第42話 宰相のトルテ 4


 ヘルムートがヒルダとヴィルヘルミネの執務室を訪れたとき、幼い主はラインハルト=ハドラーと談笑をしていた。

 赤毛の令嬢としては先日ハドラーに、「全て余に任せよ」と言った手前、有言実行が出来た思いでいる。なので誇らしく胸を張っていた。


 何なら「ヘルムートをアバズレから取り戻したよ!」と報告したかった赤毛の令嬢だが、流石にハッキリ教えてあげるのは照れ臭い。なので宮殿に勤める料理人のルールを伝え、その上でヒルダがヘルムートにお菓子を渡すことは、もう出来ないだろう――と説明したところであった。


 もっともハドラーとしては、令嬢の意図を勘違いしている。


 ――確かあの時お嬢は「二人の未来、いざ切り開かん」なんて言っていたはずだが……、これでは引き裂くようなものではないのか?


 と、ハドラーは首を傾げていた。

 しかしハドラーもヴィルヘルミネに心酔している一人だから、何か深い意図があるのだろうと考え、「そうか」と頷いている。

 

 そんなところへ唐突にヘルムートが訪れたのだから、驚くべきタイミングであった。


「ヴィルヘルミネ様」


 ヘルムートは制止する衛兵の声を無視して、自らヴィルヘルミネが居る部屋の扉を開けた。決して大きな音では無かったが、ソファーに座りハドラーと談笑していた赤毛の令嬢は飛び上がって驚いている。何故ならヘルムートとヒルダが手を繋いでいたからだ。

 一方ハドラーは、「なるほど、雨を降らせて地を固める作戦かッ! 流石はお嬢ッ!」と感心しきりであった。まぁ、全然違うが。


「ぷぎゃーーーーー!」


 驚きの余り、令嬢は声を上げた。

 それから、すぐにヘルムートの腰へ抱き付くヴィルヘルミネ。同時にヒルダと繋いだ黒髪紫眼の宰相の手を掴み、二人を引き離す。


 何しろヴィルヘルミネの脳内では、ヘルムートとハドラーがカップルだ。ならば現状をハドラーの視界に入れる訳には絶対にいかなかった。仮に視界に入ってしまったとしたら、一秒でもそれが短くなるよう計らう責任がある。


 とはいえ本人がヘルムートにギュッと抱き付くのは問題無いのか? という話ではあるが、ヴィルヘルミネの中で、自分はイケメンを栄養素にするボウフラのようなモノ――という認識だ。ノーカンである。


「な、何なのじゃ、急にこんな所へ来て?」


 頬を少し膨らませ、不貞腐れたような表情で背の高いヘルムートを見上げるヴィルヘルミネ。その姿に黒髪紫眼の宰相も、思わずタジタジとなった。

 何せ日毎に成長する赤毛の令嬢は、どんどん美しくなっていく。五歳の当時から比べれば、随分と女性らしい部分も出てきたのだ。昔と同じように抱き付かれては、流石のヘルムートも少しは照れるってものである。


 といって、ヴィルヘルミネはまだ九歳の子供だ。

 だからヘルムートは強引に彼女を引き離し、しゃがんで目線を合わせると、叱るように声を低めて語り始めるのだった。


「ぷぎゃーって何です? 私が来ることが、それほど驚きに値することですか?」

「あ、う、あう……いや、そういうことでは無いのだがの。ヒルデガルドがおるから……もにょもにょ」


 慌てて目を逸らし、口笛を吹こうとするヴィルヘルミネに対し、ヘルムートは眼光を鋭くした。


「随分ヒルダさんとも親しいようですが――……ヴィルヘルミネ様はご存じですか。彼女が仕事を解雇された、ということを」

「へ……?」


 ヴィルヘルミネはポカンとして、斜め横に立つヒルデガルドを見上げた。相変わらず白黒の侍女服を着ているが、目元に涙の跡が滲んでいる。

 赤毛の令嬢としては、そこまで望んだ訳でも無かったし、泣かせるつもりはもっと無かった。だからオロオロと後ろを振り返り、内務大臣のハドラーに助けを求めようと目を彷徨わせる。


「事情がよく分からんが――……ヘルムート。良かったら詳しく話してくれんか? 多分だが、お嬢が何かしたとして、それには深い事情があると思うのだが……」


 ハドラーも立ち上がり、口を開いた。ヴィルヘルミネの要請を認識からだ。令嬢の意図を誤認にしている彼は、彼女に対してどこまでも同情的であった。良かれと思ってやったことが、裏目に出たのだろう――そう考えたからだ。

 事実そうで、令嬢は良かれと思って今回は動いていた。ただしハドラーが思う方向とは、百八十度違っていたが……。


「もちろん。そのつもりで来たのだからな」


 ヘルムートは頷き、先ほどまでヴィルヘルミネとハドラーが談笑していたソファーへ向かう。そして全員が、樫材で出来たテーブルを囲む形で座るのだった。


 ■■■■


 ヴィルヘルミネはヒルダが解雇されたという経緯を聞き、「むぷぷ」と笑っている。しかし愉悦に満ちた表情を見せる訳にはいかないので、口元に扇を当て「それは大変じゃの」と白々しく言った。

 それから隣に座るハドラーをチラリと見て、「どうでござる、拙者の仕事ぶりは?」と言わんばかりに片眉をヒクヒクと動かしている。


 もっとも、ハドラーはヘルムートとヒルデガルドの仲を応援する立場。ヴィルヘルミネの破壊工作など知る由も無いし、腕を組んで本当に困り顔を浮かべていた。

 独りよがりのヴィルヘルミネは「あれぇ? 変でござるなぁ~~~」と首を傾げている。


「公宮の内規に関しては宮内省の管轄だからな、俺やヘルムートが口を出せばおかしなことになる。ヴィルヘルミネ様であれば多少の無理は通せるが――今の宮内卿は堅物だからなぁ」

「ヴィルヘルミネ様の為を思えば堅物の方が良いと言ったのは、ラインハルト――お前だぞ。何とかしろ」

「そう言われても、俺はあの老人が苦手なのだ」


 ゾフィーのいれた紅茶に口を付け、苦笑を浮かべるハドラーだ。そこでふと目を見開き、置いた紅茶のカップを指で弾く。


「そうだ、良い手があるぞ。ゾフィーは、ほら、こうしてヴィルヘルミネ様に茶を供することも出来るだろう。であればヒルデガルドさんも、ゾフィーと同じ立場になれば問題を解決出来るのではないか?」


 ハドラーの提案に、ヴィルヘルミネは冷や汗が出た。アンタは破滅主義者なのか? と言いたい。そんなことをすれば、より一層ヘルムートとヒルデガルドが接する機会が増えるであろう。なのでヴィルヘルミネは大きく首を左右に振り、全力で否定した。


「それはダメじゃ。ゾフィーは余にとって特別だし、全幅の信頼を置いておる。それと同列に扱うなど、何人たりともあり得ぬことじゃ」


 ヴィルヘルミネの背後に立っているゾフィーが、何故か頬を赤く染めて一礼した。肩をプルプルと震わせている。どうやら感極まってしまったらしい。


「ま、それもそうか。ところでヒルデガルドさん――どうして規則違反だと知りながらも、ヘルムートに菓子を与え続けたのだ?」

「おい、ラインハルト、その言い方はないだろう。それではまるで私が、餌付けされている捨て猫か何かのようではないか」


 捨て猫ヘルムートと聞き、ヴィルヘルミネは鼻を抑えた。思わず鼻血が出そうになったからだ。

 もしもヘルムートが猫になったら、絶対に紫眼の黒猫だろう。そう思うと令嬢の意識は、うっかり夢の世界へ行きそうになる。


「言い方は気にするな。そんなことより、ヒルデガルドさんに聞いているんだ。ヘルムートは味見をしていたと言っていたが、なぜ味見をする必要があったのか、その辺りから説明してくれると有難いのだが……」

「それは――……」


 ハドラーの銀に近い灰色の瞳と、菫色をしたヒルデガルドの瞳が交差する。

 ヴィルヘルミネは思った――これは恋人と愛人の、一触即発の舌戦だ! と。

 もしもここでヒルデガルドが「ヘルムートのことが好きだから」などと言い始めたら、自分はどうするべきか――赤毛の令嬢はひたすら考え、腕を組み仰け反ってる。


 だが実際にヒルデガルドが発した言葉は、まるで違うものなのであった。

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