(4) 旅情
『旅の人とは珍しい。この辺りも数十年前まではよう盛った宿場町だったんじゃが、井戸を掘っても水は一滴もわきでず、畑を耕しても作物はよぅ育たん。もうこの村もわしの代で終いじゃき』
東方の訛りが濃ゆい。この土地に長らく住む人にみられるものだ。
見ればその老人は今まで見た誰よりボロをまとい、ガリガリに痩せこけ立っていられるのが不思議におもえた。
薄い白髪は結い上げることもせずざんばら髪。落武者さながらだった。
『ほぅ? そうでしたか。ご老人。こうなった経緯を詳しく聞かせてはもらえぬか』
伯陽はこの村の荒廃ぶりに興をそそられたのだろう。声がどことなく弾んでいる。
『いいですとも。あそこがわしの家ですき。あがってくだせぃ』
老人は人のよさそうなくしゃくしゃの笑みを浮かべるとしっかりとした足どりでもんどりを打つ。
『朔。何をぼけっとしておる。いくぞ』
『……はぃ……』
老人のあとにつづき今にも壊れそうな門扉をくぐる。
門があるだけでもましだ。枯れたペンペン草がしげる平地にぽつぽつと民家らしきものがある。
そのどれも屋根が抜け落ち、柱がかろうじてわずかに数本たつのみ。
目の前の老人の家とて他と大差ない。家らしき佇まいをたもってはいるものの廃墟も同然だった。
扉を開けてすぐに土間があり、そこに蜘蛛の巣のはった釜戸とわずかな家具。衝立でしきられたその向こうに粗末な寝台があった。
『ささ、こちらへどうぞ。なんのおもてなしもできんのですが』
土間に通されるとそこには卓をかこむように手作り感たっぷりの椅子が三脚おかれていた。
老人がその一つに腰をかけると伯陽はその向かいに腰をおろした。
朔もそれにならい伯陽の隣に腰をかける。
『どうぞお構いなく。それで?』
『実は……この地はもともと立華一族という朝廷に顔をきかせた有力な豪族が治めておっちょった。じゃが、建国以来の名家が没落して一族は散り散りに離散してしもうた。それからじゃ。遠く離れた僻地にまでその激震の余波は広まり、行路病者が道端を埋めつくしちょる。それと時期を同じくして近隣の村々で異変がおき、次々に廃村になったじゃき』
この人も、廃村になった村人も、あの、家の、恩恵にあやかり生きてきた。
それを当然あるものとして。
誰がその犠牲をはらっていたかも知らずに。
『…………ッ!』
朔がギリッと奥歯を噛みしめると伯陽はそれに気づき老人の話しをたたみかける。
『それで? これから先どうなされる』
『先? 先は考えちゃおらん。わしを育んでくれ故郷ですき、離れたくとも離れられんのです。ただ時折、人と話してみとぅなって。ぁ、そうそう、お前さんらはこれを知っちょるかね? もしこれを知るものが訊ねてきたら渡してほしいと頼みこまれちょった』
老人は懐から木片を取り出した。
それを見た瞬間、朔から鬱々として血の気がひかれる。
『おじいさん、それ、どこで……?』
『これか? これはちょうど一族が姿を消した直後じゃったか、こんな薄曇りの寒い日。その
戸のむこうに真っ赤な沓をはいた夫人が外套をはおり、幽霊のように顔を青くして立っておったじゃき』
老人の目が戸口へむけられる。
『いつの日か自分消息を訊ねるものが現れるかもしれないから、これをそのものに渡してほしいと。手紙にしてはおかしいし、その様子からしてただの板きれとも思えん。どうも生き別れの子供に宛てたものらしいんじゃ。わしも年が年だけにいつまで待てるかもわからんよって。よく似た名のよしみじゃき。ボウズ、これを頼まれてくれんか』
『ーーーーぇ?』
朔は手を伸ばすことに躊躇した。
木片の表面が切り刻まれたそれは立華一族が秘密のやりとりをするさいによく好んでつかった鏤刻の手書だ。
今になってこれを目にしようとは。
『ボウズ後生じゃき。……な?』
おそらくそれを見て驚いた朔が、その手書を渡すべき人物だと思ったのかもしれない。
その推測は正しい。
一族の中でも真っ赤な沓をはいてゆるされる人物といえば党首夫人のみ。
その最後の夫人には実子はおらず先妻の子供が一人だけ。
『……………ボウズ?』
朔は弾かれたようにハッとしてよくよく木片をのぞきこむ。
それに刻まれた表文と呼ばれる表向きの文面は【愛しい吾子、朔へ】となっている。
何の冗談やら。朔は目を冷たくすぅと細める。
『お前さんが頼まれてくれるとわしも助かる。じゃき、頼む』
ずずぃと差し出された、断ることもできず、しぶしぶ受けとる。
『わかりました。お預かりします』
『はー、やっと肩の荷がおりました。時間をとらせてしまいましたな、もう行きなさったほうがえぇ。夜になれば妖怪がでますき。旅のご無事を。どうぞご達者で』
あなたも、と伯陽は嘆息まじりに口の内で呟き、笠を目深にかぶる。
『朔、急ぐぞ、じきに陽がくれる』
そそくさと立ち、伯陽は戸口にむかって歩きだす。
あっという間に戸のむこうに消えた。
『ぇ? でも……』
このまま立ち去ってよいものかと朔は困惑顔で伯陽の消えた戸口を見つめる。
『わしなら大丈夫ですき。心配せんと早よう行きなせぃ。ほら、もうあんなに遠くに』
老人は皺む指先ではるか向こうを指さす。
細面の顔からくしゃくしゃの笑みがこぼれた。
その目は笑んでみえるが生気を感じられなかった。
俗にいうところの幽霊の部類だろう。
おそらく老人自身ですら亡くなっていることに気づけないで、そこから一歩も動けず身の上にふりかかった不幸を旅人に聴かせることで何かをうったえていた。
『でも……』
『慣れておりますき。弱きものは世間の爪弾き、お偉い方はきっと必要悪の定理というのじゃろう。確かに守ってもらわんと生きられんようじゃ、こうなったのも道理。ささ。もうこんな所にいちゃいかん。ほれ』
ポンと背中を押された。
けれどその手は朔すり抜けた。
よろけたのは条件反射によるもの。
老人は力を入れすぎたと思ったらしく、またくしゃくしゃの笑みを浮かべた。
『……じゃぁ……俺、行きます』
『達者でな』
きっとこの人は家神の存在など知らない。
その家神がこの地を守っていたことも。
『…………』
朔はぽつぽつと重い足を引きづりながら歩きだす。
小さく手を振る老人はこれからも、ずっと、死してなお朽ち果てたあの家に縛られつづけるのだろうか。
かつての朔のようにーーーー
『朔、行くぞ、グズグズするな』
遥か遠く、道なき枯れ草のむこうから伯陽の叱責があびせられる。
ぺこり、と一礼してのち朔は足早に駆け出した。
必死に走って伯陽のもとまでおいつくと、ふいに無言になる。
伯陽とつれづれに歩き、ふと足をとめ、振り返った。
("生家没落、か")
不思議にいい気味だとも気の毒だとも思えなかった。
ただ事実をあるがままに受け入れ、他人事のように冷静だった。
生き神を連れ出した張本人、伯陽は朔よりも沈着だった。
『物事に始まりがあるよう終わりもまた等しく訪れる。が、なんと侘しいものだ』
気づけば伯陽も足をとめ、廃村をみつめていた。
そのどこか醒めた眼差しが伯陽の内なる氷のような冷たさをのぞかせていた。
『昔から旧家に伝わる習わしがあってな。神の憑坐を祀る風習になぞらえお前は荒人神とされたのだろう。その荒人神をあろうことか祀ることもせず追い出したツケは大きかろう。気になるのか?』
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