第36話 ザクセン会戦 6


 皆が必至で探していたボートガンプに、何故か追いついてしまった赤毛の令嬢。これが幸運だとすれば、やはりヴィルヘルミネは相当なモノを持っているとしか思えない。しかし本人は、己の不運を絶賛嘆き中であった。

 

 一方で追いつかれたボートガンプ側も、色々と複雑だ。

 本来であれば大将であるボートガンプ侯爵を後方へと逃がし、軍を再編成して明日に備えようというところ。こんなところで敵と遭遇するなど想定外だし、その意味では不運であった。

 しかし彼等にも現在、一個小隊規模の戦力はある。となれば戦力は互角であり、ここでヴィルヘルミネを討ち取れば勝敗は決するのだから、幸運とも言えるのだ。


 双方共に騎乗した兵だが、ヴィルヘルミネ側が銃と軍刀サーベルで武装した竜騎兵ドラグーンであることに対し、ボートガンプ側は重装騎兵である。彼等は分厚い胸甲により肉体を防護し、軍刀サーベルや馬上槍で武装していた。

 しいて優劣を競うなら機動力と遠距離攻撃に秀でたヴィルヘルミネと、近接攻撃と防御力に秀でたボートガンプといったところ。総合力で考えれば、まず互角であろう。


 最初に戦いの火蓋を切ったのは、ヴィルヘルミネ軍であった。

 小隊長が突出するゾフィーに下がるよう命じ、五騎を最前に出して騎馬射撃を敢行する。


 タタタタタタァーーン!


 流石に馬上から高速で動く騎兵を狙っては、当たるものも当たらない。敵騎兵一騎を落馬させただけで、その攻撃は終わった。

 

「左右に分かれて迂回! 敵側面へ回り込み、突撃せよッ!」


 オートガンプ軍の将も、号令を発した。

 敵は一糸乱れず左右に分かれ旋回していく。これに対応する為、近衛隊の小隊長がヴィルヘルミネに意見する。


「閣下! ここは後退をッ! 確実にお護り出来る保証がありませんッ!」


 小隊長の任務は、あくまでもヴィルヘルミネの護衛である。だが一方で目の前にいるのも、敵の総大将であった。

 もちろんヴィルヘルミネとしては逃げたいが、すぐ側に俄然やる気を拗らせた少女がいる。彼女がヴィルヘルミネに向かって、大声で叫んだ。


「乱戦に持ち込みましょう! わたしが、あの男を討ち取りますッ!」


 ゾフィー……どうしちゃったの……とヴィルヘルミネは口から魂が抜け出る思いだ。

 アンタ八歳だよね、なにその歴戦の猛将みたいなセリフは。余、そんな風に育てた覚え、ないからね……などと考え、ヴィルヘルミネは放心しながら頷いた。

 なんかもう、ゾフィーが握る血濡れたサーベルが超怖いんだもの、仕方がない。


「う、うむ……ゾフィーの言う通りじゃな。戦うぞ、えいえいおー」


 こうして反転迂回した敵軍に対し、ヴィルヘルミネ軍も小隊を二つに分けて突撃。両軍が入り乱れての戦闘になった。

 

 だが――こうなって得をしたのはヴィルヘルミネ軍だ。何故なら士気に差があった。

 何しろヴィルヘルミネは近衛隊のアイドルだ。一方ボートガンプは兵站の不備により平民の兵から、半ば愛想を尽かされている。

 結果として敵は徐々に押され始め、侯爵は顔を真っ赤にして怒りを露にした。


 「誰でもよい、ヴィルヘルミネを討ち取り、首を私の前へ持ってこいッ!」


 声も枯れよとばかりにボートガンプが叫んだ。続けて「討ち取った者は、この場で爵位をくれてやるぞッ!」と恩賞をチラつかせている。

 そもそも兵士の大半は騎士階級か平民なので、爵位と聞けば目の色が変わると思ったのだろう。確かに効果はあった。「おおっ!」と一部で歓声が上がっている。だがしかし、それも局地的なものであった。


「ちっ、埒があかん!」


 全軍が奮い立つかと思ったが、そうではなかった。

 そのようなことからボートガンプは自ら馬を躍らせ、ヴィルヘルミネに突進する。彼も貴族であり、武技の嗜みはあった。

 ましてや、ここでヴィルヘルミネを討ち果たせば、明日には自分がフェルディナント公爵と成れる身だ。ここが正念場と決死の覚悟である。しかも相手は八歳児だ――大人の自分が負ける道理など無かった。


「ウリイィィィィヤァァアアアアアアアアア!」


 軍刀サーベルを翳し、ヴィルヘルミネの小隊を突破して迫りくるボートガンプ。まさか彼に、ここまでの勇気があるとは誰も思わなかった。

 流石に言葉では動かなかった兵士も、この姿を見せられては後に続かざるを得ない。なし崩し的に矢のような陣形を作り、ヴィルヘルミネへと迫るボートガンプ侯爵だ。

 

 ヴィルヘルミネ軍も必至で応戦したが、装備が違う。鎧を持たないヴィルヘルミネ軍の騎兵隊は、防御に弱かった。

 隊列に綻びが生じると、そこから一気に押し広げられて、いよいよヴィルヘルミネとボートガンプを隔てる壁が無くなってしまう。

 

 赤毛の令嬢が振り上げられた叔父の軍刀サーベルを見上げ、「ああ、余、死んだ」そう思った瞬間――横から黄金色の髪を靡かせた烈風、ゾフィーが割り込んだ。


「ヴィルヘルミネ様ッ!」


 ボートガンプが放った渾身の打ち下ろしを弾き、紺碧のような瞳で敵を睨み据えるゾフィー。その双眸にはヴィルヘルミネに対する揺るがぬ忠誠心が、鬼火のように揺らめいていた。

 

「おう、金髪の小娘ではないか――いつぞやは私を投げ飛ばしおって。その罪、今日こそ償わせてくれるぞッ!」


 言うやボートガンプは鋭い斬撃を放ち、ゾフィーを追い込んでいく。流石に一度は攻撃を弾けても、ゾフィーは未だ八歳だ。大人の攻撃をしのぎ切れるはずもなく。二合、三合と重ねるうち、金髪の少女はついに軍刀サーベルを弾き飛ばされてしまった。


 これはやばいとヴィルヘルミネが唇を戦慄わななかせ、ついに口を開く。このままでは親友が殺されてしまうと思えば、自分が動くしかなかった。

 流石に目の前で美少女が殺される姿は、見たくない。というか――ゾフィーは自分の為に命を投げ出し、目の前で戦っている。それをあっさり見捨てられるほど、ヴィルヘルミネの心はまだ腐っていなかった。


「やめよ、叔父上! ゾフィーを殺すなッ!」

「んん~~~~おやぁ~~~~~ヴィルヘルミネェェ~~~? 私に何か頼み事かなぁ~~~~?」


 ボートガンプの動きがピタリと止まる。


「うむ、頼み事じゃ。ゾフィーを殺さないでくれ」

「ヴィルヘルミネ様! わたしは大丈夫ですッ!」


 頭上に掲げられた軍刀サーベルを睨み、ゾフィーは奥歯をギュッと噛んだ。反撃できる武器もなく、逃げようにも全身が痺れて動かなかった。自分はこれほどまでに弱いのかと、金髪の少女の目に涙が溜まる。


「ん――なんだね、ヴィルヘルミネェェ。この娘を助けろと、そう言うのかねぇぇ?」

「うむ」

「しかしこの娘――以前は私を投げ飛ばし、今はまた、こう――反抗的なのだがねぇ~~~~?」

「それでも、頼む」

「では、ヴィルヘルミネ。お前が私の言うことを、何でも聞くということかね?」

「うむ……聞こう。だからゾフィーを殺さないでくれ」


 コクリと頷く、赤毛の令嬢。周りの者が「なりません! ゾフィーが死んだとして、ボートガンプを倒せば閣下の勝利なのですぞッ!」と騒ぎ立てても、彼女は首を左右に振っていた。


「そうです、ヴィルヘルミネ様! わたしは、あなたを守る為にいるのにッ! ご迷惑になるくらいなら、いっそ死にますッ!」


 ゾフィーも泣きながら、必死で訴えた。しかしヴィルヘルミネはボートガンプを真っ直ぐに見据え、「望みはなんじゃ?」と問うている。

 そこに六百の兵を引き連れたリヒベルグが現れ、ボートガンプが満面に笑みを浮かべた。こうなってしまえば、ヴィルヘルミネ軍は数の上でも完璧に飲まれてしまう。もはや抗う術は無いかと思われた。


「良いところに来た、リヒベルグ大佐。ヴィルヘルミネの近衛兵を皆、武装解除させよ」

「御意」


 馬上で軍刀サーベルを胸元に掲げる啓礼を見せ、リヒベルグはボートガンプの斜め後ろに控えた。


「さて、ヴィルヘルミネ。どうしようか――私の望みはな、お前の死だ。お前が死ねば、そうだな……この場の兵共も助けてやろう……悪い取引ではあるまい」

「余に死ねと……」

「そうだ。悪いが、それ以外では話にならん」


 ヴィルヘルミネは、本当に困った。正直言って死にたくない。でもゾフィーも近衛隊のみんなも死なせたくないから、馬上で腕を組み、唸ってしまった。お腹の奥がキューッとする。怖さって極まると、ちょっと気持ちいい――なんて変態的なことも考えていた。

 あと、今来たリヒベルグってイケメンだな――……などと現実逃避もしている。


 その時だった――。


「くはっ……! な、何を……リヒベルグ……!?」


 ボートガンプの突き出た腹の先端から、尖った刃が飛び出している。衣服からは血が滲み、農夫のような侯爵はボゴリと口から血を吐き出した。

 彼の後ろでは黒髪黒目の大佐が、薄笑みを浮かべたまま軍刀サーベルを侯爵の背に突き刺している。


「「「閣下ッ!」」」

「困りますなぁ、ボートガンプ侯爵。私があなたの援軍だなどと、いつ申し上げた? 随分と愉快な勘違いをしてくれるではないか……なァ、おい」

「お、おのれリヒベルグッ! この反逆者めッ!」

「私が反逆者だと? ではボートガンプ侯――卿は賊だな。ヴィルヘルミネ様に牙を剥いた賊だ。クフ、クフフ……」


 ボートガンプの背中に差し込んだ軍刀サーベルを、ぐるりと回す。肉が抉れ、侯爵の口から大量の血が溢れた。


「「「侯爵閣下を放せッ!」」」


 とはいえ、リヒベルグもすぐに周りを剣の林で囲まれた。侯爵を守る兵達が、怒りに満ちた目を黒髪の裏切り者へと向けている。

 その時、ヴィルヘルミネとリヒベルグの目が合った。瞬間、赤毛の令嬢はびびっときた。心が触れ合った気がした。

 でも全部、それはヴィルヘルミネの勘違いだ。けれど彼女はイケメンを救うために、自らに出来ることを全てやろうと決意する。


 だから赤毛の令嬢は言ったのだ。自らとリヒベルグの運命を切り開く為に。


「リヒベルグ、大儀ッ! そしてボートガンプの兵らよ! とくと見るがよい! お前達がリヒベルグを縊り殺せば、周りにおる六百の兵がすぐにも襲い掛かるであろうぞッ!」


 冴えた事を言っているようで、実際は見たままを言うだけの令嬢だ。

 しかしその言葉は、あたかも現状がヴィルヘルミネの予想通り・・・・、ことが運んだかの如く響いたのだった。

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