第26話 猛将対決

 

 ヴィルヘルミネが設置を命じた陣幕は、ものの数分で完成した。これも彼女が率いる軍の練度が、いかに高いかを表す証左と言えよう。

 とはいえそれは、今回の会戦に新兵を参加させていない為だ。この戦いが多少は厳しいものになると見越したトリスタンが、待機させる三百に新兵の大半を入れたからである。


 陣幕が出来上がると、すぐに敵の攻撃がこちらへ集中し始めた。相対的にトリスタン=ケッセルリンク率いる歩兵部隊への攻撃が緩和されたとはいえ、ヴィルヘルミネがいるこの場所こそ指令部である。軍務大臣ニコラウスとしては、断じて彼女を危険に晒したくは無い。

 何せ赤毛の令嬢は総大将であり、彼女の死は即ち現政権の敗北を意味するからだ。


「摂政閣下! 敵軍が陣幕を目掛けて砲撃を仕掛けてきております! 恐れながら、ご退避をッ!」


 三十代半ば、脂の乗ったイケメンであるニコラウスが、ヴィルヘルミネに具申する。

 だがヴィルヘルミネは「くわッ!」と目を見開き、鬼気迫る表情で返した。


「余は、ここにおる。下がりたくば、卿等だけで下がるが良い」


 そして近衛兵に手伝わせ、下馬して陣幕の中へと一人向かうヴィルヘルミネ。


「閣下!」

「誰も――中へ入れるでないッ!」


 さらに言い募るニコラウスに対し、八歳児とは思えぬ厳しい口調で応じる赤毛の令嬢。そして彼女は五メートル四方の陣幕の中へ一人、身を滑り込ませたのである。


「ほっ……」


 陣幕中央にある大きな旗を見上げ、ヴィルヘルミネは表情を緩めた。しかし油断は許されない。降り注ぐ砲弾よりも、今の令嬢には恐ろしいものがあるのだ。それは忍び寄る尿意であり、張り裂け溢れんとしている膀胱の限界であった。


 ヴィルヘルミネは特別に仕立てた大佐の軍服に手を掛け、慌ててズボンを脱ぐ。そしてパンツに手を掛け、一気に作戦を決行した。


 事は為り、赤毛の令嬢は己が尊厳を守り切る。だがしかし、ふと辺りを見渡せば乾いた地面にキラキラと光る大量の液体が溢れていた。そして最大の敵、匂いが立ち上り……。


 ズボンを履きながら、ヴィルヘルミネは考える。外からは今も彼女を呼ぶ声と、凄まじい炸裂音が響いていた。


「閣下! ご退避をッ!」

「分かっておるッ!」


 分かっておる、とヴィルヘルミネは口の中でもう一度、小さく呟いた。

 しかし、もしもここを出てしまえば、兵はすぐにも陣幕を畳むだろう。そうなったとき、おしっこの残骸が見つかってしまう。それだけは令嬢にとって、避けねばならい事態であった。


「ヴィルヘルミネ様! 一体そこで、何をしておいでなのです!?」


 ついに痺れを切らしたニコラウスが、核心に迫る問いを発した。

 確かに陣幕の中、一人で何をしているのかは気になるだろう。ましてや令嬢は、「中に誰も入れるな」と命じている。相応の理由がなければ、不審に思われて当然だった。

 ヴィルヘルミネは足りない頭を捻り、何とか答えを思い付く。


「い、祈っておるのだ! み、皆の為に!」


 本営にいる全将兵が、感動した瞬間だ。

 もはや誰も、ヴィルヘルミネに退避を勧める者はいない。

 それどころニコラウスも兵達と一丸となり、フェルディナントの国歌を歌い始めた。余りにも崇高な令嬢の気概に、誰もが心打たれたのである。


 ■■■■


 ロッソウはオルトレップの突き出した軍刀サーベルを躱し、身を捻った。しかし完璧に躱せたわけでもなく、軽装鎧の胸甲に刃が触れて、火花が散っている。

 オルトレップはロッソウに疲労が溜まっていると見て取り、猛攻を仕掛けていた。


「はぁぁぁぁぁああああああっ!」


 神速の二刀を長柄のハルバードで捌くだけでも、ロッソウの技量は凄まじい。だがこの老将が自らの間合いまで距離を取れる程の余裕を、決してオルトレップは与えなかった。


「死ねッ、ロッソウ!」


 そんな時だ――ヴィルヘルミネ陣営に立てれらた陣幕と、大一角獣旗が目に入ったのは。

 ロッソウは戦いながらも苦笑を浮かべ、勇気を奮い立たせた。


「死ねと言われても、まだ死ねんわ――ヴィルヘルミネ様の気概に、応えねばならんからなッ!」

「年端もいかぬ小娘に忠誠を尽くすなど、耄碌したか?」

「ふん、年齢など――主君の器量に関わりあるまい」

「ああ、どうでもいい……主君など、ただの記号に過ぎぬ。国家が永続すれば、それでよいのだからな」

「嘆かわしいな――名君を戴く喜びを知らぬとは、哀れなものよ。あの陣幕も、兵の為にあるのだぞ」

「まさか……歩兵に向けた砲撃を緩和させるために、小娘が自ら囮になったと……?」


 ロッソウがニヤリと口元を歪めれば、オルトレップは不審気に眉根を寄せる。

 ヴィルヘルミネの立てた陣幕は白髪の老将に力を与え、禿頭の猛将に僅かの隙を齎した。


 そこで隙を衝いたロッソウが、ハルバードを縦に一閃。雷光にも似た老将の一撃は、オルトレップの頭蓋を粉砕するかに思われた。


 しかしオルトレップは直上から迫る白刃に対し、二刀を交差して受け止める。激しい金属音が鳴り響き、青い火花がバッと弾けた。瞬間、禿熊の一刀が根元から折れ飛んで。


「チッ――蝋燭は燃え尽きる前が、最も輝くと言うがッ!」

「二刀が一刀になっては、勝負も付いたと思えるが?」

「こんなもので、勝負が付くものかッ!」


 ロッソウは出撃時、部下から二本の軍刀サーベルを受け取っている。もともと持っていた自前と合わせれば、合計で三本を所持していたのだ。

 だからロッソウは折れた左手の軍刀サーベルを捨て、素早く右手のものに持ち替えた。その手で腰のサーベルを抜き、再び二刀の構えをとる。


「用意周到なことだな、え――小僧」

「アンタ相手に、無傷で勝てるとは思っちゃいないさ。最初からな」

「それはいいが、小僧。お前、どうしてボートガンプなんぞに付いておるのだ?」

「……成り行きだ。そもそも俺は軍人――軍務卿の命令に従うのが当然であろう」

「ならばデッケン男爵に従えば良かろう」

「デッケンは、不当に地位と権力を手に入れた男だ」

「果たして、そうかな? 公国の正統はヴィルヘルミネ様にあり、ボートガンプ候こそが簒奪を企てておるのだぞ」

「一体……何が言いたいのだ?」

「なに――お前さんにな、公国軍人として、正道に戻れと説いておるのだ」


 二人は睨み合ったまま、しばし止まる。

 その時、オルトレップの野砲陣地が陥落した。

 

「やかましいッ! それは今――話すことではないッ! 私の部下達は今も、命懸けで戦っておるのだッ! 佞言を吐くなッ!」


 オルトレップが猛然と突進し、二刀の刃がロッソウの皮膚を切り裂いた。紙一重のところで何とか攻撃を躱したロッソウだが、悲しいかな体力の差が露になりつつある。

 その後、二合、三合と打ち合ううち、ロッソウはいよいよ不利になった。

 

「やれやれ――お前さんがここでワシに勝っても、いったい誰が喜ぶというのだ?」


 額から零れる血で、既にロッソウの視界は赤く染まっている。若い頃なら二刀と言えども、彼には弾き飛ばす力があっただろう。しかし流石の鬼人も、寄る年波には勝てないようだ。


「――野砲陣地が落ちたとあれば、撤収せねば我が歩兵が危ない。このような問答をしている暇など無いのだ、鬼人ロッソウ。その首――貰うぞッ! 嫌ならば退けッ!」

「それはどちらも、出来ぬ相談というものだ」


 突進するオルトレップに対し、ロッソウも同じく突進する。その刹那、老将はハルバードを捨て、腰の軍刀サーベルを抜いた。

 禿頭の猛将がハルバードを迎撃する為に翳した右手のサーベルが、僅かにブレる。この隙を衝いてロッソウは神速で動き、残る力の全てを出し切った。


 むろん隙とはいえ、達人同士にしか分からないものだ。しかし、ロッソウにはそれで充分であった。

 老将はオルトレップの刃を跳ね上げ、そのまま痛烈な拳を敵の顔面に叩き込んだのだ。


 禿頭の猛将は宙に浮き、そして落馬する。

 それと時を同じくしてトリスタン=ケッセルリンクの戦列歩兵が、オルトレップ軍を完全に包囲した。


「命を粗末にすることはあるまい――オルトレップ。降伏せよ。既に勝敗は決した」

「……こうなれば、仕方あるまい。ロッソウ少将。私はどうなってもよい、兵には寛大な処置を頼む」


 ここに、ヴィルヘルミネ軍の勝利が確定した。終わってみれば、圧勝であった。

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