第41話 宰相のトルテ 3


 ヴィルヘルミネは厨房内にある料理長室へ呼ばれ、上座に座って足を組んだ。料理長が好みのイケメンだった為、髪を指で抓んで「あー、うー」と所在なさげに令嬢は辺りを見回していた。


 部屋は小さく殺風景で、沢山の紙片が散乱している。その全てが料理のレシピであったり発注する食材のメモだったりするので、料理長がいかに多忙であるのかは、幼いヴィルヘルミネの目にも明らかなのであった。


「いいですか、ヴィルヘルミネ様。ここは、あなたを守る兵士達が食事をする場所なんです」


 料理長が白く長いコック帽をテーブルの上に置くと、オールバックに整えられた褐色の髪が現れた。ヴィルヘルミネは顔面点数八十三点の料理長を見つめ、頷いている。


「うむ、分かっておる」


 イケメンの言うことなら、何でもよく聞く赤毛の令嬢であった。


「てことはですよ――万が一にも毒を入れられる事が、あっちゃあいけないんです。だから仕事に就いて一年未満の者には絶対に料理をさせない。これがウチの鉄則なんですよ。

 その意味で言ったら私もね、ヴィルヘルミネ様の料理を作ることが出来ない――何故だか分かりますか?」


 首をフルフルと左右に振って、ヴィルヘルミネは「わからん」と言う。それからじっと料理長を見て、ヴィルヘルミネは付け加えた。


其方そなたが余の料理を作ってくれるのなら、とても嬉しいのだが……」


 流石の料理長も、この言葉にはデレた。しかし彼は一本気な男であり、料理人の上下を弁えている。現在ヴィルヘルミネの料理を担当しているのは彼の元上司達であり、その彼等を蔑ろにするようなことは言わなかった。


「全てはヴィルヘルミネ様、あなたの為なのです。あなたの御身に万が一が無いよう、信頼、実績、才能、その全てに優れた者だけが、あなたの食事を作ることが出来るのです。

 私達にもね、階級があるんですよ。私は一級料理人ですが、あなたの料理を作れるのは、この国に五人しかいない特級料理人だけなんです」


 右手を広げ、五本の指をヴィルヘルミネに見せて料理長が力説する。


「だから、何だというのだ?」

「つまりヒルデガルドには、まだ料理人としての階級が無いのです。一年間給仕でもなんでも公宮で料理に携わる仕事をして初めて、料理人見習いになれる。彼女が腕を振るえるのは、それからだ。

 それでも見習いが食べさせることの出来る相手は、私たち料理人だけなんです。三級料理人になって初めて、兵士や下級官僚の食事を作ることが出来るようになるんですから――……」

「しかしのぅ……ヘルムートのヤツがヒルデガルドの作ったお菓子を、美味い、美味いと食うておるぞ」

「なんですって? それは問題です……見習いですらないのに、宰相閣下の口に入るものを作るなんて……」


 イケメンな料理長が目頭を揉んで、膝の上の手をギュッと握っている。


「それの、何が問題なのじゃ?」

「先ほども言いましたが、安全性の問題です。もしもヒルデガルドが他国の者で、宰相閣下を毒殺しようとした場合、容易く達成出来ていただろう――ということですから」

「ふむ……確かに、それは問題じゃの」


 この時ヴィルヘルミネが理解したのは、料理の世界にはルールがある、ということだ。そしてそれは、公宮に暮らす人々の安全を守ることが第一義であるという、意外と正鵠を射たものであった。


 令嬢の目的は、ヘルムートとヒルデガルドを遠ざけること。その為にヒルデガルドを厨房で料理に携わらせ、誰でも食堂で彼女の料理を買い求められるようにしようと思ったのだが……。

 しかしだからといって、このイケメン料理長に嫌われては意味がない。なので、ヴィルヘルミネは「わかった、邪魔したの」と頷き厨房を後にした。


 それに料理長から聞いた危険性は、二人を引き離すのに十分な武器となる。これを利用しない手は無いと令嬢は考え、ニヤニヤとしていた。

 ヴィルヘルミネは、こうした悪巧みがとても似合う顔つきだ。だからこそ九歳にしてフェルディナントにおける絶対権力者たりえるのだが、本人はその点にまるで気が付いていなかった。


 再びヴィルヘルミネはヒルデガルドが待つ席へ戻り、「ふぅむ」と唸って腕を組む。勿体ぶっているのは、どうやって責めようかという薄汚い愉悦からであった。


「ヒルデガルドよ、料理長に交渉したが、ダメであった。其方そなたの料理を食堂で出すためには、まず三級料理人とやらにならねばならぬらしい」

「それは……知ってました」

「それとな、そなたがヘルムートに菓子を振舞ったことなのじゃが、これには大きな問題があったぞ」


 ビクンとヒルデガルドの肩が上がり、震え始める。


「でもシュレーダー閣下は平民ですし……私も平民です」

「確かにそうじゃの。しかし、そなたの立場は公宮の食堂で働く給仕じゃ。対してヘルムートは平民であっても宰相である。結局のところ平民同士であっても、これが問題なのではないのか?」

「……そうですね」

「それではもう、ヘルムートに菓子を作っては、いかんぞぉ~~~。例えば恋人なら良いかも知れぬが、しかし、しかぁ~~し! そなたヘルムートの恋人――というわけでもあるまい? ん? んん~~~~?」


 こういう時のヴィルヘルミネは、とても腹の立つお子様である。


「……はい。そういう関係じゃ、ありません。わかりました……閣下にお菓子をお作りするのは……もう、やめます」


 ヴィルヘルミネは、「我、勝てり!」と思っていた。

 これでヒルデガルドがヘルムートにお菓子を作ることは出来なくなるから、二人の密会は終わりだ。

 万事、一件落着! と鼻を膨らませる赤毛の令嬢であった。


 しかし事態は、思わぬ方向へと流れていく。

 この三日後、ヒルデガルドは食堂を解雇されたのだ。その罪は無断で閣僚に飲食物を提供したことである。ただしこれは公宮の内規に当たる為、刑罰は伴わないとのことであった。

 とはいえ宮殿に住み込みで働くヒルデガルドにとっては、追放と同義である。


 なお、この話をヴィルヘルミネは知らない。なにせ一般食堂の小さな人事である。それを一国の最高権力者が知るなど、まずあり得ない話なのであった。


 ■■■■


 ヘルムートがいつものように欅の庭へ行くと、泣き腫らした目のヒルデガルドが現れた。「もうお菓子を作ってあげることが出来ないんです、ごめんなさい」と言われ、黒髪紫眼の宰相はポカンと口を開けている。


「ど、どうしたんです?」


 辛うじて言ったヘルムートの言葉は、ヒルデガルドの嗚咽で掻き消され。


「私、規則を破っていたんです。この公宮において閣僚の方にお料理を提供できるのは、一級料理人以上の資格を持つ者だけなんです。それなのに私、閣下にお菓子を差し上げていたから――……」

「ちょ、ちょっと待ってください。どういうことか、分からないのですが……」


 とりあえずいつものベンチに腰を下ろし、ヘルムートはヒルデガルドの説明を聞いた。彼女の説明がいくらたどたどしいものでも、宰相の理解力であれば全く問題は無い。


「そ、それは私も悪い。貴方がここで食べていたお菓子が余りにも美味しそうだったから、つい分けて頂いた……――それで味が忘れられずに、何度も所望したのは私です」

「いえ、いいんです。それで味見をお願いしたのは私ですし、結局、閣下に甘えていただけですから……それじゃ、さようなら。お元気で……」


 涙を拭い、厨房に戻ろうとするヒルダの手を掴み、ヘルムートが言う。


「待ってください! 私にお菓子をくれたことが罪というのは分かりました。でも、さようなら――とは、どういうことです?」

「私、クビになっちゃいました。だから寮からも出なきゃいけないし、今から荷物を片付けて、一週間以内には部屋を探して……――それで、それで……」


 こらえ切れず涙を流し、ヒルダが地面に崩れ落ちる。ヘルムートは頭を振って、「ふぅ」と溜息を吐いた。


「これは私の責任です。料理長に掛け合いましょう――ヒルダさんは悪くないのだから」

「無理です。だって、このことはヴィルヘルミネ様もご承知ですから」

「ヴィルヘルミネ様が、あなたをクビにしろと? そう仰ったのですか?」

「いいえ、そんなことは仰っていません。でもヴィルヘルミネ様も料理長の言葉に納得していたから……私が閣下にお菓子を作るのは良くないことだと……だから」

「そんなことはない! ヴィルヘルミネ様なら、事情をしっかり話せばきっと理解して下さるはずですッ!」


 こうしてヘルムートはヒルデガルドの手を引き、ヴィルヘルミネの執務室へと向かう。赤毛の令嬢が「ぷぎゃー!」と叫ぶまで、あと数分のことであった。

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