(7)苦行無情



薄く目をあける。



そこは渺々とした暗い夜の穹。耳元で風がびゅうとうねる。



それに抗うようにして身をうずめ、再び双眸をゆっくり閉じると、また、夢落ちた。





『妾は…………』



『ぇ? 聞こえなーーーー?』



物事の分別を知るごとに、傷つき、何かをうしない、犠牲にして。



そうして諦めかたを覚えていくうち、誰かの顔色をうかがいながら嘘をつくことが自然と身についた。


それがもどかしくもあり、精も根も尽き果て、胸を切なくさせた。



『妾は誰かの心ない一言で心が折れそうになる』



そう告げたときの明宝は、今にも泣き崩れそうな悲痛な面持ちだった。



『じゃが最後の最後で妾の心をささえてくれたものは、誰かの口からこぼれおちた何気ない一言じゃった。だからやもしれぬ。妾はどんなに傷つけられようとも人の中に身をおきたい、そう願うのは』



胸襟をひらくことのない明宝がその胸の内を語ったことがある。


それは粉うことなき明宝の本心だったと思える。



折しもこの時、最愛の人を失ったばかりだった。


真実、弱っていたには違いない。






『見よ。王が崩御されたというのに画ばかりお描きになられ。公主様は気でもふれたのか?』





明宝の王宮での暮らしぶりは見た目ほど華やかなものではなかった。



明宝を見る人の目はまるで妖怪でも見るようで、寄らず触らず祟らせずといった感じで、そこにまた朔というわけのわからぬものがくわわったことで目の依るところに玉とばかり、好奇の目に拍車をかけることになった。



『な、やろぅ、俺がとっちめてやる! これ以上好き勝手に言わせねぇ!!』



拳をふりあげ、今にも駆け出そうとする。と。



『待て』



("ーーぇ!?")



期せずして呼び止められ、勢いあまって前のめりになる。



やっとのことで態勢をととのえ明宝を睨めつける。



『待てだ!? 誹謗中傷ばっか口にして。だったらあいつらみんな物言えぬ蝦蟇に変えてやる! いいザマだ。蛙の大合唱よろしく、ずっとゲロゲロ言ってろ』



『朔。趣味が悪すぎる。せめて鳥とか、他にもあるであろう。兎も角、待つのじゃ』



明宝の父が崩御したこんな時にさえも、明宝は心の内に秘めた深い悲しみを朔に語ってくれなかった。



それがかえって悔しいやら情けないやら。歯がゆくてならなんだ。





俺はなんのためにここにいるのか。



ただ側にいるだけなのか?



それしかできることはないのか?



話ぐらいならいくらだって聴いてやる。



愚痴だって誰かを謗る言葉だって。何だって。



『何でだよ、何で止めるんだ?』



『よいのじゃ朔』



『何がいいって? 言われっぱなしかよ、そんなの冗談じゃねぇ。お前はなんにも感じないのかよ、それとも血のかよわぬ無神経なのか? 違うだろ! 俺にも心があるようにお前にだってあるんだよ、心がさ。痛まないわけないだろう?』



ここがさ、といい放ち、トントンと拇指で心腑をたたく。



色褪せた紺青の衣がかすかに揺れている。



苛立ちと押さえきれぬ怒りとが朔の身体をふるわせていた。



『…………朔よ』



いつになく沈痛な面持ち。


家族縁の薄さから明宝の気持ちを汲むことは難しいとしても察することならできる。



その悲しみを、その辛さを、言葉にして吐き出してしまえばいい。



『なんだよあらたまって。早く言えよ。何だって聞いてやるから』



だが明宝は腰に手をおしやり、口をへの字に引き結ぶ。



笑いたいけど笑えない。


泣きたいけれど泣くものか。



そんな意地が垣間見れた。



案の定、明宝は予想を裏切らない言葉を口にした。



『手を翻せば雲となり、手を覆せば雨となる。どんなに辛いことも笑うだけで気持ちも軽くなる。気持ちの上で負けてはならぬ。言葉は諸刃の剣じゃ。人を弱くも強くもする。王宮にあるかぎり怒りは内に秘め決して面から笑み絶やしてはならぬ。よいな』



まるで自身に言い聞かせるよう朔に諭してみせた。



それが強がりであることは誰の目にも明白。



ニッと笑んでみせるが、その目は死んだ魚のように濁ってみえた。



『俺は笑えねぇよ! 強くもねぇし、だからといってそれほど弱くもねぇ。でもこれは違うだろ?』



ダンッと円卓を叩きつけ鈍い音とともに墨が飛び散る。



この仕打ちはあんまりだ、そう口にしようとして、のみこまれた。



明宝がそれまで描いていた画には、亡き子を偲び、決して離すまいとしてしかと抱く母猿の姿。


悲壮感ただよう物言う目が、明宝の悲しみの深さを物語っていた。





親はその役目を終えるその時まで父であり母である。


親が無償の惜しみない愛情をそそぎこみ、また子もそれにこたえる。


その惜しみない愛情の連鎖の繰り返しだ。



どの親子とてその絆の有りようは変わらない。



なぜそれが他者につたわらないのか。



ーークソっとうなる。





親を失って悲しみを覚えない人間がいったいどこにいる?



泣き崩れ、その亡骸にすがりつけばそれでいいのか?



声がかれるほど泣き叫べば故人がうかばれるとでも?



明宝は喜びや悲しみも、表現するのが苦手なだけ。



ただ、それだけことなのにーーーー




『あれを見なされ、やはり公主様は人にあらず。何が蒼国の至宝だ。天のお方は人の命など露ほどに貴ばれないのだろう。だからあのように親が亡くなったというのにのうのうとしておられるのだ。非情なお方だ』



『っの! まだ言うかっ。言わせておけば!!』



もう我慢の限界だった。


手綱の切れた悍馬のように飛びかかる。



再び『朔!』と背中越しに一声があがるも、その制止をふりきる。



拳を振り上げた。



『ーーのやろぅ!! 天誅ッ!』



『うわぁぁぁ!?』



男は絶叫をあげ、頭をかかえながら小さく身体を折り畳んだ。



『朔!?』



明宝が駆け出す。



『止めんな! こいつらには言ってもわからねぇ。何故それがわからない?』



すんでのところで小さな繊手が袖口をつかんだ。その手がかすかに震えている。



が、無理もない。それまで喧嘩の仲裁にくわわったことすらもないだろうから。



『朔! よいのじゃ』



『その手をはなせ』



『離さぬ』



『離せってば!』



『絶対に離さぬ! どうしてもというのなら妾を殴れ。それで気がすむのなら』



朔の目を真っ向から見据える。



とはいえ振り払おうとおもえばそれもできただろうが、明宝がそれを許さなかった。



朔の腕を両手でがっちりとかかえこむ。



『なんでこんな奴らをかばうんだよ、なんで好き勝手言わせておくんだ? 何で一言も言い返さねぇ?』



『…………』



『親が亡くなって悲しみを感じない子供がどこにいるって? ーーな、そこのおっさん、逆にあんたに尋ねる。おっさんは親が亡くなっ悲しくなかったのかよ、思い出すたび辛くなかったのか? 人じゃなきゃ大切な人を失って悲しんじゃいけないのか?』



『……ぐ……』



『この世には感情表現が苦手な人間なんて五万といるんだ、出せない人もいる。いくらなんでも人として思いやりってものにかいてやしないか? こういう時はさ、慰めたりお悔やみの言葉をかけてやるべきところなんじゃないのか? どうなんだ?』



『私は別に……そのようなつもりでは』



ちぇ、と吐き捨て、朔は握った拳をつぶした。



こんな男を殴る価値もない。



『だったらどんなつもりでさも聞こえよがしに謗ったりしたんだ? あん?』



『…………』



『朔ーーもうよさぬか。そこな者よ、失せよ。この者の気がかわらぬうちに』



『ぁ、てめぇ、逃がさねぇぞ。お前みたいに空樽の音が高いやつは痛い目でもみなきゃ学習できないだろう。お偉い官吏さんなのか知らねぇが、どんな偉くとも中身の伴わぬものなどただ鼻につくってだけ、反吐がでる』



おらおらァー、明宝を引きずるようにしてじりじりと間合いをつめる。



明宝も力一杯の抵抗を試みるもその力の差は歴然。容赦なくずりずりと黄土に二本線がひかれていく。



朔はニッと細く笑む。


拳を握り、バキバキと関節を鳴らした。



『男ってのは拳と拳をまじえればわかりあえるものだ。強き者が弱者の上に立つ。そういうの好きだろ? どっちが上で下なのか、みっちり叩き込んでやるぜ』



『だ、誰か……助けてくれ、頼む。誰か……』



近くに居合わせた者に助けをもとめ、一人一人の顔をうつす。



だが巻き込まれたくない官吏たちは遠巻きにしてうつむき、誰一人として駆け寄ろうとするものはなかった。



『どうやらお仲間は拘わりあいになりたくないそうだぜ? これがあんたがご大層にいう人間だ。覚悟はできたか? 俺も鬼じゃない。念仏を唱えるなら時間をやるぜ? 』



にじりよる。



『……ひっ!?』



その気魄に気圧され男はどすんと音をたてて尻もちをつく。



その弾みに腰を強打したらしく尻をさすりながら悶絶。


そこにできものでもあったのか、みるみる顔色が土気をおび、激痛に双眸をゆがめ、はてはその目に涙がにじんだ。



無様なうえに滑稽だ。


思わず背中をさすって尻のできものに薬を塗ってやりたくなる。



『明宝、その手を離せ。離せ!!』



その裂帛した物言いに明宝の手がゆるんだ。



『……ぁ!?』



バッと袖をひるがえし明宝の手を振り払う。



『ここからは女のでる幕じゃねぇ。このおっさんに正しい男同士の拳の挨拶ってやつを教えてやるよ。たとえ明宝といえども邪魔立てはさせねぇ。わかったなら下がっていろ』



『…………』



説得が難しいと判断した明宝は小さな嘆息をつき、数歩ほど後退して距離をおく。



朔は離れたのを確認してから一歩前に歩みをすすめ、男の影とかさなる。



『!?』



冷たいものが男の頤を伝った。



殺気だつその影を下から舐めるようにして足先から袍、さらには首上へと目線をあげて行き、はたと視線があった途端、男の背筋がぴんとはりつめる。



『ひっ!?』



声すらまともにあげられぬ様を一瞥した朔は、態がましくもニヤリと面妖に細く笑む。



『ーーーーば、化け物っ』



男の視線の先。そこにあったもの、それは瑠璃の眸。それは時として瑠璃細工のように金にも銀にも輝る。


人ならざる者の目だ。



男は恐怖に顔をゆがめ、頬が黒くこけてみえる。



まるで妖怪にばったりとでくわし、死んだフリをしようか、脱兎のごとく逃げようか、そんな究極の選択を迫られたようにその混乱ぶりは半端ない。



それも無理からぬ反応だろう。



朔はそっと腕をくむ。



『へぇ? あっそ。だから? 他に言いたいことは? 言伝てなら頼まれてやるぜ?』



化け物発言など言われなれ耳にタコ。挨拶がわりのようなものだ。



これが人並みの神経のもちぬしならばカッとするところだろう。



だからこそ自尊心をたもつことでしか生きられない頭でっかちなこいつらに教えてやりたい。





守るべきものがあるやつは強い。


何度だってたちあがる。


傷ついた分、人に優しくなれる。





良い時には厳しく、辛いときには誰よりも優しい。人を労れるやつは誰よりも強いって。



明宝がそれなように。






宮中には数えきれないほどの大人がいるというのに泣きたいときには泣きなさい、そう言ってやれる大人がそのどこにもいない。



人とは親身になって本気でぶつかってくる相手を信頼こそすれ敵愾心をもたない。



何より子供は大人の背中越しに社会をみる。



もしそれをみて育った子供が、ダメだ、おかしい、と言うのなら大人の事情とやらを押しつけた大人に非があるのでは。



朔は『さて』と言い、人差し指をくぃと投げ伸ばす。



『かかって来いよ。あんたも男だろ? 男ならどーんとぶつかってこい、胸を貸してやっから。男はな、絶対にしちゃならねぇことがあるんだよ。女子供に暴力を振るっちゃならねぇ、自分より弱いやつにしか強くでれない男はクズだ。喩えそれが言葉という暴力であってもだ。準備はいいか? 来ないならこっちから行かせてもらうぜ』



胸ぐらをつかみあげ、男の身体が棒のように立たされる。



逃げられない、そう覚悟をきめた男は微動だにしなかった。



『いい覚悟だ。俺があんたを男にしてやるぜ、歯を食いしばれ!』



『…………ひっ!!』











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