第10話 ボートガンプの野望


 公職を追放されたボートガンプ侯爵は、差し当たってやることも無いので自領であるツヴァイクシュタインへと戻っていた。

 ツヴァイクシュタインは公都バルトラインより北西へ約百二十キロの距離にある、フェルディナント第二の街だ。ここにある自らの屋敷で丸顔の侯爵は憎らしい姪の赤い瞳を思い浮かべながら、杯に注いだ葡萄酒を幾度となく飲み干し、煩悶とした日々を送っている。


「忌々しい小娘め! 私が兄の手足となって働いてきたからこそ、のうのうと生きておれるのだぞッ!」


 丸顔の侯爵は自らの言葉を信じ、疑っていない。だが真実は宰相の職にありながら私服を肥やし、為すべき仕事は部下に丸投げ、その部下さえ平民達から賄賂を取ることしか考えていなかったという有様だ。

 フェルディナント公国がそれでも未だ革命の炎で焼かれていないのは、ひとえに病床にあるフリードリヒの手腕であったろう。

 だが真実に目を向けようともしないボートガンプは、ついに杯を床へ投げつけ、舌打ちをする。


「ちっ――しかもあの家庭教師、平民だと言うではないかッ!」


 ボートガンプは酔眼で虚空を睨み、ついに逆恨みをヘルムートへ向けた。


 その翌日のことだ、つい二週間ほど前まで同僚であった六人の大臣達が彼の下を訪れたのは。話を聞けば全員ヴィルヘルミネに公職を追放されたということで、傷を舐め合う為に参集したのであろう。

 ボートガンプとしても彼等は自派の手下である。さっそく屋敷に迎え入れ、夜を徹しての饗宴を開催、そして経緯を問い質すことにした。場合によっては、巻き返しを狙えると考えてのことである。


「内務卿はなぜ、あの小娘に追放されたとお考えか?」

「いや、それがまったく分かりません」

「外務卿は?」

「私も、まったく……」

「法務卿は如何か?」

「身に覚えがありませんな……」

「軍務卿は、如何なされた?」

「如何も何も、あの小娘の理不尽には、腸が煮えくり返っております」

「通商卿も同じであられるか?」

「……うむ。このような時世に我等を一時に追放するなど、気が狂っているとしか」

「財務卿もか?」

「私など、平手打ちを食らいましたよ……まったく」

「「「「「「平手打ちなら、私も食らいましたぞ」」」」」」


 誰もかれもが幼い赤毛の令嬢を語る時、眉間に皺を寄せ苦々しい口調である。これに心底同情したという風に、ボートガンプはいちいち頷いて見せるのだった。

 どうやら運命の女神は、まだ自分を見捨てていないらしい――ずんぐりとした体形の侯爵は、そのように考え、一人ほくそ笑むのだった。

 

 その後も続々と有力貴族達が、ボートガンプの下を訪れている。彼等は口々に「ヴィルヘルミネに追放された」と言った。

 こうなるといよいよ彼の野心は膨れ上がり、公爵位を武力によって奪取せんとの気概を滾らせていく。だが、流石にそれを表立って画策するわけにもいかない。ましてや簒奪とは、兄と姪を追い落とすことだ。率先して自らが口にすれば、それは不義、不忠とそしられ、事は決してならないであろう。


 だからボートガンプはまず懇意にしてるプロイシェ王国の財務大臣に使者を送り、フェルディナントの現状を嘆く手紙を渡して、クーデターを匂わせ支援を要請した。次に軍部へ手を回し、ことを起こした場合、自分の下へどれだけの兵を集められるか、しっかりと確認をしている。


 結果としてボートガンプはプロイシェから、色よい返事を貰うことが出来た。何しろボートガンプが失脚したことで、かの国は現在フェルディナントに対する政治的影響力を失っている。だから何としてもこれを回復したいと、プロイシェ王国は考えていたのだ。


 一方フェルディナント軍に関しては、現在のところ士官の全てが貴族の子弟であり、有力貴族達の親戚縁者達で占められている。

 そのような状況にも関らずヴィルヘルミネは次々と有力貴族を処断、追放しているものだから、追放された貴族達が軍の士官を招集すれば、同時に兵も集まるという話であった。

 具体的にはフェルディナント全軍一万二千のうち、最悪でも八千、上手く立ち回れば一万を味方に付けることが可能だと試算出来たのである。


 ■■■■


「して、軍務卿――その話、間違いないのでしょうな?」


 十月に入り、秋風も涼しく感じられる夜。カール=フォン=ボートガンプは半円形のバルコニーに白い椅子を二脚とテーブルを置き、一人の客を迎えていた。客は元軍務卿のゲオルグ=フォン=ハッセル伯である。


 ハッセル伯は四十歳、白髪の目立つ痩身で、鉤鼻が特徴的な男であった。陰湿そうな細い目は吊り上がっており、眉毛はほぼ無く、薄い唇を常にへの字に曲げている。

 そのハッセルが真剣な眼差しをボートガンプへ向け、静かに頷いた。


「はい――ですから我等有志貴族一同、侯爵閣下を盟主と仰ぎ、現政権を打倒致す覚悟にございます」

「しかしな、ハッセル伯、現摂政は私の姪だ。ましてや、まだ幼い――これを武力で、というのもいささか……」


 顎に指を当て、片目をだけを開いて探るように言うボートガンプ。彼は相手の言動が真実だとして、自らの値段をもう少しだけ吊り上げたいと考えているのだ。


「では、政権を打倒した暁には我等一同よりキーエフの皇帝陛下へ、侯爵閣下の昇爵を嘆願する、ということで如何でしょうか?」

「――そこまで仰られては、私も盟主となるのを拒むわけには参りませんな……うむ、うむ。ふははは……!」


 ボートガンプは大きな腹を揺すって笑い、空になったハッセル伯の杯に、手ずから葡萄酒を注ぐ。眉毛がほぼ無い伯爵は吊り上がった目を細めて美味そうに、その酒を飲むのであった。

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