アマノガワ銀河軍
Ⅵ アマノガワ銀河軍
「事態は、風雲急だ」
アマノガワ銀河軍中央基地第1梯団会議室にシリウスの声が響いた。聞き手の背筋までよく通る声だった。
会議室には、シリウス、フォーマルハウト、ミアプラキドスに加え、西方基地長兼第13梯団長アルタイル、北方基地長兼第20梯団長デネブ、南方基地長兼第5梯団長ベガとその従伴として南方基地所属第19梯団長ベクルックスが集結していた。四方基地長が一挙に集結する事は、アマノガワ銀河軍創立以来異例の事だった。ゆえに中央基地は緊張に満ち溢れ、噂を聞いた市民は異常事態に声を潜め合った。
「事変は二つだ。東方の小都市ノバラでクーデターが発生、通達したとおり異星からの襲来だ。現在これにアルデバラン、アンタレス、スピカの率いる東方基地に加え、レグルス隊及びプロキオン隊が当たっている。敵勢力はおよそ18000、大部隊だ。対してこちらは9300、応援が必要だ。更にこれを見てくれ」
会議室の39台の液晶モニターを1画面に整えた映像が映し出された。39台は各個で基地内外のポイントを映し出す事も可能だった。
一塊になったモニターには、ヒトの形をした粘動体の怪物が人類の一小隊を今までに見た事が無い方法で殺害している場面が映し出された。シリウスは続けた。
「見ての通りの化物だ。地球の南極大陸に突如出現し、現地の生物を食いまくっている。食う度に食った生物の特徴を吸収し、その能力を発揮するそうだ。奇跡の様な生き物だな。これに関して、ティエラのローラン首相から応援要請が来ている。彼はベガをご指名だそうだ、どうだ?」
「イヤ」
引き締まった細い腕を胸の下に組んでベガが即答した。返答の早さと本当に嫌そうな表情に、隣に座ったミアプラキドスがこっそりと耳打ちした。
「ベガ姉、総理大臣のご指名っすよ。名誉じゃないっすか」
「ミア、あんたぶつわよ。何が悲しくて父親の指名なんか受けなきゃなんないのよ」
ひそひそと揶揄(からか)うミアプラキドスに、落とさない声量でベガが言った。その隣でベクルックスがミアプラキドスを睨み、シリウスより年長のデネブとアルタイルがそれに大笑いした。
アマノガワ銀河軍は46の梯団に分かれており、1からの数字で区別されるが数字の位列がそのまま序列になる訳ではなかった。
その順位は、国防長官、元帥兼中央基地長、四方基地長、中央基地副長、四方基地副長、各梯団長、各副梯団長の順に並び、四方基地長及び副長は時代々々の能力ある梯団長が国防長官に任命される慣わしで、例外的に中央基地長だけは歴々の第1梯団長が務めた。
つまり、この場で最上位はシリウスで、次いで高位の重鎮二人が取った笑うという行為は、厳粛な雰囲気で始まった会議の緊張をしばし緩和させ、基地長たちの座る楕円形卓を取り囲む中央基地所属の一般兵の肩の力を少し緩ませた。
「未知の兵器を使うそうだな」
巨木の様な腕を組み、フォーマルハウトの用意したレポートに眼を落しながらデネブが言った。屈強者の多いアマノガワ銀河軍でも東方基地長アルデバランに並ぶ巨躯の団長だった。
「それに関してはレポートの3ページと4ページ目を見てくれ。フォーマルハウトがまとめてくれた」
年上の団長にもシリウスが丁寧語を用いないのは組織に必要な地位の差異を明瞭にするためだったが、それに反感を覚える年長者は一人もおらず、それは年上にも敬意を抱かせるシリウスの人柄に由縁した。
「冥王星由来の放射性物質、しかも人体に極めて有害、か。なぜ冥王星と特定できたのだ?」
すでに白髪が靡くアルタイルが薄紫の色眼鏡越しにフォーマルハウトに視線を投げて尋ねた。薄紫の色眼鏡は彼のトレードマークで、「紫の悪魔」と西方基地では畏れられ慕われる基地長だった。
自然科学知識に関してはフォーマルハウトが傑出している事は軍の相互理解で、彼の率いる第18梯団は軍隊というより科学部隊の様相が濃かった。
「特定と言うよりは、そう仮説するしか手がない、と言ったところです。氷火山の噴火による放射及び結晶化の痕跡が確認できました。既知の星で氷の大地が噴火するのは地球と冥王星とその衛星カロンしかありません。尤(もっと)も、我々の理解が及ぶ範囲に限られますが。加えて地球には存在しない元素を含んだ組成列を発見しました。よって厳密には冥王星か衛星カロン産かということになりますが、カロンは冥王星の衛星と今のところ学会はみなしておりますので、冥王星由来、と結論付けました」
フォーマルハウトの説明に、
「なんで氷が火を噴くのよ」
と先ほどよりは少し落とした声でベガがミアプラキドスに尋ねた。アマノガワ銀河軍の中でも図抜けた戦闘力を誇る第5梯団長は、物理的な力以外にあまり興味を持たなかった。
「ベガ様、こんな野蛮猿、相手にしちゃいけません」
直属の部下である自分ではなくミアプラキドスに質問をしたベガに、ベクルックスは悋気(りんき)を覚えて小声で言った。
「なんすか、ミモ。妬いてんすか」
それを察したミアプラキドスは、ベクルックスの愛称の短略でベガ越しに彼女を揶揄(やゆ)した。
ベクルックスは「ミモザ」という愛称で呼ばれる事が多く、年は違うが飛び級をしたミアプラキドスとは軍学校の同級生でアマノガワ銀河軍入団の同期だった。
「時と場所をわきまえろって言ってんのよ、山猿!」
「猿じゃないですー、ミアはミアですー」
幼稚な言い合いで火花を散らす二人は、学生の頃から成績の1、2位を争う競争相手で、3歳も年の若いミアプラキドスに負ける事がベクルックスには我慢ならず、何かと突っかかってくるベクルックスを揶揄う事はミアプラキドスの楽しみだった。つまり軍人として非常に優秀な二人は挫折を知らない分、能力に見合わずどちらも精神が少し幼かった。
「ミア、少し静かにしてくれるか」
シリウスの呼びかけにミアプラキドスは背筋を伸ばして行儀よく返事をし、
「あなたも、ミモザ」
ベガの窘(たしな)めにベクルックスはよそ猫の様におとなしくなった。
「初めての戦争が宇宙人とだなんてな。まったく面白い時代になったもんだ、なあデネブ」
フォーマルハウトの説明に、アルタイルは少し皮肉って応えた。
「まったくだ」
デネブがそれに大きく笑って応じた。未曽有の事態にも頼もしい限りの大きな笑い声だった。
アマノガワ銀河軍創立以来、軍隊を名乗ってはいるものの実際の戦闘行為に臨んだ経験が銀河軍には無かった。
2000年前のバイオハザード以来、慎重に行ってきた植民の成果は星に大きな紛争をもたらさなかった。民族の違いも、星の大きな恩恵に包まれて一分の亀裂も生まなかった。地球で戦争が起こっても、それが星を滅ぼすものでない限り静観した。
(野蛮なものたち)
ルナベーヌスの王がギルガメシュに言及したように、アトランティスは他の地球人類を自分達とは分け隔て、国々のトップには干渉しつつ観察対象として見守った。戦争がもたらす技術革新と経済循環を良く理解していたからでもあった。
さすがにウラン235を純度100%の爆弾に仕掛け、東洋の島国がその犠牲となった時は武力干渉し、二回目の世界大戦と呼ばれた戦争は秘密裏にアマノガワ銀河軍が調停した。
2000年前にアトランティス人以外の地球人の移植を始めたルナベーヌスの土地面積は地球の7・6%に相当した。つまりアフリカ大陸とオーストラリア大陸を合わせた程度の大きさの土地に1億人を超える人間が居住し、都市の数は大小含めて845を数えていた。
アマノガワ銀河軍の総員数は創立以来ルナベーヌスの人口増加に比例して増員を重ね、現在は平均すると一団当りにおよそ5000人が所属、全体で23万の大所帯の組織を形成していた。
戦争の無い星で、銀河軍の役割は多岐に渡った。
防衛は元より、警邏(けいら)、拿捕(だほ)、航空管制、刑務の治安取締りに加え、消防、災害救助、復興といった公共支援、更には、生態調査や発掘調査、天文調査などの自然科学チーム、未踏地踏破、宇宙開拓応援などの冒険チームまで編成され、稀に犯罪者と格闘をするくらいで戦闘とはほとんど無縁の名ばかり軍隊であった。
けれど、それを最も憂い十分な危機感を有していたのはアマノガワ銀河軍団そのものだった。
各基地内には十全なトレーニング施設と屋内でも屋外でもシミュレーション可能な模擬戦舞台装置が備えられ、模擬戦舞台装置は戦線出軍に及んでの視点と隊列の維持方法、戦場を駆けるという行為の体力の消耗度合い、声の届き方届かせ方、エネルギーの補給と睡眠の確保方法、そして敵の殺し方をリアルに教えてくれた。
模擬戦舞台装置は10~100の小隊から、100~1000の中隊、1000以上の大隊にまで適合した1924個のシミュレーションプログラムが用意され、年に一度、46の梯団の代表が中央基地に集結し勝敗を競う競技形式の演習が行われた。
演習は、誇りを懸けた軍人達の本気と熱狂から、「星の血祭り」と市民から良識をもって陰口され、その覇者は最大級に褒め称えられた。
ゆえに、およそ戦闘という行動においてアマノガワ銀河軍は地球各国の軍隊と比較しても、その科学力の差異もあるが、地球が一丸となっても敵わない高品質を保持していた。
「地球の方はどうなんだ?」
5枚綴(つづ)りのレポートに記載の無い、地球の南極大陸に突如現れた怪物をさしてデネブが言った。
「そちらに関してはまだなにも分かっていません。ですので、差し当たってローラン首相の要請に応えるのは討伐部隊ではなく調査索敵部隊かと考えます」
「じゃあ、うちっす!」
フォーマルハウトの意見にミアプラキドスが片手を威勢良く挙げて答えた。
「ミアは対ノバラに当たってくれ。ナナユウの持つクリスタルへの知識が必要だ。ベガもだ」
シリウスがそう言うと、ベガは黙って頷き、ミアプラキドスはむうっと頬を膨らませて威勢よく挙げた手をすごすご下ろした。
「デネブ、シャウラ隊を出せないか?あいつが適任だと思う。あんたのとこは戦線から遠いしな」
続けて、北方基地長にシリウスは依頼の態(てい)で命令をした。
「構わんよ、元帥。目標はなんだ?フォーマルハウト」
巨木の様な北方基地長は14歳年下のシリウスの命令に素直に応じ、ポジティブな質問を投げた。第1梯団長兼中央基地長はその任に就いた時から「元帥」の称号を与えられ、四方基地長は「大将」の称号を付与された。
「検体の入手が一番。次いで行動原理及び目的の把握、更に兵力の特定、戦闘力の検分まで出来れば上等です」
デネブは黙って頷いた。
「アルタイル、西からリギル隊を分散して北と南に回してくれ、均衡調整だ、補給応援部隊の派遣も頼む。ベガ、ミモザ、ミアと俺とノバラだ。フォーマルハウト、シャウラ隊の遣兵準備を頼む」
「お前も出るのか?シリウス」
「ええ、カノープスが戻ります。それに、俺も宇宙人の顔を拝みたい」
アルタイルの質問にシリウスは不敵に答えた。決断の早さと指示の的確さ、大胆な行動力とユーモアが史上最年少の元帥が信頼を集める由縁でもあった。
会議は1時間で解散し、ベガは通信機で南方基地に第5梯団と第19梯団のノバラへの出動をそれぞれの副梯団長に指示し、アルタイルは補給品の流通をあれこれに通信機で指示命令を出す事で整え、デネブは先んじてシャウラに出陣を伝えてから北方基地に戻り、ベクルックスはミアプラキドスと仲良く喧嘩をした。
クーデターに当たる梯団の決定と地球に現れた怪物への対応のみを決定した会議だったので、わざわざ遠方から基地長を集めなくとも映像の送受で会議は開催できたが、大将同士が顔を合わせる事の連携強化と全梯団員及びルナベーヌス市民への非常事態なのだという緊張感の喚起をシリウスは期待した。
事実、シリウスの号令に四方基地長の意思は統一され梯団員の表情は引き締まり、大将集結の噂にルナベーヌス市民はざわざわと戦々恐々し、翻ってわくわくとするなど思い思いに星の異常を感じ取った。
会議の6時間後にシリウス隊とミアプラキドス隊はノバラへ向けて出軍した。
シリウスは会議後すぐにギルガメシュ国防長官に用兵配置の報告と人事の要望を依頼した。
「わかったよ、くれぐれも慎重にね。カノープスには戻るよう言っとくから」
アルタイルに答えた時点では決まっていなかった、第2梯団長兼中央基地副長兼内閣補佐官カノープスの基地帰還が決定した。カノープスは王都政府に長期間の出向中だった。
長官からの返答を受けた4時間後にカノープスが単身で帰還し、その1時間後に王政府からルナベーヌス全域に非常事態が宣言され一般市民の行動が制限された。
敵勢力18000に対し、東方基地からはアルデバラン隊の2000、第15梯団アンタレス隊の1500、第16梯団スピカ隊の800、それに加えて中央基地よりレグルス隊2000、プロキオン隊3000の計9300の戦闘員が当たっていた。
シリウスは自隊を4000、ミアプラキドス隊を1200で編成し、ベガは第5梯団を5000、第19梯団を2500で編成した。アマノガワ銀河軍は数的優位でクーデターに対峙する事になった。
親兵200とシリウスとベガが第1梯団所有の飛空艇「ヘスペリデス」号に、同じく親兵200とミアプラキドスとベクルックスとナナユウが第30梯団所有のカトブレパス号に乗り込み、残りの兵は装甲車両と鉄道に分かれてノバラに向けて出軍した。鉄道は非常事態宣言発令以降、一般市民の乗車が制限されていた。
加えて南方基地より第5梯団が所有の飛空艇「ラーミア」号と戦闘機と車両と軍艦で、第19梯団が飛空艇「ユルルングル」号と鉄道で各々の副梯団長の指揮の下、時を同じくしてノバラに向け進軍を開始した。
「宇宙人の目的は何かしらね」
ヘスペリデス号内の梯団長室で紅茶を啜りながらベガが言った。ノバラからの声明はまだ何も届いていなかった。
「さあ。宇宙人の考えることだからな。ミアは侵略だって言ってたぞ」
「人、殺してるからね」
「何だよ。お友達になりたいのか?」
星の血祭り優勝回数6回を誇る不惑の第5梯団長に似合わしくなく、溜息を吐くようなベガの物言いにシリウスは揶揄して言った。
「うん」
紅茶のカップを両手で持って、ベガはシリウスを真正面に見据え素直に答えた。大きなアースカラーの瞳がきらきらと輝いていた。
「だって!宇宙人よ!いたのよ!わたしたち以外に!すごくない!?」
「そりゃ歓迎したいところさ。相手に悪意がなきゃあな」
7歳年下の、将の将としては異例に若いがもう良い歳の大将に諭す様にシリウスは答えた。
「悪意がなきゃ、いい?」
「何考えてるんだよ」
アースカラーの瞳を凛々(りんりん)とさせるベガにシリウスは不穏を感じた。
「降伏させたらさ、配下にしちゃダメ?」
「駄目に決まってるだろ」
子が親に玩具をねだるような物言いをするベガをシリウスはぴしゃりと一蹴した。けれど、
(言っても無駄だろうな)
アースカラーの瞳の輝きの燃え上がりを見てシリウスは思った。瞳の燃え上がりに反比例してベガの眼がすわった。
「なんで?」
「相手の思想がわからないだろ。危険だ」
「改宗させればいいの?」
「ベガ、すでに血が流れてるんだ」
「わかってる。けど、こんな際涯(さいがい)の無い宇宙でやっと出会えたのよ。勿体ないじゃない」
(確かに、な)
ベガの言い分にシリウスは心で納得した。宇宙の広さを、ルナベーヌスに来て人類は改めて実感した。
「お互いわからない事ばかりだ。まずは対話だな」
「言葉、通じるの?」
「ミアの方にナナユウって女の子が乗ってるだろ?あの子の証言から、どうもやつらは200年以上前から潜伏してたらしい。言語くらい習得済みだろ」
「じゃあ、容姿も似てるのね」
「だろうな。明らかに宇宙人じゃ潜伏できないしな」
「捕まえたら、拷問はわたしにさせてね」
紅茶カップを胡桃材のテーブルに置いて言うベガの瞳には諦めの色が見えなかった。陶器と木の柔らかな衝突が梯団長室に一音鳴った。
「ねえシリウス。あのナナユウって子、リリコに似てるね」
「そうか?」
ベガは、歳も階級も上なシリウスの事を呼び捨てで呼んだ。新兵の頃から同じ前線で切磋琢磨して来た二人には自然な呼び方だった。
「雰囲気が似てる。最近会ってないの?」
「もう12年、姿も見てないよ」
別れた頃の、幼かった娘の姿をシリウスは胸に起こした。
(気になるのは、だからか?)
「紅茶、おかわり」
紅茶の追加を求めて梯団長室を出ていくベガの言葉に、シリウスは娘の幻影を浮かばせた。
「ナナユウ、ミモザっす。ミアと同期。ほら、ミモ、挨拶しなさい」
そう言って背を押す、3つも年下のくせにお姉さんぶったミアプラキドスの手を振り払ってべクルックスはナナユウを見つめた。薄く長いまつ毛とヘーゼルの瞳に、
(東洋系とどこの混血かしら?)
べクルックスはそう疑問を抱いたがそれは口にしなかった。
「べクルックスよ。ベガ大将の下で第19梯団の梯団長をしているわ。親しみを込めてミモザって呼ばれてるから、あなたもそう呼んでいいわよ」
あからさまに上位からの物言いで握手を求めるべクルックスの右手を、ナナユウは優しく両手で包み、
「よろしくね、ミモ」
とミアプラキドスの言い方を真似て挨拶をした。とても柔らかな手だとべクルックスは感じた。
「よろしく。ねえ、ひとつ聞いていい?今から戦場に行くのよ。なぜあなたたちは揃いも揃って肩出してるの?バカなの?」
トレードマークにもなっているミアプラキドスの緑色の袖の無い綿織物から伸びた白い腕と、ナナユウの袖口と深い袂(たもと)はあるくせに肩は露わな羽衣の様な衣装を指してべクルックスは言った。
「いーじゃん。これが一番動きやすいんすよ」
むうっとミアプラキドスは反論をし、
「ミアとミモって姉妹みたいね。名前も似てるし」
見当違いなところでナナユウは笑った。
「まあいいけど。綺麗な肌に傷が付いたって知らないわよ」
皮肉のつもりで言ったべクルックスの言葉に、
「そうかな?」
とナナユウとミアプラキドスは二人して自分の肩から上腕を流し目で見てさすった。
皮肉に対して得意そうな表情をする二人の年少者に、手のかかる妹を見る心地をべクルックスは覚え、はあー、と大きく溜息をついた。
ナナユウは従軍に及んで祈り子の衣装を着用した。防御力という点でまったく効能はなかったけれど、敵討ちになろうが自分が命を落とそうが、決着をつけるのに相応しい衣装だと考えた。
「ねえ、ミア、ミモ。着いたらすぐに戦闘になるのかな?」
木製の杖を握りしめたナナユウの瞳が、覚悟を決して透明度を上げていた。瞳のヘーゼルは、艦内の照明の光を吸い込んで複雑に彩づいていた。
「すぐにはならないっすよ。軍隊は戦争を始めるための組織じゃないっす」
小さく震えるナナユウの肩を抱いて、横からミアプラキドスが答えた。
「まずは講和を諮(はか)るでしょうね。戦闘にならずに解決すればそれが一番よ」
出発直前に渡された木製の杖をナナユウはぎゅっと握り締めた。レグルスが採取したブナと樫の混合樹を加工してフォーマルハウトが製作した新しいビルシャナの杖だった。
「大丈夫。人殺しは重罪っす。もし講和になっても、ちゃんと罪は償わせるつもりっすよ、シリウス様は」
ミアプラキドスは肩を抱く手に力を込めた。
「その杖がそれ?クリスタルってのを兵器に変えるってやつ?」
ナナユウの手元を指さしてべクルックスは尋ねた。クリスタル関連の事はフォーマルハウトのレポートに詳述があった。
「そうっす。ナナユウの専用武器」
「でも、これは発動できるかわからないの」
イーシャの火のクリスタルを袖の袂から取出してナナユウはベクルックスに示した。結晶体の内部で燃え上がる火の揺らめきが、ナナユウの瞳に似ているとベクルックスは思った。
「ふーん。ちょっとやってみてよ」
そう言ってべクルックスは結晶化したイーシャの火を指でつついた。見た目通り、宝石に似た硬度と質感を感じた。
「ダメっすよ。ミモ、聞いてないんすか?太陽っすよ、これ」
「疑わしいわ」
「ダメだって。もし本当に太陽規模のエネルギーが発動したらどうするんすか。ミアたち真っ黒けっすよ」
ナナユウにイーシャの火を仕舞うように手振りで促すミアプラキドスを、
「でも、試してみたい」
ナナユウは懇願の瞳で見つめた。戦場に入る前に準備出来る事はすべてやっておきたい、そんな気持ちだった。
(まいったな、ミモにも言っとくべきだった)
イーシャの火をナナユウに発動させてその発現現象と威力を検分するようフォーマルハウトに指示はされていたミアプラキドスは、しかし飛空艇内でとは想定していなかった。
(でもちょっとだけなら大丈夫かな。知っておくなら確かに早い方がいいし)
フォーマルハウトでもビルシャナの杖にセットすればイーシャの火は発動できた。ただ、どんなにトリガーを絞っても、その発現現象は手持ち松明(たいまつ)程度の発光と発熱だった。それを聞いていたから、
「ちょっとだけっすよ」
ミアプラキドスは飛空艇内での発動を許可した。
人気が無く十分に広い場所で発動実験を行うため、3人は梯団長室からカーゴ室へと移動した。手持ち松明程度でも、狭い梯団長室では不十分だとミアプラキドスは判断した。
途中、歩く度に目障りに揺れるミアプラキドスとナナユウの豊かな胸を、自身の胸部をちらりと見てべクルックスが憎たらしく思った。
カーゴ室内の、弾薬エリアを避けた食糧エリアの小広間でナナユウはイーシャの火を新しいビルシャナの杖に嵌(は)めトリガーを握った。
透明だったクリスタルが太陽の色味に発光を始め、1mほどの距離でそれを見ていたべクルックスは杖から照射される熱量が肌に当たるのを感じた。
「これだけ?」
べクルックスの言葉にナナユウはトリガーを思いっきり握ったが、少し輝きが増して少し暖かくなっただけだった。
「祈り子の時はもうちょっと強力だったんだけど」
赤色のクリスタルは尾を引くほどの炎を発現できたのに、とナナユウはしょんぼりとした。
(これじゃなんの役にも立たない)
暖房器を持って戦場に出ようとする間抜けな自分が惨めになった。
「まあまあ。ナナユウは祈り子っすもんね。戦闘はミア達に任せて、ね」
慰められると惨めさが増した。
(なにもできない)
その思いが呪詛みたいに脳内にこだまして、自分を逃がす長の曇りの無い眼が鮮烈に蘇って、ナナユウは涙をこぼし嗚咽を漏らした。
ミアプラキドスが慰めようと肩を抱き、べクルックスが言い過ぎたと体勢を変え手を差し伸べた時、ナナユウの涙がクリスタルに落ちた。
途端、急激にクリスタルが輝きだした。
太陽に似た色味は渦を巻き、発光は3人の姿をくらやむほどに照らし、堪え切れない熱波が大気を歪め、塊となった炎がクリスタルから発射された。大炎だった。
炎は飛空艇を内部から貫き、遥か彼方の空の向こうまで飛んで行った。
3人は唖然とした。吹き込む風が髪を大きくはためかせた。
「なに、あれ」
手を差し伸べるために体勢を変えていなければ黒焦げになっていただろう自分に身震いをして、ベクルックスがやっと言葉を発した。
ミアプラキドスとナナユウは、飛空艇に空いた大穴とクリスタルを何度も見比べ、眼を合わせて首を大きく横に振った。静的重量を維持できなくなった飛空艇が激しく傾いた。
「落ちるっす~!!」
「いや~!!」
ミアプラキドスとナナユウは抱き合いながらパニックを起こし、
「落ちない!ミア!早くパイロットに連絡して!」
ベクルックスが努めて冷静に指示を出した。
連絡を受けたカトブレパス号のパイロットは、HPEsと呼ばれる不燃ヘリウムガスが詰まった気嚢(きのう)にヘリウムを送ったり排出したりを慌ただしく繰り返し、カトブレパス号は手頃な草原に不時着した。
飛空艇のどてっ腹に大穴が空くという初めての緊急事態にも、カトブレパス号のパイロットは巧みに対応し、船員は皆冷静に不時着体勢を取った。1924個のシミュレーションプログラムには空中戦が195個あり、その中には飛空艇が攻撃を受けた場合の状況も演習されていた。ただ梯団長だけが、なぜか荷物室でぎゃーぎゃーと泣き喚いていた。
不時着した草原には野生の石楠花(しゃくなげ)が遅咲いていて、柔らかな風がそれを揺らしていた。
ミアプラキドスはシリウスに連絡を取り、事の経緯を伝え指示を仰いだ。
「無事ならよかったよ。修理して追いかけてくるんだ」
怒られるかとビクビクしながら連絡をしたミアプラキドスは、優しくそう言うシリウスに安堵し大きな声で返事をした。
カトブレパス号は外殻の応急修理に3時間を費やした。間に合わせの外殻には衛生布を利用した。
ヘスペリデス号に遅れる事4時間半、継ぎ接ぎの不細工なカトブレパス号が東方基地に到着した。
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