かヴィルヘルミネは、この男の信頼も勝ち取ってしまった。


 さらにヴィルヘルミネはオーギュストとアデライードという本物の俊英二人にも、この戦いで完璧に実力を誤解されている。

 こうして赤毛の令嬢は、遠い異国の地でまたも「軍事の天才」という名声を欲しいままにするのであった。


 ――――まったくの勘違いなのに。

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