(5)義母の真実



朔はしゅんとしてうつむき、頭を振る。



『朔、今となっては詮なきこと。そなたのせいではない。古よりの習わしを迷信として軽んじた無知に咎がある。因果応報のもと当然の報いだ。わかったな?』



『……はぃ……』



伯陽はそう言ったが朔は少なからず胸の奥が痛んだ。



もし、あそこに居さえすれば義母や一族もろとも離散にはいたらなかった?



ほろ苦いものが胸にうちしめく。



たった俺一人、我慢さえすれば、あの人たちは今も、と。



だが伯陽のいう通り、誰かの犠牲の上になりたつ幸福などありはしないのだろう。



喩えこれが因果応報であったとしても、だがこれは朔のぞんだ報いではなかった。



チクリと痛むこの胸の痛みは後悔というよりも悔恨の念に近しい。



それでも、と思うのだ。



あの人たあちは俺がいなくなってせいせいしただろうか。



少しぐら、寂しい気持ちを感じてくれただろうか。



ーーなわけない。厄介者がいなくなったことで盆と正月が一緒にきたように小躍りしたかもしれない。



それはそれでムカつく。



なら。なんでこんなにも胸が痛む?



『行くぞ』



伯陽は歩きだす。



朔もつられて歩き、二歩目を踏み出してまた足をとめる。



『…………』



("認めてほしかった? でも誰に?")



『ーー朔?』



伯陽は歩調を弱めゆっくりと振り返った。



『…………』



心のどこかで仙の力を得さえすれば豎子をして名をなさしむがごとく、化け物よばわったあの義母たち一族をみかえすことができる、とでも思っていた?



いゃ、それとも違う。



思いのほか単純なことだ。



水中に火を求むるように、ほんの少しだけ、少しだけでもいいから、気にかけてほしかった。



それがきっと本心だ。



裏切られ、家畜にもおとる所業をうけてもなお、家族の愛、一族の誇り。どんな形のお想いでもかまわないから"愛"がほしかった。



『…………』



朔は夕まぐれしはじめた穹を空虚な眼差しで見上げる。



昔はうらやましかった。



夕暮れになると母親に手をひかれる子供たち。


そうやって広場から一人、また一人と連れられて家路につく。



最後にたった一人になってトボトボと邸へかえり、ふと思うのだ。


誰か迎えにきてくれないだろうかと。



そう思って邸の床下にもぐりこんだはいいが、陽は暮れはて、夜になって。膝をかかえながら耳をすます。



腹の虫がうずいたが意固地になって、それでも待つことをやめなかった。



やがてうつらうつらとして瞼が重くなり、いつしか寝こけ、夢うつつ。おぼろげに何かが近づいて来る音がして薄く瞼をあげる。



『こんなところにっ! ……ぁ……コホン。一体お前はそんなところで何をしているんだい! 早くおし! ぐずぐずしているとご飯ぬきだよ!!』



白粉と紅の匂いたつその女性は花の盛りをすぎた四十前だというのに肌は白く、絹のようにきめ細やかだった。


その頬には灰色がかった頬紅がひかれ、美しく結い上げられた髪には白糸のような蜘蛛の巣が巻きついていた。



『またこんな泥んこにして、どうしてお前はアタシの言い付けを守れないんだい! このグズ!』



一度だけ。その一度きり。けれどこの時、かけがえのない大切なものをもらっていた。



("死んじゃったら伝えられないじゃないか。お義母さん、ありがとう、って")



義母のいう良い子にはなれなかったけれど、元気で毎日がんばっている。



人にも迷惑をかけないようにしてるし、ご飯も残さずきれいに食べている。



一番にはなれないかもしれないけれど、仙術の勉強に励み、師匠の言いつけも守るよう努力している。



そういえば、俺、お漏らしもしなくなったよ。おねしょも治した。



母子の愛をあたえてはくれなかったけど、俺はね、他の誰でもないお義母さんに褒めてほしかった。


よくがんばったねの一言、それだけでよかったんだ。



『…………』



今も暮れなずむ夕陽はあの頃と同じ、どこか欠けて見える。



温かい気持ちがこみ上げ義母からの手書を漸う気になりだした。



そこに書かれているのは罵りか、はたまた詫びの言葉が綴られているのか。不幸の手紙かもしれない。


けれど最後の言葉だ。


義母の気持ちを知りたいという想いがまさった。



朔は懐から料紙を取り出して手書の上におく。さらに土をかけ料紙を強くしごく。


すると伝えたい文字だけが料紙に刻まれる。



朔は一文字一文字を丁寧にさらった。



『師匠。俺、心のどこかでいつの日にか帰る場所、そんな風におめでたく考えていたみたいです。ただ家に縛られる守り神より、目に見える力をもって一族の誇りとされるような立派な人になりたかった。俺には誇れるものが何一つなかったから』



本当にどうしようもない。嫌になるぐらい大バカ者だ。



『ホント、救いようのないバカだ……』



目頭が熱くなった。でもそれだけだ。


だが伯陽は怪訝に首をかしげる。



『何故に泣く? あの者たちのためにそなたが泣いてやることなどない』



『泣く? 誰が? ーーーー俺?』



気づくよりも先に温かいものがつっと伝った。



『あれ? あれれ? なんで俺が? だって俺…………』



憎んでいたのかもしれない。


化け物になって一族を滅ぼそうとしたかもしれない。



それなのに心は喪失感を感じている。



これで守らなければならぬものを失った。



朔の存在理由も力を欲する理由さえも失い、途方に暮れた。まるで迷子のように。



『師匠……俺……どうしよう……』



朔は料紙を握りしめる。





【"愛しい吾子、朔。


そなたに荒神を宿させたのはこの母ではない。そなたを守りきれなかったこの頼りない母を許せ。


そなたは自由だ。


そなたの幸せを祈っている"】





この荒神とは人魚の肉のことを指しているのだろう。



では、義母の仕業ではなかった?



『ハハ? 俺とんでもない勘違いをして……』



親の心、子知らず。それを知るとき、もうすでにこの世にはいない。



完璧なまでの一族の母を演じきる一方で、一族から見限られた朔をいたぶることで朔を生かした?



誰の目にも触れさせないよう納屋に押し込めたのは、家神となった朔を他の豪族の放った凶手から守るため?



ご飯を与えなかったのはそこに毒が入れられていたから?



だから安全な自らの食事を悉く手つかずのまま残飯とし、それを庭先におかせていたのも義母?



それも朔の好物ばかり。



思えば怒れる義母が朔の前に現れるのは決まって三ヶ月ごと。一族が集う月はじめだった。



『俺……取り返しのつかないことをっ。どう償えばーーーー?』



『……ふぅむ。そろそろ頃合いか。涙をふけ。泣いたところで亡き者は生き返らぬ。ついて参れ』




『ど、どこへ?』



『すっ頓狂な声を出すな、力が抜ける。二度は言わぬ』



『は、はいっ!』



涙をぬぐい、朔は伯陽のあとに続く。



伯陽は一朶の雲を起こし雲散霧消した。






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