第34話 ザクセン会戦 4
馬上から振り下ろされる巨大な戦斧に対し、トリスタンが所持する武器は折れたサーベルだけであった。といって戦う方法が無い訳ではなく。
周囲を見渡せば、無数の死体が転がっている。それらの手元には銃剣が握られ、腰にはサーベルも残っていた。これを拾うことさえ出来れば、オッドアイの青年が形勢を覆すことも十分に可能であろう。
「オオオオオオオッ!」
五度目になるグロードの騎馬突撃を、トリスタンは横に飛んで躱す。着地と同時に敵兵の死体から銃剣を奪い、着剣された先端を敵へと向けた。
それと同時に彼は隣の死体が握る銃剣を蹴って、茂みの中へと隠しておく。つまりこのような行為をトリスタンは、既に五回ほど繰り返した――ということだ。
グロードはすぐに馬首を翻すと、またも突撃を敢行した。一見すると馬鹿の一つ覚えと言えそうだが、しかし馬上にあって馬の突進力を活かした突撃を敢行する以上、彼の優位は揺るがない。
トリスタンは常に自らの肉体で動かねばならず、その疲労はグロードの比ではないからだ。
それにグロードは、何としても目の前のトリスタンを仕留めたい。彼が近衛隊を指揮しているとなれば、その死によって戦局が大きく変わる可能性を秘めているからだ。
中央本隊を後方から蹂躙する近衛隊が統率を失えば、その隙に本隊の陣形を立て直すことも出来る。そうした意味において彼は今、指揮官同士の決戦により起死回生を狙っているのだ。個人の武勇を恃むグロードらしい戦法と言えた。
一方でトリスタンには、眼前の敵を過小評価している節がある。
手にした獲物の大きさから、いくら騎乗していても大した持久力はあるまい――と予測したのだ。しかし、それが見事に外れた。いくら攻撃を回避しても、敵は疲れる気配を微塵も見せないのだから。
といっても用意周到なトリスタンのこと。次善の策も用意しており、当てが外れたからといって焦ることも無かったが……。
六度目の突撃は銃剣で戦斧を受け、何とか凌いだ。
ぐにゃりと筒の曲がった銃剣は、もはや使い物にならない。一撃受けるだけでこれでは、流石のトリスタンも唖然とするばかりだった。
「やれやれ――せめて私にも斧が欲しいものだ」
ぼやきながら、次の武器を探すトリスタン。だが悪いことは重なるものだ。
「グロード大佐ッ! 加勢しますッ!」
「敵将と見受けるッ、覚悟ッ!」
「応、お前達ッ! こやつを殺して、次は赤毛の小娘を血祭りに上げるぞッ! それで我等の勝利だッ!」
敵騎兵が二騎、トリスタンに狙いを定めて突撃体制に入っている。しかも前後から挟み込むような形だから、たまったものではなかった。
グロードも合わせれば三騎に囲まれ、いよいよ絶体絶命の状況である。
「ちっ、一騎打ちという訳でもないから、当然か」
武器もなく二人の騎兵を前後に見て、トリスタンは暫し考える。
実のところ腰に、一本だけ短剣が残っていた。これを投げて一人を落馬させ、馬を奪う――という案が最良であろう。
しかし失敗すれば、確実に死ぬ。成功しても後ろから襲い掛かる騎兵の技量が予測を上回れば、やはり死は免れない。
――だがまあ戦場で絶対に死なない方法など、もとより無いのだから仕方があるまい。
そう思いトリスタンが覚悟を決めたところで、タァァン! と銃声が響き、目の前の一騎が地上へ落ちた。
むろんそれは味方の銃撃であり、その方向へトリスタンが目をやると、ピンクブロンドの髪色をした少年が、猛然と騎馬を駆けさせてくるではないか。
さらに彼は銃を鞍に置くと、
「デッケン少尉、助かった」
先日オルトレップ大佐と戦った際、敵砲兵陣地を撃滅した功績により少尉となった少年に、トリスタンは微笑を浮かべて手を振った。
「まだ助かったワケじゃないでしょう、ケッセルリンク大尉! ほら、グロードが来ますよッ!」
すれ違いざまエルウィンが
再び迫るグロードの巨馬を見据え、トリスタンは剣をまっすぐ突き出している。
馬はいくら訓練をしたところで、先端の尖ったものを嫌う。だから今も、トリスタンへとまっすぐに突っ込むことが出来なかった。
しかしトリスタンも、
左側は右利きであるグロードが、どうしても攻撃できない位置である。
巨馬が数歩進んだところで倒れ、グロードが大地に立った。
「駄馬めッ! 肝心要のところで怯みおって!」
大地に足を着けると同時に、グロードが吠えて馬の首を刈る。自らの意志に従わず、トリスタンに誘導された騎馬を許せなかったのだろう。
トリスタンは
「大尉、僕も――……」
馬首を巡らせ、援護に入ろうとするエルウィンを左手を上げ制するトリスタン。彼はエルウィンにチラリと視線を送り、事も無げに言った。
「無用だ。馬から降ろしてしまえば、あのような男、敵ではない。人間と猿が戦うようなものだから、卿もよく見ておけよ」
「なっ……相手は、あのグロード大佐ですよッ! いくら大尉と言えども、一人で戦うなんて無茶だッ!」
一連の会話を鼻で笑い、グロードが大地を蹴った。巨大な戦斧を担いでいるとは思えないほど素早い動きで、巨漢の戦士がトリスタンに迫る。
「――俺を猿だとぬかすかッ、この身の程知らずめッ!」
その刹那、オッドアイの将校は地面をダンッ――と踏み抜いた。すると一本の銃剣が鎌首を擡げ、鋭い刃先がグロードの太腿に刺さる。
「ぐッ……!」
「いや――このような罠に掛かるのだから、猿は褒めすぎたな。卿は猪だ」
将校用の白いズボンに、鮮血がじわり広がった。グロードが苦悶の表情を浮かべた瞬間、トリスタンの
「き、貴様……かはッ!」
「もっとも、肉を食えぬ猪など、ただの害獣。生かしておくことはできん。ましてやヴィルヘルミネ様を小娘と蔑み、殺すなどとほざく輩はな……」
血を二度吐きながらも、グロードが両手を振り上げた。巨大な戦斧が高々と掲げられ、夕日を弾き朱色の輝きを辺りに放つ。しかし――それが振り下ろされることは、もう永遠に無いのだった。
■■■■
午後四時十分のこと。
ボートガンプ軍左翼ではハッセル伯が敗色濃厚となった自軍に関して、リヒベルグ大佐を呼び意見を求めていた。
「リヒベルグよ、これは、我が軍が負けるのか? 負けるとしたら、私はどうなる? しょ、処刑であろうか? それは困るぞ、リヒベルグ。すぐにも本隊を助けに行った方が良いのであろうか?」
「確かに現状は味方に不利と言えましょう。しかし敵は寡兵ですから、閣下が左翼全軍を固く保持なさっておいでなら、いかようにも巻き返しの機会はございます。
逆に今焦って兵を動かせば、取り返しのつかぬことになるやも――と」
おろおろと騎馬を忙しなく動かすハッセルの横で、馬を並べてリヒベルグが答えている。彼は中央で上がる砂塵を見つめ、冷ややかな笑みを浮かべていた。
この時点で左翼全軍が動き中央本隊を援護すれば、ヴィルヘルミネ軍は後退を余儀なくされたであろう。
そうであれば時刻も時刻、今日の
現在ボートガンプ軍の戦死者が二千有余、ヴィルヘルミネ軍のそれが千有余。ならば、明日は一万対五千の決戦となるわけだ。しかも明日は今日の結果を踏まえれば、ヴィルヘルミネ軍は斜線陣を使えない。
このようなことから戦いを翌日に持ち越せば、ヴィルヘルミネが敗れる可能性が格段に上がるのだ。
それを考慮すれば、この日この時リヒベルグの存在は、ヴィルヘルミネにとって天祐である。
またリヒベルグは、状況の全てを理解できていた。つまり自分が今、戦局全体の命運を握っている――ということをだ。
「し、しかし、ここで兵を堅持したとあっては、あとでボートガンプ侯に何を言われるかも分らんだろう」
リヒベルグの返答に納得できないのか、ハッセル伯がなおも言い募った。
「ボートガンプ侯が生きておいでなら――確かに何を言われることやら。
されど、そもそも閣下とて遠縁ではあられるが、フェルディナント家の血を引いておられるはず。ならば閣下にとって、本当に侯爵閣下は必要な存在でしょうか?
己より器量に劣り年齢も下の人物に閣下ほどの方が、なにゆえこれほど尽くすのか、小官には分かりかねますな……」
リヒベルグは闇色の双眸に甘美な衣を纏わせて、ハッセルの歪んだ自尊心を擽った。まさに人心を惑わす佞言である。
「……それは私に、侯を見捨てろと申しているのか?」
「いいえ、まさか。必要とあらば私が大隊六百を率い、ボートガンプ侯をお救いしに行きましょう。
なれど、侯の救出が万一、間に合わなかった場合のことでございます。その場合は閣下が侯爵の跡をお継ぎになればよいのではないかと、そう申してるに過ぎません」
「ふむ、ふむ……そうだの。それがいい――卿が救出に向かえば、私の言い分も立つ。それに万が一があった場合でも、上手く立ち回ってくれるのだろう?」
「御意……万事お任せを」
恭しく頭を垂れる黒髪黒目の美丈夫は、珍しく口元を引き結ぶ。
最初で最後になるかも知れないが、彼は一人、赤毛の令嬢の為に動こうと決意をした。
それがたとえ、裏切り者の謗りを受けることになろうとも……。
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