第18話 開戦決議


 フェルディナント公国の宰相、ヘルムート=シュレーダーが帰還した頃、ボートガンプ陣営は既に出兵計画を整え、出撃を待つばかりとなっていた。

 対するヴィルヘルミネ陣営は新兵の基礎訓練を終えて、何とか戦線へ投入できる――というところだ。


 しかしヴィルヘルミネの下へ新兵として応募してきた数は、実に二千人。これは公都の人口における二パーセントにあたり、これが志願してきたのだから驚異的な数であった。

 その全てが「ヴィルヘルミネ様の為に!」と叫んでいたというから、彼女の人気はすさまじいものがある。


 この頃の戦い方は、隣の味方が撃たれて死んでも、なお前進を続けるという苛烈なものだ。軍人になるという時点で、彼等はヴィルヘルミネの為に死ぬ覚悟が出来ている。

 そもそもこの時代、兵力の確保は徴兵が主で、およそ騙すように連れてくることもあり、平民が自ら志願するなど、滅多にあることではないのだ。


 現在、唯一の例外はランス王国の自警団、民兵が、志願制で兵を募ってる。彼等の強さをエルウィンは肌で感じ知っているから、ますますこの戦い、ヴィルヘルミネの勝利を確信するのだった。


 こうして熟した戦機により、ついにヴィルヘルミネは黒髪の宰相に会議室へ呼ばれた。

 この会議には三人に増えた閣僚と、軍事指揮官であるトリスタン、エルウィンの二名が参加している。

 ヴィルヘルミネの好意によりオマケで席を与えられたゾフィは閣僚達に交じり、「ヒェェェェ」と震えていた。


 そんな中、相変わらず一段高い階の上にある椅子に座り、ヴィルヘルミネは紅玉の瞳で臣下達を睥睨する。全員がイケメンと美少女だから、彼女はたいそう満足しているのだった。

 むろん赤毛の令嬢は、この会議が開戦を決定付けるものだなどと、露程も思っていないのだが……。

 

 ■■■■


「お嬢――まずはボートガンプ侯爵から送られてきた書簡を見てくれ」


 会議の口火を切ったのは灰色髪の医師、内務大臣のラインハルト=ハドラーだ。彼はヴィルヘルミネの父を医師として治療し、同時に内務大臣として国政を取り仕切っている。この激務によって伸びた無精髭が、またワイルドだった。


「……んむ」


 イケメンいいな……などと呑気にハドラーを見つめ、書簡を受け取るヴィルヘルミネ。しかし内容を読み理解した瞬間、彼女は頭の中が真っ白になる程のショックを受けた。


 ――え……降伏しろってなんじゃ? さもなくば――せ、戦争? 余を……処刑するじゃと?


 これはボートガンプから突き付けられた、最後通牒であった。

 曰く「降伏しなければ、フリードリヒとヴィルヘルミネを賊軍の首領として処刑する」と書かれている。

 ヴィルヘルミネの手は震え、目も泳いでいた。処刑なんて嫌だ――大きな鉈で首をパーンと飛ばされるか、縄で首を縛られて、ストーン――……。


 今まで公爵令嬢として、罪人の処刑を幾度も目の当たりにした赤毛の少女は、目の前が真っ暗になった。ああ、余もああなってしまうのか……と。

 戦うことなど、毛頭考えられない。さっさと降伏しよう――降伏すれば、命は助けてくれると書いてあるもんね。

 ここに至り、ようやく切迫した事態に気が付くヴィルヘルミネであった。


「こ――……」


 ヴィルヘルミネは「降伏」と、言いたかった。だが同時に怖くて怖くて、おしっこもしたくなった。

 だからフルフルと震えつつ、豪奢な椅子から立ち上がる。その時、冬物のドレスの裾を思わず足で踏んでしまい、バランスを崩した。

 咄嗟にひじ掛けへ手を伸ばそうと、腕を動かした瞬間――……バリバリバリバリ!


 なんと書簡に手を掛けたままだった為、それを大きく引き裂いてしまう。それでもヴィルヘルミネのよろよろは止まらず、大臣達が顔を連ねる長机に手をパァァァンと付いた。そしてようやく動きを止め、「ハァハァ」――荒い息をしながら周囲を見回すと……。


「もとより私も、決戦の心づもりにて」


 エルウィンと同じく桃色掛かった金髪の軍務大臣が、大きく頷いていた。

 彼はヴィルヘルミネがボートガンプからの書簡を破り捨て、怒りに任せて長机に手をついたのだと勘違いしている。

 赤毛の令嬢は「……はぁ?」と息子より深みを増したイケメンである、軍務大臣の顔を仰ぎ見た。


 戦うなんて、アンタなに馬鹿なこと言ってんの――と思う赤毛の令嬢は、ヘルムートに視線で助けを求める。

 そういえば彼は、プロイシェとキーエフに行っていたはず。この二国が援軍を送ってくれるなら、勝てるかも知れんねー……と、少しだけ希望が湧いてきた。余、冴えてる!


 ヘルムートは微笑を浮かべ、プロイシェとキーエフの動きについて説明をした。

 南東から侵攻させたキーエフ軍により、軍国プロイシェの身動きを封じたことを――だ。


「――と、このようにボートガンプの援軍は封じています。今ならば誰にも邪魔をされず、決戦に臨めましょう」


 ばかぁぁぁぁ! と叫びたいヴィルヘルミネは、ヘルムートの肩に手を乗せる。イケメンを、皆の前で叱るのは良くないと思った。しかし彼は、それを令嬢の褒賞だと勘違いしている。


「お褒めにあずかり、恐縮です」


 褒めてねぇよ! 令嬢の怒りは止まらない。しかし閣僚もゾフィーも「おお!」と目を見張っている。

 え、これ凄いこと? とヴィルヘルミネも少しだけ、足りない頭を捻ってみた。でも、よくわ分からない。


「流石は宰相閣下……決戦とあらば、必ず勝利して見せましょう」


 低音のイケてるボイスで強気な発言をしたのは、百九十センチに近い長身の男、トリスタン=ケッセルリンクだった。目深に被った軍帽の下で、左右色の違う瞳に戦意の焔が立ち上る。

 

 だが赤毛の令嬢は真紅の瞳に涙を溜めて、「決戦じゃねぇよ~~~!」と叫びたい心境だった。

 敵は一万五千にまで膨れ上がった大兵力。なのに、こっちは四千に満たず。数学の得意なヴィルヘルミネじゃなくても、この差は歴然だろう。なのに決戦に臨むとは、馬鹿のすることだと彼女は思うのだ。


「とはいえ、敵の兵力は一万五千。こちらは新兵を入れても三千八百だぞ。勝てるのか?」


 そんな時、ヴィルヘルミネの気持ちを代弁するかのように、軍事は専門外のハドラーが、不精に伸びた顎髭を撫でながら問うた。

 ヴィルヘルミネは激しくこれに同意し、もう一度降伏の主張を試みる。


「ハドラー……余は賊将などと呼ばれ――……」


 処刑されるのは嫌じゃ――と、ヴィルヘルミネは言いたかったのに、途中でエルウィンが軍靴を鳴らし立ち上がる。ヴィルヘルミネは、最後まで言いたいことを言えなかった。

 ああああああ! この馬鹿者ォォォ! と思うも、ヴィルヘルミネの表情筋は微動だにしない。むしろ吊り上がった目元に怒りを溜めているから、家臣達の勘違いは加速する一方だった。


「内務卿のご懸念は杞憂です! 敵は烏合の衆であり我が方は士気も高く、戦えば必ずや勝てましょう! ヴィルヘルミネ様を賊将などと呼んだ報い、鉄槌を下してやらねばッ!」


 拳を胸元で握りしめ、エルウィンが熱弁を振るう。なぜかゾフィーもウンウンと頷いていた。

 待ってよみんな、負けたら殺されるの、余だよ! と令嬢は叫びたい。しかも殺され方が、斬首か縛り首なんてあんまりだ。まだ八歳になったばっかりなのに……。


「斬首……」


 絶望の余り、再び目の前が真っ暗になった公爵令嬢。呆然と自身が首を飛ばされる映像を脳裏に描く。「フフッ、フハッ」怖すぎて、思わず笑ってしまった。

 これを見て、死神めいた笑みを浮かべたヘルムートが立ち上がる。


「――聖断は下りました。賊軍の大将たるボートガンプ侯爵は、ヴィルヘルミネ様の御意向により、斬首――……その為にもまず、開戦です」


 ヴィルヘルミネは一人、引き攣った笑いを浮かべている。もう、どうにでもなれ、なんて思っていた。


「フハ、フハ、ファーハハハハッ!」


 ヴィルヘルミネは高笑いを残し、ゆっくりと部屋を出た。もう、尿意が限界だったのだ。これ以上の恐怖を味わってしまえば、膀胱の堤防が決壊してしまう。

 しかし臣下一同は彼女が颯爽と去るように見えて、君主に対して低頭すると、その背中を静かに見送った。


 エルウィン=フォン=デッケンはこの日のことを後年、こう語っている。

 

「偉大なる主君は怒りすら笑い飛ばし、臣下の士気を上げ給うものなり。まさに讃うべきかな、我が主ヴィルヘルミネ様よ」――と。

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