第25話 エルウィンの戦い
敵が火砲を設置した丘の後方へ到達したエルウィンは、その堅牢な防御陣地を見て一瞬だが眉根を寄せた。見事な方陣が敷かれており、いかに前衛の戦列歩兵が居ないからといって、容易に突破できるとは思えない。
――やはりロッソウ少将に、この場を委ねた方が良かったか?
少年の脳裏に、弱気な考えが過る。
確かに老ロッソウがハルバードを持ち、一気に突撃を仕掛けた方が効果的かと思われた。しかしピンクブロンドの髪色をした若き指揮官は、そうした思いを兵には悟られまいと笑みを見せる。そして言った。
「――ヴィルヘルミネ様が考案した、アレをやろうか」
「ハッ!」
平民の下士官が、エルウィンに頷く。
最初は口煩いだけの貴族士官と思われた彼も、ヴィルヘルミネに振り回されたことで、いつの間にか平民と打ち解けていた。
何よりエルウィンは柔軟であり、何事も考え、納得すれば受け入れるのだ。
だから以前は言下に否定したヴィルヘルミネの戦術も、一度有用性に気付けば、それを使うことに躊躇いを覚えない。
また、ロッソウ子爵のような卓越した武力が自分には無いことも、エルウィンは知っていた。だからといって自らが吐いた大言を飲み込めるほど、彼は大人ではないのだ。
大きな野心の前に、小さな目標がある。それは自分なりの戦い方で、ロッソウにもトリスタンにも――何より、あのヴィルヘルミネに己の価値を知らしめたかった。その為には、ここを鮮やかに突破して見せる必要があるのだ。
「行くぞッ!」
自らも
「オオオオオオオォォォォォ!」
自分も、続く騎兵も一丸となって雄叫びを上げる。迎え撃つ側にしてみれば、迫りくる騎馬の巨体と大音声はさぞ恐怖であろう。
軍馬の蹄鉄が大地を蹴って、土と草を跳ね上げた。エルウィンが率いる騎兵二百は矢のような陣形となって、敵中へ突入する――……少なくとも敵兵の目には、そう見えた。
――距離、凡そ五十メートル。四十メートル。
タタタァァーーーン!
敵が一斉に銃撃を開始し、最前列を走るエルウィンの頬を弾丸が掠めた。後ろの馬が嘶き、膝を折る。乗っていた兵が投げ出され、鈍い音が聞こえた。
騎兵が突撃の最中に馬から落ちれば、後続の騎馬に踏まれ無事では済まないだろう。大体の場合、命を落とす。だがエルウィンはそれを気にも留めず、「構えッ!」と命令を発した。
騎兵銃は、馬上で扱うことを考慮される為に銃身が短い。そのせいで当然ながら歩兵銃よりも有効射程が短いのだ。だから敵に対して四十メールに接近したところで、エルウィンはようやく発砲を命じた。
「撃てぇッ!」
まず――エルウィンが狙いを定め、撃つ。
靡く桃色掛かった金髪が、轟く砲声と共に踊る。前方で敵兵の悲鳴が上がり、胸元に血の花を咲かせて倒れた。これを見るとエルウィンはすぐさま手綱を引いて騎馬を反転、敵射程距離からの離脱を図る。
そんな彼に率いられた
「なんだ、あの非常識な戦い方はッ!?」
敵の指揮官が悔し紛れにサーベルで土を斬り、
「とはいえ……」
目を眇めてエルウィン達の背後を見つめる敵指揮官は、決して無能な男ではなかった。この戦術の有用性を、一定だが理解したのだから。
何しろ銃剣を翳して作られた方陣を突破するなど、余程の兵力差が無ければ自殺行為に等しいのだ。見たところ敵は僅か二百であり、だから本気で突破しようとは考えていないのだろう――敵指揮官は、このように考えた。
そもそも方陣の一辺は二百である。仮に敵軍に壊滅させられたとして、まだ三辺の兵力が残っているのだ。それどころか敵に削られた部分を他の辺にいる兵力で補えば、壊滅の怖れすら無かった。
つまりオルトレップ軍の指揮官はエルウィンの行為を、「脅し」と判断したのである。
そして敵が脅しで攻め寄せて来るだけならば、今後
「兵力差により、我が方の勝ちだ」
オルトレップ軍の部隊長は自らの判断に基づき、兵達を鼓舞する。
「よく狙って撃て! 撃ったらすぐに弾を込めろ! 二射目をお見舞いしてやれば、敵は退くであろうよ! 指揮官が、余程の阿呆ではない限りはなッ!」
眼前の敵が
「――突撃」
エルウィンが率いる騎兵の一団は、再び銃を構えて矢の形で前進する。
敵も同じく発砲し、騎兵隊を迎撃。これに味方が数人撃たれ馬上から落ちるところまで、前回と全く同じであった。
しかし――この先が違う。
四十メートルを切った時点でエルウィンは銃を鞍へ戻し、もう一度馬腹を蹴る。馬を最高速へ到達させる為だ。そして叫ぶ。
「総員抜剣ッ! 蹂躙せよッ!」
エルウィン指揮下の騎兵も百九十にまで減っていたが、これまで耐えていた分だけ爆発力も凄まじい。
「「「「「オォォォォォォオオオオオオオ!」」」」」
エルウィンがサーベルを振るうたび、敵陣の中に鮮血が舞う。曇り空の下、雨よりも先に降ったのは大量の血であった。
幾人もの敵兵がサーベルに貫かれ、あるいは馬蹄に頭を砕かれ大地に身体を埋めていく。人馬が織りなす阿鼻叫喚の地獄絵図は、しかし長くは続かなかった。
何故ならエルウィンの目的は砲の無力化であり、敵、戦列歩兵の方陣を崩すことではないからだ。従って彼は敵陣深くへ分け入ると、砲兵達を瞬く間に蹂躙したのである。
こうしてヴィルヘルミネ陣営への砲撃は、ついに止むのだった。
■■■■
エルウィン=フォン=デッケンが局地戦に勝利した一方で、老将ロッソウはオルトレップの二刀を相手に苦戦を強いられている。
「――……オルトレップの小僧が。髪の毛を失った代わりに、大した強さを手に入れたようだな」
「違うな――アンタが衰えたんだ、ロッソウ大佐。いや――今は予備役少将か。アンタが宮廷でのうのうと暮らしている間に、俺がどれだけ戦ったか。その差を味わって死ね」
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