第43話 宰相のトルテ 5
ヒルデガルドがヘルムートに菓子を振舞い続ける理由は、夢の為だった。彼女の夢は菓子職人になり、公都に店を持つことだという。そんな夢を抱いた理由は、彼女の祖父に端を発したものであった。
ヒルデガルドの祖父は有名な菓子職人で、数年前まで公都バルトラインに店を構えていたそうだ。しかし当時はボートガンプ侯爵が宰相で、賄賂が横行していた時代。一本気なヒルデガルドの祖父は官憲に対する賄賂を頑なに拒み、脱税の罪で投獄されたという。
これに対して同じく菓子職人の父は抗議を重ねた結果、反逆罪ということで、やはり投獄されてしまった。二人とも二十年の強制労働を課され、獄中で果てた――とのことだ。
残った家族は母と幼い弟が二人。どうすることも出来ず母は紡績工場へ働きに出て、子供達も様々な仕事をして金銭を稼いだ。物乞いのような真似もしたことがあると言う。
だがそれでは到底店を維持できず、仮に維持できたとしても職人がいない状態になってしまったらしい。
ヒルデガルドとしては父と祖父の思い出が残る菓子店を、何としても再開したい。けれど昔見た父や祖父の仕事を再現することは、到底できなかった。
だから少しでも味を近付けたいと、試行錯誤していたところをヘルムートに見つかったという。
そのヘルムートだが、趣味がお菓子屋巡りというほど、お菓子が大好きだった。そこで近隣の有名店と比べて、自分の味がどうかという比較をして貰っていた――という話である。
つまり彼はヴィルヘルミネにも隠れて、お菓子を愛好していたのだった。
「ふぁっ!? ヘルムートがそこまでお菓子好きじゃったとは! なぜ言わぬのじゃ!」
「わたしもビックリです。先生、いつの間にそれ程のお菓子を食べていたんですか?」
話を聞き終えると、ヴィルヘルミネとゾフィーが共に目を丸くして黒髪紫眼の宰相を見つめている。ヴィルヘルミネは椅子に座ったまま、ゾフィーはその後ろに立って――だ。
このとき赤毛の令嬢に至っては、怒りすら露にしている。
「あ、いや……二人に知られたら、きっと食べたがるだろうと思って内緒にしていました。ヴィルヘルミネ様に外のお菓子を食べさせる訳にはいきませんし、ゾフィーにだけ食べさせるというのも、ね」
後頭部を掻きながら照れ臭そうに言うヘルムートに、ヴィルヘルミネはさっそく萌えていた。しかし今はそんな場合じゃあないと頭を振って、今度はヒルデガルドに向き直る。
「それは良いとして、ヒルデガルド。そなたはなぜ、公宮で働き始めたのじゃ? 菓子店を開きたくば、お菓子屋さんで働くのが一番の近道じゃと思うがのう?」
「それは、父と祖父が罪人として捕らえられていたので……私の働ける菓子店が無かったんです。噂になっていましたから。
でもここの料理長が私の事情を察してくれて、厨房もあるから、お菓子作りの練習もしていいって、それなのに私が規則を破ったばっかりに――……」
言い難そうにうつむき加減で言うヒルデガルドに、ハドラーが苦笑しながら答えた。
「なるほど。料理長にとっても、苦渋の決断だったわけか。となるとしかし、困ったな。これでは仕事も夢も失ってしまうことになる」
皆が唸る中で、一人ヴィルヘルミネは何かを思いついたのか、キュピーン! と紅玉の瞳を煌めかせている。
「――という形であれば、全てまあるく収まるのではないか?」
不思議なことにヴィルヘルミネ案は皆に受け入れられ、絶賛された。
むろんヴィルヘルミネは終始一貫してヒルデガルドをヘルムートから遠ざけることしか考えていなかったが、それが何故か功を奏してしまったのである。
■■■■
二日後、ヴィルヘルミネは護衛にトリスタンとゾフィーを伴い、ヒルデガルドと共に街へ出た。これは赤毛の令嬢の発案で、まずはヒルデガルドが働けるお菓子屋さんを探す為である。
そもそも彼女の祖父が罪人として扱われたのは、賄賂を払わなかった清廉な人柄ゆえのこと。父は有り余る正義感から拳を握り、官憲に対し反論し続けたに過ぎない。
これらの事情は調べれば分かるし、だからこそ料理長もヒルデガルドを受け入れたのだ。
従ってヴィルヘルミネがヒルデガルドと共に行き、これらの事情を菓子店に説明すれば良いのではないかと赤毛の令嬢は提案したのであった。
ヘルムートを伴わなかったの当然と言うべきか、そもそも彼は仕事が忙しいので昼間に公宮を出ることは難しい。
何よりヴィルヘルミネの目的はヘルムートとヒルデガルドの仲を引き裂くことである以上、彼を伴うなどあり得ぬことなのであった。
一方で人員を増やし連隊とした近衛隊を指揮するトリスタンは、中佐になり暇を持て余している。年間の計画は年初に立ててしまうし、普段の訓練は部下の大隊長達が監督するからだ。
それに何だかんだと仲良くなったエルウィンはランスの陸軍大学へ留学中だから、彼は手持無沙汰になっていた。よってイケメン不足を懸念したヴィルヘルミネに拉致られ、共にお菓子屋巡りと相成ったのである。
ある意味では公国一お菓子の似合わない男、トリスタン=ケッセルリンクはこの日、深く長い溜息を吐いたという。
「いや……ヴィルヘルミネ様の護衛に不満などあろうはずもない。だが、この私にトルテやアップルパイを、一体どうしろというのだ? こんなことなら、戦争をしている方がマシかもしれん」
このような手紙をエルウィンに送ると、彼はトリスタンをずいぶん羨ましがったらしい。
「僕だったらヴィルヘルミネ様を、しっかりエスコート出来たのに」と。
いよいよ九歳の令嬢に恋心を抱き始めた、ロリコン気味なエルウィンなのであった。
なお、この頃のトリスタンは従卒が付き、洗濯という苦役から解放されている。なので特に匂うこともなく、従って彼は公宮において一、二を争うほど女性達の人気を博していた。
もちろん彼の対抗馬は公国宰相たる、ヘルムート=シュレーダー氏なのだが。
さて――……公都にある大きなお菓子屋は三軒だ。その三つを順に廻ると、馬車に戻ってヴィルヘルミネはヒルデガルドに聞いた。
「そなた、どの店で働きたい? どこも住み込みで良いそうじゃぞ」
「――ですね。流石はヴィルヘルミネ様です。まさかこれほど簡単に、彼等が態度を翻すなんて」
「で、あるか」
広場の片隅に止めた馬車はお忍びの為、その辺の富豪が乗っているものと変わらない。その代わり今は外でトリスタンとゾフィーが鋭い目を光らせ、近づく者を監視しているのだ。
時刻は夕方に差し掛かろうとしていて、街路を行く人々は速足である。そして西の地平に沈みゆく太陽が、二人の乗る馬車を朱く染め上げていた。
「働かせていただけるのであれば、私はどこでもかまいません。ただヴィルヘルミネ様――一つだけ教えて頂けませんか」
「なんじゃ?」
「その――……私が規則を破ったのに、どうしてここまでして頂けるのでしょう? すぐ下の弟を公宮で働かせて頂くだけでも、それだけでも十分でしたのに」
弟を働かせて頂く――というヒルデガルドの言葉も、ヴィルヘルミネの提案であった。
職を失ったのはヒルデガルドの規則違反ではあったが、その累が家族に及ぶということは無い。だからヴィルヘルミネは彼女の弟を「公宮へ呼び、働かせよ」と言ったのだ。
これに関しては、単に令嬢の趣味である。顔面点数八十点以上のヒルデガルドの弟なら、期待が持てると思っただけだ。ショボかったらクビにすれば良いと思っているから、感謝されるには及ばなかった。
またヴィルヘルミネが自らお菓子屋を廻ったのも、ヒルデガルドが次に働く場所を把握しておこうと思ったからだ。万が一この女が公宮に近いところで働き始めたら、またヘルムートと接点が出来てしまう。なので、あえて公宮から離れた大きな菓子店を廻ったのである。
むしろ公室御用達と言われるような店は、頑固な職人が一人でやっているような、小ぢんまりとした所なのだった。
なのでヴィルヘルミネは、口を大きく横に開きニタリと笑う。全ての策が上手く運んでいるからだ。しかもヒルデガルドは気付かず、感謝までしている。
――いいぞ、いいぞ、余、冴えてる!
そう思いながら、令嬢は言った。
「気にすることは無い、余は民に優しいのじゃ。それだけのことである」
「……ありがとうございます。私、良いお菓子が出来たらシュレーダー閣下にお届けに上がりますね! ヴィルヘルミネ様にも!」
「そ……、それには及ばぬ。良い菓子が出来たら遣いを走らせるゆえ、その者に持たせよ。それでヘルムートに届けてやろう」
ヴィルヘルミネはヒルデガルドの言葉に、びっくりしてお尻が浮いた。その様をじっと見て、お菓子職人を目指す少女は目を細めている。
「あれ……、ヴィルヘルミネ様……?」
「な、なんじゃ?」
ヒルデガルドはこの時、一つの推測をしていた。それはヴィルヘルミネが、ヘルムート=シュレーダーのことが好きなのではないか――というものだ。
「だから自分を彼から遠ざけようとしている!」
そう考えれば、全ての辻褄が合った。
といって、そのことを今、彼女に言うわけにもいかない。何せ赤毛の令嬢は国家の最高権力者である。だからヒルデガルドは「わかりました」と言い素直に頷いた。
「ところで、お店を決めるのは明日でも宜しいでしょうか? 弟に公宮のことを教えて、それからシュレーダー閣下にもお別れのご挨拶がしたいので」
「んむ、まあ、それは構わぬ」
威厳を取り戻して大きく頷くヴィルヘルミネであったが、ヒルデガルドが大きな誤解をしていることには、まったく気づいていない様子。
ヒルデガルドが明日ヘルムートと接触した際、どのような化学変化が起こるのか――それは神のみぞ知ることなのであった。
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