第11話 ヴィルヘルミネの憂鬱とヘルムートの決意


 十月に入り、気温は急速に下がりつつある。今日は朝からどんよりとした天気で、正午を待たず大粒の雨が降り出した。

 ヴィルヘルミネは上部がアーチ形になった自室の窓に深紅の瞳を向けて、小さな溜息を吐く。「今日も外で遊べないな……」と思っていた。


 といってもここ二ケ月ばかり、摂政になったヴィルヘルミネは多忙を極めている。連日の会議と様々な地域への視察――これはイケメン探しを兼ねているから良いとして――決済しなければならない書類との格闘に明け暮れたりと、到底七歳とは思えない日々を過ごしていた。

 

 もっともヴィルヘルミネは、そのストレスによって無表情のまま癇癪を起こし、顔面点数七十点以下の重臣達を悉く「ぱちこーん!」と引っ叩き、公職から追放している。その結果が本日開かれる会議の議題へ繋がってくるのだが、当の本人は平然としたものだった。


 ちなみに本日の議題は、先日ボートガンプ侯爵の根拠地にて、ヴィルヘルミネが公職より追放した貴族達が集い、一つの声明を発表したことを問題視したものだ。

 声明によると彼等はヴィルヘルミネを摂政より退かせ、再びボートガンプを宰相職へ戻すよう要求をしていた。これが聞き入れられない場合は、実力を行使する――とのことだ。


 要求が若干温いのは、集まった貴族達にもまだ温度差があるからだろう。

 何しろこの盟約にはフェルディナント貴族の、凡そ五分の四が参加している。足並を揃えるのも、並大抵では無かった。

 とはいえ規模が規模だ――要求が多少温いとしても、もはやこれは反乱と言って差し支えないほどである。


 要するに本日の議題とは、この現政権反対派に対し、どのように対処するべきか――というものであった。


 それにしても、僅か二ヶ月の間にヴィルヘルミネが引っ叩いた大臣の数は、ボートガンプを入れて七人。要するに八大臣のうち、一人を残して全員叩いたということだ。

 他にも大小様々な貴族達を叩きまくった挙句が、貴族社会からの総スカンである。古今東西の暴君と比較しても、七歳にしてこれ程の無茶と無謀と非道を兼ね備えた君主など、少ないのではなかろうか。


 とはいえ一方で、こうした彼女の所業は新聞で報道されている。その結果ヴィルヘルミネの膝元であるバルトラインでは、民衆が熱狂的に彼女を支持し始めていた。

 それもそのはずで、顔が悪いと思われ赤毛の令嬢に排除された貴族達は、大なり小なり不正に手を染め、平民達を苦しめていたのである。


 こうして貴族の支持基盤をほぼ失ったヴィルヘルミネを、下層階級に属す平民達が支え始めたのだ。


 だが――いくら平民達が熱烈に彼女の治世を歓迎しても、現実として社会を動かしていた貴族達を軒並み除いてしまった弊害は大きい。

 命令系統において政府、軍部共に中間から上層部にかけての歯車が、根こそぎ無くなってしまったのだ。あまつさえ彼等がこちらに敵対し、飲めない要求を突き付けてきたのだから始末も悪かった。

 オセロに例えるなら、全ての角を取られた状態とでも言えば良いのだろうか。敵はもはや、勝利を確信しきっている。


 もっともヴィルヘルミネに政治など分からない。だから遊びを放棄して会議に出席すること自体が不満であった。

 こうして赤毛の令嬢はぶすー……っと元からふっくらした頬を膨らまし、唯一残った大臣の提案に応じて会議室へと赴いたのである。


「まあ、ロッソウもイケメンだし、いっか」


 ――などと思いながら。


 ■■■■


 会議室の奥まった壁には、一枚の旗が掛けられている。旗は赤地に黄金色の一角獣が描かれたもので、これはフェルディナント家の紋章であった。

 その旗の前に豪奢な椅子が一つあり――ヴィルヘルミネは今、そこに小さな身体を預けている。

 

 この旗を背にしたきざはしの上にある椅子は本来、国公が座し、眼下にある長机に顔を連ねた八大臣を監督する為に用意されていた。だが今はその代理たる赤毛の令嬢が座し、閑散とした会議室をジロリ、睥睨しているのだった。


 何しろ黒檀の長机を前に座るべき八大臣は、その大半をヴィルヘルミネが追放してしまったのだ。よっていま机を前に座っているのは、建築交通大臣のヨアヒム=フォン=ロッソウ子爵だけである。そのロッソウが、苦笑気味に口を開いた。


「――大変なことになりましたぞ、ヴィルヘルミネ様」


 ロッソウはこの年、五十六歳になる。そろそろ息子にでも爵位を譲り、引退を考えていたところであった。それがフリードリヒが倒れ、今また起きた政変により、それどころでは無くなったのだ。

 彼はどういう訳か赤毛の令嬢に叩かれることもなく、現在の地位を保っている。それはヴィルヘルミネによる、「八十一点、ナイスミドル」との評価からであった。


 ヴィルヘルミネはロマンスグレーで、顔に皺が深く刻まれた老人が大好きなのだ。だから若者相手よりも老人の場合、若干だが点数が甘くなる。

 それは彼女の言葉遣いとも関係しているのだが――ともあれ一言で言えば、ヴィルヘルミネはおじいちゃんっ子なのであった。


「で、あるか」


 しかし、おじいちゃんっ子だからといって、ヴィルヘルミネの塩対応は変わらない。困り顔のロッソウに無表情を向け、可愛らしい足を彼女は組んだ。


「既にお聞き及びかと存じますが、ツヴァイクシュタインにおいて貴族達の盟約が結ばれました。ボートガンプ侯爵が盟主となり、彼等は公然と我が方に敵対する構えを見せておるのですぞ」

「……で、あるか」


 難しい言葉は、未だ分からないヴィルヘルミネである。だというのに、ロマンスグレーのナイスミドル、ロッソウ子爵は説明を続けた。何故ならこの令嬢は神童と呼ばれて久しく、周りからは何故か軍事も政治も天才だと思われていたからである。

 であればロッソウ子爵も、それを信じていた。彼女には何か深い意図があるに違いない――彼もまた、そう思っていたのだ。


「由々しきことですが、あちらには元軍務卿のハッセル伯爵もおります。彼の下に士官の貴族達が参集し、既に兵を集めているとの情報もありますれば、これにいかが対処なさるおつもりですか?」

「状況に困っておるのか? ……だというのに、なぜ卿は余の下におる?」


 階の上にある豪奢な椅子に座り、無表情のまま首を傾げる赤毛の公爵令嬢。深紅の瞳は魔性の輝きを秘めて、ロッソウ子爵の深層を抉るように見つめている。と――老子爵は目の前の女児に恐れを抱いた。


 しかし当のヴィルヘルミネは、「おじいちゃん、寂しいのかな? あっちに行きたいの?」程度の気持ちで聞いている。もしも子爵があちらの陣営へ走ったら非常に困るのだが、ヴィルヘルミネには政治が分からない。なので気楽なものであった。


「なぜ……と、問われましても……」


 視線を黒檀の長机に落とし、ロッソウ子爵が口ごもる。

 真実を言えば賄賂というものが、彼は大嫌いであった。だから他の大臣達とロッソウは、元から馬が合う訳も無く。なのでヴィルヘルミネが彼等を追放し続けたとき、ロマンスグレーの子爵は内心で快哉を叫んだほどである。


 だが彼はこの年齢になるまで、そんな元同僚達の振る舞いに目を瞑ってきた。ある意味では同罪ではないか、との思いもある。自分のような者がヴィルヘルミネのように清廉な君主の側にいて、果たして良いのだろうか――そんな葛藤もしていた。そこへ、先ほどの問いである。


「余は、卿の美しさが好きじゃ……出来れば、これからも側に居て欲しいと思うのじゃが……」


 返答に困るロッソウ子爵を見て、細く美しい眉を下げ、ヴィルヘルミネが言った。若干たどたどしいのは、語彙の少ない彼女のこと、言葉を探していたのである。

 そして彼女の横に立つ黒髪の家庭教師が、少女の言葉を補足する。彼――ヘルムート=シュレーダーは、老子爵の清廉な心と確かな実績を全て把握し、彼を評価していたからだ。


「ロッソウ子爵。ヴィルヘルミネさまは閣下の清廉な人柄を、とても美しいと思っておいでです。出来れば今後とも、ご令嬢をお支えして頂けませんか。貴方は間違いなく、摂政閣下にとって必要な方ですので」


 老子爵の両目から、大粒の涙が零れ落ちる。

 人生でこれ程まで、人に評価されて嬉しいと思ったことは無い。

 思わずロッソウは席を立ち、床に跪いてヴィルヘルミネに頭を垂れた。


「残り少なき命なれど、これ尽きるまで閣下の恩為に働くことを誓いまする。つきましてはまず、この内閣を立て直すべきかと臣は愚考いたしまするが……」

「うむ、それについては余も考えておった。ヘルムートよ、卿を宰相とするゆえ、己が為すべきことを為せ」


 即答である。

 ヴィルヘルミネも幼心に何となく、このままじゃマズいなー……とは思っていた。

 だが彼女には、頼みの綱がある。困ったときのヘルムートだ。イケメンだし頼りになるこの家庭教師に任せれば、全てが上手く行くのだと彼女は信じていた。


 だというのに黒髪紫眼の先生は、目と口を大きく見開き、汗をダラダラ垂らしヴィルヘルミネを凝視している。


「あ……、は……、え!? 私ですか!?」

「それは良い! この天才と名高き若者が宰相となれば、まさにフェルディナントは新しき時代を迎えるでしょう!

 さあ、シュレーダー殿! 共にヴィルヘルミネ様を、お支えしようではないかッ! さあ、さあ、さあ!」


 ロッソウ子爵がパァァアン! と手を叩き、全力でヴィルヘルミネに賛意を示す。


「決まりじゃの」


 そして大きく頷く、あと二日で誕生日を迎える未来の英雄、ヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナント。


 彼女が窓の外に目を向けると、雲の切れ間からキラキラとした陽光が覗いてた。いつの間にか雨は止み、大空には色鮮やかな虹が掛かっている。


 とはいえフェルディナント公国の前途は、まさに多難。まずは内閣を立て直し、迫りくるであろうボートガンプの軍勢にも対処しなければならない。何より彼と結んだプロイシェ王国が援軍を寄越せば、何をどうしても勝ち目が無いのだ。

 

 それでも黒髪の家庭教師はヴィルヘルミネの天才性に賭け、自身が持てる全ての力を彼女の為に出し尽くそうと決めた。

 この難局を乗り切れば、フェルディナントこそが理想の国家になるのだと信じて……。


「大任、謹んでお受けいたします」

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