第51話 勘違い、深まる!
ヴィルヘルミネは一同を睥睨し、長机に置かれた地図上の駒を動かして言う。自信に満ち溢れる声だった。
「敵は右翼に戦力を主力を集中させておる。これに対し我が方は、主力にて攻勢を掛けるのじゃ」
「ですが、それでは兵数に劣る我等が不利になるではありませんか!? ましてや敵が左翼の兵力を右翼に振り向けたら、一体どうするのです!?」
先程バルジャン大尉に食って掛かった少尉が、納得できないという風に頭を振っている。そして敵の左翼から小さな駒を一つ引き抜き、右翼側へと移動させた。
「さよう、兵力では我が方が不利――言い換えれば敵は自らの有利を確信し、さらに右翼へ兵力を集中させるであろうな」
「――だったら!」
「貴様はもっと――兵の質と地形を考慮せよ。確かに兵数においては、敵が勝っていよう。しかし砲においては我が方が多く、占めておる位置も、こちらの方が若干だが高い。であれば数にも射程にも勝る我が砲兵で、無傷のまま敵を叩くことも出来ようが」
「……でしたら、そのまま敵主力を押し切ると?」
「愚かな、敵とて案山子ではない。事はそう簡単に運ばぬ。敵が数の利を生かし命懸けで突撃を仕掛けてくれば、こちらも困る。そこに気付かせては、ならんのじゃ。少尉――もっと頭を働かせよ」
ヴィルヘルミネに冷笑された少尉は、下唇を噛み震えている。怒りを抑えているのだろう。しかし令嬢はいつになく饒舌で、ギラリと光る紅玉の瞳をアデライードへ向けていた。
「レグザンスカ中尉であれば、これ以上は余が説明せずとも分かるであろう?」
金髪の美しき中尉は、この時ヴィルヘルミネの意図を正確に察知している。というより、これは自分が企図していた作戦と同じ流れであった。
現在の状況下でそれ以上の作戦など、あり得ないという自負もある。だがヴィルヘルミネの挑戦的にすら見える赤い瞳が、この程度で妥協してやる――という風に見えて、思わず身震いしてしまった。
――試すつもりが、私が試されているではないか。
アデライードは立ち上がり、地図上にあるランス軍の駒を動かして言う。
「敵が我が方に決戦の意図有ありと認識し右翼に戦力を集中させるならば、兵は左翼から引き抜く他ありません。それは中央を突破される危険性を考えれば、当然の選択でありましょう。
しかし左翼の敵軍はもとより手薄ですから、さらに手薄となれば、ここが確実に弱点となります。よって後方より騎兵中隊を迂回急襲させれば、我が方の勝利は間違いないかと」
「ふっ――……ブラボー、その通りじゃ」
パチ、パチ。
ヴィルヘルミネがアデライードを見つめ、一人手を叩いている。だが、あえてランス語で褒め、その上で一人手を叩く姿はいかにも高慢に見えた。
もちろん当の令嬢に他意は無く、むしろランス語で褒め称えたのだから、純粋に最大限の賛辞である。
だが十二歳となったヴィルヘルミネは、ぽっぺの柔らかさを失い氷のような美貌を手に入れつつあった。そんな彼女が薄笑みを浮かべて手を叩けば、その意図を他者が曲解しても仕方がないだろう。
――何という侮辱。我が軍を完全に見下している!
オーギュストとアデライードを除く、全てのランス士官が令嬢の意図を誤解した。皆、苦虫を噛み潰したような表情だ。
中でも最初からバルジャン大尉に強く意見をしている少尉は、余程短気なのか我慢出来なかったらしい。大声を張り上げ、反論を口にした。
「レグザンスカ中尉! いかに相手がフェルディナントの摂政とはいえ、彼女は軍属に過ぎない。そんな子供に乗せられて、机上の空論を語るなどあなたらしくも無いですぞッ!
だいたい敵の左翼後方へ攻撃を仕掛ける騎兵を、一体誰が指揮するというのですッ!? そんな危険な任務、誰だって嫌に決まっているッ!」
そこで隅に座っていたゾフィーが立ち上がり、手を挙げた。
「騎兵を百ほどお貸し頂ければ、わたしがその任に当たりましょうか?」
金髪の親友としては、ヴィルヘルミネが、アデライードばかり見ているので面白くない。ここぞとばかりにギラつく視線を巻き毛の女士官へ投げつけて、赤毛の令嬢に志願する。
戦術的な思考では一歩譲ったが、実戦では負けない――という気概がゾフィーから立ち上っていた。
しかしヴィルヘルミネはゆっくりと首を左右に振り、ゾフィーに微笑んだ後でアデライードを推挙する。その内心は、
――ゾフィー、何ですぐ危ないことをしたがるんだろう? 戦いはランス軍に任せて、お茶でも飲んで待っていようよ! お菓子もあるよ! というものである。
「余は、アデライード=フランソワ=ド=レグザンスカ中尉が適任かと思うがの」
「承りましょう」
「――ヴィルヘルミネ様ッ!」
赤毛の令嬢の内心を知らぬゾフィーは、目に涙を溜めて訴えた。自分が一番ヴィルヘルミネ様のお役に立てるんだ! という気持ちが前面に出ている。
それが昂じて、いきなりヴィルヘルミネに重用され始めたアデライードを、ゾフィーは憎々しげに睨んでいた。
「ゾフィー=ドロテア殿、あなたはフェルディナント人としては高い地位におありだが、軍人としては一等兵に過ぎず――ましてやランス軍人ですらありません。お気持ちは嬉しいが、ここは私に任せて頂きましょう。
それにね、あなたに万一のことがあれば、それこそ外交問題になりますから――……」
アデライードはゾフィーを優しく諭し、それからヴィルヘルミネに敬礼を向けた。その口元には微笑が浮かんでおり、赤毛の令嬢に対する心からの敬意が見て取れる。
もはや彼女はヴィルヘルミネが戦争の天才であることを心から認め、感動すら覚えているのだった。
何しろ士官学校を首席で卒業し、今までいかなる戦いでも敗北を経験したことの無いアデライードと、ヴィルヘルミネは全く同じ作戦を立てたのだ。
ましてやアデライードはオーギュストにも知恵を借り、作戦を立案するまで数日を要している。
だというのにヴィルヘルミネは、この幕営へ到着して一日と経たず、しかも一人で立案してしまったとなれば、これを天才と云わずして何と言うのか。
それからアデライードは視線を同僚のオーギュストへ向けると、彼もまた唖然としてヴィルヘルミネを見つめている。
やはりオーギュストもアデライードと変わらず、ヴィルヘルミネを逸材と確信したのであった。
だがしかし、それは当然ながら勘違いである。
何しろ赤毛の令嬢は、オーギュストとアデライードの会話を聞いていたのだ。
だからアデライードが何を望んでいたのか、知っていた。
ゆえに彼女が望むような作戦を提案し、言っただけなのである。
――だって余、傀儡だもの! やったよ、アデライード、褒めて! 撫でて! おっぱい触らせて!
そんな想いを滾らせて、ヴィルヘルミネは紅玉の瞳を巻き毛の中尉に向けている。
しかし残念ながら令嬢のやや吊り上がった切れ長の目は、圧倒的な覇気を湛えてるようにしか見えないのであった。
翌日、夜明けと共にランス軍の総攻撃が始まる。
もちろん軍事顧問のヴィルヘルミネは寝坊して、その大物ぶりを周囲に見せつけるのだった。
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