第22話 敵将、驚く
ボートガンプ軍の第一軍における司令官はハッセル伯爵だが、彼には三人の信頼する部下がいた。その彼等が各々に連隊を率い、別動隊として進軍しているのだ。
中でもハッセル伯の本隊に続く形で、ツヴァイクシュタインより一日遅れて進発した部隊、これを指揮するオルトレップ大佐は、特に信任が厚い男であった。
このオルトレップは騎士階級からの叩き上げで、唯一連隊長にまでなった男だ。それだけに用兵は堅実で、特に騎兵の運用には定評がある。年齢も四十六歳とハッセル伯よりも上であり、彼の懐刀とも呼べる存在であった。
オルトレップの特徴は厳めしい顔と極太の口髭であり、いかにも戦士という風貌をしていることだろう。また髪の毛が一本も無く、故に冬場は厚手の軍帽が手放せない点も十分に個性的であった。
冬場のオルトレップは「うぅ、寒いのう!」と口癖のように言うが、彼の厳めしい顔と冷徹な性格により、部下達は微妙な笑みを浮かべ、追従の為に頷くことしか出来ないのだという。
それでも部下達は陰で彼に綽名を付け「――あの禿熊」と呼ぶのだから、それなりに愛され信頼されてもいるのだった。
そのオルトレップ大佐だが、今は二千の部隊を率い、ハッセル伯の部隊から凡そ二十キロほど後方を進軍中だ。今は昼食の為、全軍に休止を命じたところである。
「――全軍、止まれ。ここで一時間ほど休む。幕舎は不要だ、火を使うことは許可する。ただし、湯を沸かす程度に留めろ」
オルトレップは馬を降りると簡易の椅子に座り、暖かな紅茶を用意するよう部下に命じてから瞼を閉じる。干し肉でも齧ろうかと思ったが、その程度なら馬上でも問題はない。
空腹でもないのに腹を満たす必要を感じず、彼は静かに息を吐く。これから戦う相手が同じフェルディナント人だと思えば、憂鬱な気分にもなるのだ。
――まったく、私利私欲のために兵を巻き込むなど――……いかにハッセル卿の命令とはいえ、やってられるか!
そんな気分のところへ満身創痍の騎兵が現れ、「奇襲を受けて、ハッセル伯の部隊が壊滅しました」などと報告を齎すものだから、オルトレップは鼻で笑い、こう言い放った。
「ハンッ――この辺りはまだ、ボートガンプ侯の勢力圏だぞ。一体どこの誰が奇襲を仕掛け、お前達を壊滅させたというのだ? 寝言は寝て言わんか、あぁん!?」
だが実際ヴィルヘルミネに敗れた騎兵は、顔を真っ赤にして言い募る。
「嘘だとお思いなら、私を処断なさればよろしいでしょう。ただし、後で敵に襲われても知りませんからなッ!」
「フン――……俺の言葉に臆さんなら、肝は据わっておるようだな。では、何もせず逃げたわけでもあるまい。で、どこの誰にやられたというのだ?」
「ヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナント様の軍勢です!」
「馬鹿な……どうして赤毛の小娘が、テーレ川を渡りこんなところまで来られるというのだ? 証拠はあるのか?」
「一角獣旗です。奇襲を受けた際ハッキリと、それをこの目で見ました!」
オルトレップは額に手を当て、考える。
ハッセル伯は作戦計画こそ見事だが、想定外のことに出くわすと脆いのだ。その意味では、奇襲されてあっさり敗れたと聞けば、あり得ることであった。
だが――それにしても脆すぎる。撤退や後退を強いられたなら理解も出来るが、壊滅とはいかなることか。
「敵軍を率いていたのは、一体誰か?」
「総指揮を執っていた人物は、分かりません。しかし騎兵を率いていた者なら、しかとこの目で見ました。白髪の老将軍です」
「白髪の老将……特徴は?」
「はい。それはもう凄まじい勢いでハルバードを振り回し、人を紙切れのように薙ぎ払うのです。そうかと思えば指揮ぶりも見事なもので、騎兵を手足のように操っていました。しかも戦いながら笑っていて、あれはもう、同じ人間とは思えません」
「なるほど。ハルバードを持ち、戦いながら笑う老将か……」
黒々とした口髭を摘み、「ふうむ」と唸るオルトレップ大佐。叩き上げの彼だからこそ、そんな人物に思い当たる節があった。
「笑う鬼人――ヨアヒム」と言えば、ある種の戦場伝説だ。一人で百人を斬り殺したとか、銃弾の中を一騎駆けして傷一つ負わなかったなど――いくつもの逸話があった。
オルトレップ自身もまだ若い頃、彼に従い戦ったことがある。それは味方でありながらも、身震いするものであった。正直、確かにアレとは戦いたくないと思う。
「ヨアヒム=フォン=ロッソウ子爵だ――その男は」
太い眉を寄せ、壮年の大佐が傷ついた騎兵に言う。厚手の帽子を取り、禿頭をペシペシと叩いた。
「は――いえ、その、ロッソウ子爵と言えば、建築交通大臣では? なぜ――……」
傷が痛むのだろう、騎兵は一瞬だけ眉を顰めた。それでもオルトレップの前では直立不動で、軍人として規律を保っている。
「そう、その建築交通大臣だ。あの男はな、プロイシェに恐れられ、戦場へ出られぬ立場へと追いやられたのだ。なにせ歴代の政権がプロイシェ派であったからな」
「では、それをヴィルヘルミネ様は巧みに利用し、戦場へ彼を引きずり出したと?」
「いや、それは無かろう。本人は退役させられたことを、己が非才ゆえと思ったらしい。それでも大臣に叙されたことを先代の公爵閣下に感謝し、更なる忠誠を誓ったのだからな」
「では、どうして……」
「そこまでは知らんし、そんなことはどうでもいい。――敵の数は、どれ程だったのだ?」
「……はッ! し、しかとは確認出来ませんでしたが、四千――いえ、場合によっては五千かも……」
「ふむ。して、ハッセル伯はいずこにおられる、ご無事か?」
「それが、その……行方知れずに……」
「……分かった、もう下がってよいぞ。疑って悪かったな、ご苦労であった」
必要な話を聞き終えると、騎兵を労いオルトレップは沈思する。
敵の数が四千から五千ということは、まずあり得ない。何故ならヴィルヘルミネ軍が、全軍でも四千に満たないことは明らかだったからだ。
であれば多くて三千、少なければ同数の二千ということもあり得る。だがここで希望的観測をしないオルトレップは、ヴィルヘルミネ軍を約三千と推察した。
さて次の疑問は、敵軍の速さだ。
鬼人ヨアヒムが騎兵を率いていたと言ったが、騎兵だけの三千ということは無いだろう。
ならば、かなり前から歩兵を伏せ、奇襲をしたのだろうか?
しかしその考えは釈然とせず、オルトレップは頭を振った。
幸い、オルトレップが今いる場所は見晴らしの良い原野である。近くには小さな丘陵もあり、砲兵を配置するにも適していた。
そこで彼は、ついに決めた。
ハッセル伯が敗れたとして、行方不明ならこちらへ逃げてくるかも知れない。であれば自分はここで、敵を迎え撃ちハッセル伯を探すのみである――と。
むろんハッセル伯の部隊を破った敵軍が、そのまま撤退する可能性もあった。
敵がこちらの戦力を削ることのみを目的としていたのなら、むしろそちらの方が自然だろう。それはそれで、オルトレップとしては構わない。その場合はハッセル伯の捜索に全力を注げば良いのだから。
どちらにしろ急ぎ軍を展開しなければ――そう考え命令を下そうとしたところで、オルトレップに急を知らせる報告が齎された。
「前方に敵影! 一角獣旗! ヴィルヘルミネ軍ですッ!」
「フンッ、予想以上に速いではないか……で、指揮官が誰か、確認できるか」
「はッ――……それが」
「それが、なんだ?」
歯切れの悪い部下に、オルトレップは苛立った。
「ヴィ、ヴィルヘルミネ様……です! 軍旗の下、本人がいますッ!」
「なにィ!? あ、あのお子様……! 本当に軍事の天才なのかッ!?」
部下の余りにもなトンデモ発言に、従卒から望遠鏡をひったくるオルトレップ。
覗き込んだレンズの先で拡大されるのは、数名の武官を従え馬に乗る赤毛の令嬢――確かに八歳のヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナントなのであった。
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