第49話 ヴィルヘルミネの要望
指揮官用の幕舎に入ると、ヴィルヘルミネ達は状況の簡易な説明を受けた。敵はグランヴィルより南東にやや下った地域の農民達で、彼等に味方をする地元の二個中隊が中核を為す戦力だという。
本来ならば他国の人間に自国の軍事作戦などペラペラ喋るべきではないのだが、しかし相手は国賓たる公爵令嬢だ。大尉に過ぎないバルジャンは悩んだ末に、野戦用の長机を前にヴィルヘルミネ一行を招くと、状況を語ったのである。
令嬢の覚えがめでたければ、ランスでの未来も明るい。仮に閉ざされてもフェルディナントで生きていける――そんな自己保身からであった。
ゾフィーは「ふん」と小さく鼻を鳴らし、長机の上に置かれた地図を冷ややかに見つめていた。
――この程度の敵なら、我が中隊だけでも撃滅できるものを。
そうした視線を察したのか、アデライードがゾフィーに微笑んで見せた。
「ゾフィー殿。あなたも、この状況に不満かな?」
「他国の軍の状況です。わたしが不満を言うのは筋違いでしょう」
「だが、打開策をあなたは考えている――違いますか?」
「違わないとして、意見を言うのも筋が通りません」
「では、私が個人的に聞きたいと言ったら、あなたは考えを教えてくれるのですか?」
自分よりも大分身長の高いアデライードを見つめ、ゾフィーが細い眉を顰めている。やはり美しい女性だと思った。それに年齢が遥かに下の自分にも、敬意を持って接してくれる。すごい。
――だから、悔しい。
ゾフィーの中で、ムクムクと対抗意識が湧き上がってきた。この人に勝ちたいと思った。だからゾフィーは口を開いたのだ。
「敵の砲兵は右翼に固まっています。ですから左翼側を背後から騎兵で急襲すれば、敵を壊乱させることが出来るでしょう。少なくともわたしが二百の軽装騎兵を率いれば、簡単なことです」
「同感です――私も騎兵科だから、大尉にもそう提案しました。付け加えるなら、敵右翼に対して砲により攻撃しつつ騎兵で急襲するなら、成功率は格段に上がる。やらない手は、ありませんからね」
「ぐっ……、砲兵を……、確かに、そうですね」
話してみると自分の考えは、まだまだアデライードに及ばないことを悟ったゾフィー。彼女は悔しさで拳を握りしめ、そっぽを向いた。普段の彼女からは考えられない、子供っぽい仕草である。
一方、そんな二人の会話を聞いていたヴィルヘルミネは、一人ニマニマとしていた。イケメンはイケメンと恋に落ち、美女は美女と愛し合えばいい。
最近はこのように、いよいよ倒錯した考えを固めつつある令嬢のこと。
「余、これでパン三個は確実に食えるのじゃ」なんて思っていた。
……誰のせいでゾフィーがモヤモヤしているのか、全然分かっていないヴィルヘルミネなのである。
とはいえ赤毛の令嬢は、現状や作戦になど興味がない。だから一通り話を聞くと退屈になり、幕舎の中をウロウロと歩き始めた。
これは令嬢があらゆることを入念にチェックしているように見え、周囲の者は戦々恐々としていたが、全くそんなことはない。ただ単に面白そうなものを探していただけである。
そんな時だ、令嬢は隅の方で奇妙な物体を見つけた。絨毯と思しきものにくるまり、「ぐぅ、ふごご……」と鼾をかいている。どうやら敵と対陣している最中の本営で、昼寝に興じる豪胆な男がいるらしい。
無論これを「けしからん」――と思うほど令嬢も真面目ではないから、彼女はしゃがみ込んでツンツンと男をつついてみた。イケメンだったらいいなぁー、くらいのノリである。
すると――寝惚けてはいるが艶のある、滑らかなイケボがヴィルヘルミネの耳朶をうった。
「ん……、あ……、なんだぁ?」
そして男はゴロリ――寝返りをうってヴィルヘルミネを正面に見る。しばし二人は見つめ合い、目と目が交差していた。令嬢の心臓が「トットットット……ト、ト、ト、ト」と早鐘のように変わっていく。
「ふぁぁあああああああああ! 超イケメンじゃ!」
■■■■
ヴィルヘルミネはアデライードに対して過去最高得点を叩き出したばかりであったが、それに並ぶ点数がまたも出てしまった。今度は目の前で寝転がる、銀髪赤眼の男である。
その男は大きく欠伸をすると、ヴィルヘルミネを更にじっと見つめ、「あんたぁ、誰だ?」と無礼な質問をする。
だが赤毛の令嬢は完全に舞い上がっている為、相手の無礼さを気にも留めない。「よ、よよよ、余はの、ええと、あの……」とわたわたして、尻餅を付いてしまった。完全に気圧されている。
それを見つけたアデライードが寄ってきて、銀髪の男を蹴り飛ばし、絨毯から引きずり出して跪く。
「この無礼者ォォォ!」
「ぐふぉぉあっ!? かはっ!」
男の耳を引っ張り強引に片膝を付かせるアデライードの姿に、ヴィルヘルミネはまたも茫然とした。理解が全然追いつかない。絶世の美女が不世出のイケメンを蹴り飛ばすって、これなんぞ?
「ヴィルヘルミネ様、これはとんだご無礼を! この者は私と同じくランス王国軍中尉にて、名をオーギュスト=ランベールと申す者にございます!」
「う、うむ、そうであるか……」
今度は男の銀髪の頭をぐりぐりと地に押し付け、アデライードも必至で頭を下げている。
「こら、オーギュ、貴様しっかり頭を下げぬか! ここにおわすはフェルディナント公国摂政であらせられる、ヴィルヘルミネ様なるぞッ!」
「お、おお~~~? 君か、君がそうなのかぁ。可愛いねぇ~。気の強そうな目がまた、最高だぁ。数年後が楽しみだよぉ~~~。じゃ、そういうことで、おやすみ。大人になったら、また会いましょう」
「おい! 私は挨拶をしろと言っている! あっ! 寝るな! コラッ!」
「うむ、おやすみ。おやすみ?」
散々な暴行を受けながらも再び横になる男に、ヴィルヘルミネは「おやすみ」と言った。しかし、このような状況で眠れるのかな? と思うから、思わず二度目の「おやすみ」に疑問符が付いてしまう。
だからアデライードも男を眠らせず、更なる凶悪な蛮行に及ぶのだった。
「いてっ、やめろよ、アデリー。ぶ、武器はダメだろ、お前ッ! だ、だいたいだな、どうせバルジャン大尉に戦う気が無いんだから真面目に起きてたって、俺にはやる事なんて無いんだよ。だったら寝ていた方がマシってもんだろうが……」
「その事だがな、今はヴィルヘルミネ様もおられる。敵と対陣したままお留めすれば、それこそ外交問題にもなりかねんだろうがッ!」
「おお、流石は貴族のご令嬢だ。戦争するにも体面が大事ってね」
「茶化すな、オーギュ! そんなことより私と共に、敵に攻撃を仕掛けるべきだと意見具申をしろッ! それとも貴様、まだここで惰眠を貪りたいとぬかすかッ!?」
「そりゃ寝るのは好きだけどね。どうだい、アデリーも一緒にさ」
「な、なんで私まで巻き込もうとするッ! そもそも私と貴様では身分が違うではないかッ! 一緒に寝るなど、あり得ぬ話だッ!」
プシュッと耳まで真っ赤にしたアデライードが、思い切り足を振り上げオーギュストの腹部を蹴り上げた。
「げふぅぅぅぅ! ――こ、殺す気かよッ……!」
「へ、変なことをいうからだ、馬鹿ッ! そんなことより、お前は反対なのか? 敵の撃滅にッ!」
「いや、賛成だよ。その方が結果として、人的損害も減るだろうからね……」
そう言って、ようやく身を起こすオーギュスト。そしてヴィルヘルミネに同色の赤い瞳を向けて、さらりと言う。
「……ミーネちゃんは、どう思う? 戦えばまぁ、援軍を待つよりは危険に晒されるが……」
「余か? それは、余もさっさと打ち破れば良いと思うが……」
「そっか。じゃあミーネちゃんも、俺とアデリー、三人でバルジャン大尉に意見しに行こう。その方が、多分きっと楽しいからね」
「なぜ、余も一緒なのだ?」
「そうだぞ、オーギュ! ヴィルヘルミネ様は国賓だ!」
「で、あろう。いかに余と言えども、他国の軍に干渉する権利など無いと思うのだが」
「大丈夫――ミーネちゃんが言うのは、あくまでも要望だ。それは干渉じゃあないから、大いに許される。んで、ついでにミーネちゃんが俺達を指揮したらいい」
「余が……指揮を?」
「建前だよ。バルジャン大尉に指揮されたら、勝てるモンも勝てなくなっちまうから。まぁ心配せずとも、実戦は俺達に任せればいいさ。そうすりゃ、明日にもカタが付くからね」
どこまでもとぼけた口調で言うオーギュストが、片目を瞑って令嬢に笑いかけた。
要するにバルジャン大尉の頭痛の種とはアデライードと、このオーギュストだったのである。
■■■■
ヴィルヘルミネは部隊の視察から戻ったバルジャン大尉の前に、顔面点数九十九点コンビを左右へ侍らせ居丈高に言った。
「おい、バルジャン大尉、さっさと敵軍を打ち破れ。余はこのような場所で、幾日も過ごしとうはない」
「あ、え? いやその、摂政閣下! いくら何でもそれは無茶な申し入れですぞ! 閣下と云えども他国の軍隊を動かす権利などありますまい!」
「だからこれは、要望じゃ。そのように要望しておる」
後ずさるバルジャンに、ヴィルヘルミネを真ん中に挟んだアデライードとオーギュストが順に言う。
「国賓たるヴィルヘルミネ様の御要望、ここで叶えねば大尉の出世も無いでしょうね」
「うん。まあ逆に言えば、ここで敵を打ち破ったら大尉も、英雄の仲間入りってヤツですよ」
「――お、俺が英雄に?」
そうして最後に赤毛の令嬢が、このように締めくくる。
「……と、いう訳じゃ。あ、指揮は余が執るからの! これも要望じゃ!」
学友の三人はそんな主君のやんちゃさに、貰った紅茶を噴き出してしまう。
特にゾフィーなどは、「ヴィルヘルミネ様が、さっそく他国の軍権を侵害してるー!」と白目を剝く始末なのであった。
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