第20話 遠足? いいえ、遠征です


 三千の兵を率いる征旅の途上、ヴィルヘルミネは何事かを思い出し、深い溜息を吐き顔を赤くしている。

 先日、作戦会議で自分が言った言葉が、今では恥ずかしくてたまらないのだ。


 確かに軍馬は三千あるが、純然たる騎兵は六百しかいなかった。竜騎兵としてさえ、運用可能なのは千が精精である。


 だというのに自分はドヤ顔を浮かべ「三千の騎兵」と言ってしまったのだ。恥ずかしくてもう、「ぷぎゃーーーーー!」と叫びながら、ゴロゴロ転がりたい気分だった。


 そもそも純然たる騎兵とは、人馬共に敵中へ躍り込むことの出来る勇猛果敢な兵種だ。その意味において適正な訓練を積んでいる者は近衛大隊で二百名、デッケン連隊でも四百名に過ぎない。


 もちろん近衛大隊は全員騎乗できるが、それでも統一的な騎兵部隊として運用するには練度に差がありすぎた。近衛大隊ですらこれなのに、突貫で三千もの騎兵隊を編成するなど不可能である。


 しかし、それでも今ヴィルヘルミネは三千の騎乗した兵を率い、敵を各個撃破すべく進軍している。

 つまりこれはトリスタン=ケッセルリンクがヴィルヘルミネ案を検討し、彼女の無茶な作戦を強引に実現させてしまったからこそ可能な、強行軍なのだった。


 トリスタンは近衛大隊六百とデッケン連隊の騎兵四百はそのまま騎馬兵として運用し、残る歩兵も全て馬に乗せてしまったのである。

 要するに歩兵の中でも騎乗できる者は馬に乗せ、馬に乗れない者は乗れる者の後ろに乗せ、行軍させるのだ。運用思想としては歩兵を馬で移動させるという竜騎兵的発想の発展形であり、替え馬さえ用意出来れば、これも可能だと彼は考えたらしい。

 

 ――もちろん、軍馬の不足という問題点はあった。

 

 しかし、その問題点を解決できたからこそ、今があるのだ。

 トリスタンは民間から新たに馬を買い付け、行軍にはさらに千五百頭ほどを随従させ、荷駄としても活用している。資金は幸いヴィルヘルミネが多くの貴族を追放したことで、罰金により国庫が潤っていたのだ。


 こうした兵の運用、補給、兵站に関する限り、トリスタン=ケッセルリンクという男は実に有能であり、彼に掛かれば、どのような無茶、無謀も実現出来るのではないかと思える程なのであった。


 ――といっても圧倒的な機動力の代償として、流石に食料は五日分しか無い。従って一手でも間違えば撤退を余儀なくされる、難しい戦いとなるだろう。


 この戦にヴィルヘルミネは幕僚として、ニコラウス、トリスタン、エルウィン、ロッソウ、そしてゾフィーを従え、まだ暗い夜の中、軍を進めるのだった。


 ■■■■


 軍を進発させたのは昨日深夜のこと、馬の口には木の板を噛ませ、蹄に布を巻いての行軍である。隠密行動の代償であった。


「――じい、道はこっちで良いのか?」


 赤毛の令嬢は二日目になる払暁の空を見上げ、吹き抜ける寒風に目を細めながら、隣を行く老人に声を掛ける。

 老人の名はヨアヒム=フォン=ロッソウ。フェルディナント公国の建築交通大臣であり、なんと彼は予備役少将であった。


 老ロッソウはかつてプロイシェのフリッツ大王とも轡を並べて戦ったことがあるし、あるいは敵対して干戈を交えたこともある。名将として名を馳せることこそ無かったが、ハルバードの名手として二十年ほど前までは、各国にその名を恐れられた存在だったという。

 

 そのことをトリスタン=ケッセルリンクが思い出したように言うと、老ロッソウは顔を紅潮させて従軍を申し出たのだった。


「――ぬぅぅぅぅおおう! 今こそヴィルヘルミネ様のお役に立つときにござるッ! 従兵よッ、わしのハルバードをもてぇいッ!」


 ――で、現在に至るのだ。


 そもそもロッソウは建築交通大臣。彼はいくつもの街道や側道を知っているし、あるいは道ではない道も熟知している。

 つまり深夜出発した三千の兵を安全かつ迅速でありながら、敵の斥候にも悟られないよう行軍させる為には、彼の能力が不可欠だったのだ。


 しかし赤毛の令嬢はロッソウの能力など知らない。なぜかトリスタンが頼りにする彼のことを、ただのイケオジだと思っているから、その道案内が不安で仕方ないのだ。それで先程のように「じい、道はこっちでよいのか?」などと、眉根を寄せて質問をするのだった。


「ヴィルヘルミネ様、ご安心めされよ。我等は既にザクセン平原を越え、テーレも渡河しておりまする。あとは山間の森を縫うよう進むだけにございますれば――……」

「うむ。じゃから、その道が心配なのじゃが……」

「くわぁっあああつッ!」

「ヒィ! ……なんじゃ、じい?」

「恐れ多くも先の公爵閣下より建築交通大臣を拝命した不肖ロッソウ! この『じい』めが、道など間違えるはずがござらん!」


 軍服の上から身に着けた鈍色の胸甲を拳で叩き、大きく頷くロッソウ子爵。

 でもヴィルヘルミネに「じい」と呼ばれることが、ちょっと嬉しいからホッコリする。なので、ついつい目尻が下がる、白髪のイケオジな老将なのであった。


 そんなロッソウを見てヴィルヘルミネは「だいじょうぶかなぁ?」と思いながらも、ナイスミドルなので許すことにした。おじいちゃんっ子は、どうしたっておじいちゃんに弱いのである。


「……で、あるか」


 ■■■■


 連日の夜を徹した行軍に、お子様なヴィルヘルミネはとても眠い。だったら来なければ良いのだが、近頃の彼女にとって遊び友達といえば、近衛大隊のみんなであった。

 なので本人は思わず付いてきてしまっただけなのだが、いつの間にやら全軍の総指揮官になっている。幾度となく不思議そうに首を傾げる、赤毛の公爵令嬢なのであった。


 さて――ヴィルヘルミネの部隊がツヴァイクシュタインから先行したハッセル伯の軍勢を捕捉したのは早朝、東の地平線から漸く姿を見せた太陽が、山の稜線を金色に煌めかせた頃のことだった。

 このような大自然の中で朝日を見るなど滅多に無いヴィルヘルミネ。珍しくポカンと口を開き、「ふぁああ」と感嘆の声を上げている。


 ――――その時、報告が齎された。


「前方、凡そ五キロの地点に敵! 野営の煙を辿ったところ、敵の幕舎を見つけました! 歩兵千五百、騎兵五百と思われます! また、敵はその後幕舎を畳み進軍を開始――現在は三列縦隊にて街道をこちらへ向かい、進んでおります!」


 斥候の報告にトリスタンと軍務大臣ニコラウスが頷き、馬上のヴィルヘルミネに馬を寄せる。助言をして、指示を仰ぐためだ。

 しかしその前に、令嬢の傍に控えるゾフィーが言った。


「ヴィルヘルミネ様。ここは兵を伏せ、二時間ほど敵を待っては如何でしょう? そうすれば兵を休ませることが出来ますし、有利な地形で戦闘に突入することが出来ます」


 金髪少女の提案に、オッドアイの大尉が目を見張り、軍務卿も「ほう」と口を動かした。


 赤毛の令嬢は独創的な作戦を立案するが、金髪の少女も負けてはいない。彼女の方は兵の疲労まで考え、きめ細やかな兵の運用をするようだ。

 二人はそのように考え、改めて金髪の従者に目を向けた。


「確かに――ここであれば、街道の側面は両側とも起伏に富んだ森です。五百の騎兵のみを先行させ、歩兵は伏せておくのが良策でしょう。むろん、そのようにすれば接敵は凡そ二時間後。一時間ばかり兵を休ませ、軽い食事を取らせることも出来ますな」


 トリスタンがゾフィーの後押しをして、方針が定まった。 


「摂政閣下は、良い従者をお持ちだ」


 ニコラウスの言葉に、ゾフィーが顔を赤らめる。


「そ、そんな、わたしなんて……」

「な、ゾフィーは可愛いかろ、ニコラウス。でもやらぬぞ」


 我が意を得たりと胸を張るヴィルヘルミネ。しかしその返答は、どこまでも的外れなものであった。


 先行する五百の騎兵を率いて行ったのは、ロッソウ子爵だ。敵に隠れながら接近するならば、彼が適任であろう、ということだった。


「腕が鳴るわい!」


 などと言うロッソウの様子を見ると、とても隠密行動には見えなかったが……。


 そして二時間後――相も変わらず三列縦隊で行軍する敵軍を見て、ヴィルヘルミネは指揮杖を持った小さな手を振り上げる。これを下ろせば街道の両側に隠れた戦列歩兵二千五百が姿を現し、一斉射撃を始めるのだ。

 

 いつもと変わらぬ兵隊ごっこのようでいて、場の空気感がまるで違う。

 ヴィルヘルミネは我知らず、空いた手でゾフィーの手をギュッと握っているのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る