閑話

第39話 宰相のトルテ 1

 

 帝歴一七八五年の秋は、先年とうって変わり平和であった。

 もちろん大陸内では相変わらず小競り合いが続いてたし、西の大国ランスではいよいよ革命派が国内を騒がせ、勢力を拡大している。

 そのような中にあってフェルディナントは宰相ヘルムートの下、比較的安定していた――という意味だ。

 

 しかしヴィルヘルミネはと言えば、日々の勉強や政務に追われ、遊ぶ時間も無い有様。そんな中、ついに不満を無表情のまま爆発させた彼女はゾフィーと共に執務室を抜け出し、中庭へと向かうのだった。


 公宮の中庭はいくつもあるが、今回ヴィルヘルミネが向かった場所は「欅の庭」と呼ばれる場所だ。その名の通り庭には大きな欅が植えられており、食堂にも面していることから、昼の休憩時などには官僚や兵士が憩う場として重宝されていた。


 しかしヴィルヘルミネが逃げ出したのは、午後三時である。ちょうど昼食と夕食の間にあたるこの時間、食堂は一時的に空くのだ。ということは、同じく欅の庭に来る人も少ないという訳である。

 なのでヴィルヘルミネはこの時、ゾフィーの膝枕でちょっとお昼寝を――などと考えていたわけだ。美少女の膝枕は、腐った令嬢のレッドゾーンに突入したヒットポイントを回復させる、特効薬なのだった。


 その中庭に出ようというところでヴィルヘルミネは、ふいに足を止める。大きな欅の木の下にあるベンチに、ヘルムートが座っていたからだ。

 彼は普段、午前中はヴェルヘルミネとゾフィーにあらゆることを教え、午後から夜にかけては宰相としての政務に専念する。そういう日々を送っていた。


 その激務からか、近頃は滅多に笑わず休憩も取らないのだが――そのヘルムートが今は目尻を下げて、手にチョコレートトルテを持ち、嬉しそうに口へと運んでいるではないか。


「何事!?」とヴィルヘルミネは思った。


 赤毛の令嬢は衝撃の余り、二、三歩後ずさる。しかし踏みとどまってヘルムートの表情を観察した。ゾフィーも顔をひょっこり覗かせ、政治の師匠を視認する。

 

「あっ……先生がチョコレートトルテを食べてる! ずるい!」

「ゾフィー……そんなことより見よ。普段は厳めしいヘルムートが、あのようにニヤついておる。フフ、フフフ……キツイ顔のイケメンがふやけた顔をする瞬間って、萌えぬか? のう、ゾフィーよ」

「え、いえ、わたしは……はっ! ヴィルヘルミネ様は、もしかして先生のことを……? でも流石に年齢差、あり過ぎますよね……?」


 ヴィルヘルミネの反応に、まさかと思う金髪の忠臣。

 しかし赤毛の令嬢に他意は無い。確かにヴィルヘルミネはイケメンが好きだが、自分が好かれるなどとは露程も思っていないのだ。


 ――余のような性格最悪なデブスが、誰かに好かれるワケがないのじゃ……。


 何をどうしたらそんな自己評価になるのか知らないが、赤毛の令嬢は自分自身に絶望している。従って彼女が誰かに恋愛感情を持つことは無い。何故なら最初から諦めているからだ。

 

 そんなことより近頃は絶対零度の宝剣なんて呼ばれるヘルムートが、あんな甘トロな顔をしているなんて。余を萌え死にさせる気じゃあなかろうか――などと疑いつつも、ヴィルヘルミネは足を前に進めていく。


 ゾフィーは萌えがまだ分からないけど、そんな師匠を「かわいいな」なんて思いながらヴィルヘルミネの背中を追いかけた。


 すると厨房から一人の侍女がカップに入った紅茶をトレイに載せて、ヘルムートの傍へやってくるではないか。


「お味はどうですか、閣下」

「あ、いやぁ……ヒルダさん。これも最高です。本当にいつもありがとう、こんなに美味しいお菓子を食べさせてもらって……」

「いえ、こちらこそ。私なんかの作ったものを食べて貰って、感想まで聞かせて頂けるのですから、感謝しています。さ、どうそ――紅茶も召し上がれ」


 ヒルダと呼ばれた女性はヘルムートの隣に腰を下ろすと、彼に優しく紅茶を差し出した。

 黒髪紫眼の宰相は頷き紅茶を受け取ると、これまた嬉しそうにそれを飲む。


「いやぁ、ヒルダさんの作るお菓子は最高だ。紅茶ともよく合うし、癒されます」

「あはは……ありがとうございます。いつかこのお菓子、沢山の人に食べて貰いたいな」

「その夢、私も応援して差し上げたいが……」

「あ、いいんです、そういう意味で言った訳じゃありませんから! だって、閣下にはお立場がありますもの! こうして美味しいって言って食べて下さるだけで、私、自信が持てますからッ!」


 赤毛の令嬢は、これを見てフルフルと震えている。何故なら彼女にとってヘルムートは、ハドラーとくっつくべきだからだ。それをぽっと出の侍女如きに奪われて良いものではない。ヴィルヘルミネにとって推しカプは絶対である。


「ぐぬ、ぐぬぬ……!」

「ヴィルヘルミネ様。もしかして、あの人が先生の恋人さんでしょうか?」

「あ ん だ と!?」

「あ、いえ……何だかお似合いだなぁって」

「ど う し て!?」

「やっぱりヴィルヘルミネ様、先生のことを……?」


 ギロリと紅玉の瞳をゾフィーへ向けるヴィルヘルミネ。その後、彼女は何も言わずに執務室へと戻って行った。


 ■■■■


 執務室で適当に書類を処理していたヴィルヘルミネだが、すぐに飽きてゾフィーに全てを託し、彼女はラインハルト=ハドラーの執務室へと向かった。するとハドラーはすぐに立ち上がって令嬢を迎え、お茶菓子を出してくれる。優しいイケメンであった。

 そんなハドラーにワシワシと頭を撫でられご満悦な令嬢は、「フハ、フハハハ」と悪役のような笑い方をしている。


 やや癖のある灰色髪のハドラーは、銀色にも見える灰色の瞳だ。長いまつ毛は女性的だが、鋭い眼光のお陰でひ弱な印象を受けることはない。身長は百八十一センチでヘルムートより二センチ低いとのことだが、広い肩幅のお陰で、二人が並んだ時に身長差は感じられなかった。

 そんなハドラーが着ている服は黒を基調とした官服で、袖口に金の装飾が施されている。それは彼の内務大臣という地位を思えば、当然あるべき豪奢さであった。


 執務室の隅に置かれたソファーに座ると、ヴィルヘルミネは目の前のテーブルに置かれたジュースとケーキを見つめ、先ほどの忌々しいヘルムートの表情を思い出す。


 ――お菓子が好きなのかと思えば、女にうつつを抜かしおって!


 しかしだからといって、それをハドラーにぶちまけるような真似はしなかった。


「のう、ハドラー。先程ヘルムートを欅の庭で見たのじゃが、なにやら仲良うしておる女がおるようじゃぞ」


 片目だけを開き、チラリと上目遣いでハドラーを見るヴィルヘルミネ。彼が嫉妬に狂えば良し――さもなくば、さもなくば……どうしよう。特に考えのない赤毛の令嬢であった。

 ハドラーは令嬢の前にあるソファーに座り、微苦笑を浮かべて答える。


「――……ああ、ヒルデガルドのことだな、お嬢。そういえば、お菓子を作るのが好きな娘だと、ヘルムートの奴に聞いたことがある」

「ほう……」

「なんだ、お嬢。そのお菓子を食べてみたいのか?」


 話を聞きながら、ショートケーキをぺろりと食べてしまった赤毛の令嬢。確かに彼女もお菓子は大好きであった。なのでコクンと頷く。

 

 ――ちっがーう! 余、何をやっているのだ! 


「そうか……――しかし料理長が、その娘の考案したメニューを取り入れないとかでな、食堂に行っても食べることが出来ないらしい。それが、どのような理由かは知らんがな」

「じゃあ、ヘルムートが食べていたお菓子は?」

「それはな、彼女が早朝とか夜中、調理場が空いているときに作り、奴に振舞っているそうだ。味見に付き合っていると言っていたが――俺も何で二人がそんなことをしているのか、そこは知らん」


 ヴィルヘルミネはここまで聞くと、意を決して言ってみた。


「二人は、こ、恋人なのであろう? 気にならぬのか?」


 もちろんヘルムートとハドラーが、という意味である。


「さあ? そうであればいいなと、思ってはいるがな。だからこそ、俺としては深入りしたくは無いというか……」


 もちろんハドラーは、ヘルムートとヒルデガルドが恋人であれば良い――と言っている。

 しかし腐を拗らせたヴィルヘルミネは、「んほぉぉぉおおお!」と耳から蒸気が出る程に感動し、ブンブンと頭を上下に振っていた。


「良い、全て余に任せよ――……二人の未来、いざ切り開かん」


 絶対に余計なことしかしないであろう、ヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナントの発言であった。

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