第33話 ザクセン会戦 3
ヴィルヘルミネの白馬が、猛然と大地を蹴った。その後ろに近衛隊六百の
彼等は自軍最右翼から敵中を一気に横断、迂回して敵の後方を衝こうというのだから、むろん敵の攻撃にも晒された。
まあ、ヴィルヘルミネは全く意図せぬことであったが、彼女の部下達は皆、令嬢の意図をそうだと思っている。なので勝利を目指す、決死の行動であった。
このとき令嬢は、そうそうに気を失っている。ヴィルヘルミネは前傾姿勢で馬にしがみつき、そのまま涎を零して夢の中だ。馬の鬣がイケメンの前髪のような気がして、幸せな気持ちである。
彼女がハッと気が付き馬首を翻したところで、ちょうど迂回軌道が始まった。いよいよ敵の後背を衝くタイミングだ。近衛大隊は彼女の華麗な馬術に感動し、その士気は天を衝かんばかりとなっていた。
隣を駆けるゾフィーは途中で無数の銃弾、砲弾にさらされたことから顔面蒼白だ。だというのに赤毛の令嬢が半目で「んあ?」とふんわりしているから、「流石はヴィルヘルミネ様! なんて胆力なんだろう!」と驚いていた。
ともかくこうして赤毛の令嬢は、敵本隊の背後を衝くことに成功したのである。
もっとも、僅かに遅れて馬を駆けさせていたトリスタンは、ヴィルヘルミネの能力に心酔していた。だから「令嬢ならば、この程度のことはなさるだろうよ」と、逆に平然としている。
むしろ彼は己のやるべきことをキチンと見極め、部隊の統率に余念がない。そして敵の背後に回った以上、今こそ攻勢を仕掛けるべき最良のタイミングなのであった。
「蹂躙せよ!」
トリスタンの声が高らかに響き近衛大隊六百の兵が、馬上から一斉に敵の背後へ向けて射撃をする。それが終わると
ヴィルヘルミネ麾下の近衛大隊が向かう所、血の花が咲く。令嬢の忠実なる戦士達は誰もが獰猛な番犬の如く、その牙を剥き出し粗野な野盗の肉を喰らうのだった。
「――と、止めよ! 敵の突撃を止めよッ!」
この攻勢に、ボートガンプは弛んだ頬の肉を震わせ慌てふためいている。そんな彼を守る為に四百の兵が動き、方陣を構築しようと移動を始めていた。
しかしそこにエルウィンが小隊を率いて突撃し、要の部分を打ち砕く。こうして幾人もの中隊指揮官を討ち取って、エルウィンはこの戦いで大きな武勲を上げている。
ピンクブロンドの髪色をした少年の戦術眼は、まったく見事なものであった。一瞬で敵部隊の要を見抜き、突撃して破砕する。それをされては、いかな大部隊でも統率を失ってしまうのだ。
この機動に目を釘付けた一人の少女が、のちに「ヴィルヘルミネの猟犬」と呼ばれるゾフィーである。十年後の彼女は、こうした戦術を得意とする超攻撃型の指揮官になるのだった。
とはいえ、兵の数は未だ敵が圧倒的に多い。
ヴィルヘルミネ軍としては勝利する為にも、何か決定打となる一撃が欲しいところであった。
■■■■
「流石はミーネ様だ。ワシなどより、よほど機を見るに敏じゃて――ほっほ」
白髪の老将が目を細めて、ハルバードを肩に担いでいる。前方で敵中央部隊が大混乱に陥っている様を見て、大きく頷いていた。
むろんロッソウは、それで終わらない。大音声で突撃を命じると、自らは騎兵二百を率い近衛大隊の援護へと向かっていく。
禿頭の将オルトレップも、その判断はロッソウと変わらなかった。
「さて、勝機だぞ――お前達。歩兵は前進。騎兵は俺に続けッ!」
二本のサーベルを抜き放つと、オルトレップもロッソウに負けじと馬を駆り、ヴィルヘルミネの援護に向かうのだった。
■■■■
この状況に舌打ちを禁じ得ないのは、ボートガンプ軍の右翼を指揮するグロード大佐だ。
そもそも彼の戦い方は、個人の武勇によるところが大きい。要するに用兵は柔軟性に欠き、全体を見通した指揮が苦手なのだ。今回は、その欠点が見事に露呈した形となってしまった。
「くそッ! 前進をいったん止めよ! 陣形を整えつつ後退ッ! 中央本隊の援護に回るッ!」
得意の戦斧は馬の鞍に付けたまま、
それまでのタイムラグで更に陣形が乱れ、これがニコラウスの付け入る隙となる。
敵の混乱を見て取ったニコラウスは、積もり積もったうっぷんを爆発させるかのように、前進を命じた。時刻は午後四時二分。冬の夕暮れは早く、既に太陽は西の地平へとその身を沈め始めている。
日が暮れる前に勝敗を決さねば、後退に後退を重ねたこの主力に、明日戦う力は残されていないだろう。そう思うから、ニコラウスは声の限りに叫ぶのだった。
「前進せよ! 敵は今、混乱しておる! ヴィルヘルミネ様が作り給うこの機会を、者ども活かせよッ!」
兵達もヴィルヘルミネの名を聞けば、心から奮い立つ。この時点で五百の兵員を失っていたニコラウス隊であったが、皆が気力を振り絞り、戦線を立て直したのだった。
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午後四時三十二分。
近衛隊で敵後背を衝き、ロッソウとオルトレップが前面から攻撃することで挟み撃ちに成功したヴィルヘルミネ軍が、ついに敵中央本隊を打ち破る。
ただし主将たるボートガンプ侯爵が逃亡したとの知らせを受け、残敵の掃討に入った。
しかし、ことはそうそう上手く運ばない。
ボートガンプを救出せんと敵右翼が大きく動き中央へ寄せてきた為、状況は混戦の様相を呈しつつある。
一方で敵左翼は、不気味なほどに沈黙を保っていた。
もしも敵の左翼が動き出せば、勢力に劣るヴィルヘルミネ軍は苦戦を強いられただろう。その点においても赤毛の令嬢は、強運の持ち主であった。
そうした中にあり敵右翼指揮官であるグロードは、陣形を整え前進を始めたニコラウス隊と戦いつつ、さらに騎兵三百を自ら率いてボートガンプ救出の為、ヴィルヘルミネの近衛隊へ突撃を幾度も繰り返していた。まさに我が身を顧みぬ、獅子奮迅の働きである。
この攻撃を受け、近衛隊を率いるトリスタンは辟易としていた。
「オオオオオオオオオッ!」
夕日を浴びて鈍色に輝く戦斧を掲げ、雄叫びと共に迫る巨体の勇将。その姿を見て、流石のトリスタンも眉間に皺を寄せている。
「ここはいつから、中世の戦場になったのだ……」
言いながらも冷静に馬上銃を構え、狙いを定めるトリスタン。
しっかりと距離を測り、五十メートル、四十メートルと小さく呟き引き金を引く。
その距離、凡そ三十五メートル。彼であれば必中の距離で放たれた弾丸が大気を穿ち、グロードの額へ向けて一直線に飛んでいく。
しかしグロードは分厚い戦斧を眼前に掲げ、振り払う。ギィン、という激しい音と共に火花が散った。どうやら斧で銃弾を弾いたらしい。
「――狙いが分かれば、銃弾など躱すは容易いッ!」
グロードは吠え、トリスタンは納得をした。
なるほど、額を狙っていると分かれば、そこを守れば良いだけだな――と。
巨馬に跨る巨漢が、既にトリスタンの目の前に迫っていた。
もはや第二射は叶わぬと悟り、トリスタンはサーベルを抜く。
グロードは馬の速度を緩めず、そのまま突進する構えだ。
斧に対して剣というのはいささか心元ないが、だからといって怯むほど、トリスタンの勇気は枯れていない。そこで彼は相手の名を、思い出した。
「ああ――グロード大佐か。噂通りの男だな」
「俺と知って、なお剣を抜くかッ! 名乗れッ!」
「近衛大隊長――トリスタン=ケッセルリンク大尉だ」
「俺はハイドル=フォン=グロード大佐だ! いざ、参るッ!」
「……知っている」
二人が交差した瞬間、双方の武器が煌めき鮮血が舞う。サーベルがグラードの頬を切り裂き、戦斧はトリスタンのサーベルを断ち割った。
見たところ技量は互角。しかし力はグロードが圧倒しており、なんと彼はトリスタンが駆る馬の首さえも今の一撃で落としてしまった。
「やれやれ――馬鹿力は私が国一番かと思っていたが、どうやら認識を改めねばならんようだ」
崩れ落ちる馬から飛び降り、トリスタンがずれた軍帽の位置を直す。
目深に被った帽子の下で、左右色の違う瞳が不敵に敵を見据えていた。
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