第3話 ヴィルヘルミネの裁き
ぱちこーん!
秋晴れの空の下、乾いた音が響きわたる。
これは燃えるような赤毛の公爵令嬢が、とある騎士爵を平手打ちにした音だ。といっても幼少の令嬢が、大の大人である騎士爵の頬に手の届こう筈も無い。ここはいつも通り未来の宰相閣下に甘え、持ち上げて貰い何とか手を届かせたという次第である。
一方、六歳の令嬢に引っ叩かれた男の名は、パオル=クリューガー。四十二歳の中年騎士爵であった。叩かれた左の頬を抑え、ギョロリとした目を瞬かせている。ここは彼の邸、その前庭であった。
「い、いきなりご無体なッ!」
「二十五点――よって卿を公職より罷免し、領地も没収とする」
「そんなッ!」
「異論、反論は一切認めぬ。――構えよ」
赤毛の公爵令嬢は紅玉の瞳で騎士クリューガーを冷然と見据え、右手を高々と掲げた。すると彼女の背後にいた兵士達が一斉に動き、銃口を禿頭の騎士へ向ける。フェルディナント公国が誇る勇敢な戦列歩兵の一個小隊四十名が、今日は令嬢に従っていたのだ。
騎士クリューガーは全てを諦め、ヘナヘナと地に腰を落とす。三歳より神童と呼ばれた目の前の幼女が、彼には恐ろしかった。
子供らしくただ見つけた不正を糾弾するだけなら、まだ可愛げもある。しかし目の前の幼女は、これを正すに武力を背景とし、異論、反論の一切を封じてのけた。
しかも彼女が高々と掲げた腕を振り下ろせば、背後の兵達は間違いなく発砲するだろう。六歳の幼女の目には、それをさせるだけの覚悟が宿っていた。
「御意……」
騎士クリューガーは、絞り出すように言う。最後に残った頭頂部の髪が、風に揺れて抜け去った。
「イケメンにあらずんば、人にあらず。髪の毛はだいじ」
などと内心でのたまう公爵令嬢の名は、ヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナント。後にエウロパの地を席巻する、不世出の英雄である。
■■■■
さて、何故このような事態になったのか、少しばかり時間を遡って説明をしよう。
それは先日のこと、ヴィルヘルミネがいくら野菜を買っても一向に身なりの綺麗にならない野菜売りの少女に業を煮やし、「それはなぜか?」と質問をしたことに端を発する。
その時、野菜売りの少女は、このように答えたのだ。
「我が家は両親が病弱で働けず、だから領主様から人手を借りて作物を育てているのです。だけどその代わり九割の作物を税として収めねばならず、生活するには足りないから収めた作物を領主様から借り受け、売りに来ているのです」
これで話は終わりかと思えば、金髪の少女はまだ苦しそうに言葉を紡いでいく。
「その借り受けた野菜や果物を売ったお金も、領主様に九割収めなきゃならないから……」
言い終えると少女は、まるで紺碧の海を思わせる鮮やかな青い瞳をヴィルヘルミネへ向け、「でも、わたしが頑張れば済むことですから!」と微笑んで見せる。健気だった。
一方、少女の愛らしい唇や目元に見とれていたヴィルヘルミネ様は、ひたすらドキドキしていただけだ。話の内容など一つも聞いちゃあいない。今も微笑みの爆弾が小さな胸を直撃し、「何て可愛い擲弾兵!」などと訳の分からない妄想をしている始末だった。
だが、この話を聞いて未来の宰相閣下が静かにブチ切れ、サラサラとした黒髪をかき上げ、
「――これは、いけませんね。明らかに徴税権を逸脱した重税です。ヴィルヘルミネ様、ここは私めに、しかるべく調査をお命じ下さい」
「ぷぇ?」
ヴィルヘルミネは静かに憤り鬼の形相へと変わり果てたイケメンを見上げ、心底恐怖した。どうすればイケメン大魔神の怒りが収まるのか、足りない頭で考え、そしてピコンと閃いたのだ。
彼は何かを「命じろ」と言っている。だったら、その意思を尊重しよう。触らぬ神に祟りなしだ――と。
なので未来の英雄である赤毛の公爵令嬢は大いに頷き、若干震える声で言った。
「うむ、卿の為すべきことを為せ」
「御意」
イケメン過ぎる家庭教師ヘルムートの口が、凶悪な笑みを湛えた。後に「永久凍土の宝剣」「ヴィルヘルミネの氷刃」などと恐ろし気な異名を各国から賜る美しき未来の宰相が、この時、ついにその才能を開花させたのである。
■■■■
ヘルムート=シュレーダーは翌日までに、野菜売りが語る領主――クリューガー家に関する全ての資料を調べ上げた。それにより騎士クリューガーが徴税権を乱用し、しかもフェルディナント公国政府に対し脱税をしていたことが明白となる。
さらにヘルムートはこれをチンパンジーでも分かりそうなほど丁寧な書面とし、ヴィルヘルミネに提出、その裁可を仰いだのだ。
実際、チンパンジーよりも優秀なヴィルヘルミネは内容を理解し、ことの次第に腹を立てた。クリューガーを裁こうと決心したのである。
またヘルムートの巧妙なところは、事前に彼女の父であるフェルディナント公爵にも謁見を求め、「全てをヴィルヘルミネに委ねる」との言葉を引き出していたことだろう。
こうしてヴィルヘルミネは戦列歩兵一個小隊と野菜売りの少女を引き攣れ、クリューガー家へ乗り込んだのである。そして前庭に出迎えた壮年禿頭の騎士爵を見据え、声を張り上げたのだった。
「卿が徴税権を乱用し民に九割の租税を課し、あまつさえ公国政府に対し脱税せしめたこと、既に明白である。罪に服する気があるのなら今すぐにも爵位を返上し、全ての公職より身を引くが良い!」
わずか六歳とは思えない、威厳に満ちたヴィルヘルミネの声であった。これは三千世界のイケメンと語る為、語学の習得に熱心なヴィルヘルミネの事、当然声の出し方も研究していたからである。
しかし語る言葉の内容は、一切わからない。実は全て、棒読みなのであった。
だが、そうと知らない二百人の村人と四十人の民兵は、赤毛幼女の威光に目を見張った。そして彼女が為そうとしていることに、心の中で喝采を送る。
未だかつて民の為に貴族を糾弾した貴族など、前例がない。それを僅か六歳の公爵令嬢が毅然としてやるのだから、民も感動に打ち震える――というものだ。
――だが騎士クリューガーは、平民達をぐるりと睥睨して一喝する。
「私は職責に則り、民から預かった税を全て公爵閣下へとお渡ししております! それを閣下のご息女たるヴィルヘルミネ様は、ご存じないと!?
それに平民ども! 誰の許可を得て、この場に集まっておる! さっさと散らぬか! 見世物では無いぞ!
――さ、ヴィルヘルミネ様。立ち話も何ですので、邸の中へどうぞ」
騎士クリューガーは体格に優れた偉丈夫である。それが声を張り上げ叫べば、平民達は皆委縮すると思っていた。
ましてや目の前に立っているのは、いかに権威があろうとも六歳児に過ぎない。だから彼は威嚇の後に猫なで声を出せば、それで丸め込めると思ったのだ。
だが――ここでヴィルヘルミネ、ついにブチ切れた。別に彼の論法が嫌だったわけでない。なんと太陽の光を浴びた彼の頭が、ギラリと光ったからだ。にも拘らず数本残された頭頂部の髪が、勝ち誇ったように揺れている。なんていう不細工! 二十五点! と思った。
「ヘルムート、抱っこせよ。余は――この男を決して許せぬ!」
「御意――さすがはヴィルヘルミネ様にございますッ!」
黒髪美貌の家庭教師が、またも感涙にむせび泣く。ああ、流石は姫様――民の為にこそ怒って下さるのか、と。こうしてヘルムートはヴィルヘルミネを抱え上げ、
■■■■
こうして物語は冒頭に戻る――。
その後、ヴィルヘルミネはクリューガー家を傲然と取り潰した。そして公国直轄領の名の下に、自らの管理下に置いたのである。
その際、税に関しては向こう二年間を無税とした。理由としては先の領主が重税を課した為、人心を慰撫しなければならない――ということだ。
もっとも無税の理由をこのように解釈し、記録に残したのはヘルムートである。
ヴィルヘルミネ本人は、税を無くせば、彼女お気に入りの野菜売りの少女が自分のモノになると考えてのこと。人身売買に似た発想であり、人として最低である。
だが、ヘルムートはまたも泣いた。「おお、ヴィルヘルミネ様はきっと、類まれなる名君におなりになる」と。
この一件は新聞にも大きく取り上げられ、ヴィルヘルミネの人気が公国内で大いに高まっていく。それどころか革命の機運高まるランス王国の民衆さえ、「封建貴族の喉元に銃口を突き付けた、気鋭の公爵令嬢! 彼女のような君主ならば、議会も王室との共存を是とするだろう!」などとヴィルヘルミネを褒め称える始末だった。
とはいえ当のヴィルヘルミネ自身は名声になど興味が無く、ただ野菜売りの少女へ恩を売れたことを「ウシシ」と思うだけなのだが。
「ありがとうございます、ヴィルヘルミネ様!」
数日後、いつもの場所で幾度も頭を下げる金髪の少女に対し、ヴィルヘルミネは満足気に頷いた。そしてついに、念願だった言葉を彼女は言ったのである。
「あのう、そのう……お前の名は、何と申す?」
「あ、私ですか? ……ゾフィーと申します、ヴィルヘルミネ様」
「そうか、ゾフィーか。では、余の妹になれ」
「はい?」
「否とは言わせぬ」
「ありがとうございます。でもわたし――病気の両親がいますので……そればかりは、お断り致します」
「はうっ――……」
拒絶され、赤毛の令嬢は思わずぐらりと身を揺らした。生まれ出でより六年間、今まで何一つ拒絶されたことの無かった彼女である。その衝撃は計り知れない。
ヴィルヘルミネは紅玉の瞳にめいっぱい涙を溜めた。けれど強引に――という訳にもいかない。病弱な両親の為に働いているとなれば、その絆を引き裂くわけにもいかないだろう。
「でも、これからは収入が増えるのだし、せめて衣服だけでも整えよ……な?」
「は、はい……お気遣い、ありがとう存じます」
「う、うむ。じゃあ、余、また来るからのぅ。はうぅぅ……」
ここは大人しく引き下がり、後日、せめて愛らしい服装になっているだろうゾフィーを想像して自分を慰めるヴィルヘルミネ。
しかしゾフィーは何日経っても――本格的な冬が到来してさえ、やはり裸足のままだったのである。
「なぜじゃ?」
「じつは……」
訥々と語る彼女を前に、ヴィルヘルミネは「可愛いなぁ」と思い、またも何一つ話を聞いていないのだった。
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