第24話 二刀


 僅かな起伏のある原野は、辺り一帯が枯草色であった。夏が終わり秋となって、実りを終えた植物たちが迎えた眠りの季節。それは大自然の休眠期であり、新たな命が芽吹く春を待つ為の、祈りにも似た時間。しかしその中にあって人々は、神に唾を吐くにも似た行為に明け暮れていた。


 ――戦争だ。


 大地を勝手に区切り、国境や領土を作る。それを自らの大地とのたまい、その内側へ入り込む同族を武器により叩き出す行為。

 欲望と殺意に塗れた人間達が、自らの血を以て贖う勝敗の帰結は、賽の目の如くに不安定なのであった。


 雷鳴にも似た炸裂音を轟かせながら飛翔し、砲弾が大地を抉り爆風をまき散らす。それはただ人間を殺傷する為に作られた武器にも関わらず、大地にも甚大な被害を齎すのだ。草花は千切れ、そこに暮らす動物たちの暮らしを根こそぎ破壊してなお、砲弾の爪痕は時を超えて根深く残るのだった。


 ■■■■

 

 トリスタン=ケッセルリンクの近くで、敵の放った砲弾が爆ぜた。これにより彼の僅か数メートル後ろを行進していた兵が吹き飛び、原形を留めぬ姿で死体となる。彼もまたヴィルヘルミネに忠誠を尽くす、よい男であった。

 

「……よくあることだ」


 左右で色の違う瞳を一瞬だけ後ろへ送り、再び前進するトリスタン。彼は軍務卿の代理として歩兵を統率しているが、下士官時代の癖が抜けず、兵達の最前列を進んでいた。


「怯むな――隊列を乱さず、前進せよ!」


 トリスタンが叫ぶ。

 しかし、彼の耳はまだ周囲の音を拾えていないのだ。キーンと響く耳鳴りが支配して、自分の声すら定かではなかった。


 それでも戦列歩兵を率いている以上、彼は前進する。


 トリスタン=ケッセルリンクは、「食う為に軍人になった」と言って憚らない男であった。それでも近衛大隊へ入隊出来たのは、百九十センチに近い大きな身体と、見目麗しい容姿からである。

 だから公爵家への忠誠心など微塵も無かったが――赤毛の令嬢と接することで、それも大きく変わっていった。


 トリスタンは、自らの軍事的才能を信じていた。

 何しろ周りの貴族連中は、大軍を率いて戦えば、誰が最も強いか――という話こそするが、補給や兵站について論じることは無い。機動力や索敵についても、まったく考えていないような有様であった。だからトリスタンは、そんな奴等に負ける気がしなかったのだ。


 しかし赤毛の令嬢は、そんな貴族達とはまるで違った。

 

「戦に出るなら、食料はどのくらい持っていけばいいのか」「何日でどこまで進めるのだ、食料が無くなったら、最悪、軍馬を食べるのか」「雨が降ったらどうするのだ、パンが濡れるぞ!」


 などなど――、令嬢は、そんなことばかりに興味を示すのだ。それらの質問に全て答えた結果、トリスタンは抜擢された。しかもエルウィン=フォン=デッケン――貴族の目の前で、だ。


 あの時の事を思い出すと、トリスタンは苦笑を禁じ得ない。

 驚きの余り、何の反応も出来なかった。そして本当に彼は大尉となって、貴族のエルウィンを部下にしてしまったのだ。


 あの日から、彼が軍に居る目的は変わった。余りにも変わってしまった。

 今のトリスタン=ケッセルリンクは、なぜ軍に居るのかを問われれば、きっとこう答えるだろう。


「ヴィルヘルミネ様に、勝利を捧げ給うためだ」と。

  

 トリスタン=ケッセルリンクは今、敵陣を目指し、戦列歩兵の中央主力を率いて前進している。数は七百であり、敵陣へ到達してしまえば、右翼、左翼と協力して一揉みに押しつぶせるだろう。

 だから彼はいかに敵の砲弾を浴びようと、死んだとしても必ず前進して敵を倒すのだ。それがヴィルヘルミネの為であり、自らに課した絶対的な責任なのだから。




 なお――ヴィルヘルミネが補給に関してトリスタンに聞いていたのは、軍事行動を半ば遠足と勘違いしていた為である。


「先生! バナナはおやつに入りますか!?」的なノリで、「軍馬も食料に入りますか!?」と聞いたに過ぎないのだった。


 ■■■■


 砲弾が降り注ぐ戦列歩兵の集団を横目に、エルウィン=フォン=デッケンが騎兵二百を率い風のように駆ける。戦場を迂回し、火砲が設置された丘の後背を衝く為だ。


 それにしても――とエルウィンは思う。


 自分に対して色々とぶっきら棒に命令を下していた平民の大尉が、あの戦列歩兵を指揮しているのだ。いざとなれば臆病なのが平民だと内心小馬鹿にしていたが、無数の砲弾に晒されながら、彼の指揮する戦列歩兵は実に見事な行進を見せている。

 

 幾度砲弾を撃ち込まれても、隊列を乱さない。速度も落とさない。

 だからヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナントが認めたのだと思えば、エルウィンは自分も負けるわけにはいかないと、改めて決意するのだった。


 ■■■■

 

 かつて鬼人と呼ばれたヨアヒム=フォン=ロッソウは、目敏く敵の動きを察知した。どうやら敵はエルウィンの部隊を側面より攻撃すべく、騎兵を出撃させるようだ。


 もとより戦列歩兵を援護せよとの命令を受けていた彼は、急ぎ二百の騎兵を率いて本営を出る。

 エルウィンが敵の砲兵陣地を落とせなければ、歩兵がいつまでも砲弾に晒されることとなるのだ。これも立派な援護だろうよ――との理由を付けて。

 そうして口の端を歪めるロッソウは、何だか昔の自分を取り戻したかのようで心が妙に軽かった。


 敵はエルウィンの部隊を阻止する為に、三百程の騎兵を繰り出したらしい。それでもロッソウが騎兵二百で対応しようと思ったのは、「自分であれば、それが出来る」と確信したからだ。

 そうした自信を取り戻させてくれたのは、紛れもなくヴィルヘルミネである。彼は「まったく、感謝しか無い」と呟き、馬腹を蹴った。


 ロッソウは大きく戦場を迂回していくエルウィンと比べて、騎兵を直進に近い形で丘へと向かわせる。これにより敵騎兵は、先にロッソウ隊を迎え撃とうと馬首を翻した。


 両軍の騎兵同士が激突する。

 

「ウォォォォォォオオオオオオオオオオオオ!」


 戦場を圧するロッソウの雄たけびに、敵が怯む。騎兵部隊の先頭を駆ける鬼人は、ハルバードを一閃。地上に銀の三日月を残して、敵の首が宙を舞う。途端、鮮血が原野を赤く彩った。

 ロッソウがハルバードを振るうたび、敵兵の悲鳴が響き渡る。彼に匹敵する勇将は、何処にもいないかの様であった。


 ■■■■

 

 オルトレップ大佐は敵軍には火砲が無いと、いち早く気付いていた。だからこそ火力の優位を活かそうと、小さな丘の上に陣営を築いたのだ。そして主力でこれを守り、火力によって敵を撃砕しようと考えていた。


 この作戦は当初こそ上手く行くかに思われたのだが、いかに砲弾を撃ち込んでも、敵の戦列歩兵は一切の乱れを見せない。よほど士気が高いか、優秀な指揮官がいるか――あるいは、その両方かと思われた。

 そのうち敵の後方に大きな一角獣旗が上がり、陣幕が張られたではないか。


「大佐! 敵の指揮官が、あそこにいると思われます! 砲撃なさいますかッ!?」


 部下に言われ、大佐は焦った。

 大一角獣旗の使用を許されているのは、公爵か摂政のみ。つまりは、あの場所にヴィルヘルミネがいるということだ。


 オルトレップ大佐は、腐っても公国の軍人である。その彼に、公爵令嬢を殺すという判断は出来かねた。だから彼にしては珍しく、曖昧な命令を下してしまったのだ。


「――ええい、撃て! ただし陣幕には当てるな、脅すだけで構わんッ! 相手は所詮、八歳の小娘なのだぞッ!」

「はっ! では、戦列歩兵の方へは?」

「……三門の砲で歩兵を、残り三門で陣幕を狙えッ! その程度の判断も出来んのか、貴様らはッ!」


 こうして戦列歩兵への攻撃が和らいだことで、トリスタンは危機的状況を脱することが出来た。

 それと同時に陣幕への攻撃を見た鬼人ロッソウが、獅子奮迅の働きを見せる。それはもはや全てを突破して、オルトレップの本陣へと迫る勢いであった。


「フン――あの老人め……年甲斐もなく、ここまで突撃してくるつもりか。おい、サーベルを持ってこい! 二本だぞ!」


 オルトレップは大音声で部下に命じ、サーベルを受け取った。これを腰のベルトに着けた円環へ通し、彼は三本のサーベルを所持して言う。


「騎兵百、俺に付いてこい。小うるさい老人を血祭りに上げねば、我が虎の子の砲兵が危険だからな」

「「「ウォォォォオオオオ! 二刀の出陣だァァァアア!」」」


 傍にいた騎兵達から、大歓声が上がる。

 そう、彼は「禿熊」と兵士達から綽名されていたが――敵軍からは「二刀」と呼ばれ、恐れられる男。だからこそハッセル伯爵は彼を重用し、騎士階級でありながらも連隊長に起用していたのだった。

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