ルナベーヌス
Ⅳ ルナベーヌス
レグルスからの報告を受けた時、シリウスは中央基地から少し離れた王都にいた。次の日に王政府に出頭するよう命令を受けたからだった。
原初から完璧にデザインされた都市は王宮を中心に、日本の京都やスペインのバルセロナの様に住居や店舗が整然と整えられ、インフラ施設が少し離れて外郭を囲い、宗教施設が小区画毎の中心となっていた。
王都内の大地の道は歩行者と自転車専用で、車道は空中にチューブトンネル型の道路が縦横無尽に張り巡らされ、自動走行の自動車が絶えずチューブトンネルの中を循環していた。
チューブトンネルの外殻は薄鏡面仕立てで、星の景色をその肌に映して色模様を時刻や天気と共にくるくると変化させていた。
その中でも今みたいな寒い季節に向かう時期の、夕暮れが始まる紫とオレンジの渦雲模様がシリウスは好きだった。
王都の名は「アトランティス」と言った。1万年前は地球にあった大陸の名を、星間移住と共にそのまま都市に名付けた。
この星を見つけられたのは、たまたまだった。
金星への有人探査機「バハムート」が管制不能となり、偶然に不時着できた星だった。このバハムートという宇宙船の名は間違った形で後世のイスラムに伝わった。
星には空気があった。海があり植物がすでに植生を始め単純な単細胞生物があった。
「地球の原始に似た星にいる。大発見だ。とりあえず救援を頼む」
バハムートの艦長から地球のアトランティス航空宇宙局管制室にそう通信があったのは、彼らが行方不明になってから46時間後だった。
「聞こえるか、アトランティス。ここにも青空があるぞ。誰も見た事がない青空だ」
アトランティス航空宇宙局のキャプコムが応答する前に、バハムートの艦長はそう続けざまに付け加えた。冷静なコマンダーには珍しく、非常に興奮していたと当時のキャプコムは記録している。
星は金星の衛星だった。上手い具合に金星の運行に隠れ、地球からは観測できない星だった。
バハムートのクルーの強運にアトランティス航空宇宙局は大喝采を送った。アトランティスが誇る自然科学者たちは、爆発する人口と枯渇するエネルギーと大地に、すでに異星のテラフォーミングの必要性を説き始めていた。
不時着から1ヶ月後に早くも救助船が星に到着した。
救助船は名を「リヴァイアサン」と言い、旧約聖書では海の王に引用され、後世の英国人政治学者はこの名を冠して国家の在り方を説き著わした。海のある異星を征服するのだという、アトランティスの強い意志が込められた名だった。
星の大気組成は地球に良く似ていた。窒素が78%、酸素が20%、アルゴンが0.9%、二酸化炭素が0.1%と地球に比べて酸素が少なく二酸化炭素がやや多かったが、マグマが堆積した岩石地帯が多く、少し人工的に緑を広げてやれば酸素と二酸化炭素の割合もほとんど地球そのものに近くなる、それは難しいミッションではないと科学者たちは意見を一致させた。
バハムート救出から1年後、13人の宇宙飛行士を乗せた有人探査機が星に降り立った。コマンダーの名から第1陣の探査チームは「アーサー13」と呼称された。
アーサー13に課せられた主なミッションは栽植と1年間の居住だった。
彼らはイエローストーン国立公園並みの9000㎢近い面積の緑化に成功し、ジャガイモとカボチャとカブの栽培を確立させ、13人全員が1年後に無事地球に帰還した。
偉業を達成した13人には政府を介して王から騎士の称号が与えられ、彼らが星で囲んだ円形の食卓は異星を開拓した象徴として大切に保管され、事あるごとに装飾展示された。
アーサー13のミッションの途中でアトランティスは星に、「ルナベーヌス」という名を付けた。「金星の月」という意味の名だった。
ルナベーヌスは名の通り、月と同程度の大きさだった。直径およそ3600㎞、表面積4000万㎢、正確に測定すると月よりは少し大きかった。
第4次の探査チームから移住計画が進められた。第4次の探査機は「オーディーン」と名付けられ、後世の北欧では魔術と知恵を得るために自らの眼と命を捧げたシャーマンとして語り継がれた。危険の大きい初事業を行うにふさわしい命名だった。
第4次探査チームの目的は、ルナベーヌスと地球との間にケーブルを繋ぐことだった。第1次から第3次の間の6年間で、ルナベーヌスの運行と地球の運行は数万回とシミュレーション演算され、お互いの運行に障害とならないケーブルの長さとカウンターアンカーの重量とケーブルの伸縮距離と周期が決定された。
オーディーンのクルーは見事ルナベーヌスにケーブル基地を設営する事に成功し、ケーブルの端を携えて地球に帰還した。
ケーブル基地の建材や管理するコンピューターをルナベーヌスに置いてきたオーディーンの還りの艦内は無駄に広く、クルーは逆さになってどれくらい耐えられるかを競うなどして宇宙空間を楽しんだ。占星に用いるタロットカードの「吊るされた男」はこの時のクルーの遊びが原型になった。
第5次探査から宇宙船はエレベーターの箱船に変わった。原子力で宇宙空間を昇降する宇宙エレベーターは、離発着が簡易でコストが安価で大量輸送が可能な夢の船だった。
第5次探査チームのコマンダーが302人のアトランティス国民の星間輸送を完璧にこなし、3ヶ月の生活を無事に経過したとアトランティス航空宇宙局の管制室に通信した時、アトランティス航空宇宙局内は大歓声を挙げ、スタンバイしていた記者たちは一斉に本社へ向けて星間移住の成功を連絡し、アトランティスのあらゆるメディアがそれを報じた。新時代の幕開けを路地に暮らす野良猫さえもが喜んだ。
その1年後、第5次探査チームのコマンダーはもう一つ素晴らしいニュースをアトランティスにもたらした。
医療班のチームリーダーの女性がコマンダーとの子供を妊娠し、無事にルナベーヌスで男児を出産したと突然の報告があった。
コマンダーは無事に出産ができるのかどうか不安があったため、アトランティスに妊娠を報告していなかった。というのは建前で、確かにルナベーヌスに来て以降の妊娠だったから、どこか気恥ずかしかった。
ルナベーヌスで初めて父となったコマンダーは名をアダム、母となった医療班のチームリーダーは名をイブと言った。
アダムとイブの快挙に、アトランティスは星間移住の大成功を確信し、二人を神話にしようと国中の詩人を集めて物語を紡がせた。
第6次から目的が探査から植民に切り替わった。
都市開発が計画され技術者と労働者が高い賃金で雇われ星に送られた。好条件の出稼ぎだった。労働者も技術者も生き生きとした表情で働く姿が映像に残されてあり志願者が殺到したと記録されている。材料や加工機は宇宙エレベーターの箱船が容易に運んだ。
当時からすでに現在のアトランティス王都の巨大な都市形態が設計されてあり、それから1万年の内に都市はゆっくりと拡張され、2千年前にやっと完成した。完成まで8千年を要した都市を設計したアトランティスの建築士は名をファウストと言い、彼は「悪魔と契約した男」と人々から良識的に揶揄された。
第6次隊が都市の一区画を完成させ、中心となる教会の尖塔に据えられた鐘を鳴らした時、新しい時代の始まりを、鐘の音を聞いた者すべてが心に刻んだ。
バベルの塔と名付けられた尖塔から鳴り響く音は、確かなファンファーレとなってルナベーヌスに谺した。
最も建設に困難を極めたものは王宮だった。
星間植民のシンボルとするのだと注文をつけるアトランティス王政府の意向で、それまでに無いデザイン、それまでに無い大きさ、それまでに無い威厳性、それまでに無い美しさが抽象的に求められた。ファウストが悪魔と契約したと言われた最大の由縁が、王宮の設計の複雑さにあった。
王政府には建築に明るい者が無かったため、実際に建築可能かどうかを度外視してファウストはとにかく複雑に、それでも辻褄は合うように綿密な計算と緻密な意匠で王宮を設計した。その理解不能だがなんだか高尚な複雑怪奇さに王政府は太鼓判を押し、建築開始から1852年後に王宮は完成した。
当然、設計に太鼓判を押した王政府の権力者もファウスト自身も完成を眼にすることなく老衰で死亡した。
王宮の建設にあたった最初の現場監督は名をシジフォスと言った。アトランティスの石工だった。
シジフォスは地球で削った石の彫刻をルナベーヌスで調整しながら作業現場を指揮した。
石を彫り、休憩時間に自分が築いた石の縁に寝転がって眺めるルナベーヌスの青空が彼は好きだった。異星で腕を奮える自身への誇りと、地球よりもやや濃い青色をした空の眩さが命の心地よい実感を与えてくれた。
シジフォスの時代に王宮は20分の1も完成しなかった。その結果だけがまかり間違って地球に伝承され、シジフォスは果てしない徒労の象徴とされた。が、その後1800年以上を要した工事の20分の1を人間一人の時代に完遂した成果は称えられるべきものであり、現に王宮の一広間にはシジフォスの名が、探査チームのメンバーらやファウストの名に連なって早い序列で刻まれている。
第6次隊から1万年をかけて進めた星間移住は、2000年前にほとんど完了した。
アトランティスは星間移住を他の地球人に内緒で進めた。
何も無い混沌から生じた秩序が成長の内に自身の中に別の混沌を生み出す宇宙の理と同様に、星を一から始める単一民族にもやがては争いが生まれる事が分かっていたから、そこに多民族を混合させる理由は無かった。
何よりもまだまだ、アトランティスの自然科学者たちが叫んだ宇宙尺度の危機からは時間的に程遠く、地球は環境面でも資源の面でも大丈夫だった。
2000年前地球に、罪深い人々の身代わりになって投げられた石をその身に受ける者が現れてから、ルナベーヌスは他の地球人を積極的に受け入れ始めた。
ルナベーヌスに降り立った初めての非アトランティス人は、その石を受けた聖人で名をイエス・キリストと言い、彼はその後の地球でナンバーワンの英雄になった。
「貴方の敬虔が天に届いたのです」
ルナベーヌスのアトランティス王政府はキリストにそう告げて、
「今後地球より、彼の如き徳高き人物を招き入れる」
そうルナベーヌス全域の市民へ布告した。純アトランティス人のプライドに遠慮したパフォーマンスだった。キリストは彼らを神々だと考え、ルナベーヌスに生まれたすでに地球を知らない純アトランティス人にも反対はなかった。
他民族受け入れの契機となった実際の理由は、ルナベーヌスで発生した未知のウィルスが引き起こしたバイオハザードだった。
単一民族ばかりを集めた純血のDNAには免疫に有意な差異が無く、当時のルナベーヌスの人口の30%に当たる30万人が未知のウィルスに罹患(りかん)して一斉に短期間で死亡した。生化学研究所等はすでに運営され設備も立派に揃っていたけれど、未知のウィルスを即座に解明し対処する事はできなかった。
高い水準の教育を無償で受ける義務を持つルナベーヌス市民は未曽有のバイオハザードをうけて、純血の限界を皆が感じていた。混血を増やす事でDNAの種類を増やし絶滅のリスクを軽減する方向にルナベーヌスは舵を切った。
非アトランティス人の移住者には、主に社会的繋がりと自意識の希薄な孤児が選ばれた。地球の思い出はあまり、できれば皆無の方が教育し易く、五大陸の様々な地域から孤児が集められルナベーヌスに送られた。地球からは十分な孤児が絶えず入手できることを、ルナベーヌスは反駁(はんばく)して憂いた。
孤児たちは地域ごとに王都アトランティスから離れた地区に分別され、各々の地区には純血のアトランティス人がリーダーとして置かれ、健やかに成長した孤児は各地に栄える都市に送られた。徐々に徐々に、ルナベーヌスにも混血が進んでいった。
コスモフレアはその時に分別された地区のひとつで、コスモフレアには東洋からの孤児が多く集められた。
アトランティス大陸の公用語、地球で言うスペイン語がその時期からルナベーヌスの公用語として正式に認定され、異母語の民族にもゆっくりと教育された。
それでも地球にはなるべく存在を悟られない様にアトランティスは努力した。
宇宙エレベーターのケーブルは光学迷彩で覆い隠し、航空宇宙局のある地域一帯は鏡面ドームで囲んだ。
加えて地球の主要国家元首連中に対しては、星間移住を可能にする科学力と武力で脅し星のホスピタリティで賺(すか)し、北大西洋の真中に位置する地球のアトランティス大陸海里400㎞以内への船舶の進入禁止、同海里域におけるアトランティス大陸上空の航空機の航行の制限、全人工衛星の管制権をアトランティスが独占する、アトランティス外国家はアトランティスの存在を市民に秘匿する責務を負う等といったあまりに不平等な内容を織り込んだ条約を、神聖ローマ帝国やビザンツ帝国、オスマン帝国やイギリス帝国、アメリカ合衆国などその時々の地球世界の覇者たちに彼らの科学力に応じた内容を批准させた。
他民族の受け入れを決定する少し前に、アトランティス人のルナベーヌス王政府に対するデモ活動が勃発した。
武力衝突の無い行政側と市民側の政治的闘争だった。未曽有のバイオハザードを経験した上での、変わらない(、、、、、)体制に対する抗議だった。
星間移住を初めて1万年以来、ルナベーヌスにとって初めての争いだった。
移住前から予期していたものではあったが、あまりに遅く予期外の後押しあっての混乱に、ルナベーヌス王政府は自分達の植民政策の大成功を喜び、国家の成熟を実感した。
そういう訳もあってルナベーヌスは他民族の受け入れを決定し、同時に軍隊の大規模な拡張を行った。
それまでにも軍隊はあったが、王宮を守護するセキュリティポリス的な意味合いが強く、軍閥は世襲で民間人の登用は無かった。
争いの無い星で、要人を守護するには家柄を統一し特権を与える方法がベストで、千年を優に超える特権的生活に軍隊の腐敗も明らかに進んでいた。
新しく軍学校を創立し、民間人を多く登用し、基地を建設し武器を製造した。
新兵となった者ばかりでなく、軍学校の教員、基地建設現場の親方、武器製造工場の工員までも、新しく始まった組織に加担している事を誇りに感じ高いモチベーションを維持した。
「俺があと10年若けりゃあよ」
中年のアトランティス人の間でそういう口癖が流行(はや)った。高いモチベーションは生産性を大幅に向上させた。
何より、「アマノガワ銀河軍」と名付けられた軍組織の隊列する姿は、街角の占い老婆すら眼を輝かせるほどに格好が良かった。
ルナベーヌスは好景気に沸き、反対に地球旅行を行う者が現れ、地球では彼らが時たま未確認飛行物体として目撃される事例が増え、渡航を制限する法律が急拵えで整備され、その取り締まりをアマノガワ銀河軍が担った。
災害支援や事故救助などにも出動するアマノガワ銀河軍の役割は年々と増え、創立当初は8梯団編成だった軍は46梯団まで増強し、ルナベーヌスの東西南北とその間に2ヶ所ずつと中央に1ヶ所の計9ヶ所の基地にそれぞれ配備された。
「地球に宣言するんだってね、俺達はここにいるって。なんでこのタイミングなの?シリウスさん」
同じ中央基地に配属された第8梯団長のプロキオンにそう聞かれ、さあな、ただ出頭命令が来たよ、とだけシリウスは答えた。色々推測してみたが、確信の持てる仮説は導き出せなかった。ナナユウを連れてレグルスとミアプラキドスが探索に出発した日だった。
プロキオンに答えてすぐにシリウスは王都へ出発した。
王都の守護も兼ねている中央基地には、基地と王都を繋ぐ専用のチューブトンネルが敷かれていて、常時装甲自動車がスタンバイしていた。
王都と基地の距離は朝早くに出発しても間に合うほどだったが、久しぶりに王都の夕暮れ景色が見たかったシリウスは前泊する事にし、フォーマルハウトとプロキオンに留守を頼んだ。
紫とオレンジが染める王都の夕暮れ景色は相変わらず素晴らしかったが、王都には苦い思い出もあった。家族と別れた場所だった。もう別れて14年が過ぎた。
断絶と言っていいほど一切の通交のなくなった家族は今も王都に住んでいると風の噂で聞いた。紫が強くなったチューブトンネルをシリウスは眺めた。金星が紫の奥で顔を出し始めていた。
その日はホテルに宿泊して、政府機関の始業時間から間もなくに王宮に向かった。ホテルから王宮までは直通のチューブタクシーが走っていた。
王宮前の停車場でタクシーを降りて、王宮の3つある内の1つの正面玄関の前でシリウスは一度立ち止まって王宮を仰ぎ見た。
(いつ見ても圧倒的だな)
中心には175mに達する石造りの尖塔が空高く聳(そび)え、太陽はまだその仰角の下にあった。
それを守護するように150m級の4本の尖塔が並び、後方に125m級の他と比べて先端が柔らかな尖塔が1本立っていた。
4本の守護塔にはアメジストのこけらが、1本の柔らかな塔にはタンザナイトのこけらが張り巡らされていて、朝陽が宝石の放つ青と紫の光を氾濫させていた。
(そんなに光を吸い込んだら、気分が良いだろうな)
煌びやかな5本に際立って、石そのものの無垢のままの中心の塔がそれらの光を吸収していた。
「生誕のファサード」と名付けられた玄関門を抜け、受付で自身の名と身分を告げ、ギルガメシュ国防長官への取次ぎを頼んだ。
ファサードとは「正面」という意味で、王宮には生誕のファサードの他に、「前進のファサード」「栄光のファサード」という名が付けられた玄関門があり、そのそれぞれに見事な石造りの彫刻が夥(おびただ)しく装飾されていた。
(力強い弾手だな)
生誕のファサードを抜けるとき目に付いたハープを弾く女性像を見てそう感想し、ハープには石の弦も張られていないのにそう感じたことを、
(彫刻家の妙手だな)
と取次ぎを待ちながらシリウスは思った。
「長官室でお待ちです」
すぐに受付の女性が知らせてくれた。
「やあ、シリウス。久方振りじゃないか」
ノックをしてから長官室に入ると、ギルガメシュ国防長官がそう言って出迎えてくれた。
「ご無沙汰を。ギルガメシュさん」
「まあ、掛けなさいよ。じきに茶が入る」
応接用の重厚な革張りソファへの着席をギルガメシュ国防長官は手ぶりで促した。
シリウスが背もたれには背を付けずに座るとノックの音が聞こえ、秘書官が湯気の立つコーヒーを持って来てくれた。
「ありがとう」
シリウスは明瞭に謝意を述べ、ギルガメシュ国防長官は眼で謝意と退席要求を表した。秘書官は黙ったまま辞儀をして長官室を出て行った。
「久しぶりに会ったんだ。要件の前にすこし喋らせておくれ」
秘書官の運んでくれたコーヒーを一口啜(すす)り、ギルガメシュ国防長官はそう前置きをした。
柔らかな物腰とは裏腹に単刀直入を好む長官にしてはお喋りだなんて珍しいなとシリウスは思い、自分もコーヒーを啜りながら、どうぞ、と頷きで返事をした。
「この王宮、どう思う?」
「王宮ですか?建物として?」
「そう。建物として」
「いつ来ても圧倒されます。自分のちっぽけを思い知らせてくれる」
先ほどの感想をそのままシリウスは述べた。ギルガメシュ長官の言語裏にあるものはある程度予測がついた。
「はは、君がちっぽけだったらこの星の全員がそうだよ。滅びるね、侵略されちゃうよ」
ギルガメシュ国防長官は笑ってそう言った。アマノガワ銀河軍の第一等、第1梯団長を賛辞した言葉だった。
侵略、というワードがシリウスは引っかかった。コーヒーカップに眼を落としギルガメシュ国防長官は続けた。
「王がね、とてもこの王宮を気に入っているんだ。人類の叡知と信念と情愛の結晶体だって言ってね。叡知ってのは設計の素晴らしさ、信念ってのは1850年の人の営みの歴史、情愛ってのは王宮を見つめる人々の慈しみの事だよって、良い声で仰るんだ。あまり感情を表に出さない王だ、君も知ってるだろ?」
「ええ」
ルナベーヌスの王は、地球の幾つかの国と同じ様に象徴としての役割が重要視され、実権は持たないが承認権と実効力を有した。
つまり、自分で事を起こす事はできないが、国家の事業にはすべて王の承認が必要で、その承認を得るために、あれこれをしたい、という王の要望には全力で応える事が政府官僚の大事な仕事のひとつだった。
ただし地球時代のアトランティス国家創立以来、大事に大事に守ってきた血統には温和で慈しみ深い血が受け継がれ、国家事業に関わる様なわがままを未だかつて歴代の王が発した事はなかった。
「王が眼にしたんだ。スペインはカタルーニャ地方の夜さ。最近のご趣味は地球観測らしくてね。完成したんだねえ、まったく良く似てる」
「サグラダファミリアですか」
「そうさ。しかも王好みにグレードアップしちゃってるね」
聖ヨセフ帰依者協会が先月に完成を公表した、地球のスペイン国バルセロナ市に建設されたサグラダファミリアには「イエスの塔」と名付けられた一番高い尖塔の頂点に5方向に向けたサーチライトが備えられ、それが初めて点灯された。上方向と四方に伸びるサーチライトは上空から眺めても十字架(クロス)型に見えた。
「神に捧げる光の立体十字だ。きっと神に届く」
聖ヨセフ帰依者協会はそう宣言をした。
事実、届いた。
地球から放たれるクロスを見た王は、あれはなんですか、とまず質問をした。従者が説明をすると、あれの詳細をください、と要求をした。夜だったけれどすぐに写真図を主にした資料が整えられた。
「なんて凄いのです。これが僅か144年で完成したって?何という進歩ですか。何という叡知ですか。それに見なさい、ツタの葉には小さな虫たち。何という労り」
王は感嘆し、すぐに国務長官を呼ぶ様に要求した。
朝になって謁見したニーベルンゲン国務長官に王は質問をした。
「サグラダファミリアと言うそうです。聖なる家族の教会。名も素晴らしい。この王宮、ファサードは生誕と栄光と前進を冠しています。かたや彼の地は生誕と栄光と受難。苦しむもの、悲しむもの、花をつけないものにも目を向けている。まずニーベルンゲン、この王宮と彼が似通っているのは偶然?」
「はい。設計者のアントニオ・ガウディという男は純粋なスペイン人です」
質問の意図を理解してニーベルンゲン国務長官は、事前に秘書官から渡された資料を見ながら答えた。
サグラダファミリアはルナベーヌスの王宮ととても良く似た形と構造をしており、120年前からその事に気付いていたルナベーヌスの国務省は、王宮の設計図の流出を疑念し国防省に命じて捜査をしたが、結局まったくの偶然と判明した。
「アントニオ・ガウディと言う男もまたファウストと同様、悪魔と契約したのだ」
似ているからといって特別な不都合も無かったから国務省と国防省は、その時はそう半ばジョークを交えて結論した。情報は内閣府内で共有したが、当時の王には特別に報告はしなかった。
「そうですか。アトランティス人かと思いましたが、違うのですね。ますます素晴らしい。ニーベルンゲン、どうですかそろそろ、この星の存在を地球の民にも開放しては。彼らの野蛮期は完全に過ぎました。この教会が証明しています」
王は慈しみ深い笑みでニーベルンゲン国務長官に向けてそう下知した。優しくて、有無を言わせない笑みだった。
地球が資源や領土の奪い合いで争いを続けている事を王は憂いていた。地球の民にルナベーヌスという希望を。そう願う王の笑みに、
(強力なお願いだ)
ニーベルンゲン国務長官は冷や汗を覚え、
(まさに悪魔の所業だな)
この星まで十字架型に輝いて届いた教会の光と、その設計者に嫌味を覚えた。
政府内も民意も、移民の受け入れには反対派が圧倒的であることを、ついこの間保守的な放送局が集計したばかりだった。
「ニーベルンゲンが参っててねえ、なにせ1万年来のわがままだ。そりゃもう少し人間が増えてもどうってことないけどさ」
ギルガメシュ国防長官はそう言ってカップのコーヒーを飲み干した。
すでに本題に入っているお喋りに、シリウスは侵略とは地球人の移民を暗喩していたのかと理解して、その前に、と言葉を続けそうだったギルガメシュ国防長官を遮ってレグルスからの報告を私見を交えて説明した。
(そういう事ならこの件で簡単に延期に持ち込める)
ギルガメシュ国防長官の出頭命令の意図を王の翻意の材料探しにあると理解して、シリウスは少し大袈裟に説明をした。
「じゃあなにかい?冥王星人がこの星を狙ってるのかい?」
「敵軍の規模ははっきりとはしません。ただ、我々には魔法としか解明できない特殊な攻撃手段を有しています。一つの地区、総計292名のルナベーヌス市民がすでに犠牲になっています。戦闘意志は明らかです」
「こりゃあ、地球人の受け入れなんかやってる場合じゃないねえ、いや、君を呼んで良かった、とりあえず王への言い訳が立った」
そう言うとギルガメシュ国防長官は通信機で、ニーベルンゲン国務長官にアポイントを取ってくれ、うんすぐに会いたいって伝えて、とどこかへ指示を出した。
その時だった。シリウスとギルガメシュ国防長官の通信機が同時に緊急通信の着信を鳴らし始めた。
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