コスモフレアの葬式

Ⅲ コスモフレアの葬式



コスモフレアは、アマノガワ銀河軍中央基地からやや北寄りの東に416㎞のポイントにあった。

時速55ノットを誇る軍所有の飛空艇でも4時間弱を要するこの距離を、生身の人間が杖で飛行したとはレグルスはとても信じられなかった。

「なあ、ミア」

第30梯団が所有する飛空艇「カトブレパス」号内部のダイニングラウンジで、回転椅子に腰をかけたレグルスが呼びかけた。

「ほんとに飛んで来たと思うか?」

「さあー、見てないっすからねー。でも例えば全部嘘だとして、うちらを特定のポイントにおびき寄せる罠だったとして、武装した勢力が、まー地球で言う反政府ゲリラでしょうけど待ち構えていたとして、降り立った瞬間ドンパチが始まったとして、何か問題があるっすか?」

ナナユウを訝(いぶか)るレグルスに少し怒気を覚えたミアプラキドスは、ぶっきら棒にそう応えた。

「いや、問題はねえよ。蹴散らすだけだからな。そうじゃなくてよ、杖って言うんだから乗れる類のもんじゃねえだろ?飛んで来たなら手力だけで杖にしがみつく必要があるだろ?お前、鉄棒にぶら下がった事ある?10分でもなかなかしんどいぜ。それを向かい風を受けながらだろ、男でも5分も保たねえよ」

「なにが言いたいんすか」

「だからよ、あのお嬢ちゃんが途轍もない腕力と持久力の持ち主か、俺達が考えているより魔法ってのがとんでもねえ代物かって事さ。あれ?お前怒ってる?」

むうっとした表情のミアプラキドスに気付いてレグルスは言った。

「怒ってないすよ。ていうか、なんでうちのカトちゃんに乗ってるんすか、レグルスさん、自分とこ乗ればいいじゃないっすか。ていうか艇長がこっちいていんすか」

「やっぱ怒ってんじゃねえか。お前ねえ、これは指令だぜ。対象に情を入れ込むなって」

「そんなんじゃないっすよ」

むうっと具合をより膨らませて、ミアプラキドスは回転椅子をくるりとそっぽを向いて応えた。

「それによ、カトちゃんって。カトブレパスってお前、モデルはヌーだぜ」

「いーじゃないっすか!ヌー、かわいいじゃないっすか!」

回転椅子をくるりと戻してミアプラキドスは両拳を握って反論をした。そのポーズと反論内容の子供っぽさにレグルスは回転椅子が軋むほどに仰け反って笑った。

カトブレパスとは、古代ローマの軍人であり博物学者のガイウス・プリニウス・セクンドゥスが著した「博物誌」に記された、西エチオピアに住むとされた架空の動物で、その眼を見た者は即死するとされている伝説の生き物である。

18世紀に入ってカトブレパスは、フランス人の博物学者によってそのモデルはナイル川流域に生息する、古代ローマの時代には未確認であったヌーをモデルにしたものでは無いかと推測された。レグルスの発言はその所見に基づいたものだった。

アマノガワ銀河軍が所有する飛空艇にはそれぞれに伝説や神話上の生き物の名が付けられてあった。

名付けは単に個体の識別が目的であったが、伝説上の生き物を使役しているみたいで、梯団員はそれぞれが所有する飛空艇に誇りと愛着を持っていた。

「21梯団なんて、おっきなトカゲじゃないっすか」

握った両拳をそのまま腕組みに変えて、精一杯鼻で笑いながらミアプラキドスが言った。

レグルス率いる第21梯団の飛空艇は「リントブルム」号と名付けられていた。

リントブルムはゲルマンに伝わる伝説の大蛇もしくは竜で、数々の紋章のモチーフに用いられ雄々しさや容赦無さを表現した。

「バカお前、ドラゴンだっつうの。ていうかな、お前んとこのカトちゃんにしろ第21(ウ)梯団(チ)のにしてもな、基本エネルギーはヘリウムの浮力じゃねえか。で、今やこの星のヘリウムは枯渇とまではいかねえけど欠乏気味だ。その内、飛空艇も飛べなくなるかもしれねえ。そこをお前、魔法の力で互換できたらどうだ?あんな痩せっぽちを基地まで瞬間で移動させるエネルギーさ、2000ノットは出るんじゃねえか?」

レグルスは、ビルシャナの杖はナナユウを中央基地まで一瞬で運んだと決めつけて言った。ブラックアウトするくらいの急停止があったとするならば、レグルスの言うように2000ノットは出ていないと確かにおかしいかなとミアプラキドスは思った。下手くそな脚本の中みたいに、人間はそうそう簡単に失神はしない。

「2000ノットも出たら、もうほとんどテレポーテーションっすね。でもそんなに出たら、うちらでも耐えられないっすよ」

1ノットとは時速1.875㎞を表す単位で、2000ノットとは時速3750㎞、つまりわずか3時間弱で地球でも1周できる高速度だった。音速を超える速度にかかる風圧がいかほどか、計算せずとも想像ができた。

「それは多分、アンチエネルギーだな。風を起こすクリスタルもあるって言ってたろ?それで相殺シールドを張ったのさ、オートでな」

そう説明したレグルスは、同じダイニングラウンジに居た第30梯団の副団長が淹れてくれたコーヒーを、あちち、と騒々しく口にして、いや、あんたのせいじゃない、ありがとう、と給仕してくれた副団長にお礼を述べた。

探索と衛生を主業務にする第30梯団には女性隊員が多く、副団長もミアプラキドスより15歳年上の女性だった。

「でも、そんなの、それこそ、魔法っす」

「だから言ってんだよ、俺たちが考えてるよりずっと、クリスタルってのはとんでもねえかもよって」

そう言うとレグルスは、そろそろ着くんじゃねえか、と地球製の腕時計を確かめた。出発から4時間ほどが経過していた。


先にリントブルム号が、次いでカトブレパス号がコスモフレアに近い平原に着陸した。

飛空艇は静的重量をコントロールする事、つまり内部気嚢(きのう)に溜められたヘリウムガスの量を調整する事で浮遊しているため、離着陸にはある程度の広ささえあれば場所を選ばなかった。

もしもの為に着陸時の降下速度をブレーキする圧縮空気排出装置は搭載されていたが、アマノガワ銀河軍の飛空艇パイロットは皆優秀で、訓練時以外にブレーキが使用された例はなく、どころかパイロット達はブレーキ装置を使う事を操縦士としての恥だとも見做(みな)していた。

平原は緑が始まっていて薄荷色の野草が風に紗波立っていた。

「あー、いいとこっすねー」

カトブレパス号からいの一番に降りたミアプラキドスが、遠くを見晴らす手かざしのポーズで言うと、草が応えたのか柔らかな草擦れの音が息吹のように平原に響き渡った。

「おおー、緑生豊かだな」

女性団員に連れられたナナユウの後から降りて来たレグルスが、軍外套(コート)のポケットに手を突っ込んだまま付け加えた。

破壊された故郷に近い平原の美しさに、風に靡(なび)く髪を梳き押さえながらナナユウはぐっと胸を詰まらせた。

索敵を目的とした少人数で編成されたリントブルム号の団員は、副団長の指揮の下に武装した18名が整列し既にコスモフレアに向けて行軍を始めていた。

それを見たミアプラキドスが、

「もうレグルスさん要らないんじゃないっすか」

と意地悪な表情で言うと、

「団長の躾(しつけ)が良いんだよ」

と意に介さずに平原とその先の空と山峰をレグルスは見やった。太陽が山峰の奥で銀盤のように輝いていた。

「ナナユウ、大丈夫?」

風に向かって泣きそうな顔をしているナナユウに気付いてミアプラキドスは思いやった。

「大丈夫。ありがとう。案内するね」

平静を装うために無理に笑ってナナユウは、こっちが近道、と21梯団が進んだのとは違う野道を先導した。

(悲しい笑顔だな)

21梯団の方には行かずにナナユウの示す近道の方に従いたレグルスは、危険をすぐに排除できるようにミアプラキドスと共に先頭を歩きながらそう思った。

「なんでこっち来るんすか!」

バカみたいに真面目な顔をして違う梯団の隊列に加わるレグルスにミアプラキドスは声を荒げた。

「いーじゃねえか、急にバッと敵が来たらどうすんだよ。弱っちいお前らなんか壊滅だぞ。これ以上無い護衛だろうが」

「弱っちくないって!」

「いーや、弱っちいね。戦線かもしれねえのにそんなに肩出したヤツは、危機感が足りないね」

軍服の上着を腰に巻き付け、トレードマークにもなっている袖の無い緑色の綿織物から伸びるミアプラキドスの白い腕をレグルスはぴしゃりと叩いた。

「痛ったぁー!なにするんすか!レグルスさんこそ暑くないんすか、コートなんか着て。陽気っすよ?頭まで陽気になったんすか」

「ばっかお前、軍人の身だしなみだろうが」

「見てるこっちが暑苦しいっす」

「じゃあ見んな」

「こっち来んな」

軍の一部隊の行進だというのに、ぎゃーぎゃーとやかましい二人の梯団長の騒動に、壊滅した故郷への道を進むナナユウは気まぐれを覚えて薄く笑った。

(ああ、今度は悲しそうじゃねえな)

その顔をミアプラキドスを遇(あしら)いながら見たレグルスは、

(子供の悲しい顔はいけねえや)

そう思い少し安堵した。


「もう少し」

先頭を行くナナユウが隊列を振り返って指を差した先は、森の木々が口を開ける光の出口だった。

近道の最後の、緩やかな上り坂になっている途中まで小走りで先行して振り向いたナナユウに出口の光が逆光した。

野生のリンドウが青紫の花を点けていて、それが花道みたいに出口を飾っていた。下から見上げる格好になったミアプラキドスには、ナナユウは希望の扉に向かっているみたいに見えた。

だがしかし、光の出口の先は惨状だった。

眼を覆いたくなる惨禍だった。

ぎりぎり人の形を残した死体が、目に見えるだけでも20体から30体転がっていて、死肉を黒い鳥が執拗に啄(ついば)んでいた。

腐敗臭が村全体に立ち籠めて、ミアプラキドスもレグルスも思わず顔を顰(しか)めた。

生々しい惨劇と肉体の腐った臭いが想像を遥かに超えていたのか、ナナユウは自失して茫然と涙を急激に溢れさせた。倒れ込みそうなのをミアプラキドスが両手で支えた。

「すべての遺体を一ヶ所へ」

ミアプラキドスが大声で42名の第30梯団員に指示を出すと、すでに衛生服を着用していた団員が瞬時に二人一組になり、一斉に浅い盆地形状の村に降りて行った。遺体が野晒しであろう事は予期できたから、探索にしては大所帯をミアプラキドスは編成していた。

「俺だ。遺体はミアんとこに任せてお前らは痕跡を探せ。髪の毛一本も見逃すな」

通信機でレグルスが指示命令を下すと、武装した第21梯団が違う森の出口から姿を現し、すぐに村へと駆け降りて行った。

「無残が過ぎるぜ」

通信機をオフにしたレグルスがそうぼやいた。


遺体は全部で292体あった。第30梯団員の報告に、ナナユウは、ちょうど全員、とぽつりと言った。

白い織布で目隠しをされた遺体の群れに、ナナユウは近付く事ができなかった。恐怖と無残が彼女を包んでいた。

「・・土葬にする?火葬?」

抜き取りでの検死が終えた遺体たちの埋葬方法を尋ねるミアプラキドスに、イーシャの火、とだけナナユウは答えた。

イーシャの火で火葬にするのだと理解したミアプラキドスは、火が無いんだって、どこか隠し場所があるの?と決して広くない村集落のどこを見渡しても見つからない神火の行方を優しく尋ねた。

「イーシャの火も死んじゃった」

我慢が堰を切って、ナナユウは両手で顔を覆ってその場に膝崩れた。嗚咽が静かな村に恩々と谺し、住居と思しきひとつの建物の花壇に咲くコスモスが、空しく風に揺れていた。

「しばらく泣いたら、立たなきゃダメっす、ナナユウ」

自身も屈(くぐ)んでナナユウの背を撫でながら、整然と並んだ遺体の群れを見据えてミアプラキドスは言った。顔を覆ったまま、ナナユウは何度も大きく頷いた。

沈黙と第30梯団の作業する音と背中を摩(さす)る衣擦れ音がしばらくの間、壊滅した村を包んだ。

気持ちの整理と感情の抑制ができたのか、はあーっ、と一息大きな溜息をついてナナユウは立ち上がった。

顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだったけれど、表情には覚悟が表出していた。

「イーシャの火を点けよう」

そう言ってナナユウは遺体の群れに向かって歩き出した。


ナナユウは遺体の群れを素通りして村の奥へと進んで行った。

「どこ行くんすか、ナナユウ」

後を追うミアプラキドスが背中から声を掛けた。

「合議所。マッチがあるの」

「マッチ?」

「そう。火を点けるマッチ」

マッチというものが何なのか分からなかったのではなくて、村が崇めてきた神火を点すのにマッチなんかでいいのかと思って聞き返したミアプラキドスは、少し混乱した。

「マッチで点けるの?イーシャの火を?」

「そう。火が死んじゃったんだから、しょうがないじゃない」

「マッチとかでいいの?」

「いいのよ。前のイーシャの火の時もそうしたの。それに、どうせ最後だしね」

自分一人になったフレアの民の滅亡を言葉裏に含んでナナユウは言った。

浅い盆地になった住居区を奥に進むと、草刈りのされたあぜ道が小山に向かって伸びていた。

「あっちがクリスタルの森」

あぜ道の途中で、沢の向こう側を指してナナユウが言った。沢は歩いて渡れそうに浅く、流れる水は柔らかな風に澄明だった。

あぜ道の両脇には色取り取りの花が美しく咲いていて、人の手の加わった事が窺える花の配置と配色のレイアウトに、長閑(のどか)と自然を愛でるフレアの民の思想が共に咲き誇っていた。

途中で第21梯団員の4名とすれ違った時レグルスの行方を尋ねると、森へ向かいました、と教えてくれた。

「さすがに迅速っすね」

第21梯団員にそう返して、どうしてクリスタルの森の位置をレグルスがすでに把握していたのかをミアプラキドスは疑問に思った。

「ナナユウ、レグルスさんにいつ場所を教えたんすか?」

「教えてないわ。最初に、森の中、とは言ったけど」

ナナユウの示した森は生(おい)繁(しげ)で、緑が深く陽気な昼間なのに暗宮に見えた。

同じような森が見渡す限りに広がっているのに、そこに向かってさっきすれ違った第21梯団の4名が沢を難無く渡って侵入していった。レグルス率いる第21梯団の捜査力にミアプラキドスは改めて感心をした。

あぜ道を終えると小山が侵食された小さな峡谷にあたり、50mほどの峡谷の間道を抜けると断崖の下に広がる大きな広場に出た。

断崖には浅い盆地のものと似たような住居らしき建物が7棟、どうやって建てたのか水平に整えられていて、断崖に設(しつら)えられた階段を上がりその中の一際大きな1棟の玄関口の前でナナユウは立ち止まった。

玄関の両舗には立派な石像が仕立てられ、断崖に立つにしては巨大な建物だった。

「ここが村の中心。合議所なの。ほら、あれがイーシャの火」

振り向いて指したナナユウの指の先には、断崖が抉(えぐ)れてちょうど庇(ひさし)になる場所に祭壇があった。庇の傘は大きく、風と雨から祭壇の火を守るには十分だろうとミアプラキドスは感じた。

「入って」

入口両舗の2体の石像を指さして、

「カディームとジグルーって言うの、可愛いでしょ?」

と石像をミアプラキドスに紹介をしてナナユウは建物の中に入った。

(色々ごっちゃになってるんだな)

細かな勾玉が数珠(じゅず)繋ぎされた暖簾(のれん)を手で掻き分けながら、カディームは永遠、ジグルーは神への祈りを意味するイスラムの教語を名付けられた、どうみても東洋で縁起物とされる鶴と亀の石像を見てミアプラキドスは思った。鶴の像は天に唱名する様に嘴(くちばし)を上げて、亀は星を支える様に泰然としていた。


建物の中は荒れていた。予期出来ていたのかナナユウは動じる事なく、ひっくり返った椅子やテーブルなんかの調度品を正位置に戻しながら、広間奥に設置された祭壇らしき位置へと進んでいった。

広間の入り口に腕組みをして立ちながら、引き千切られ無様にぶら下がった曼荼羅(まんだら)図の刺繍された大きな天蓋(てんがい)布(ふ)や過剰に転がった調度品を見渡してミアプラキドスは疑念を抱いた。

(荒らされ過ぎている)

そう感じた。

ナナユウの言う通りならば、襲撃犯の目的はクリスタルにあって、建物は家探しの対象なはずだった。なのに、おそらく棚や引き出しに収納されていただろう小物までもが粗方散らかされていた。

(探し物をするには不利だよね)

足の踏み場もないほどに散らかった小物類を見てミアプラキドスは思った。

「あった」

荒れた広間にナナユウの声が響いた。探し物を見つけたにしては弱々しい声だった。

「普通のマッチじゃないっすか」

村が崇めてきた神火を点すのだから、マッチと言ったって特別なものだろうと勝手に思っていたミアプラキドスは、どこにでも売っているメーカーの汎用品を持って戻って来たナナユウに言った。

「そう。普通のマッチ。ねえ、ミア、お願いがあるの」

「なんすか?」

「みんなの遺体をそこの広場まで運んでくれないかな。私たちにとって特別な場所なの。そこで葬(お)送(く)りたい」

ナナユウは、涙が詰まっているけれど覚悟が顕現した瞳でミアプラキドスを見つめた。

村の特別な広場で火葬にして葬送するのだと理解したミアプラキドスは、通信機で30梯団の副梯団長に連絡を取り、指示とその理由を説明した。

「ちょっと時間かかるけど、いい?」

「うん。お葬式、夜にやろうと思うからちょうどいいわ。ありがとう、ミア」

「・・長の特徴はある?」

永訣に及んで叶うならば、一目でも顔を見たいだろうと思いミアプラキドスは尋ねた。長の顔面が形を保っているかは分からなかった。

「青い衣を着ているわ。青は長しか着ちゃいけないの」

ミアプラキドスの意図に気付いたナナユウは笑顔を作って答えた。無理やりな笑顔の目尻には、涙の雫が今にも零れんとしていた。


「とにかく掃除しなくちゃ。こんな汚いままじゃお葬式どころじゃないわ」

荒らされた7棟の建物すべてをナナユウは片付けるつもりだった。

葬式の準備、つまり楽器隊もビルシャナの杖も無いけれど、鎮魂舞踊の準備もしなくちゃいけないから日が暮れるまでに間に合うか少し不安だった。

「片付けならうちらがやっとくっすよ。準備があるんでしょ?」

葬式と聞いて、衛生室で話してくれた鎮魂の舞踊を舞うんだろうと推察したミアプラキドスはそう言って、早くも遺体を運んで来た30梯団員に、運び終わったら建物の片付けを頼むっすー、あらかたでいいっすからー、と断崖の上から呼びかけた。

白い織布と担架で運ばれて来た遺体を30梯団員は丁寧に広場に降ろして、ミアプラキドスの方を向いて指で〇印を作って応えた。

「ありがとう。でもお葬式の準備はそんなに掛からないから平気」

そう言って片づけを始めようとするナナユウに、じゃあクリスタルの湖まで案内してよ、と彼女の腕を引いてミアプラキドスは言った。ナナユウはそれに素直に従った。

森の中は暗かった。けれど、木々の隙間を縫って所々に差し込む陽の光が道標みたいで綺麗だった。暗闇だから輝く美麗だとミアプラキドスは思った。

「レグルスさんたちが先着してるはずっすけどね」

森を並んで歩きながらミアプラキドスは言った。湖にクリスタルはもう無いだろう事は出発前からの軍の総意だった。狙いのお宝を襲撃犯が捨てて置くわけが無かった。

「あそこ」

一際陽の光が差し込むポイントをナナユウが指差した。50mほど先にうっすらと石碑の様なものが見え、水辺の感覚がミアプラキドスの肌に触れた。

「あれ?いなさそうっすね。もう終えたのかな」

右手をおでこにかざして先を見るミアプラキドスの袖の無い緑の綿織物から白い脇が露になって、それを、右隣を歩いていたナナユウが虫の触手の様に指で撫でた。ひゃうん、という甲高い声が鎮魂の森にこだました。

「なにするんすか!ナナユウ!」

「隙だらけだったから、つい。ごめんね、ミア」

そう言ってナナユウはくすくすと笑った。

頭を駆け巡る遺体の悲惨無惨を紛らせてくれるミアプラキドスの無防備な明るさに、ナナユウは随分と気持ちを楽にした。


「わあ。ここも綺麗なとこっすねー」

湖の畔(ほとり)でミアプラキドスは感嘆の声をあげた。とても小さな湖だった。

中央にそれよりも小さな島が浮かんでいて、地球の東洋島国の墓の形をした石が祀られていた。

(日本の墓石だね。鶴亀といい、ベースは東アジアかな)

小島の石碑を眺め、ミアプラキドスはそう考察をした。

「あれがシゾクの墓。あの前の水の中に櫓(やぐら)が組んであるの。水中櫓。その舞台で舞うのよ」

「へえー、見てみたいっすねえ。さぞや綺麗だろうね」

「うん。とても綺麗なの」

自分の舞ではなく、幼い頃に見た祈り子の美しさの衝撃を想い出してナナユウは言った。彼女の表情が一段幼くなったことに気付いたミアプラキドスは、追憶を邪魔しないように微笑んで応えた。

突然水面が数ヶ所で盛り上がり何か大きなものの水揚げ音が森に響いた。

宇宙服を着た第21梯団員の6名が、宇宙服のまま泳いで岸まで上がってきた。

「おい、どうだ?」

ミアプラキドスとナナユウの背後から声がした。

振り返ると、レグルスが軍外套に両手を突っ込んで立っていた。

背後からぬっと沸いて出たような突然の声に、ミアプラキドスもナナユウもビクッと肩を震わせた。それが面白かったのか、レグルスの顔はにやにやとして意地悪かった。

「それらしきものは見当たりませんね」

宇宙服のヘルメットを脱いだ団員の一人がそう答えた。

「そりゃそうだろうな。おや、ミアじゃねえか。遅いおでましだな、探索班」

最初から気付いていたくせに、レグルスはいま気付いた風合いで言った。嫌な大人だと思いながらもミアプラキドスは、彼らの行動の素早さに手放しで感心をした。

「衛生の方が優先っすから。まあ・・出来る事はなかったっすけど」

申し訳なさそうにナナユウをちらりと見てミアプラキドスは言った。

そんな事ない、そう言うようにナナユウはミアプラキドスを見返して首を左右に振った。

「お嬢ちゃん、ブナと樫の混合樹ってのはあれだろ?」

湖の奥の、まるで湖を抱くかのように生える巨大な樹を指差してレグルスが言った。混合樹には、陽の光がどこよりも優しく降り注いでいた。

「そうです」

少し畏まって答えるナナユウに、こんな人に遠慮なんか不要っすよ、とミアプラキドスが耳打ちをした。

「フォーマルハウトの言うように、やっぱりクリスタルは全部持ち去られてるな。混合樹の一部も採取済みだ。敵さんの手ががりもゲットしたぜ、見ろよ」

そう言ってレグルスは軍コートのポケットから極小の黒い羽虫の様なものを取出して見せた。

「なんすか?これ」

「超小型のドローンだ。偵察してやがった所を、俺がちょちょいさ」

そう言ってレグルスは自慢げな顔をした。讃嘆を要求している事がありありと窺えたので、

「虫捕まえるの得意っすもんね、野生児だから」

ミアプラキドスは白々とした顔でそれを皮肉った。

「もう俺たちゃやる事はねえけどよ、この後の予定は?ミア」

「お葬式っす。ナナユウが踊るの」

そう答えてミアプラキドスはナナユウの肩を抱いた。その姿を見てレグルスは姉妹のようだと思った。

情を移すなとは諫言したが、あの惨劇を目の当たりにした子供の心がほぐれている事が明白にわかり、改めてミアプラキドスのコミュニケーション能力の高さに感心をした。

「そりゃ見届けねえと。いいかい?お嬢ちゃん」

観客となる事の了解を請うレグルスに、是非、とナナユウは両手を前に組んで行儀良く返事をした。そんな行儀の良さは要らないとばかりに、ミアプラキドスが片肘を垂直にして顔を顰(しか)めて左右に振っていた。


「物盗りに見せかけたってことか」

広場に戻り整列に並べられた292体の遺体を断崖の階段上で見渡しながらレグルスが言った。葬式の準備をすると言ってナナユウは、7棟の建物を行ったり来たりしていた。

「多分っすけど。でもそう考えれば、ナナユウが言ってた“太陽を独り占め”なんていう文句の抽象性も合点がいくっす。理由はなんだってよかった」

「要するに、目的は村人の皆殺しにあったってことか」

「でも1人に逃げられた」

「逃げられなきゃどうしてた?」

「村ごとすり替わるつもりだった」

荒らされた合議所を見てから抱いていた違和感を湖への道中でまとめ、成り立った仮説をミアプラキドスはレグルスに話した。もう少しで夕暮れが始まる時刻だった。

「ん?クリスタルは冥王星由来の物質だってフォーマルハウトは言ってたよな?」

「かもしれないって言ってたっす」

「まあ、ほぼほぼ確定だろうな。でだ、冥王星の、兵器にもなり得る物質がここにある理由はなんだ?」

「兵站(へいたん)しかなくないっすか?」

詰まる所の意味をきちんと理解していて、ほとんど断言してミアプラキドスは答えた。

「だろうな。でもよ、この村はもう2000年も続いてるってあの魔法少女は言ってたぞ。2000年も前から準備してたのか?」

「クリスタルが発見され利用されるようになったのはここ200年のことだって、ナナユウ言ってったっす」

「おいおい、なんでそんな大事なこと報告しねえんだ?」

「フォーマルハウトさんには言ったっす」

衛生室でナナユウと仲良くなってから受けたフォーマルハウトの詰問に、余すところ無く情報は伝えた。それをどう扱うかはフォーマルハウトの勝手で、多分レグルスにも伝えているはずだけどきっと聞いていなかったんだろうなとミアプラキドスは思った。

「200年なら有り得るか。つまり、お前が言いたいのは、冥王星人がこの星を俺達から奪おうとしてるってことでいいな?」

「そうっす」

「戦争だな」

「それがうちらの仕事っす」

「言うじゃねえか、ガキんちょ」

優しくあざ笑うレグルスに悪態を吐こうとした矢先に、せめてもの手向けに遺体の清潔処理を行っている30梯団の一人に呼びかけられ、むうっとした顔のままミアプラキドスは広場に降りて行った。

レグルスは通信機で今の内容を、仮説だが、と前置きしてシリウスに報告し、王政府にも連絡した方が良いと思う、と私見を述べ、索敵を引き上げろ、というシリウスの命令には素直に応じた。

「こちらのご遺体でしょうか」

イーシャの火の祭壇の最前列に置かれた遺体の織布をめくって30梯団員の一人が尋ねた。遺体は、青い上質そうな衣服を着ていた。

捥がれた左腕や食い尽くされた内腑を織布で覆ってしまえば、遺体は綺麗な方だった。顔面の泥汚れとこびり付いた血を、ミアプラキドスを呼んだ梯団員が綺麗に拭った。

ミアプラキドスはナナユウを呼んで検分を促した。ナナユウは遺体のすぐそばに膝付きに崩れ、遺体の頬を両手でくるんだ。答えずともその遺体が長であることは彼女の所作で伺い知れた。それはどう見ても、特別愛しい者へ対する所作だった。

ナナユウの尽くせぬ涙が落ち、干からびかけた遺体の顔面がほんのわずかに潤って見えた。ちょうど、夕暮れが始まった。



陽が落ちきる前にナナユウは、祭壇の燠にマッチで火を点けた。燠に沁み込んだ燃料がマッチの小さな燃焼で炎を上げた。

大切なイーシャの火が復活した、炎を見つめるナナユウの表情がそう呟いていた。

ナナユウは衣装を祈り子のそれに変えていた。日本の袴羽織に良く似た、薄布の紫色を基調にした衣装だった。

ナナユウがイーシャの火の燠のひとつを手に取り祭壇から振り返ると、アマノガワ銀河軍の手によって292体の遺体に順々とイーシャの火の燠に撒いたのと同じ燃料が振りかけられた。燃料はリントブルム号に積んでいた火器兵器用のものを流用した。もう戦闘は無いとのレグルスの判断だった。

ナナユウが遺体の間をゆっくりと抜けると、292体の遺体が次々に燃え上がった。

断崖の7棟にはナナユウの手で灯火が点されてあり、建材の暖色を通過する明かりが遺体の上げる炎と共に夜の始まりを彩った。

最後に長の遺体に火を点けると、燠を祭壇に戻しナナユウは大きく呼吸をした。

ビルシャナの杖の代わりに、ブナと樫の混合樹の折れ枝を持ってナナユウは舞った。村に伝わる祖霊鎮魂の祈り舞踊だった。炎の揺らめきと光が、彼女を煌々と照らした。

音楽は無かった。クリスタルの色光も無かった。音楽の無いダンスほど間抜けなものは無いと考えていたミアプラキドスは、だのにとても惹き込まれた。

レグルスも、第21、第30梯団員も全員がナナユウから眼を離せなかった。

その内に歌が聴こえた。

ナナユウが歌っていた。小さく小さく歌っていた。寝むり子を眠りに誘う子守り歌のようだった。全滅したフレアの民の魂を鎮めるあやし歌だった。

死人の安眠を願った歌は、とても戦慄に悲しく響いて、ミアプラキドスは眼を奪われたまま身震いをした。なぜか、とても心に優しい悲しみだった。

ナナユウが回天した様に舞い、ブナと樫の混合樹の折れ枝を夜空に放り投げた時、すべての炎がそれに導かれるかに火勢を上げ一挙に燻(くす)ぶりを始めた。魂がすべて、天に昇ったんだとミアプラキドスは理解した。

舞いの終わりを見定めて隣を見ると、レグルスがおいおいと涙と鼻水を垂れ流していた。

「なに号泣してんすか、レグルスさん」

「お前もじゃねえか、ちくしょう。目から汗が止まらねえぜ」

言われて初めてミアプラキドスは自分が泣いているのに気づいた。立ち昇る葬送の煙の中、役目を終えたかにナナユウは天を仰いで動かなかった。

夜空には昇ったばかりの金星が彼女を見つめ返す様に、巨大なその斑紋を美しく広げていた。

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