第50話 小物バルジャン、ポンコツ令嬢を走らす


 指揮権を寄越せなどという余りにも無茶なヴィルヘルミネの要望に、バルジャン大尉があんぐりと口を開けている。

 流石にこれは不味いと思ったのが、令嬢の学友達も一斉に彼女の傍へ駆け寄った。


「ヴィルヘルミネ様! いくらなんでもランス軍を指揮なさるなんて、無茶です!」


 ゾフィーが言えば、ジーメンスも大きく頷き賛意を示す。


「そうですよ、ヴィルヘルミネ様! 我が国とランスは軍事同盟すら結んでいない状況ですし!」


 イルハン=ユセフだけはじっと赤毛の令嬢を見て、無言だった。

 

 赤毛の令嬢は三人の学友を順に見て、少しだけ眉根を寄せている。まさか、こんなにも反対されるとは思わなかったのだ。

 唯一無言のユセフだけは賛成とも反対とも分からないが、少なくともゾフィーとジーメンスには何らかの理由を言って聞かせなければ収まらないぞォ……とヴィルヘルミネは途方に暮れていた。


 とはいえ今のヴィルヘルミネは、ランス軍の俊英と呼ばれる中尉二人の傀儡である。学友達を論破する術も理由も、彼女にあろうはずもない。

 それどころか美しい二人に挟まりたいという我欲以外に、令嬢がランス軍の指揮権を欲しがる理由など無いのだった。


「だから、要望しておる」


 結果として令嬢は、同じ言葉を繰り返す。

 自分だって、いくら何でも不味いよなー……とは思っているのだ。なのでヴィルヘルミネは今、ちょっとだけ冷や汗を掻いている。


 そんな赤毛の令嬢に助け舟を出したのは、左に立っているオーギュスト=ランベール中尉だ。

 彼はキラキラと輝く美しい瞳に知性の光を湛え、凡庸な大尉を華麗な弁舌で丸め込みに掛かった。


「バルジャン大尉。よぉく考えてみて下さい――ヴィルヘルミネ様は戦争の天才ですよ。この状況を打開するのに俺とアデリー――……レグザンスカ中尉だけでは不安なんでしょう? だったらいっそ、彼女に指揮を託してみるのも良いのではないでしょうか」

「しかしな、ランベール中尉。そこの少年達が言う事の方が、貴官よりも筋が通っているぞ。我が国とフェルディナントに軍事同盟は無く、であればいかな理由で軍権をヴィルヘルミネ様へ譲渡すれば良いのか――……」

「だったら、こうしてみたらどうです? 指揮権はあくまでも大尉のものとして、軍事顧問にヴィルヘルミネ様を迎えるのです。

 結局はヴィルヘルミネ様の指揮に従うことになりますが、これなら大尉が軍権を渡した事にはならんでしょう?」

「そ、そうする意味は?」

「簡単なことですよ。大尉がヴィルヘルミネ様の命令に従うなら、いくさの勝利は間違いない」

「どうして、そう断言できる?」

「それはヴィルヘルミネ様が、戦争の天才だから」


 ニヤリと笑ってヴィルヘルミネの肩を抱き、ランベールは片目を瞑って見せた。


「き、貴様! ランベール! ヴィルヘルミネ様の肩から手を放せッ! ぶ、無礼に過ぎるぞ! 俺のクビが飛ぶ!」

「――よい、バルジャン大尉。この程度のことで、卿のクビなど飛ばさぬ。で、どうするのだ? 余としては卿が余の要望を受け入れるのなら、此度の勝利を卿の功績となすも吝かではないと考えておるぞ」


 ヴィルヘルミネは現在、肩に触れたオーギュスト=ランベールからイケメン成分を補給中。従って、無敵の気分なのであった。

 戦争の天才と呼ばれることも、近頃はすっかり馴れている。まったく実態は伴っていないのだが、そう呼ばれて慌てふためくことは、もう無いのだ。

 

 それに自分は傀儡だし、オーギュストとアデライードが自由に戦う為に、バルジャンの指揮権を奪うことが大事だと理解もしている。だからヴィルヘルミネは気軽に強気なことを、ポンポンと言えるのであった。


 このような言動と美しき軍神の如き容姿と相まって、ヴィルヘルミネは今、後光が差している。少なくとも幕舎に居る人々には、そのように見えていた。

 そんな彼女を眩しそうに眺める学友組三人は、もはや彼女が無茶なことを言っているようには思えないのだった。

 

 バルジャン大尉の目にも、当然ながら若き軍神の姿は眩いばかり。

 彼は今、ヴィルヘルミネとオーギュスト、それからアデライードと順に目をやり、「ふぅむ」と唸っている。


 天才は天才を知ると言うが、恐るべきは、この短時間でランス王国の俊英二人を、こうまで手なずけたヴィルヘルミネだ。

 本質はただ単にヴィルヘルミネが傀儡と化しているだけなのだが、バルジャンの目には真逆に映っていた。


 ――確かに戦争の天才、軍神ヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナントか。自分などでは、到底及ばんな。


 結局、勘違いの挙句に諦めたバルジャン大尉は、ヴィルヘルミネに敬礼を向けた。

 

「不肖、マコーレ=ド=バルジャンは、軍事の天才と名高きヴィルヘルミネ様に、教えを請いたく存じます! 是非とも小官の軍事顧問になって頂きたく、伏してお願い申し上げます!」

「……で、あるか」


 怜悧に見える笑みを浮かべ、ヴィルヘルミネが鷹揚に頷いている。だがその実態はイケメンと美女にチヤホヤされたいだけの、しょうもないお子様なのであった。


 ■■■■


 潔くヴィルヘルミネを顧問に迎えたバルジャン大尉は、しかし予想よりも遥かに小物であった。

 彼は万が一負けて責任が自らに及んだ場合、フェルディナント公国の軍籍が欲しいとヴィルヘルミネに懇願している。

 逆に勝利を収めたら、その手柄は名分上の指揮官である自分に帰すること、赤毛の令嬢に確認までしていた。


 要するにバルジャン大尉は勝っても負けても、自分が破滅することの無いよう計らったのだ。

 流石にここまで見事な小物っぷりを見ると、ゾフィーたち学友組も失笑を禁じ得ない。


「あんな士官ばかりなら、いっそランスに攻め込んで、領土を切り取ってしまえばいいんじゃないかと思いますよね、ゾフィー様」


 ジーメンスの軽口に、珍しくゾフィーも頷いていた。


「――そうだな。あんな奴等ばかりなら、楽に勝てそうだ」


 ともあれ明日にも総攻撃に入ることを決めた為、早速幕舎で会議が開かれた。長机を前にランス軍の士官達が集まり、ヴィルヘルミネがバルジャン大尉と共に上座へ座っている。

 それをゾフィー達は幕舎の隅で眺めながら、少し誇らしげな気持ちになっていた。


 何しろフェルディナントは小国だ。だというのに、その摂政が大国であるランスの軍を動かそうとしている。色々と問題はあるが赤毛の令嬢ならば、いつかこうしてランスの武官達を従えることさえ、日常のモノにするのではないか――という期待感さえあるのだった。


「明日に総攻撃をなさるとして、どのような形で攻めるのでしょうか? 小官等は命令とあればどのようなものでも喜んでお受け致しますが、その前に、大尉の考えを聞かせて頂けると有難く存じます」


 事情を知らない少尉が、眉根を寄せて言う。今朝まで援軍の到着を待つという方針だったのに、夕方を前に方針の変更が告げられた。朝令暮改もいいところではないか、という不満が露になっている。

 気弱なバルジャンは隣で凛とした表情を見せるヴィルヘルミネをチラリと見て、彼女に説明を求めた。


「そ、それはな――軍事の天才と名高いヴィルヘルミネ様に、ご説明頂こうと思う。今回、特別に軍事顧問をして頂くことになったのだ。む、むろんこれは好意によるものであって、今後両国の友好に繋がれば良いと……」

「大尉、御託は良いのです! どのような形で攻めるのか! 勝算はあるのか!? そこのところを小官はお聞きしたいのです!

 兵を悪戯に動かさず援軍を待っていたのは、その方が損害が抑えられるからと仰っていたでしょう! それがいきなり現有戦力で総攻撃など、納得の出来る説明をして頂きたいのですッ!」


 少尉が椅子を蹴って立ち上がり、長机をダンと叩く。バルジャンは気圧されて、気まずそうに顔を手で覆っていた。視線だけをヴィルヘルミネへと向けている。


「だから、それは顧問が――……」

「んむ――余が説明しよう」


 ヴィルヘルミネはこれでも、幾度かの戦場を潜り抜けている少女だ。一介の少尉が、いくらいきり立ったところで怖くも何ともない。ましてや今は、イケメンと美女が彼女のバックに付いているのだ。勇気百倍ってものである。


 だからヴィルヘルミネは悠然と立ち上がり、地図上の一点を指さした。


「余はの、卿等の目がどこに付いておるのか甚だ疑問じゃった。これほど有利な状況にありながら、何故なにゆえもって敵を攻撃せぬのかと――……」


 幕営の中の緊張感が高まり、皆の視線が赤毛の令嬢へと集中する。

 流石にこの時ばかりは、二人の中尉も令嬢の端正な顔を見つめていた。


「さて、ミーネちゃん……いや、ヴィルヘルミネ様が本当に戦争の天才なら――これから面白いことを言ってくれるだろね」


 オーギュスト=ランベールは期待に満ちた視線で、ヴィルヘルミネを見つめている。


「実力を見極めるには、いい機会だが――……オーギュのやつ、この為にわざとヴィルヘルミネ様を巻き込んだのではあるまいな?」


 アデライードは少しだけ、赤毛の令嬢に心配そうな視線を向けていた。

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