第21話 奇襲
「せ、先輩、……こ、これでいいんスよね……?」
間近に迫った敵を見て、ヴィルヘルミネ軍に志願した少年が、隣で
「おう――……ちゃんと火皿にも火薬、入れとけよ。鉛玉が出なきゃ、コイツァただの棒ッキレだ」
「わ、分かってますよ、もちろん……!」
「ああ、そうだ。
「は、はい! ちゃんと訓練しましたから……!」
「訓練ね、新兵が一週間足らずで初陣とはなァ。とにかくオメー、死ぬんじゃねぇぞ」
「な、何言ってるっスか、先輩。俺――ヴィルヘルミネ様の為に死ぬ覚悟で来たんスよ……だから……」
「静かに。ここで敵に見つかったら、それこそ本当に死んじまうぜ」
茂みから街道までの距離は三十メートルと少しだ。敵はまだ潜伏しているヴィルヘルミネ軍に気付かず、行軍を続けている。彼等は自らの足音により、茂みに潜む敵に気付かないのだろう。
「し、死ぬのなんて……こ、ここ、怖くなんかねえっス……!」
だが目前に迫る敵を見て、志願したヴィルヘルミネ軍の新兵はガチガチと奥歯を鳴らしている。もうすぐ自分は死ぬかも知れないと思えば、やはり平静ではいられないのだった。
「まあ、落ち着けって。敵は着剣してねぇし、まだ弾も込めていねぇ。コイツァよ、完全に奇襲ってヤツだ。うまく事が運べばな、赤毛の嬢ちゃんが勝つぜ。てこたぁ、お前、勝ち戦で死ぬなんざ勿体ねぇだろう?」
「ほ、本当っスか? か、勝てるっスか? だったら俺、絶対に生き残るっス!」
ヴィルヘルミネが、振り上げていた指揮杖を下ろす。そして静かな口調で命じた。
「――攻撃を始めよ」
やや吊り上がった紅玉の瞳は、敵を見据えて離さない。
そんなヴィルヘルミネの命令を、軍務卿ニコラウスが適切なものに変換する。
「全軍前進――斉射二連!」
ニコラウスの命令が各部隊に伝達されるや、現場指揮官達が最前列に躍り出て、サーベルを振り翳す。
「前進――撃てッ!」
辺りに雷鳴のような射撃音が響き、森の鳥達が一斉に飛び立った。
元軍務卿が指揮するボートガンプ軍二千は、突如として出現した敵兵に慌てながら、次々と打ち倒されていく。
ヴィルヘルミネ軍は道の両側に兵をハの字に並べ、射撃しながらボートガンプ軍を押し包むように展開。敵との距離、約二十メートルのところで足を止める。
■■■■
「な、何をしておる! 反撃だ! 反撃せよ! 弾込め! 撃てッ!」
隊列の中程で、半狂乱になった元軍務卿のハッセル伯爵が叫ぶ。だがこの命令自体が、大きな間違いであった。まず彼等は陣形を整えるべきであったし、射撃を終えて二十メートルまで迫った敵には、もはや
実際、ヴィルヘルミネ軍は既に着剣を終え、突撃の準備を整えていた。
しかもボートガンプ軍の背後には、ロッソウ率いる騎兵隊が迫っている。これに指揮官であるハッセル伯は、またも適切な判断を下せなかった。
「閣下! 後背より敵騎兵が迫っております!」
「なにッ!? なぜ後ろから敵が来るのかッ!? 非常識なッ!」
戦場に常識も非常識も無い。
これはもともとトリスタンの献策により先行させた騎兵が、大きく迂回して敵の後背を突いただけのこと。軍事的にはよくある騎兵の使い方である。
だというのに動転してしまったハッセル伯は、そうした推測すら出来なかった。
これにより僅か二千のボートガンプ軍ではあったが、後方は後方で独自に対処することとなる。
このボートガンプ軍の後衛も、やはり騎兵であった。
「敵を止めろッ! 突っ込ませてはならん! 壊滅するぞッ!」
騎兵指揮官の命令が下る。だがこれは、もはや悲痛な叫びと同義であった。
騎兵の本領は、疾走による突破力。
しかしボートガンプ軍の騎兵は止まった状態で反転を余儀なくされ、しかも密集している。これでは騎兵本来の力を生かすなど、不可能であった。
しかも相手は歴戦のロッソウであり、既に十分加速している騎兵達だ。
並足から駆け足――そして「突撃ィィィ!」と大音声を発したロッソウに従い、ヴィルヘルミネの騎兵達が奔流となってボートガンプ軍二千へ襲い掛かる。
自身の騎馬を敵軍に躍り込ませたロッソウは、老いを全く感じさせない体裁きでハルバードを一閃。最初の敵を血祭りに上げた。
「ウォォォォォオオオオオオオオッ!」
ロッソウを先頭にして、サーベルを掲げた騎兵が次々に敵の只中を割っていく。やがてそれが歩兵部隊へと至り、ついにハッセル伯が指揮するボートガンプ軍は組織的な抵抗力を失った。
「ほっほ――何と他愛のない」
好々爺らしい笑みを見せながら本営に戻った血塗れのロッソウを見て、ヴィルヘルミネは「ふぇぇえ」と幾度も目を瞬いている。危うく気を失うところであった。
だがこの日のことを、赤毛の令嬢は生涯忘れないであろう。
敵味方問わず、自分の命令で人が死ぬ。
このことがヴィルヘルミネの精神に、大きな影響を及ぼすのだった。
ちなみにこの戦闘に参加したボートガンプ軍は二千。そのうち二百余名が戦死し、四百余名が重軽傷。千名程が逃走し行方不明となった。主将たるハッセル伯も姿を晦まし、この軍は見事に壊滅したのである。
一方ヴィルヘルミネ軍は負傷者十二名であり、全員が軽傷だった。この中にロッソウ子爵の「腰痛」も入っているのだが、それは違うんじゃあないかとニコラウスに言われ、のちに負傷者数が十一名に改まったという。
「老い先短い老人を労われッ!」そう言うロッソウに、「いやまぁ、あれだけハルバードを振り回せるなら、あと五十年は現役でいられるのでは?」なんて返したニコラウス。
何だかんだと、年長組二人の仲は良かったのである。
■■■■
組織的な抵抗力を失ったボートガンプ軍は、その大半が散り散りに逃げて行った。元より貴族達が強引に連れてきた平民兵であり、士気も高くないのだ。それも当然であろう。
ヴィルヘルミネ軍としては指揮官であるハッセル伯を捕らえたかったが、彼もその中に紛れ、逃げ出したようだ。捕らえた幾人かの者による証言だと、ハッセル伯は山の中、北西へ向かい逃走したとのことであった。
この報告にトリスタンが珍しく眉根を寄せて、「ふうむ」と考える仕草で応じている。
ヴィルヘルミネも少し心配になったので、「何か?」と聞いてみた。
「いえ、単純に街道を戻ったということであれば、後続の軍と合流したのでしょうが……しかし山中を進むとなれば、別動隊と合流するのでは、と」
「ならばハッセル伯はまだ、進軍を諦めていないと?」
エルウィンの父ニコラウスも眉根を寄せて、手綱を握る手に力を込める。会心の勝利であっただけに、その主将を逃がしたことが悔やまれた。
だがニコラウスはすぐに気持ちを切り替え、周囲を見回して言う。
「まあいい――ともあれ残敵の掃討をしましょう。組織的な抵抗が無くなったとはいえ、武装解除が済んだ訳ではありませんからな」
「いや――……」
ニコラウスの提案を阻んだのは、なんとヴィルヘルミネだった。
赤毛の令嬢にとって、これだけ一度に大勢の人が死ぬ様を見るのは初めてのこと。表情はいつも通り変わらないが、相当にショックを受けているのだ。
喉はカラカラに乾いているし、顔だってよく見れば蒼白。何故か頭のてっぺんに出来たアホ毛が、力なく揺れている。
今、ヴィルヘルミネは「生存者を全力で助けよ」と命令したかった。もしかしたらハドラーがいれば、彼女の想いを理解してくれたかも知れない。
だが残念ながらここは、脳がカチコチの筋肉で出来た武官ばかりだったのである。
「僕もヴィルヘルミネ様に賛成です」
「ぷぇ?」
エルウィンの発言に顔を輝かせるヴィルヘルミネだが、次の瞬間、それは絶望に変わった。
「残敵などどうでも良いのです、軍務卿。ここは後続の二千も、今日の内に叩いておくべきだと具申いたします」
実の父親に対して軍務卿と呼び、さらなる戦を追い求めるプラチナブロンドの髪を持つ純粋戦士。ヴィルヘルミネは彼の美しい横顔を見て、「この悪魔が……」と思った。
なのにエルウィンは赤毛の令嬢を見て微笑み、「勝利を盤石のものにせねば、ですよね」と頷いている。赤毛の令嬢は「ぶっ殺すぞ!」と思ったものの、余りにも顔が綺麗すぎたので、思わず日和った。
「あ、あう……うむ」
しかしそれでも馬上で手を伸ばし、「違う」と言いたいヴィルヘルミネ。だけどエルウィンの煌めく笑顔が眩しくて、またもうっかり篭絡されていた。「ひゃぁああ、かっこいい」
「……流石はヴィルヘルミネ様、戦局全体を読んでおられる。我等は今、ほとんど損害を出さずに勝利を収めました。この勢いで後続の二千と戦わば、必ずや勝てるでしょう」
目深に被った軍帽の下に、静かな闘志を漲らせ語るのはトリスタンだ。ヴィルヘルミネは全く戦局など読んでいないというのに、彼女を見つめる彼の双眸は、もはや狂信者の輝きなのであった。
「あ、あう……」
やはり、「生存者を救助せよ」と言えない赤毛の令嬢。
こうしてヴィルヘルミネは売られる子牛のような気分で、全軍を率い次の戦場へと向かうのであった。
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