第46話 そうだ、ランス王国へ行こう!
――――帝歴一七八七年、春。
十歳になったヴィルヘルミネは、幼年学校へ入ることとなった。
本来であれば公爵令嬢として通うべき学校は他にあり、修めるべき学問も軍事学などでは無いはずだ。しかし令嬢は国内に作った幼年学校へ行くと言い張り、訊かないのだった。
フェルディナントの群臣達はこれを、彼女が今後も国を統治する意思表示だとみて喜び、認めている。
何しろ赤毛の令嬢は八歳にして名将と呼ばれる存在だ。そんな彼女が花嫁修業ともとれるような学校へ入り、粛々と夫を迎えるなど、誰も考えたくないことであったのだから。
なお、幼年学校が作られた背景には、悪化し続ける国際情勢がある。
何しろ各国とも、右肩上がりで軍事費を増加させ続けているのだ。これに対抗するには、少しでも多く国内に優秀な人材が不可欠であった。
人材を確保し迅速に育成する為には、身分に関わらず入学できる幼年学校が不可欠であり、これをヴィルヘルミネは去年創設したのだ。
むろん、彼女の先見性を皆は称えた。
しかしヴィルヘルミネ本人は、決してそうした意図で幼年学校を作った訳ではない。
何しろ幼年学校は軍人養成所だ。
そして軍人は圧倒的に男子が多い。
となれば令嬢の考えは、一つだった。
――幼年学校を作れば、イケメンいっぱい集まるんじゃね? 余、冴えてね?
そして自らが入学すれば、好きなようにカップリングし放題! 最高だ! という訳である。
実際にヴィルヘルミネは、幼年学校で二人のイケメンを見つけた。新たな推しカプの誕生だ。
その二人は二年後の彼女の留学に際し、ゾフィーと共に供を命じられている。まさに趣味と実益を兼ねた、令嬢の見事な采配だ。
――そうして二年が過ぎ去り、いよいよヴィルヘルミネにも留学する時が迫っている。
ちなみにヴィルヘルミネの留学は、高度に政治的判断を要した。
何故ならプロイシェに行けばキーエフが腹を立てるし、キーエフに行けばプロイシェが臍を曲げる。要するにあちらを立てればこちらが立たぬといった具合で、いらぬ軋轢を生むことが必至なのだ。
それというのもプロイシェもフェルディナントも、大きな括りに入れてしまえば、キーエフ帝国の内側にある国家だからである。
となれば彼女の留学先は山を越え海を隔てた島国であるウェルズ王国か、民主共和の嵐が吹き荒れるランス王国――という選択が現実的であった。
しかしどちらも問題がある。
ウェルズに行けば海軍を持たないフェルディナントでは、ヴィルヘルミネに万が一があった際、対応が後手に回る。一方ランスに留学すれば、内乱の火の粉を浴びる可能性があった。
宰相であるヘルムートはこれに頭を悩ませ、結果ヴィルヘルミネに相談をしている。といって彼自身はヴィルヘルミネの留学先として、ランスを推していたのだが。
そもそも彼自身がランスの大学を卒業しているし、思い入れもあるのだ。対してウェルズは余りにも遠く、送り出すにも心もとなかった。
「ヴィルヘルミネ様は、どちらの国へ行きたいのですか?」
「それは……ランスであろうの」
この時、彼女がこう答えたのには理由があった。
帝歴一七八九年のランスにおける駐在武官が、なんとエルウィンだったのだ。
なのでイケメンをいつだって見ていたいヴィルヘルミネは、たとえ危険があろうとも、ランスを選択するのは当然であった。
だがヘルムートは目頭を押さえ、感涙を我慢する。我が意を主君が汲んでくれたのだと思ったからだ。
貴族と農民が激しく対立するランスの現状をヴィルヘルミネが目にすれば、それは今後必ず役立つだろう。
実際ヘルムートも自由や平等を求める学生の中にいて、様々なことを学んだものだ。そのエネルギーは凄まじいものであり、時にそれは死を恐れぬ暴動ともなる。
もしもヴィルヘルミネがそれらを目の当たりにするなら、多少の危険はあろうとも価値があることだと黒髪紫眼の宰相は考えたのだった。
「ヴィルヘルミネ様が望まれるなら、それが宜しいかと。ですが何かあれば、すぐにお戻りを――……国境付近はリヒベルグが担当しておりますので、すぐにも兵を駆けつけさせましょう」
「――んむ、リヒベルグか。ならば安心よの」
こうして一七八九年の二月下旬――赤毛の令嬢はゾフィーと、それから二名の同級生を伴いランスへ留学する。時にヴィルヘルミネ、十二歳のことであった。
■■■■
フェルディナントの首都バルトラインからランスの首都グランヴィルまでは、馬車で二週間の道のりである。
この時ヴィルヘルミネは山賊などに備え、騎兵一個中隊に守られ国境を越えた。凡そ二百人の行列だから、中々に仰々しいものである。
しかし十二歳の今に至るまで国境を越えたことの無いヴィルヘルミネは、無表情ながらもテンションが上がっていた。なのでそわそわと窓の外を眺めては、「生えている木の種類が違う」だの「急に寒くなった気がする」だのと言っている。
これに機嫌よく対応するのは、今回ヴィルヘルミネと共に留学することとなった一人で、名をヴィルダー=フォン=ジーメンスと言い、令嬢と同年で美しい顔立ちの少年であった。
彼は下級貴族の生まれで、デッケン家の遠縁ということだ。髪はくすんだ金色で、瞳は澄んだ空色である。線の細い色男――といった雰囲気だが、何より彼を印象付けるのは、常に胸元に添えた一輪の赤い薔薇であった。
「ヴィルヘルミネ様、この辺りは百年ほど前、木々の権利を巡って、我が国とランスが随分と争ったそうですよ」
「ほほう」
「急に寒くなりましたのは、この辺りの標高が高いせいでございましょう。我が国は四方を山に囲まれていますから、どうしても他国へ出るには山を越えねばなりません」
「――ほほう、ジーメンスは詳しいの」
「ははっ――ボクのようなエリートは、何でも知っているものですよ。我が愛しのヴィルヘルミネ様ッ!」
ニッコリ笑いながらヴィルヘルミネの手を取り、口付けをしようとするジーメンス。
しかしそれをチラリと横目で見たゾフィーが、彼の額をパシリと手の平で叩く。
「――このお調子者め。この辺りは北から吹き付ける風が山で止められる為に、寒気が渦巻いているのだ。むろんヴィルヘルミネ様とて、その程度のことは承知しておられるわ。見よ、この冷たい笑みを。
まったく、そもそも本当のエリートというものは、そうベラベラ喋ったりしないものだぞ、ジーメンス」
近頃のゾフィーは、すっかり軍人口調が板に付いてきた。実際に幼年学校でも主席だし、何より今ではゾフィー=ドロテア=フォン=フェルディナントと名乗る、ヴィルヘルミネの立派な妹なのだ。
そんな彼女に叱られ、ジーメンスは首を竦めて「す、すみません」と言っている。
ただ――むろん、アホの子ヴィルヘルミネは初耳だ。しかし乏しい表情に浮かべた笑みが冷笑と受け取られてしまい、赤毛の令嬢は仕方なく「う、うむ、ゾフィーの言う通りじゃ」と言う他なくなっていた。
「あ……村です。ランスの……」
ゾフィーがジーメンスに説教を始めたところで、彼の隣に座る大柄な少年がボソリと言った。全員が窓に顔を寄せる。緩やかな斜面に、ちらほらと建物が見え始めていた。
ジーメンスとは違いヴィルヘルミネが何を言っても沈黙を保っているのが彼、イルハン=ユセフという少年だ。
彼は黒髪黒目だが、褐色の肌をしている。祖父の代まで奴隷であったというから、ヴィルヘルミネが作った幼年学校でもなければ、こうして学ぶことなど出来なかったであろう。
彼は十二歳でありながら、既に百八十センチを超える体躯であった。その怪力はトリスタンをして、「卒業したら近衛に来い」と言わしめるほどである。
ヴィルヘルミネは、こうした異国情緒漂うイケメンも好きなのであった。
というか、なよっとした金髪細面と褐色巨漢のカップリングだ。これでヴィルヘルミネは、パンを三個は余裕で食べられる。じゅるりであった。
「ほう――やはりランスの建物は、田舎といえどもしっかりしておるの」
レンガ造りの家屋を見つめ、赤毛の令嬢が呟く。
他の三人も頷き、大国の首都へ思いを馳せた。それぞれの色のそれぞれの瞳を輝かせている。
何だかんだとグランヴィルに到着するのが待ち遠しい、十二歳の四人なのであった。
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