第40話 宰相のトルテ 2


 ヴィルヘルミネは、こう考えた。


 ――ハドラーはヘルムートのことが好きだから、あえて何も言わないのだ。だからきっと、心の内はモヤモヤしているに違いない。

 ならば余がヘルムートとヒルデガルドの仲を引き裂き、あるべきカップリングに戻してやらねばならぬ! と。


 大きなお世話だ。それどころか、大迷惑であった。


 しかし赤毛の令嬢は止まらず、自らの信念と欲望によって作戦を決行する。

 まずヴィルヘルミネはヒルデガルドの身辺調査をすべく、兵士や下級官僚達がよく利用する食堂へと足を運んだ。


 赤毛の令嬢が食堂に姿を現したのは、翌日の午後二時であった。自分の用事も済んだし、食堂もちょうど落ち着いた頃合いだろうと予想してのことである。令嬢は意外と気遣いも出来るのだ。

 

 ヴィルヘルミネが食堂の扉を「うんせ」と開き、やってきた。今日はゾフィーも伴っていない。彼女は今、老ロッソウに武技の稽古をつけて貰っているからだ。

 それに今回の任務にゾフィーは向かない。萌えを理解しない彼女では、どんな失敗を犯すか分からなかった。


 食堂は想像していたよりも遥かに広く、ヴィルヘルミネは目を丸くして驚いている。

 大きな窓がいくつも連なり、長いテーブルが並んでいた。秋の爽やかな陽光が大きな食堂の中を照らし、置かれた木々の調度を温かく包んでいる。


 けれど令嬢が予想した通り、この時間ともなれば人は少なかった。まばらにいる人々は食事というより、軽く紅茶を飲みながら打ち合わせをしたり、休憩で口寂しい兵士が軽食をつまんでいる――といった様子だ。


 そんな所にいつも通り大佐の軍服に身を包んだ小さな暴風――ヴィルヘルミネがやってきたのだから、この場に居る人々は驚き固まった。


「あ、あ……え?」

「ミーネ様!?」


 この異常事態に対して最初に反応したのは、近衛隊の兵士だ。

 もともと近衛隊はヴィルヘルミネの性格をある程度掴んでいる。一人でお出かけも辞さない令嬢のこと、今のような事態もあり得ると彼は理解していたのだ。


 兵士は慌ててヴィルヘルミネの下へ駆け寄ると、頭を思いっきり撫でてから、「どうしたんです、こんなところにきて!?」と問うた。 

 ちなみにこの兵士は、去年のいくさで初陣を果たした志願兵である。今では伍長になっていた。


「うむ。……ヒルデガルドという女に用があって来たのじゃ」

「え……ヒルダちゃん? そんなことより、一人で来たんですか?」

「そうじゃ」

「あ~~なんてことを! 一人じゃ危ないでしょう! 護衛はどうしたんです?」

「撒いた」

「ダメでしょう!」


 伍長が眉を吊り上げ、怒った素振りを見せる。いくら君主と言えども、ヴィルヘルミネはまだ子供。ここは厳しく接しようと思う伍長なのであった。


「なぜダメなのじゃ? この公宮には卿等のように忠勇なる余の兵士諸君が居て、守ってくれておる。ならば余がどこに行こうとも、安全であろうが」

「え、いや……それはまぁ……そうなんですがね」


 伍長は頬を僅かに赤く染め、ポリポリと耳の後ろを掻いた。もう厳しく接することなど絶対に出来ない――ツンデレどころか、ツ――デレデレである。

 

 人の忠誠心を煽るようなことを、ヴィルヘルミネは天然で言えた。これが彼女の凄いところであろう。


「――してヒルデガルドは、ここにおるのか?」

「え、ああ……います、いますよ。今呼んできますから、ここで大人しく待ってて下さいね!」

「んむ、待っておる」

「じゃあ、行ってきます」


 こうして伍長はヴィルヘルミネを席に座らせると、自身は密命を帯びた戦士もかくやという勢いで、厨房へと走っていく。


「ヒルダちゃん、いるかい!? 驚くなよ? なんとヴィルヘルミネ様が、君をご指名だ!」


 厨房は騒然となり、さっきまで皿洗いをしていたヒルデガルドが姿を現した。そして彼女はヴィルヘルミネが座るテーブルの前に行くと、恐る恐る跪き――……。


「あの……、何か御用でしょうか? 私……、摂政閣下のお気に触るようなことでも……?」


 ヴィルヘルミネはニタリと笑い腕を組み、ヒルデガルドを見下ろすのだった。


 ■■■■


 ヒルデガルドは明るい茶色の髪とすみれ色の瞳をした、愛らしい少女であった。特にクリクリとして大きな目は、ヴィルヘルミネに劣等感すら抱かせるもので、思わず令嬢は対抗して目を見開いている。

 だがすぐに乾燥して目が痛くなったヴィルヘルミネは、目をしぱしぱさせて項垂れた。


 赤毛の令嬢は自分の吊り上がった目が、大嫌いである。だから大きなアーモンド形の目を見ると、つい対抗意識を燃やしてしまうのだ。


 それはそうと、黒を基調とした侍女服に白いエプロンを付けたヒルデガルドは、ヴィルヘルミネ評価で八十二点といったところ。まずまずの合格点である。

 正直言ってヘルムートが心動かされたとして、分からなくはない――というのが悔しいところだ。


 だがヴィルヘルミネは今、ヘルムートの心をハドラーに戻すという使命感に燃えている。だから、こんなところでめげている場合ではないのだった。


「ところでヒルデガルドよ。余がそなたを呼び出したのは、お菓子について聞きたかったからじゃ」


 向かいにヒルデガルドを座らせて、自分は椅子の上に立ち居丈高に物申す赤毛の令嬢だ。


「お菓子、ですか?」

「うむ。そなた――ヘルムートに菓子を振舞っているであろう。あれがの、たいそう美味いという話。それがなぜ、この食堂のメニューにならぬか。それが不思議でならぬのじゃ」


 と――令嬢が言うのも作戦の一つ。

 つまりお菓子を食堂で食べられるようになれば、陰でこそこそ二人きりになる必要が無いのではないか、という話である。それに、そんなに美味しいお菓子なら、正直ヴィルヘルミネも食べてみたかった。


「それは、食堂の規則っていうか……私、まだ入って一年も経っていないから、厨房に立たせて貰えないんです。まずは給仕からって言われてますし……だから――……」


 ヒルデガルドの返答を聞き、ヴィルヘルミネは思った。なぁんだ、簡単なことじゃないか――と。

 だから椅子から飛び降りると、その足で厨房へと向かう。そして料理長を呼び出し、こう言った。


「おい、料理長! ヒルデガルドにお菓子を作らせよ!」


 三十代半ば、頭に白く長いコック帽を被った料理長が現れて、眉間に皺を寄せている。その時、ヴィルヘルミネはこう思っていた。

 

 ――あっ、イケメンだ、と。

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