星の老人

Ⅶ 星の老人



「最初の200人」は星の老人に育てられた。

200人は皆孤児、もしくは親の庇護を知らない子供たちだった。

宇宙という概念すら知らない無教養の子供たちは、星の老人から命の使い方を学んだ。

百万が髑髏(どくろ)と化す争いが起こったこと、星が死にかけていること、生きながらに腐るのは人間だけだということ、清浄へと導く血に染まる勇者が必要なこと。

星の老人は、語学、風俗、ジェスチャーなど敵の文化を子供たちに徹底的に教え込んだ。彼らを一流の俳優に仕上げ、身中から敵を屠(ほふ)るために教え込んだ。

けれど星が違う今回は敵の文化がよく分からなかった。

星の老人は、「宇宙」という概念から最初の200人に教え込んだ。

宇宙という広大な広場があること、冥王星も月であるカロンもそのちっぽけな一部であること、違う星には楽園があること、手に入れるには人殺しが必要なこと。

星の老人はアジトに楽園を作り上げた。とても小さな楽園だった。

そこでは清らかな水が流れ、花々が咲き誇り、美しい異性が舞い、食物が溢れ、美しい音曲が途絶えず、身体が愉楽だった。楽園を楽園に認(したた)めるため、星の老人はアルコールと精製したケシの実を利用した。

酩酊した最初の200人は個々に誘われ、思い思いに楽園を見た。

夢幻に現(うつつ)を見て、現に夢幻を見た。絶え間ない楽園だった。星の老人はこれを超える楽園が異星にあると嘯(うそぶ)いた。幸福がよそに奪われていると唆(そそのか)した。持ち帰る英雄はお前らだと射幸心を煽った。酩酊から覚醒した世界で夢幻の楽園は宇宙への憧憬に変わった。


最初の200人は、200年前にルナベーヌスに降り立った。静かに静かに降り立った。

冥王星に興隆した、ある一神教宗教の預言者には女の血統があった。

星の老人はその直系で、「神的霊性の体現者」、「究極の権威」、「神に聖別された人間」と位置付けられた。星の老人はいつの間にか、預言者よりも偉い人間になっていた。

だから星の老人には資金が集まった。だから星の最鋭技術を買う事ができた。

宇宙船は他宗教国家から相場の3割増で手に入れた。売りつけた国にとっては、旧式の行ってこい型の宇宙船を往復帰還船の相場の3割増で捌(さば)けた事で大満足だった。宇宙船がどう使われるか、興味も理解も無かった。

太陽系で自分たちの星以外に定住に適した好環境の星が地球以外で見つかったとニュースが報じた。発見者には大規模破壊剤を発明した偉人を冠した世界的な権威ある賞が贈られた。

金星の衛星だった。すでに人類が生息しているが、生まれたばかりの赤ん坊の肌のような無垢さが星にはあった。

(これだ)

星の老人は思った。

「この星こそ我らの楽園だ」

最初の200人にそう宣布した。

辺境の星の一宗教の頂点に立った彼は、星を支配してみたかった。

星の支配者、人口が膨れ上がり大国同士の戦力が拮抗した冥王星ではとうに無理な望みだった。


星の老人は、手に入れた旧式の宇宙船に最初の200人を昆虫の卵みたいにびっしりと詰め込んで宇宙に送った。他宗教国家から雇われた技術者たちは無人ロケットだと聞かされていた。多額の報酬で集められた優秀な技術者たちだった。

金星の衛星探査目的でローンチされた宇宙船は、名を「クンニラーダ」号と名付けられた。冥王星の宗教の言語で、「意志よ、あれ」、という意味の古語だった。

クンニラーダ号がルナベーヌスに無事着陸すると、他宗教国家の技術者たちは個々に楽園におびき寄せられ、懐柔された。アルコールと麻が幻覚する楽園は、強烈な快楽世界だった。

最初の200人は「ダインスレイフ」という少年の指揮の下、ルナベーヌスに集落を作った。

狩りと採集で命を繋ぎながら、星の言語を習得することを1次目標とした。冥王星の時間尺度で6年も経たないうちに最初の200人の75%が星の言語をマスターし、残りの25%も個人差はあったがもう6年後には皆が星の言語で話す様になった。ルナベーヌスと言うらしい星の時間は、1日が冥王星の6・5日分だった。

最初の200人は男女比に偏差があった。男が21人に対して女が179人と大きな偏りだった。

理由は二つあった。一つは子を生む母体の絶対数を確保すること、もう一つは女の方が生命力が強いという生物的特徴、宇宙船に限りがあるため最初の200人は環境の異なるルナベーヌスで子孫を増やす必要があった。

言語を習得した最初の200人は2次目標に移行した。

2次目標は星の住民と交わると同時に純血の子孫を残す事、星の老人は13次までの具体的な目標を最初の200人に与えていた。

星の住民との交配に当たって、ダインスレイフは「ノバラ」という築いた集落に近い小都市をターゲットにした。


ひっそりと目立たない様に作ったつもりの集落の、眼と鼻の先には同じような集落があった。

冥王星時間で12年、ルナベーヌス時間で1年半近くダインスレイフも、最初の200人の唯一人を除いて誰も気付かなかった。

その集落、つまりコスモフレアの存在に気付いた最初の200人の内の1人は、名を「アシ」といった。冥王星の宗教の古い言葉で「赤鹿(あかしし)にまたがるもの」という意味だった。

ある日、アシは森に湖を見つけた。人の身長よりずっと深いのに底までに眼が届くほど澄明な湖だった。

湖の中央には小島があって、そこで麗らかに舞い踊る人があった。とても綺麗で静かな舞いだった。

アシは畔(ほとり)に立ちすくんだ。舞いにだけ焦点が集中し、舞い踊る人にだけ意識が埋没した。手に力が入らなくなって、収集したカシューナッツの果実を落としたがそれにも気づかなかった。

空から陽射しが降っていた。冥王星に降るよりも暖かで力強い陽射しだった。湖の水面を光が遊び回り、森の木々が舞う人が起こす風に柔らかに揺れていた。

舞う人はアシに気付いた。寸間びくりと肩を上げた舞う人は、アシをじっくりと見つめゆっくりとお辞儀をした。何者かと訝(いぶか)る表情だとアシは感じ、無理に大きく笑って害意の無い事を示そうとした。舞う人の表情が一段と訝しくなった。

「こ、こんにちは」

舞う人が星の言葉で挨拶をくれた。

「ここ、こんにちは」

アシは発音がおかしくならない様に慎重に挨拶を返した。発音は完璧だったけれど、緊張で発声のほうが上手くいかなかった。

舞う人は名を「ミコ」と言った。彼女の集落に伝わる古い言葉で「神様に仕える聖女」という意味らしかった。綺麗な名前だとアシは思った。

ミコは「祈り子」という役目をコミュニティー内で負っており、神事に行う祖霊の鎮魂舞の練習をしていると教えてくれた。

「明日も来ていいかな?」

アシが聞くとミコは、

「いいけど、急に現れないでね。びっくりするから」

そう言って夕暮れの空に笑った。


湖の一画に大樹があった。アシは、その木を背景にして舞うミコを眺めると自分の命が燃え上がるのを感じた。大樹に差し込む陽の光を背景にした小島と祭壇と舞う人のある場所こそが、星の老人の言う楽園だと思った。

大樹はブナと樫の混合樹だとミコが教えてくれた。もしかしたら、と思ったアシはその樹液をクリスタルの欠片に塗ってみた。クリスタルが発動を始めた。

「なにそれ、魔法!?」

風を起こす緑色のクリスタルの輝きに、ミコは眼を輝かせていた。

「違うさ。こういう物質だ」

冥王星にも魔法という概念はあった。

「見た事ないわ」

「違う星の鉱石なのだ。その星には同じくらいのサイズの衛星があって、衛星には氷の火山があったのだ」

仮想のようにアシは話をした。冥王星から来たことは知られてはいけなかった。

星の住民と話をするのは初めてだったけれど、最初の200人と毎夜学習と討論をしていたから星の言葉でスムーズに話ができた事は新しい発見だった。

「氷の火山は、噴火するとその溶岩が星まで届くのだ。宇宙を隔てて届くのだ。そして、星で冷えて固まって結晶化してこんな風になる。どろどろとしたものが結晶化すると、けっこう美しいのだ。思想もそうだろ?もやもやどろどろした疑問こそ、解決に巡ったら自分の中で強く輝く。で、これがなにで風を起こすかって言うと、小さな核分裂だ」

「核?」

自然を敬愛し科学を拒否したコスモフレアに原子力の知識はなかった。

「えっとだ、この緑色の中に小さな小さな豆粒があってだ、そいつらが喧嘩するのだ。喧嘩すると力が出るだろ?この風はそれなのだ」

「よくわかんないのだ」

ミコは、アシの言い回しの妙を真似て応えた。

「だろう」

真似されている事に気付かずに、アシはそう言って笑った。昼を過ぎた暖かい風が森をゆっくりと通り抜けた。

「でだ。こいつの変わっているところは、核分裂させるための触媒、喧嘩の原因だな、それがおかしいのだ。衛星の氷の火山で生まれて星で眠って結晶化するからかな、決して(、、、)巡り合う(、、、、)はず(、、)の(、)無い(、、)遺伝子(、、、)が(、)混ざり合った(、、、、、、)もの(、、)と触れ合うと分裂を起こす。ちょうどこの木みたいにだ」

アシはそう言ってブナと樫の混合樹に視線を送った。

クリスタルを発動させるため、冥王星では決して(、、、)巡り合う(、、、、)はず(、、)の(、)無い(、、)もの同士の遺伝子実験が盛んに行われ、結果、小型の合成(キメ)獣(ラ)の血液が一番利便だと結論され多くの小型動物が犠牲になった。クリスタルの力は戦争に多く利用され、その度に星は傷ついていった。

「この木がそれなの?」

「ものの試しだったけど、クリスタルが反応したってことはこいつらはもう、遺伝子レベルで結合してるのだ。野生じゃ珍しいな」

「遺伝子?」

ミコの大きなヘーゼルの瞳がそう疑問符を投げていた。

(この星を乗っ取るのは案外簡単かもな)

アシは、ミコの文化レベルだけをとらまえてそう誤解した。

「生物の設計図なのだ。どんな生物にだって設計図があって、その通りに骨や血や肉で構築されるのだ。それが何万の星が誕生して絶命する縁起を乗り越えて混ざり合うと、こういう奇跡になることもある」

ミコの表情が疑問符を増して訝(いぶか)った。

「だから、魔法じゃないの?」

「理論を超えたものが魔法だろう?これは少なくとも理屈で説明できるのだから、魔法ではないのだ」

「じゃあ、わたしには魔法なのだ。理解できないもの」

ミコはまたアシの言い回しを真似て、ヘーゼルの瞳が見えなくなるほど満面に笑った。笑うと眼がなくなる人は初めて見たとアシは思った。

冥王星人とルナベーヌスの人類、つまり地球人には外見的な特徴に大きな違いが無かった。星を支配するに相応しい知能を有するのに最適化された外形なのだろうとダインスレイフらは結論していたけれど、

(少しだけ異なる)

アシはミコを知って思った。

(この星の人は顔のすべてで笑う。それは俺達にはできない。とても気持ちが良い表現行為だ)

地球を母とするルナベーヌス人の中でもマイノリティな村コミュニティに属するただ一個人の顔を造形する筋肉の動作だけで、アシは冥王星人とルナベーヌス人をそう区別し、そこに大きな魅力を感じた。


アシは、最初の200人の中でも特に工業技術に詳しかった。クリスタルの力を最大限に発動するための道具はアシが主任して用立てた。だが、最初の200人はまだ星の老人が定めた計画の2次段階にあったため、取り急ぎクリスタルにもその力を発揮する道具にも用事が無かった。

だからアシがクリスタルを秘密に持ち出しても最初の200人は誰も気づかなかった。

アシが、最初の200人にとって大切なクリスタルを持ち出したのには理由があった。

「ねえ、その魔法とわたしの舞踊を混ぜ合わせるってのは、どーお?」

ミコがいたずらな笑顔でそう言うから、アシは決して巡り合うはずの無かった、衛星カロンで生まれて冥王星で眠ったクリスタルと金星の衛星の住民とが混ざり合ったらどれだけ美しく、どれほど力強いのかどうしても知りたくなった。

だから、舞踊にも持ちやすく扱いやすいようにブナと樫の混合樹をステッキの形に造形して、クリスタルを嵌め込む孔と樹液が滲む孔と樹液を発射する取手を加工し、ビルシャナの杖を作った。杖の名前はミコが名付けた。

決して(、、、)巡り合う(、、、、)はず(、、)の(、)無かった(、、、、)クリスタルと祈り子の混ざり合いは、望んだ以上に美しかった。

ミコの舞いの影裏にクリスタルの光が尾を引いて、起きる風が常春を呼び、光が光を貫流した。

それを見つめるアシは、見つめているうちに自分と空との境がわからなくなった。すべてが一切溶け合って、一体となって、元々一体なことに気付いてその思考が輪廻した。

それは次元さえ独特な強烈な作用だった。星の老人の次元も、最初の200人の仲間達の次元も、どうでもよく思った。


ミコはアシをコスモフレアの皆に紹介した。

魔法を使えること、ものづくりが上手なこと、ノバラの出身なこと、喋り方が少しおかしいけれど慣れたら平気なこと、鎮魂祭にクリスタルを使うこと、冷えた笑い方をすること。

「あの人を大笑いさせることが目標なの」

アシを指してミコはコスモフレアの友達にそう言って眼のなくなる笑顔で微笑んだ。

アシはノバラ出身だと嘘をついた。この星のコミュニティーの名前はノバラしか知らなかった。

アシはミコよりも大人に見えた。時間の尺度が異なる冥王星人の細胞はルナベーヌス人よりも老化が早く、平均寿命が450歳ほどになる冥王星の時間尺では110歳であるアシはルナベーヌス時間で換算して自分の年齢を17歳だと嘯(うそぶ)いたが見た目には30歳くらいに見えた。ミコは17歳になったばかりだった。


その年の鎮魂祭は比類ないものになった。

ミコの操るビルシャナの杖が放つ光と不思議な力は、祈り子の舞踊に超常の装飾を与え、見る者すべての心を打った。

ミコの鎮魂舞を見た、その年のイーシャの火の守り役一人を除いた309人全員がコスモフレアに生まれたことに誇りを抱いた。

他人の誇りとなるくらい、美しく雄大で素晴らしいダンスだった。森の木々を抜ける星が鼓動のように輝いていた。

アシのおかげで新しく生まれ変わった鎮魂祭以来、彼はコスモフレアに完全に受け入れられた。それまでは、祈り子の好意は無下にはできないけれど他文化を思想的に拒むフレアの民にはどこかよそ者の扱いを言語裏に受けていた。

自然と最初の200人の仲間の下に帰ることも少なくなったが、その頃にはすでにほとんどがノバラに居を移し、一部が他の都市に潜伏していたのでアシの行動を気に留める者はマナウィダン以外にいなかった。


鎮魂祭を終えてすぐにミコが妊娠をした。父親はアシだった。

異星人とも生殖可能なことは最初の200人にとって大きな発見だったけれど、アシは黙っていた。

「純血の子孫を残すこと」

星の老人の指令は、「なるべくなら」という冠の付くもので、星の異性と交わうことを禁止したものでもなく、むしろ星の住民との交配は積極的に行うべきものだったけれど、なぜか知られてはいけないと思った。

「おい、お前こそこそなにやってんだよ」

ミコの妊娠が判明した少し後、ルナベーヌス時間で3日ぶりに集落に戻りダインスレイフに虚偽の報告をして自宅に戻ったアシをマナウィダンが待ち伏せていた。自宅と言っても冥王星から持って来ていたドームテントを最初の200人達は根城にしていた。

「こそこそってなんだよ。潜入すんだからこそこそするだろ」

ギクリとした心を隠してアシは努めて冷静に言った。単体で潜伏する者がアシの他にいないわけでは無かった。

「潜入~?嘘つけ!あんな森の中に街はねえだろ」

不必要に大きく開いた胸元の谷間を強調するようにずいっと身体を前のめりにしてマナウィダンはアシに突っかかった。少しの挙動で揺れる胸を見ながらアシは下品だと思った。ミコの上品な笑顔が胸に浮かんだ。

「尾けたのか?仲間内で。最低だな」

「た、たまたまだよ!見かけたんだ、お前が森の中に入ってくのを!」

「森くらい入るだろ。食いもんあんだから。マナ、お前なにがしたいんだ?」

コスモフレアに行く時は用心していた。だから、村は露見していないだろうことに自信はあったが、おそらく何度か森の手前まで尾行していただろうマナウィダンの目的をアシはあらかた察した。マナウィダンの顔と胸が不必要に近かった。

「なにか、悪いことしてんじゃないかって、心配してんだろ。森に入ったらいつも消えるしさ」

始めの脅迫めいた勢いが消えて、マナウィダンは「いつも」という言葉が尾行の証拠であることに気付かずに悄(しお)らしくなった。

「悪いことってなんだよ」

マナウィダンの物言いに、コスモフレアのこともクリスタルの持ち出しも露見していないことを確信してアシは言った。

「そりゃ、先生の教えに反することだよ。純血を守らなかったり、さ」

「もう星が違うんだ。先生の教えは絶対じゃないよ、マナ」

最初の200人は星の老人を「先生」と呼んでいた。

「やっぱり!女ができたんだ!そうだろ!?どこのどいつだ!ぶっ殺してやる!」

冥王星の純血を守ること、最初の200人の男女比は圧倒的に女が多いこと、どちらにしても最初の200人には不必要な、むしろ抱いてはいけない恋愛感情を発露させるマナウィダンを、

(愚かだな)

アシは最初の200人の一人としてそう考え、同時にミコに抱く己の感情に錯綜した。

「マナ、俺達には使命がある。尊い使命だ。俺は忘れたことはないよ。お前も乱しちゃだめだ」

ミコの舞いが見られるなら、母星も先生も仲間もどうでもいいと思う自分に真っ赤な嘘をついてアシはマナウィダンを宥(なだ)めた。ともするとダインスレイフに告げ口されるかと考慮しての嘘だった。

「わかってるよ、わかってるけど、感情まで捨てたわけじゃねーからな。それは先生に、皆に背いてねえだろう?」

縋(すが)る眼と大きな胸で求めるマナウィダンをアシは抱き寄せた。こいつは言葉では満足しないと思った。わずかな疑惑でもダインスレイフに抱かせるのは何としても避けなければいかなかった。

緑の臭いドームテントの中で二人は性交をした。ミコの顔が絶え間なく浮かんだが、アシはそれを見ないふりをした。マナウィダンは蕩ける瞳でアシを見つめ、満足と快感と恋にすっかり溺れていた。


ミコは女児を出産した。アシはその子を抱き上げた。肌がとても温かくて、泣き声がとても愛くるしくて、星の老人の教えで凍てついた心が解けていくのを感じた。自然と大きな笑みが零れた。アシのその笑顔を見てミコはガッツポーズを作って喜んだ。

(俺たちは洗脳されていたんだ)

アシはそう確信し、女児のためにコスモフレアを保護しようと決心した。

アシはコスモフレアの男たちにクリスタルの加工技法を教え、濫用されないようその扱い方と発現するエネルギーの種類とある(、、)仮説(、、)を長(おさ)と呼ばれる族長にだけ伝えた。ミコらの代の長は50歳を超えた壮齢の、曇りのない眼を持つ人物だった。

アシが最も恐れたことは、ダインスレイフらにコスモフレアが侵略されることだった。

文明から隔離した村、自給自足システムの整備された生活圏、クリスタルの力を簡単に発動できるブナと樫の混合樹、冥王星には存在しない顔立ちの美しく柔らかな異性たち、侵略するにはあまりに簡便で都合が良すぎた。

最初の200人は暗殺術や演技や体術は訓練されていたが、星を乗っ取るほどに頼りにする最大の武力はやはりクリスタルだった。

合成獣の血液には限りがあったから、「いざ蜂起」の段階になるまでクリスタルは最初の200人の中で最も(、、)信頼(、、)され(、、)、最も管理能力に優れ、最も星の老人の教えに愚直だったアシが任されていた。

だから、持ってきたすべてのクリスタルと共にアシとマナウィダンが消えた時、最初の200人は、

「嘘だ」「嘘だろ」「嘘よ」「ありえないわ、あのアシよ」

と口々に事実を否定した。

けれどクリスタルが無くなり、アシとマナウィダンと連絡が取れなくなった事実は、ルナベーヌス時間で1週間が経っても覆らなかった。

ダインスレイフは急遽、主目的にしていたノバラへの潜入を少人数に編成し直し、大人数をアシとマナウィダンの捜索に当てたが、二人とクリスタルの行方は結局見つけ出すことができなかった。星の侵略作戦は大幅な下方修正が余儀なくされ、星の老人の2次目標を達成するまでルナベーヌス時間で200年と、途方も無い時間を要する羽目になった。


アシは持ち出したクリスタルをすべて祈り子の湖に沈めた。クリスタルの保管には常温常湿の密閉空間さえ確保できれば十分だったが、神事の舞台となる神聖な場所でしかも水の中なら盗み出す者はいないだろうと観測しての事だった。マナウィダンの遺体は赤色のクリスタルで骨が残らなくなるまで焼却した。

アシはマナウィダンを殺害し、クリスタルをコスモフレアに運び終えてすぐにコスモフレア全体を霧と蜃気楼で覆った。霧は青色と緑色のクリスタルの組み合わせ、蜃気楼は黄色と紫色のクリスタルを組合せて発動した。

発動装置には一定周期で合成獣の血液が点滴される仕掛けを施し、アシの計算では女児が死ぬまで、つまりルナベーヌス時間でおよそ70年間保持される予定だったが、結局コスモフレアを外界から目眩ます装置はその後180年間、クリスタルに血液を点滴し続けた。


アシとミコの子は健やかに成長をし、祈り子になり成人して女児を生み、40歳で早死にした。

ルナベーヌス人に比べ老化の早いアシは子が成人するのを見届けてからルナベーヌス年齢37歳で早死にし、ミコも孫の顔を見てすぐの42歳で早死にした。年齢的には早死にだったが、見るからに年齢の倍ほど老けて見えたアシを何かの病気だろうとフレアの民は気の毒に思い、誰もアシが早死にだとは口にしなかったし、アシの家族が皆早死になのはクリスタルのせいだと気づく事は、科学知識の乏しいフレアの民にも代変わりした若い長にも難しかった。

アシはコスモフレアに力をもたらしたが、ルナベーヌス人と冥王星人の被爆限度線量の差異までには考えが及ばなかった。

地球の物理学者の名が付けられた単位で言うならば500mSvの被爆で確定的影響の出るルナベーヌス人に対し、冥王星人は100000mSvを超える線量を被爆しても影響が無かった。

だから、クリスタルの原子力をその手で発動したミコが無事に健常な女児を生んだのは、本当は奇跡に近い幸運だった。

その後、アシにクリスタルの加工を学び、自分たちを「カジヤ」と、村に伝わる古い言葉で名乗り出した者の中から早世者が出始めてからやっとコスモフレアはクリスタルの害に気付き、それまで収穫や調理にも利用していたクリスタルに厳重な使用制限を定め、フレアの民は年一回の鎮魂祭の幽冥な壮美麗を楽しみに慎ましく暮らした。


異変が起こったのはクリスタルを扱う始めの祈り子、つまりミコの代から180年経った時だった。

瞳が真っ赤、肌も毛も真っ白の美しい女児が、始めの祈り子の家系に生まれた。

「ウサギ」と名付けられた真っ白な女児は、16歳になったら祈り子となることが生まれた時点で決定づけられ、その通りに16歳になった年に祈り子に選ばれた。その年は、奇しくも村の守り神であるイーシャの火が2000歳を迎える記念碑的な年だった。

異変とは、ウサギの容姿だけではなかった。目に見えない彼女に刻まれた設計図、つまり遺伝子配列が奇妙を起こしていた。隔世遺伝だった。

ミコが女児を出産した時、アシは仮説を立てた。

(決して(、、、)巡り合う(、、、、)はず(、、)の(、)無かった(、、、)遺伝子(、、、)が混ざり合って生まれた子の体液でクリスタルを発動したら、とんでもない力なんじゃないか?)

アシは星を隔てるほどの縁起性の希薄については触れずに、長にだけその仮説を話した。縁起性が希薄なほど、つまり巡り合う可能性が低ければ低いほどクリスタルの核に与える影響が大きくなる事実は星の老人が教えてくれた知識だった。

けれど、アシとミコの子は特別な力は発揮せず、コスモフレアはこの仮説をすっかり忘れていた。


初めての祈り子の舞いを終えたウサギは高揚していた。イーシャの火の前に集めた、自分が落としたブナと樫の混合樹の葉っぱにさえ同情し、そう思う自分に陶酔した。

夕焼けが胸を締めつけた。自然と零れた涙をウサギは放ったらかしにしてビルシャナの杖を振るいクリスタルを発動した。放ったらかされた涙が、つまり決して(、、、)巡り合う(、、、、)はず(、、)の(、)無かった(、、、、)遺伝子(、、、)を(、)有した(、、、)もの(、、)の体液がクリスタルに打ちかかった。

クリスタルが今までとは異なる力を発現した。一瞬大きく膨らんだかに見えた煙のようなものがイーシャの火に目がけて塊となり、村の神火を呑み込んだ。

一見消滅したかに見えたイーシャの火に、ウサギは多量の涙を零し、その涙がイーシャの火を呑み込んだクリスタルの力の塊に大量に降りかかり沁み込んだ。

2000年続いたとはいえ、ただの種火に過ぎなかった火はクリスタルの力の塊の内部で急激に成長し続け、因果不明に外殻だけ固まったクリスタルがそれを抑え込み続けた。覗いてみると、まるで太陽のようだった。


異常はそれだけでは無かった。

イーシャの火を呑み込んだクリスタルを、長の指示でウサギが発動するとクリスタルは本当の太陽のように大きすぎる光を放ち、ノバラを含む辺り一帯の夜を昼に変えた。

コスモフレアは凄まじいイーシャの火の力を封印することに決めたけれど、もう遅かった。

ノバラでは最初の200人の末裔が順調に勢力を拡大していて、ちょうど同じ年にダインスレイフの子孫が選挙で市長に当選し乗っ取りを完遂させたところだった。

彼ら最初の200人の末裔は、親に聞かされたクリスタルの在り処をやっと見つけたと歓喜し、けれどすぐに自戒しクリスタルの奪還を慎重に慎重を重ねて計画した。

夜を昼に変える力を持った敵に真正面から相対するのは不可能だと早期に判断され、計画は20年を掛けてゆっくりと実行された。村を目眩ます点滴装置は、この時点で血液タンクがほとんど空になっていた。

太陽を発現させたウサギも、ノバラの市長も、当時のルナベーヌスの王もアマノガワ銀河軍も誰一人気付かなかったが、ウサギが発動した、時間をおいて拡散し消滅したように見えたイーシャの火のエネルギーは、実はこの時、結集して地球に降り注いでいた。

夜を昼に変えたエネルギーは減退することなく、一本の極細な矢となって宇宙空間に飛び出し、真空を貫いて超音速で宇宙を旅して青い星の青白い大地に降り注いでいた。

エネルギーの矢は、南極の氷を容易く貫通し、地下6000m付近にいた生物に直射した。その生物こそがマザーランドだった。

星を越えた強大なエネルギーを受けたマザーランドは変態を何度も繰り返し、有り余るエネルギーを摂食吸収能力に変換し、直射を受けてから20年後、偶然にも地球の地表へと投げ出され、極めて短期間で南極の支配者となった。


ウサギには妹がいた。妹はアルビノでもなく祈り子になることもなかったが、アルビノゆえに他の祈り子よりもずっと早く早世したウサギの生まれ変わりのように、ウサギが死んだすぐ後に妊娠し女児を生んだ。

女児は、「ナナユウ」と名付けられた。

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