第31話 ザクセン会戦 1


 十二月二日の朝は、四方を山に囲まれた国であるフェルディナントにも粉雪が降った。珍しいことであった。

 ヴィルヘルミネは予ての手筈通り持てる全軍、六千の兵を率いてボートガンプ軍の迎撃へと向かっている。


 この軍は副司令官として軍務卿のニコラウスが従い、ロッソウとオルトレップが連隊長として、二千ずつの兵を率いていた。

 トリスタンは近衛大隊六百を指揮し、ヴィルヘルミネの副官としてエルウィンが居る。ゾフィーは護衛のつもりで曹長の軍服に身を包み、腰には軍刀サーベルを帯びていたが、誰がどう見てもマスコット的なオマケなのであった。


 なお今回のいくさに限り軍監として、ヘルムートも馬車で同行している。馬に乗れない宰相は、ヴィルヘルミネと共に馬車で戦場へ行くつもりであったのだが、残念ながら一人、平民なのに貴族みたいなことをやる羽目になっていた。


 ただ、彼がいることでトリスタンの仕事がかなり楽になっている。武器弾薬や糧食の補給計画、また野営地の手配などなど、おおよそ兵站と呼べる分野の全てを黒髪紫眼の宰相閣下が担当してくれたからだ。

 

 そんな彼等の行軍を、沿道に並んだ群衆は手に色鮮やかな布を持ち振りながら、歓声を上げて見送っている。


 しかし――ヴィルヘルミネは解せなかった。


 本当のところ赤毛の令嬢は、公宮に引き籠ろうと思っていたのだ。なのに何故またも軍勢を率い、征旅に出てしまったのか。


 考えてみれば、全部ヘルムートのせいじゃあないかと思った。アイツが今回の出征に自分も行くなんて言うから、ヴィルヘルミネも、それはいかん、イケメン成分が減るじゃないか! と付いてきてしまったのだ。


 本当は軍務大臣のニコラウスに全部任せて、ベッドの中で震えていようと思ったのに。そうしたら隣の部屋に住むヘルムートが、優しく頭を撫でてくれると思ったのに!


 それに全軍で出撃という点も、赤毛の令嬢には不満だった。

 そんなことをしたら、公宮にいるイケメンがハドラーだけになるじゃないか。それでは、明らかにイケメン不足である。余、死ぬ――と思った。


 イケメン成分が不足したら、ヴィルヘルミネは本気で窒息すると思っているのだ。なのでよくヘルムートの腰に抱き着いて思い切り深呼吸するのだが、これは本人曰く、「生きるため」の行為。なので、特に親愛の情は含まれていなかった。


 そんなこんなで不満タラタラのヴィルヘルミネは、現在馬に跨り行軍中。寒さのせいで、鼻の頭も少しだけ赤くなっていた。「くちん」クシャミも出るってものである。


「……雪が降るとはの」

「あの、ヴィルヘルミネ様、馬車に乗られては如何です?」


 そう言って声を掛けてくるのは、馬に乗れないヘルムートだ。彼は馬車の窓を少し開け、粉雪に目を細めながら申し訳なさそうに言った。


「――よい、構わぬ」


 戦場へ行くのは気が進まないが、ヴィルヘルミネは大佐の軍装が大好きである。さらに今は防寒対策として、純白のマントも身に着けていた。マントには黄金色の飾緒が鮮やかに映えるし、ともかくカッコイイ。現代ならばインスタ映えだ。きっとヴィルヘルミネも「映え映え~~~!」と言うことだろう。

 なので赤毛の令嬢はフンスと胸を反らし、兵隊ごっこの続きとばかりに行軍を続けているのだった。


 しかしこのやり取りを見た幕僚は、またも「ヴィルヘルミネ様、流石です!」と勘違いすることしきり。皆、この令嬢が兵達と同じ思いをしようと、馬車に乗ることを拒んでいると思ったのである。


 結果としてヴィルヘルミネは風邪をひく。

 要するに大人の言うことを、ちゃんと聞かないからであった。


 ■■■■


 ヴィルヘルミネ軍とボートガンプ軍が接触したのは、十二月四日のことである。前日に降った雪がうっすらと大地につもり、ザクセン平原を白く染め上げていた。

 しかし空には雲一つなく、風も穏やかなものだ。時刻は一時過ぎ――本来であれば穏やかな昼下がりだが、ボートガンプ軍は既に全軍の集結を終え、陣形も整えていた。


 もとより敵軍が布陣を終えていることは、偵察により分かっている。それでも敵が待ち構える地へ赴かねばならなかったのは、外交上の問題で早期に決着を付ける必要があったからだ。

 

 また、ボートガンプ軍の進軍時における悪行は、当然ながらヴィルヘルミネ陣営の知るところとなっている。であればこれ以上の被害を出させぬ為にも、ザクセン平原で叩いておく必要があるのだった。


 むろんボートガンプ軍としても、早期の決着は望むところだ。加えてヴィルヘルミネ軍が平民の味方をしている以上、各地で略奪を繰り替えす我が方を放置する訳にはいかないことを理解している。ゆえに有利な地で陣を敷き、待ち構えていたのだった。


 そのボートガンプ軍だが、このように布陣している。

 形としては典型的な横陣だが、左翼の端をテーレ河で守り、右翼の端を森林地帯で固めていた。

 要するに騎兵部隊の迂回機動戦術を封じ、正面から数の力で圧殺しようという隊形だ。


 この陣形を幕僚達と眺め、風邪気味のヴィルヘルミネはハナから乏しい戦意を、さっそく喪失させようとしている。微熱があるので、フワフワした気持ちだった。


「むむ……これは不利じゃの」

「はい。ですが敵が設定した戦場であるからには、この程度は仕方がないでしょう。にしても――敵はロッソウ子爵とオルトレップ大佐の騎兵突撃を、よほど恐れていると見える」


 望遠鏡から目を離し、トリスタンが左右で色の違う瞳をヴィルヘルミネへと向けた。といって彼の表情には焦りや緊張といった、一切のマイナス要素は浮かんでいない。

 

 だが、ヴィルヘルミネはガクブルだった。何せ敵軍は一万二千。しかも無駄に算術が得意な赤毛の令嬢は、敵軍の編成が手に取るように分かるのだ。

 

 敵は全軍の両翼に一千ずつ騎兵を配し、中央本隊が四千、左翼、右翼が三千ずつという教科書通りの布陣であった。むろん砲兵も各部隊に満遍なく分散しており、言ってしまえば付け入るスキの無い陣形だ。


 こんなものを目にすれば、赤毛の令嬢が「帰ろう」と言い出すのも時間の問題である。

 何しろヴィルヘルミネ軍は敵の半数であり、陣形も整っていないのだ。行軍の疲労だってあるし、となれば戦術の常識から考えて、敗北は必至だ。

 

 といって――すぐに回れ右をしたら、敵に食いつかれて散々な目に遭うだろう。遠足は家に着くまで気を抜くべきではないし、遠征は撤退時が一番難しいのだ。その程度のことは、ヴィルヘルミネにも分かっていた。


 そこで赤毛の令嬢は近くの地形を見渡し、「イイカンジの場所に殿軍しんがりを残し、撤退じゃー!」と己の中で方針を固めた。すると、敵軍の右翼前方に小高い丘が見えるではないか。

 赤毛の令嬢は「んむ」と一人頷き指揮杖を、その丘へと向けた。あれを制圧せよ――という意味だ。そこに一部隊を残して撤退すれば、余、安全! と考えたらしい。

 

 古来より高所に依れば、多くの敵を退けられると兵法にはある。が――その丘はいわゆる孤山であった。

 孤山というのは例え高所であっても、陣取るべき場所ではない。

 なぜなら周囲をぐるりと囲まれてしまえば、逃げ場が無くなるからだ。また、外部との連絡が取れなくもなるので、補給が確実に滞る。

 古くは三国志において馬謖がこの失敗を犯し、諸葛亮に斬られたことは余りにも有名な話であろう。


 そんな場所をヴィルヘルミネは指して、「あの丘を三千の兵で占拠せよ。砲を設置し、残りの部隊は徐々に後退じゃ」と言った。

 全軍の半数を殿軍しんがりにして逃げようという下衆な赤毛の令嬢だったが、流石に「撤退」とか「逃げる」と言わなかったのは、後ろめたさがあったからか。

 

 だが、お陰でヴィルヘルミネ軍における最高の知将トリスタンが、彼女の意図を激しく勘違いした。彼は金色の瞳に戦意を滾らせ、緑色の瞳に歓喜を湛え、大きく頷いている。


「その意図は斜線陣ですな――流石はヴィルヘルミネ様」

「斜線陣? そうか、敵右翼の二千に対し、我等は三千の左翼を主力としてぶつける! そして敵を打ち破れば――一気に勝利が転がり込むということかッ!」


 軍務卿のニコラウスが、拳を握りしめている。ヴィルヘルミネの周囲にいる指揮官達も、「流石はヴィルヘルミネ様!」と褒め称えていた。

 それを見てトリスタンとエルウィンは目を見合わせ、複雑な表情を浮かべている。何か言いたいことがあるようだったが、しかし二人とも口を噤んでしまった。


 そこに馬車から降りてきたヘルムートが、ゆっくりと歩いてくる。将兵が彼に敬礼を向けると、照れ臭そうに片手を上げていた。


「いや軍隊というのは、どうも堅苦しい……。少し話を聞かせて頂きましたが、その三千は一体誰が指揮をなさるのです?」

「無論、その主力は私が率いましょう。これでも軍務大臣を拝命致した身なれば――我が働き、とくと御覧じよ!」


 言うなりニコラウスは主力として三千の部隊を再編制すると、敵右翼側にほど近い丘へ、兵を進めていく。それと同時にヴィルヘルミネの近衛隊六百が最右翼となり、後方で取り残された。さらに護衛として、彼女の下には四百の歩兵も付き従っている。


 中央の二千はロッソウとオルトレップが、それぞれが一千ずつを率いた。彼等は横陣を展開し、ゆっくりと行軍を続けている。すると左翼が分厚く膨らむ、斜めに置かれたハンマーのような陣形となった。


 つまりヴィルヘルミネが企図したと思われている斜線陣とは、丘に設置した砲の火力と最も分厚くした兵力により、敵右翼三千を一挙に叩こうというものだ。特に重要なのが火砲の集中運用であり、これをもって敵最右翼の騎兵を無力化させる。


 遅れて前進する中央と右翼が敵と激突する頃には、敵右翼は壊滅。味方左翼は敵の後方に回り、半包囲して殲滅する――という戦術である。

 

 これなら、確かに少数でも多数の敵を打ち破ることが出来るだろう。ただし、敵がその意図に気付かなければ――という条件は付くが。


 ともあれヴィルヘルミネが状況も分からずアワアワしているうちに、ザクセン会戦と呼ばれる戦いの、火蓋は切って落とされるのだった。

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