第17話 戦機、迫る


 十一月ともなれば山国であるフェルディナントの景色は赤や黄色に色づき、豊かな実りの季節を迎える。この時期の食べ物は非常に美味しく、ヴィルヘルミネはお腹をパンパンに膨らませることが多かった。

 それこそご幼少のみぎり、赤毛の令嬢は食べ過ぎてお腹が苦しくなり、トイレに籠り続けたこともある。その節は随分と、黒髪の家庭教師の世話になったものだ。


 とはいえ近頃、赤毛の令嬢は軍事教練にハマッている。そうなると昼食などは兵士達と同じものになるのだが――これがまた八歳の彼女には新鮮で、無表情ながらも美味しそうに食べるのだった。


 例えばある日の昼食は、ジャガイモとカブ、そして鶏肉とソーセージを大鍋で煮込んだスープに、パンというメニューだった。

 そもそも公爵令嬢たるヴィルヘルミネは、大鍋で煮た熱々の料理など食べたことも無く、これが実に嬉しかったらしい。それにソーセージのパリッという食感も新鮮だった。兵士達に分けてもらい、一人で何本も食べたというから驚きである。


「ミーネちゃん、ほら、ソーセージを食べるかい?」

「うむ、うむ……ふぉぉぉぉおおお! こ、これは! パリパリジュワッ――じゃ!」

「はははは! ソーセージは塩漬けにされてるから、コイツと野菜を一緒に煮込むだけで、いいスープが出来るんだ。公宮の中にいるだけじゃ、分からなかっただろう?」

「うむ、うむ! 余は一つ、賢くなってしまったのう!」


 大きく頷き、紅玉の瞳を無邪気なまでに輝かせる公爵令嬢は、なんとも微笑ましい。

 エルウィンは幾度も兵士達に「ミーネちゃんなどと愛称で呼ぶとは、貴様ら無礼だぞ!」と注意したが、当のヴィルヘルミネ自身が兵士達の態度や言葉遣いを気にしないのだ。おかげでピンクブロンドの髪を持つ少年は、口煩い貴族士官としか見られなかった。


 このように気さくな公爵令嬢を見て平民の兵士達は、その忠誠心を高めていく。そもそも近衛大隊に入るほど忠義に厚い者達であるのに、その想いがさらに膨れ上がったのだ。もはや六百人の誰もが、ヴィルヘルミネの為なら死をも厭わぬ戦士達へと変貌したのである。


 だが当の令嬢は、今も変わらず兵隊ごっこのつもりだった。

 それに兵士達が皆イケメンだから、上機嫌で言葉遣いや態度が気にならないというだけのこと。顔面点数八点の男が同じことをしたら、きっとブチ切れて鍋をひっくり返していただろう。


 また、彼女は未だボートガンプ侯と戦争をするとは思っていない。何なら最近カールおじさん、来ないなぁ。この前、引っ叩いたからからかなぁ――……という程度の思考なのであった。

 

 それから、赤毛の令嬢は兵士達の間を歩く際、常に金髪の親友を伴っている。

 ゾフィー自身は大きくて武器を持った大人達に戦々恐々だったが、彼女こそ兵士達に溶け込もうと必死だった。そしてゾフィーはいつの間にやら乗馬を教わり、手に小さな剣を振り回す程になったのである。


 何しろゾフィーこそ、本当の天才だ。現在の切迫した状況を正確に把握している。最悪の場合ヴィルヘルミネの盾になる為にも、彼女は軍事スキルを求めたのだった。

 

 もちろんヴィルヘルミネは、そんなゾフィーの気持ちを知らない。しかし貴族の令嬢である彼女も、乗馬スキルは持っていた。だから赤毛の令嬢は金髪の親友と共に大隊を率いて駆け回り、いつの間にか二人は近衛大隊の指揮官と、その護衛っぽく見えるようになったのだ。


 これがヴィルヘルミネを戦争ごっこにのめり込ませた、もう一つの理由だろう。つまり親友と一緒に大地を駆け巡り、食事をし――そして銃や大砲をぶっ放す。

 赤毛の令嬢にとってこれは、友人と楽しむ至高のエンターテイメントなのであった。


「ゾフィー、こんど中隊を動かしてみよ。ああ、ええと――砲兵と騎兵、どっちがいい?」


 まるで「みたらし」と「あんこ」どっちがいい? と聞くような口調で、ヴィルヘルミネが言う。

 これにゾフィーはぷるぷると首を横に振り、「わたしには、その権利がありません」と答えるのだった。

 

 こんなことばかり言ったりやったりして、ヴィルヘルミネは指揮系統を壊乱させるのではないかと思うが――意外や意外、部隊は平然と動くのだ。


 オッドアイのトリスタン=ケッセルリンクが、ヴィルヘルミネの大隊運用を適切にサポートしていた。彼はどれほど令嬢が無茶な命令を下した時も平然と、それをやってのける。これにはエルウィンも、流石に舌を巻くのだった。


「ケッセルリンク大尉。その――……騎兵突撃を、途中で切り返す訓練など、いくらヴィルヘルミネ様の命令とはいえ、なぜやるのですか……? しかも銃撃しながらの反転離脱など……戦術論では下策です。騎馬の突破力を何だと思っておられるのか……」

「エルウィン卿。私はヴィルヘルミネ様を、本物の天才だと思う。かつては騎射を得意とした騎馬民族がいた。彼等は騎馬の突破力を生かしたのではなく、その機動力のみを長所とし、大陸を席巻したのだ。

 そもそも方陣とは銃剣を上に向け、馬の恐怖心を煽り突撃を阻む陣形。ヴィルヘルミネ様はこれを打ち破る為の揺さぶりとして、この戦術を考案なさったのだろう。まったく――恐ろしいお方だ」


 ここにまた一人、ヴィルヘルミネを勘違いする残念な男が生まれてしまった。その名をトリスタン=ケッセルリンクという。エルウィン=フォン=デッケンも彼の話を聞き、何だかそんな気がしてくるのだった。


「揺さぶり……そうかッ!」


 そして十一月も半ばを過ぎた頃、ついに公国宰相ヘルムート=シュレーダーが帰国した。ヴィルヘルミネは彼を宮殿の外まで出迎え、思わず抱き着いたという。

 これを見て皆も、いよいよ戦機が迫っていることを悟る。当のヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナント、ただ一人を除いて。

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