第48話 もやっとするゾフィー
アデライードの騎馬に先導されて、ヴィルヘルミネはランス陣営に到着した。辺りは見晴らしの良い草原で、なるほど正面には横陣を展開した敵軍の姿が見える。
といっても敵の装備はバラバラで、統一された雰囲気は一切ない。ランス側の兵力は六百で敵が一千というが、これなら数の差を覆して打ち破ることは十分に可能だとゾフィーは考えていた。
「ヴィルヘルミネ様。ランス軍というのは、この程度の敵に手こずるものなのでしょうか……?」
「んむ……」
曖昧に頷く令嬢は特に何も考えていなかったが、学年主席のゾフィーが言うのなら、あの敵は余裕だ――という認識になった。一安心である。
ヴィルヘルミネが馬車から降りると、すぐに指揮官であるマコーレ=ド=バルジャン大尉が駆け付けた。恭しく手を取り、貴婦人に対する礼をする。
それというのもヴィルヘルミネは幼年学校の生徒であり、であるならば階級は下士官を越えるものではない。となると大尉の方が遥かに高い地位の為、彼は令嬢を貴族の上位者として扱うことにした。
とはいえ令嬢としては、それが不快である。
相手が八十点を超えるイケメンならいつでもデレる用意のあるヴィルヘルミネだが、七十点以下には一転して塩対応だ。その辺は徹底していた。
「出迎え大儀。なれど――あの程度の敵軍も破れぬのか?」
「はっ……いえっ……そのっ……」
跪くバルジャン大尉の頭頂部に冷たい視線を投げつけ、ヴィルヘルミネが言う。
バルジャンとしても八歳にして自軍に倍する敵軍を破り、戦争の天才と呼ばれた令嬢にこう言われてしまえば、背筋も凍る思いであった。
「常に敵よりも有利な状況で戦え」というのは軍事的な常識である。だからこそ彼は援軍を待ち、数の上で有利を確保してから戦端を開きたい。寡兵によって多数の敵を撃破すると言えば聞こえは良いが、それで負ければ元も子も無いのだ。
だというのに赤毛の令嬢には、現在の状況が既にしてランス軍有利と見えているのだろうか?
バルジャン大尉はいよいよ慌て、目を泳がせた。
赤毛の令嬢はこのあと宮殿へ行き、国王夫妻とも謁見するはずだ。
ましてや到着から一週間は国賓待遇だから、朝な夕なにランス王国を動かす上層部の面々とも顔を合わせるだろう。その時に彼女が「バルジャンは無能だ」と言ったらどうなるか。
当然ながら出世の目は消えるし、良縁に恵まれることも無いだろう。彼は貴族士官とはいえ、そういう生まれなのだった。
このマコーレ=ド=バルジャンは二十三歳で、伯爵家の三男だ。栗色の髪と瞳はいかにもランス人らしい特徴で、中肉中背の士官である。しかし敵との長い対陣で髭は伸び放題、髪も荒れ放題であった。お陰でヴィルヘルミネには七十点以下の烙印を押されたのだろう。
何にせよ、彼は実に平均的なランス軍人であった。
たとえば士官学校の成績だって可も無く不可も無く、実戦においても目立った功績を上げたことが無い。だから無能という訳でもなかったが、負けないことを意識するあまり、用兵学にやたらと忠実なところがあるのだ。
そもそも貴族の三男であれば軍で出世するより他、道が無い。だから極度に失敗を恐れるのは、多くの貴族士官に共通する特徴であるのかも知れなかった。
一方ヴィルヘルミネの言動に、これといって深い意味はない。顔面点数六十六点のバルジャンが煙たかったから言っただけだし、その根拠は全てゾフィーの一言である。
ゾフィーが勝てると思っているから、ヴィルヘルミネもそう思っただけなのだ。
何ならヴィルヘルミネは顔面点数九十九点のアデライードとイチャイチャお話がしたかったのに、お前なんか出てきたら台無しだよ! と思い腹が立っただけのこと。
例えるならばフレンチのフルコースを食べようと思い待っていると、前菜に「スルメ」が出てきたようなものだ。
むろん、「スルメ」に罪はない。だがアデライードを極上の牛フィレ肉とするならば、その前に「スルメ」は食べたくないヴィルヘルミネなのであった。
「――ヴィルヘルミネ様。ランス軍にはランス軍のやりようも、あるのでしょう。あまり口を出されては、指揮系統が混乱いたします」
「む……そうじゃの、ゾフィー」
ゾフィーがそう言うなら、きっとそうなのだろう。そう思った赤毛の令嬢はバルジャンに冷たい視線を送りながら、「幕営へ案内せよ」といった。
「ぎ、御意」
こうしてランス軍の幕営へとヴィルヘルミネ一行を案内するバルジャン大尉は、この一件ですっかり意気消沈してしまう。
ただでさえランス陸軍の俊英と言われる二人の中尉を部下にして、頭が常に痛いのだ。そのうえ戦争の天才ヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナントまで抱えては、胃まで痛くなるというものであった。
「私も賊軍を攻めるよう大尉に再三申し上げているのですが、援軍を待つと仰り、いつも聞き入れて貰えないのです」
幕営へと向かう道中、バルジャン大尉を悩ませる中尉の一人、アデライードが小声でヴィルヘルミネに言う。彼女が腰を屈めて耳元へ口を寄せたものだから、赤毛の令嬢は嬉しくって、「で、あるか!」と大きく頷いている。
「やはりヴィルヘルミネ様も敵の陣形を見て、そのように思われたのですね」
「……で、ある!」
いかにも攻撃に賛成しているかの如き、ヴィルヘルミネの頷きだ。カックンと、首が大きく上下に動いていた。
一方、二人を後ろから見ていたゾフィーは主を取られたような気がして、何となく心の内に蟠りを抱えている。
そんな彼女の隣に、くすんだ金髪の少年がやってきた。ジーメンスだ。
「レグザンスカ中尉って、少しゾフィー様に雰囲気が似てますよね。きっとゾフィー様も大人になったら、もの凄く美しくなられるのでしょうねぇ~~~ヴィルヘルミネ様と同じくらいにッ!」
彼は徹頭徹尾ヴィルヘルミネ狙いと言いながら、美しい女性には目が無い性分だ。だからヴィルヘルミネが誰かと話をしていたら、次はゾフィーに声を掛ける。それは、実に自然な行動なのであった。
そんな彼の軽口に、いつもなら決して答えないゾフィーだが、今日だけは少し様子が違っている。
「わたしがヴィルヘルミネ様と同じ程に美しくなど、なれるワケが無いではないかッ!」
ゾフィーは不快だった。けれど不快の原因が分からなくて、何となく横に並んだジーメンスの肩を殴っている。
「い、痛い、痛いですよ、ゾフィー様! どうして褒めたのに怒るんですかッ!? ホントにもう、分からない人なんだからッ!」
「痛いと言っている割には、随分と嬉しそうだな……ジーメンス」
そんな二人の後ろで、褐色肌の大柄な少年がボソリと言う。
「ユセフ! 余計なことは言わないでくれたまえッ!」
後ろを振り向きプンプンと怒る少年は、しかし確かに嬉しそうなのであった。
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