第38話 黎明 エピローグ
帝歴一七八五年の幕開けは、ヴィルヘルミネにとって幸福なものとなった。前年のボートガンプ候による叛乱を片付けると彼女の名声は一層高まり、表立って敵対する者は姿を消したからだ。
とは言えこれも戦後処理に関して、宰相ヘルムートが辣腕を振るった結果であろう。彼は後に「永久凍土の宝剣」と呼ばれるのだが――それは一度断罪するとなれば、いかなる政敵にも情け容赦をしない冷徹さに由来している。
特に今回は国法に照らし厳正に裁いた結果、叛乱に参加した貴族の九割を取り潰し、当主を処刑した。加えて十五歳以上の男子も纏めて「処分」しているから、その苛烈さがひと際目立っている。
これにより凱旋式の後、広場で公開処刑となった人数は百二十二人。当時は処刑と言えば庶民の娯楽も兼ねていたから、相当に盛り上がったと記録にはある。
無論この点に関しては、ヴィルヘルミネも承認済みだ。だからこそ彼女は民衆にとっての英雄だが、貴族達の目には恐るべき破壊者、死神とも見えるのだった。
なお、首謀者であったボートガンプ侯爵は戦場で死んだ。
一方でハッセル伯は自らの命と引き換えに降伏した為、処刑はされていない。しかし彼はハドラー医師の調合した毒入の葡萄酒によって、獄中で果てている。公式発表は、「毒を煽っての自殺」とされた。
最後にこの酒をハッセルへ運んだ人物は、リヒベルグだ。彼は豪奢な独房で不安げに身を震わせていたハッセルを訪ね、恭しく酒を供したという。
「リヒベルグよ……それは毒か?」
「新しき世のどこを見渡しても、閣下の席はございません。せめて、夢見心地で旅立たれよ」
「しかし、しかし小娘は私を殺さぬと約束したではないかッ!?」
「ですから今、閣下はこうして生きておられる」
「ならば、その酒を飲む必要などないわッ!」
「お考え下さい、閣下。閣下は今、生きているからこそ恥を晒しておられる。それで誇り高き貴族の体面が保てましょうか? どうか潔きご最後を……」
「貴族の誇りなど、犬にでも食わせてしまえッ――私は、まだ死にたくないのだッ!」
怖れて部屋の中を転げまわるハッセルを見て、背後の兵にリヒベルグは言った。
「取り押さえよ」
それからハッセルの鼻をつまみ、口を開かせる。葡萄酒を強引に流し込むと、数分後に眉毛のほぼ無い元軍務卿は痙攣を始め、程なく死んだ。
他の元閣僚達は、広場にて公開処刑となった。彼等は
ボートガンプ侯爵の妻子は国外追放とされた。ただし貴族としてのあらゆる特権を剥奪、財産も失っているから、彼等が無事生き延びられる保証など無い。いっそ処刑された方がマシだと、侯爵の妻は泣きながら屋敷を出たという。
その処遇を彼女に伝えたのは、ヘルムートであった。
「私には幼い子供もいるのですよッ! それをあなたは、悪魔ですかッ!」
「あなたのご主人が率いた兵が、あなたのように幼い子供のいる女性達を幾人辱め、殺めたか。因果応報というものでしょう。死を望むのなら、好きになされませ。短剣を取り上げようとは思いません。息子を突き、己の喉を貫けば良い」
言い募る侯爵夫人に冷然とした瞳を向け、ヘルムートは身を翻す。
一歩間違えれば勝敗は逆で、ヴィルヘルミネは間違いなく、これより悲惨な状況に置かれたはずだ。それを思えば容赦する理由など無い。
この後、黒髪紫眼の宰相はすぐに侯爵領を接収した。そして新たにヴィルヘルミネ直轄の県を置き、知事を任命。その下に行政区分として郡、市と設置した。
むろんこれは他の地域にも適用されて、フェルディナントは急速に中央集権化を進めていく。まさにヘルムートの辣腕であった。
一方でハドラーはヘルムートの構想を完璧に理解し、推進させる。まさに彼等は車の両輪であり、どちらか一方でも欠けていれば、フェルディナントの混乱は収まらなかったであろう。
ヴィルヘルミネは二人が一緒にいることが多いので、当然彼等を推しカプにした。妄想がとても捗った。
「のう、ゾフィー。余はハドラー、ヘルムートじゃ。逆はイカンと思うのじゃ」
「え? でも先生が宰相ですよ、ヴィルヘルミネ様」
「フフフ……だからこそじゃ。ゾフィーには、まだ分からぬか……」
「はい、まだ分かりません。ヴィルヘルミネ様の深謀には、いつも驚かされるばかりです」
「そうじゃろう、そうじゃろう」
いろいろと、会話の噛み合わない二人だ。
というかヴィルヘルミネと会話が噛み合ったら、それはもう腐の世界の住人である。ゾフィーは、今のままで良いのだった。
そうした一連の処理が終わり、今は新年を祝う大祭の最中。公宮の大広間でヴィルヘルミネは今、豪奢な椅子にちょこんと腰かけ、手には宝石を散りばめた銀杯を持っている。
時刻は正午を過ぎた頃合いで、彼女は今日、乾杯の音頭を取る係なのであった。
本当は父がやるべき仕事だが、相変わらず歩けない父が表舞台に出ても皆を失望させるだけであろう。彼の健康の為にも政治的にも、今となってはヴィルヘルミネこそフェルディナントの大黒柱なのだった。
■■■■
赤毛の令嬢が椅子から立ち上がり、杯を掲げた。
彼女は今、近衛大隊大佐の軍服に身を包み、その上から純白のマントを羽織っている。金色の飾緒が窓から差し込む光を反射して、キラキラと輝いていた。
ヴィルヘルミネは燃えるような赤毛を、小さな銀のティアラで飾っている。しかし、いくつもの宝石が散りばめられた豪奢なそれも、その下にある美貌の前には霞んで見えた。
柔らかなほっぺは初雪のように白く、紅玉を思わせる瞳は炎を内に閉じ込めたように冷たく熱い。
八歳にして美の女神と軍神を兼任するかの如きヴィルヘルミネの姿に、衆目は自ずと集まっている。また彼女は、親しい者に自らをミーネと呼ばせる気さくさも併せ持っていた。
ただし――本人は自分のことを、生まれてから今まで一度だって美しいと思ったことは無い。それがヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナントという人物なのであった。
その令嬢の斜め前に立つのは、宰相のヘルムートだ。彼は今、ヴィルヘルミネへ身体ごと向き直り、同じく杯を持ち頷いていた。彼の向かい側には白いドレスを身に纏い、腰にサーベルをぶら下げた謎仕様のゾフィーが立っている。
ヴィルヘルミネは紅玉の瞳を広間の人々へ向け、言葉を発した。
「――先年は何かと大変であった。本年が良き年となるよう、皆の働きに期待する――では、
「「「
ヴィルヘルミネが杯を掲げると、皆も併せて杯を掲げて唱和する。フェルディナントの群臣は皆、笑顔であった。しかし一方で苦虫を噛み潰しているのが、プロイシェとキーエフの公使達である。
この両国は、結局のところフェルディナントの掌の上で踊り、互いに得るモノも無く兵を退く羽目になった。
だというのにフェルディナントは多くの家を取り潰し、急速に中央集権化を推し進めている。何しろ各地で没収した貴族の領地に代わって「県」を置き、その下に「郡」「市」といった行政府を設置していた。
これら全ての上に宰相府を置き、宰相を指揮監督するのが軍最高司令官を兼任する摂政ヴィルヘルミネ。ならば、今や令嬢の手にはフェルディナントの全てが握られているということだ。
「知っておられるかな――既に貴族院に席を占める貴族もなく、下院の平民どもは赤毛の小娘の言うがままとか」
「ふむ――となれば我がキーエフも、貴国プロイシェとても、もはやこの国には権益を望むべくもありませんな……」
「さよう、その上で軍政も大きく変わるとか。各県に一個連隊を置き、その全てが小娘の直轄となるそうです。有事となればそれらを束ね、これを師団と呼称するようですな」
「なるほど――だが、それにはどのような意図が?」
「国民軍の創設です、キーエフの公使殿。今後、戦時ともなればフェルディナントの動員兵力は、今までの三倍にも膨れ上りましょう。しかも全てが死を恐れずに戦う、ヴィルヘルミネの私兵ですよ」
「……それはランスの情勢ともども、我等にとっては危険な話ですな。よろしくない、よろしくないですぞ」
先月まで争ってたというのに、今では肩を寄せ合いフェルディナントの批判をするプロイシェとキーエフの外交官たち。だが二人の間に黒髪紫眼の宰相が立ち、さわやかな笑みを浮かべて言った。
「万事丸く収まり、ホッとしました。それにしても、この度はプロイシェの国王陛下、並びにキーエフの皇帝陛下には、大変なご厚情を賜り感謝致しております。今後とも小さき我が国を、よろしくご指導ご鞭撻の程を」
二人の外交官は歯軋りをしたが、表立って批判する訳にもいかない。口車に乗せられたのは、二国の主達なのだ。ここでヘルムートに文句など言えば、自分達の失敗を公言するようなものだった。
こうしてヴィルヘルミネは八歳にして、絶対的な権力を手に入れた。そしてフェルディナントは彼女の下、今後大陸を吹き荒れる革命の嵐に抗い、一大強国となっていくのである。
とはいえ赤毛の令嬢にとってそれは、非常に迷惑な話。できれば今後はイケメンとイケメンが語り合う姿を、陰からそっと見守るだけの人生を送りたいところなのであった。
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