第19話 ヴィルヘルミネの大作戦


 ボートガンプに対し断固たる行動に出ることを明言したフェルディナント公国政府だが、しかし敵の拠点へ攻め込むような愚は犯さなかった。

 何しろ敵軍の一万五千に対し、味方は志願してきた民兵を合わせても三千八百に過ぎない。いかにヴィルヘルミネ麾下の将帥が強気といっても、この兵力で敵拠点を攻め落とせるなどと考える愚か者は、いないのだ。

 

 一方ボートガンプ陣営にも誤算はある。頼みのプロイシェが不審な動きを見せたのち、キーエフに攻め込まれた。その結果、支援を得られなくなったこと。それからヴィルヘルミネ側の兵力が、これ程までに増えるとは思わなかったことだ。

 ゆえにこの穴埋めとして急ぎ徴兵し、一万五千名まで兵を増員をしている。これは近隣の町や村から人攫い同然に集めた兵であったから、当然のように士気も低い。


 だがボートガンプは、ヴィルヘルミネも同様に兵力を増したのだと考えていた。だから敵軍の三倍以上となった兵力をもち、ようやく攻勢を掛けることにしたのだ。

 俗に攻城戦の場合、敵兵力の三倍を必要とする――という、これを実践したのである。


 とはいえ、いかにボートガンプ侯爵の拠点とはいえ、一万五千もの兵を一か所に集め、そのまま運用することなど出来ない。人口十万人に満たない街に一万五千の兵がいては、人々の暮らしが立ち行かなくなるのだ。

 それだけではない。兵士達の宿泊施設も確保できないし、食料、燃料など物資の調達を考えても一つの町だけで、これを賄えるものではないのだ。


 従ってボートガンプ侯爵は軍勢を二つに分けて編成し、集結させる時期を前後させた。まず最初に集めた兵は八千名。これを第一軍として、元軍務卿たるゲオルグ=フォン=ハッセルを指揮官とする。

 さらにこの第一軍も三つの拠点から進発させることで、兵站における負担を軽減させる計画だった。


 これによりツヴァイクシュタインから進発する兵は、まず二千。次いで翌日にもう二千という形で、合計四千である。

 他にはツヴァイクシュタインの北と南にある町からそれぞれ二千ずつが進発し、公都バルトラインを目指すことになっていた。

 また、ハッセルはテーレ川を渡った先にあるザクセン平原において、この四つの部隊を集結させる予定である。


 テーレ川はフェルディナントを南北に縦断する大河であり、これこそツヴァイクシュタインと公都バルトラインを隔てる川なのだ。そして、その先にあるザクセン平原は野戦に適した地として、公国の軍人であれば知らぬ者のいない場所である。


 つまり、ここで麾下八千の兵を集結させる意図は各個撃破を防ぐ為であり、そのまま公都まで安全に進撃する為である。そして公都に到着後、改めて後続のボートガンプ侯爵が直率する第二軍、七千の軍勢を待つ――という作戦であった。


 ボートガンプはこの作戦計画を眉毛がほぼ無いハッセル伯爵から聞き、弛んだ腹を大きく揺らし笑ったという。


「と、まあ――これならば、仮にヴィルヘルミネ軍がザクセンにて我らに野戦を挑んできたとして、容易く撃砕できるでしょう」

「はーっははははッ! 確かに、これなら勝利は間違いない! 流石はハッセル殿だ! ヴィルヘルミネめ! 私の提案を退けるから、その首を失うことになるのだぞッ!」

 

 こうしてずんぐりとした体形の侯爵は今、屋敷の一室からハッセルに率いられ進発していく軍勢を見つめ、葡萄酒の入ったグラスを掲げている。

 もはや勝利を確信しているボートガンプは、一人「乾杯プロ―ジット」と声を発するのだった。


 ■■■■


 敵軍進発の報が公宮に齎されたのは、昼を僅かに過ぎた頃だ。ヴィルヘルミネは相変わらず兵隊ごっこに夢中であったが、これはむしろヤケクソであった。

 どうせ死ぬならイケメンの中で死にたい――などと遠い目をしてゾフィーを困らせたことも、二度や三度ではない。


 この報告を聞いたヴィルヘルミネは、すぐにも重臣一同を集め、会議を開いた。

 まあ、ヴィルヘルミネに言われるまでもなく閣僚の三名と軍事指揮官たるトリスタン、エルウィンの両名も会議室に集まったのだが……。

 しかし、今日の会議はいつもと様相も部屋も異なっている。ことが極度の隠密性を有する、作戦会議だからだった。


 作戦会議を主な目的とするこの部屋は、窓がなく昼間でも明かりを消せば真っ暗になる。それは間諜などを防ぐ為で、壁は分厚いレンガづくり、扉も鉄の重厚なものが一枚あるだけだ。

 万が一にも情報が漏れれば、数百、数千の兵が死ぬこともある。それを考えれば、決して部屋の構造に手を抜くべきではないし、迂闊な場所で語り合うなど論外なのであった。


 いま彼等を照らすのは、頭上にある円環を連ねたシャンデリアの明かりだけだ。蝋燭の灯によって各人の顔に浮きでる影が、ユラユラと揺らめいている。

 最初に口火を切ったのは、軍務大臣たるニコラウス=フォン=デッケンであった。


「敵は八千を四隊に分けて、こちらへ向かうようです。と言っても現在進発が確認されたのは、ツヴァイクシュタインから進発した二千と、北の町ザラから二千、南の町ヨーグからの二千だけですが……」


 ニコラウスは息子と同じくピンクブロンドの長髪で、これを背中で纏めている。

 親子の背格好は酷似していたが、息子の方は後頭部で髪を纏めている為、後ろから見ても彼等を間違えることは無い。

 彼は部屋の中央に置かれた長机の上にある地図に四つの駒を置き、その三つを指で摘み動かした。


「ツヴァイクシュタインからの後続部隊が出るのは明日、といったところでしょうか?」


 ヘルムートがボートガンプの拠点を示す地点に置かれた駒をつつき、それから腕組みをする。彼は軍事の専門家ではないから、なぜ纏めて兵を動かさないのか――その理由がイマイチ分からなかった。


「――で、しょうね。今回は国内で戦う以上、略奪なんて出来ません。となると同時に四千もの兵を動かすのは、危険過ぎますから」


 エルウィンが頷き、ヘルムートの疑問に答える。そして言葉を続けた。


「ただ、敵が八千なら――籠城戦術で負けることは無いかと」

「いや。ボートガンプの総兵力は、今や一万五千。これは我々を籠城させる為の先遣隊とみるべきでしょう。必ず後続の部隊が出てきます」


 この中で最も長身の男、トリスタン=ケッセルリンクが首を左右に振る。


「大尉……では、我等は打って出るべきだと?」


 ロマンスグレーの交通大臣、ヨアヒム=フォン=ロッソウが唸る。だが、どこかウキウキとした雰囲気を醸し出していた。


「いえ、ロッソウ子爵。そうは申しておりません。我が方の武器弾薬は、豊富です。外に一千の騎兵を配して籠城し、敵の補給路を遮断、妨害するという戦術を採るならば、まあ勝てるでしょう」


 オッドアイの大尉が、淡々とした口調で言う。この男もハドラーと同じく、壊滅的に愛想というものが無い。だが一方でハドラーが悪態をつくという癖があるのに対し、トリスタンは全てに無頓着――という風であった。


 例えば彼は、いつも同じ軍服を着て軍帽を被っている。いい加減匂ってくるので、たまにヴィルヘルミネが鼻をヒクつかせて、「おい、トリスタン。服が匂うのじゃ」と言ってから、初めて彼は着替えに走るのだ。風呂に至っては、どれほど入っていないのか、見当も付かない程である。

 彼がイケメンじゃなかったら、とっくにヴィルヘルミネは火刑に処していただろう。


 だがともあれ、軍事の専門家が「勝てる」と言ったことで、ガクブルだったヴィルヘルミネもようやく落ち着き、椅子の上に立って地図を眺めることが出来た。そこで見たのが、我が軍を示す赤い駒である。


――ん……我が軍は三千八百もいるじゃないか……、馬は三千もいるぞ……ええと……でも相手の一個一個の駒は二千だから、ううーん。


 ここでヴィルヘルミネが味方の駒を動かし、ツヴァイクシュタインから進発した敵の駒を、チョンと指で弾く。続く駒も同じく指で弾き、唇の端を軽く吊り上げた。


「のう――敵は二千の連隊じゃろ? 一方こちらは三千も騎兵がおる。なのになぜ、卿等は敵を各個に撃滅しようとは思わぬ? 卿等、もしかして数の計算も出来ぬのか? え、出来ぬのかぁ~~~?」


 得意満面――といった調子で椅子の上から皆を見下ろす、ニヤニヤが止まらない赤毛の令嬢。雰囲気的には、非常に腹が立つお子様なのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る