第29話 決戦、迫る!


 ヴィルヘルミネが公都バルトラインに凱旋したのは、十一月二十一日。

 本来であれば落ち葉が舞い、人々は寒風を凌ぐようにコートの襟を立てて街路を歩くこの季節。だというのに帰還した赤毛の令嬢を迎え入れた人々の熱気は、冬を通り越し春を思わせる程なのであった。


「ヴィルヘルミネさま万歳!」

「摂政閣下に栄光あれ!」

「フェルディナントの至宝!」


 赤毛の令嬢を称える様々な言葉が叫ばれて、家々の窓からは紙吹雪が舞っている。公宮まで近衛大隊と進む道すがら、ヴィルヘルミネは馬上から絶えず手を振り続けねばならなかった。


「おめでとうございます、ヴィルヘルミネ様。こんなに市民達が歓迎してくれて、わたしも鼻が高いです!」

「しかし、のう……ゾフィー」


 紺碧のような瞳に幼い憧憬を湛え、ゾフィーがヴィルヘルミネの横顔を見つめている。だが赤毛の令嬢は、どこか浮かない顔であった。


「何か、ご懸念でも?」

「うむ……この紙吹雪なのじゃが……」

「ああ、紙は貴重ですものね。まだ内戦が終結した訳でもないのに、これを皆がどうして手に入れたのか。あるいは――もっと有効な活用方法があるのではないか――……と、ご心配、分かります」


 胸元に手を当て、深く頷くゾフィーは真摯な眼差しで中空を睨む。まだ緒戦に勝利しただけだと、己が気持ちを引き締めて。

 だというのに、そんなゾフィーを見ちゃあいない赤毛の令嬢は、マイペースに話を続けている。


「もしもな、もしもじゃぞ……この紙吹雪が全部マシュマロであったなら」

「マシュマロ!?」

「うむ」

「何ですか、ヴィルヘルミネ様!?」

「そうしたら、全部食べてやろうと思っての。フフ……フハハ」

「お腹、減ってるんですか!?」

「ゾフィーはマシュマロ、嫌いかの?」

「そういう話じゃあ、ぜんぜん無いと思うんですけどッ!?」


 そこでゾフィーはハッとした。

 もしも全てがマシュマロなら、子供達も笑顔になるだろう。

 本当の平和とは、子供達が笑ってこそのもの。


 しかしこの凱旋式を喜んでいるのは、ほとんど全てが大人である。子供達は騒ぐ大人達の後ろで、ぼんやりとこちらを眺めているに過ぎなかった。むしろ熱狂する大人達を、子供達は冷めた目で見つめている。

 つまりヴィルヘルミネ様は、現状で市民の全てが歓迎していると思った自分を窘めたのだと、ゾフィーは考えたのだ。


 もちろんヴィルヘルミネは、そんなこと思っちゃあいない。どっちかと言えばこれは出来の悪い冗談だし、でも本当にマシュマロが降ってきたら嬉しいだけだ。

 なのに早熟の天才はヴィルヘルミネを神格化するあまり、彼女がアホの子だということに全く気付かなかった。


「いえ、わたしが間違っておりました。その深慮遠謀、ヴィルヘルミネ様は、やはり流石です!」

「……で、あるか」

 

 ともあれ、赤毛の令嬢が英雄に祭り上げられるのも当然のこと。

 ニコラウスから戦勝の知らせを受け、ハッセル率いるボートガンプの第一軍が撤退したことを知るや、黒髪紫眼の宰相ヘルムートは早々に記者達を集め、会見を開きこのように宣言をしたのだ。


「ヴィルヘルミネ様は御自ら指揮なさった三千の兵で、ボートガンプ軍八千を打ち破り給う」と。

 

 むろん、それ以降は連日ヴィルヘルミネの大活躍が紙面を賑わし、新聞は飛ぶように売れた。そして彼女は平民の守護者にして救国の英雄、「軍事的天才ヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナント」として本格的に名を馳せたのである。


 確かに、嘘ではない。

 実際、ヴィルヘルミネは三千の兵で出撃し、合計すれば八千となる敵軍を撤退させている。しかも各個撃破作戦は間違いなく、彼女の発案であった。


 とはいえヴィルヘルミネが戦ったのは、二千の敵と二回だけ。

 正確には三千の兵で二千の敵を二度ほど打ち破っただけだから、本人にしてみれば、「当然じゃね?」という感覚だ。残りの四千は、何故か勝手に消えていた。


 なのでヴィルヘルミネは馬上で民衆に手を振りマシュマロについて考えながらも、脳の片隅で「解せぬ」と思っている。だから彼女は隣のゾフィーに、ぼそりと言った。


「にしても、これほど騒ぐことであろうか……勝って当然のいくさであったのに」


 ゾフィーは思わず天を仰ぎ、溢れる涙を堪えていた。

 ああ、神よ! この世のありとあらゆる精霊よ! わたしを偉大なるヴィルヘルミネ様と同じ時代に生み給うたこと、心より謝いたします!


「ヴィルヘルミネ様には当然のことでも、同じことを無し得る者がいるとすれば、それは唯一神のみでしょう。ああ、讃うべきかな、我が主よ」


 そんなゾフィーの答えに憮然としながら、相変わらず民衆に手を振るヴィルヘルミネ。

 ゾフィーのほっぺはマシュマロみたいだな――なんて考えていたら、思わず落馬しそうになる赤毛の令嬢なのであった。


 ■■■■


 ヴィルヘルミネの凱旋後、俄かに宮殿が騒がしくなった。オルトレップなど降伏した兵や将校を受け入れた為、人員が増したのだ。

 それに諸外国もボートガンプ側が優勢との認識を改めつつあり、徐々に他国の公使も公宮へ顔を見せ始めていた。


 とはいえ実際のところ、まだ戦力比が覆ったわけではない。ヴィルヘルミネ軍はようやく六千に達したが、ボートガンプ軍にはまだ一万を超える兵が残っているのだ。

 この戦力差を埋める役割を果たしたのが、ヴィルヘルミネの「軍事的天才」という名声である。これは単なる虚構に過ぎないのだが、誰一人これを疑わないのだから不思議なものであった。


 しかしヴィルヘルミネ陣営としては、なるべく早期に内戦の決着を付けたい。

 何故ならプロイシェとキーエフの戦争が終われば、プロイシェがボートガンプの領地へと雪崩れ込む可能性が高いからだ。

 

 例えばプロイシェがキーエフに一部の領土を割譲し、講和を図ることは十分に考えられた。そののち全軍でフェルディナントへ乗り込めば、割譲した領土の数倍は利益を得られるだろう。

 

 ヴィルヘルミネ陣営としても一万のボートガンプ軍には対抗できるが、三万のプロイシェ軍を抑え込むことは出来ない。ましてやプロイシェはヴィルヘルミネの救援という大義を掲げてくるのだから、むしろ歓迎せねばならなかった。

 

 となればヴィルヘルミネ陣営としては早急にボートガンプ軍を破砕し、プロイシェが軍を進める為の名分を奪う必要があるのだ。


 そんな訳でヘルムートは宰相として、ヴィルヘルミネに会議を要請。再び重厚な壁に囲まれた部屋にて、作戦会議が行われることと相成った。

 集まったのはヴィルヘルミネと三閣僚、それからトリスタン、エルウィン、おまけのゾフィーと新たに加わったオルトレップだ。


 今日は摂政として、ヴィルヘルミネがきちんと口火を切った。


「では、ボートガンプ侯爵に対し、今後いかに処すべきかの会議を始める。みな、忌憚なき意見を申し述べよ」


 しかし朝からの会議と言うことで、ヴィルヘルミネはとても眠い。それにもう勝ったつもりでいる彼女は、何で今更そんなこと話すのさ――などと少し不貞腐れていた。

 現状が分からないお子様な令嬢は、余裕綽々でひじ掛けについた手に顎を乗せている。


「プロイシェからキーエフへ、交渉のテーブルに着くよう使者が出たとのことです。おそらくプロイシェも、早期に我等が決着しそうだと慌てたのでしょう」


 ヘルムートが外交的な現状を説明すると、ハドラーが顎を撫でながら頷いて言う。


「ま、プロイシェが己の利を考えれば南東の山岳地帯をキーエフに返し、南西の肥沃な我が国を取った方が得だからな」


 ヴィルヘルミネの細眉が、ピクンと撥ねる。あれ、なんか話の流れがきな臭いぞ……程度には理解したらしい。


「となると我等としては早期に決戦を挑み、ボートガンプ侯を打ち破りたいところですが……」


 言い淀むのは、ニコラウスだった。敵の拠点を包囲しようにも、兵力が明らかに足りない。軍務大臣として凡庸な彼には、良策など思い浮かばなかった。

 

「決戦ということなら、敵を誘い出しては如何でしょう」


 唸る父を横目に、エルウィンが発言をした。「どうやって? それが出来れば、苦労はせんぞ」と間髪入れず、老将ロッソウが若者の血気を窘める。

 だが若者は地図上、ザクセン平原に自軍の駒を進め、「ここに要塞を築いては如何です?」と提案した。


「構築できれば拠点にすれば良し、敵が打って出るなら、迎え撃てるでしょう」


 才気煥発なエルウィンらしい、明朗快活な策であった。しかし、それに反論する男が一人。


「――申し上げにくいことながら、敵にはリヒベルグという男がいましてな。築城を邪魔して補給路を断つ、程度のことはやってきましょう。これを打ち破り砦を築くのは、相応の苦労があるかと」


 新参のオルトレップが、傷の治りかけた禿頭をペシリと叩く。ヴィルヘルミネは、丸い耳が付いていないから、とても不満だった。


 このようにして、この日の会議は終わる。

 それどころか、それから一週間ほども同じようにして会議が開かれたが、誰も現状の打開案を出すことが出来なかった。


 そうして焦燥感ばかりが募った頃に、「ボートガンプ軍動く」の報が齎される。

 その数、実に一万二千。敵はどうやら全軍を二分しただけで、ザクセン平原を目指している――ということだった。

 

 二分された部隊はどちらも六千ずつで、各個に撃破することは出来そうにない。

 しかし決戦をこそ待ち望んでいたヴィルヘルミネ陣営は赤毛の令嬢以外、全員が会心の笑みを浮かべている。


「飛んでい火に入る夏の虫――か」


 トリスタンが言えば、


「この幸運は、天に感謝すべきですね」


 エルウィンが応じる。


「腕が鳴るわ!」


 相変わらず頼もしいロッソウに、


「わ、わたしも今回は戦います!」


 なんて拳を握るゾフィー。


 オルトレップは渋面を作りつつ、


「冬は冷えるんだがなぁ。ま、いくさで身体を温めるか」


 などと禿頭を撫でていた。


 ヴィルヘルミネを上座に据えた謁見の間で、居並ぶ諸将に酒杯が配られた。赤毛の令嬢の横に立つヘルムートが、厳かに出撃を告げる。


「今回は私も、ヴィルヘルミネ様のお供をさせて頂きます。実際に兵がどのように動くか、見たくもありますのでね。では諸卿の奮励努力を期して、出撃前の乾杯を致しましょうか」


 そして皆が頷き、ヴィルヘルミネの前に必勝を誓う。


「「「「乾杯プロージット! ヴィルヘルミネ様の御為に――我等一同必勝を誓うものなり!」」」」


 そんな中、ヴィルヘルミネだけが「ヒィィ、敵が、い、い、い、一万二千だよぉ……!? 余、死んじゃうよぉ!?」と、ガクブルなのであった。

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