第47話 アデライード=フランソワ=ド=レグザンスカ
ランス王国は国土の大半が平地であり、豊かな穀倉地帯が広がっている。またそうでないところも緑豊かな草原が多く、騎兵が精悍なことでも知られていた。
北は大海に面し、海峡を隔ててヴェルズ王国と接している。伝統的に両国の仲は悪く、常に対立をしている間柄だ。
東はダランベル諸侯領、南東にフェルディナント公国と国境を接し、西から西南にかけてはリスガルド皇国と接している。要するにランスとは、エウロパ大陸中央部に君臨する大国なのであった。
しかしここ十年、革命を叫ぶ民衆、農民、自由貴族、
けれど各層の利害は容易に一致せず、どのような法律を作ってもどこかの層が反対をする――といった状況だ。
このようなことから各大臣達が行う施策が失敗する度、彼等の首が飛び国が乱れる――という有様。
結果として定めた法が民衆暴動などにより無効化されることが続き、国内の混乱に拍車がかかる。ついには西の地方都市モンペリエが独立を叫び、駐屯する軍を巻き込み新たな共和国を作るという始末だった。
これに対し国王は同都市に対し、一定の自治権を認めることで妥協。こうしてなし崩し的に国は乱れ、民心も国王から離れつつあるのだった。
だが、それでもランスは大陸最強の騎兵を有する大国である。それだけではなく、戦術理論の分野でもプロイシェに匹敵する先進性を有していた。
という辺りまでが、ヴィルヘルミネの持つランス王国に関する知識である。
しかし令嬢には、革命を望む人々の気持ちが分からない。それどころか「なんか荒れとるなー」くらいの感想しか持っていなかった。
なおヘルムート曰く、これは「社会革命」とのこと。要するに「所有の在り方」を根本的に見直す革命だから、妥協点が無いというのだ。
例を挙げれば、富裕層の紳士淑女が訴える人権の平等や自由というものに、農民や市民は、富の平等も付け加える。
「人は生まれながらにして平等だ! 貴族、富豪、農民、市民に一切の差など無い!」
「そうだ! だからお前達の持ってる小麦や肉を俺達にも渡せ!」
「これは私達が生まれたのちに得たものだ! お前達にくれてやる謂れはなど無い! 欲しければ、お前達も努力をしろ!」
「俺達が努力して作ったものから、上前を撥ねてんのがテメェ等じゃねぇか! 許せねぇ! 殺して奪ってやる!」
「やれるものならやってみろ! 返り討ちにしてくれるッ!」
壇上に立って叫ぶ自由貴族に、怒号を浴びせる市民や農民たち。彼等は自らこそが革命の志士であると叫び、互いに武器を手に取り殺し合う。
こうした次第で利害の数だけ革命勢力が雨後の筍のように乱立し、それぞれの自由を声高に叫ぶのだった。
とはいえ令嬢を乗せた馬車の進むところ、長閑な田園地帯が続いている。とても革命の嵐が吹き荒れているとは思えない、平和な風景だ。
そのせいかヴィルヘルミネはすっかり油断をしていたのだが、そんな時、馬車の扉が慌ただしくノックされた。
「なんじゃ?」
ぼんやりと答えて、赤毛の令嬢が馬車の窓を少しだけ開く。すると騎兵が馬を寄せて、「ランス軍の使者が参りました。閣下にお会いしたい、とのことです」と言う。
「余に?」
「はい。何でもこの先で賊徒共と対陣しているゆえ、閣下を保護させて頂きたいとのこと。直接お会いしてから、ご説明をしたいと申しておりますが……如何致しましょう」
いきなりの不穏な言葉に、ヴィルヘルミネは車内にいる学友三人を見回した。
何しろ彼女の成績は、算術と戦術以外ズタボロである。こんな時どうすれば良いかなど、考える役目はまっぴらだった。
「いきなり来てそんなことを言われても、信用出来ませんね。保護するなんて言ってボク達を連れて行き、殺すことだって考えられますよ。なんたって革命派の農民は貴族を敵視していますし、過激ですからね。そういう事になっても、おかしくありません」
くすんだ金髪のジーメンスが、前髪をさらりとかき上げながら言う。それから薔薇を手に取り、香りを嗅いだ。
しかし、その動作には意味が無い。しいて強引に意味を求めるなら、ヴィルヘルミネにカッコイイところが見せたい――という一点に尽きる。
しかし問題は主君に上奏する際、この動きが無礼であること。幸いヴィルヘルミネはイケメンに寛容なので気にしないが、ここには寛容じゃない人物もいた。
ゾフィーがジトっとした目で睨むと、ジーメンスはすぐに薔薇を胸のポケットに戻す。彼は悲しそうにぼやいた。
「……ゾフィー様、ボクに冷たくありませんか?」
「黙れ。――とはいえヴィルヘルミネ様、この無礼な軽薄者の言うことにも一理あります。まずは使者にお会いになっては如何でしょう。一人で来たとあれば、危険ではありませんし」
「ゾフィー様に賛成……です」
ゾフィーの意見に奴隷の子孫、イルハン=ユセフも賛成している。となればヴィルヘルミネにも否はなく、大きく頷くのだった。
■■■■
馬車を止め、見張りの兵以外に休息を命じると、ヴィルヘルミネはさっそく使者と会うことにした。馬車の外で令嬢が大きく伸びをしているところで、件の使者が現れた。
「急な申し出、ご容赦頂きたく存じます――ヴィルヘルミネ様」
「ん?」と振り返ると、見事な金髪が縦にロールした士官が、地面に片膝を付いている。
ヴィルヘルミネは目を輝かせてそちらを見ると、二歩近づいて士官の目の前に立つ。容姿に期待が持てたから、ワクワクしながら令嬢は声を掛けた。
「よい、面を上げて説明をせよ」
「はっ、御意を得まして、ご説明申し上げます」
令嬢の意志に従い、士官が顔を上げる。そこでヴィルヘルミネが目にしたのは、緑玉のような美しい瞳と、その周囲を彩る金色の長いまつ毛であった。
その下には神の造形を思わせる程に整った鼻と口があり、輪郭は流麗な卵型。肌の色は飛びぬけて白く――といっても、あまり鏡を見ないヴィルヘルミネと同じ程度だが――。
そのうえ均整の取れた肉体はしなやかで、まさに非の打ちどころが無い美しさである。
ヴィルヘルミネは、九十九点! と人生最高得点を、この士官に付けた。だが惜しむらくは、男か女か分からない。軍服を着ているから男だと思うなら、ヴィルヘルミネだって軍服なのだ、自分も男になってしまうじゃあないか。
というわけでヴィルヘルミネ、説明の前に士官の名前を聞くことにした。
「その前に、卿の名は?」
「はっ! 自分はランス王国軍アデライード=フランソワ=ド=レグザンスカ中尉であります。申し遅れましたこと、大変失礼いたしました」
途端に立ち上がって敬礼をする士官は、どうやら女性であったらしい。しかし女性にしては高い身長で、ようやく百五十センチに到達した程度のヴィルヘルミネでは、見上げるほどだった。
「ふぇ~~」と令嬢がボンヤリ見ていたら、彼女は気にせず説明を始めてしまう。
「この地域に賊軍一千が現れたとの報を受け、王都より我等が討伐に参りました。既に対陣すること一週間になりますので、敵援軍の有無を探る為に兵を出していたところ、閣下の行列を見つけた次第にございます。
ヴィルヘルミネ様が我が国へご留学される件は私も聞き及んでおりましたので、こうしてお迎えに参りました」
「……で、あるか。ならば余を、卿等の幕営へ速やかに案内せよ」
即答のヴィルヘルミネに、学友の三人が目を見開く。
「ヴィルヘルミネ様――ここは我等も偵察を出し、状況の確認を……!」
ゾフィーが叫び、再考を促した。しかしヴィルヘルミネは頭を横に振り、微笑して見せる。
「ゾフィーよ。アデライード殿ほどの方が、単身で来たのじゃ。嘘などあろうはずもない」
事実、アデライードはレグザンスカ公爵家の令嬢であった。それはランス王家にも連なる名家であり、彼女を生贄にしてランス王国がヴィルヘルミネを討ち取るなど、考えられることでは無い。ましてや革命派に寝返るなど、もっとあり得ないことであった。
しかしヴィルヘルミネをはじめとした一行に、アデライードの素性を知る者はいないのだ。だというのに令嬢の自信は、このとき若干だが異常であった。だからゾフィーがアデライードに詰め寄り、更に問う。
「万が一の時はあなたを人質とするが、はたしてあなたはそれに見合うだけの価値があるお人か? 王国軍中尉というだけでは、ヴィルヘルミネ様のお命に全く釣り合わぬぞ?」
「ふふっ――ヴィルヘルミネ様には、金髪の少女が常に付き従っていると聞きました。随分な切れ者だ、とも。あなたがその、ゾフィー=ドロテア殿ですね?」
「そうだが――……」
「私がレグザンスカ公爵家の三女だと申せば――万が一の場合に人質として役に立ちますか?」
言いながら、アデライードが胸元からペンダントを取り出した。そこには白百合と、交差する剣の意匠が施されている。
そもそも百合を意匠化したものを使用できるのはランス王家に連なる者だけであるから、ゾフィーは慌てて片膝を付き、「ご無礼、申し訳ありません」と頭を下げた。
流石はヴィルヘルミネ様だと、ゾフィーは改めて関心する。アデライードに会ったことなど無いはずなのに、赤毛の主君は彼女が公爵家の令嬢だと気が付いていたのだ。だから礼節を弁え、一も二も無く付いて行くと言った。
またも億の単位でヴィルヘルミネに及ばないと考え、ゾフィーは赤面する。
だが当のヴィルヘルミネはアデライードが超絶に美人過ぎて、ハァハァしているに過ぎない。完全にのぼせ上っている。
ここで付いて行けば、もっと長いことアデライードと一緒にいられるぞ、上手く行けば、おっぱい触れるかも! 余、冴えてる! と考えているだけのゲスな令嬢なのであった。
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