(3) 仙術



それから数ヶ月後ーーーー




『朔。浩然の気を養い、流浪の旅生活にもなれてきたな。ようよう言葉も理解できるようになった。ーーよし。これより修行をはじめる。仙術の基本は心技一体である。よいか、朔。手を触れることなくあの大岩を砕いてみせよ』



名を呼ばれる喜びを知り、一つの技を覚えるたび誉められる喜びも知った。



そして長い旅路のなか起臥をともにするうち、いつしか舐犢の愛を夢見るようになっていく。



『…………』



できない、そう朔が首を振ってみせると伯陽は口の内で誦する。



すると目の前の大岩はこっぱ微塵に砕かれた。



『今は言葉を真似るだけでよい。だが息を吸うように身体で感じるのだ、力ある言葉、言葉にこめられた本来の意味、呪言を』



念力岩をも徹す。


伯陽いいけらく、言の葉に宿る霊的な力、それを身体で覚えよ、そうのたまう。



だが言葉そのものが失なわれた朔にとって言葉を覚えるのも理解するのも大変な困難をともなった。



それでも頑張れた。


そうすることで伯陽が喜んでくれたから。



『よし! よく呪得できた。それこそが呪言、覚えたな。今はたどたどしい片言だが……まぁそれはよい。いずれ想いが口をついて言葉となろう。次は地脈にそなたの気をたどらせる訓練だ、できぬとは言わせぬぞ。ーーーーん? どうした? ……朔?』



『…………ょ…………』



『よ?』



『し……しょ……ぅ?』



『……朔? 今……そなた……?』



『…………しょ…………ぅ…………』



はからずも人間に戻れた瞬間だったのかもしれない。


言葉を失なった朔にとって言葉は人たる証そのものだった。



伯陽は朔を抱きしめよしよしと頭を撫で付ける。



『ぅ……っ、ぅぅ……、ぅわぁん』



泣いて泣きまくって。ふっと笑みがこみあげ、腹がよじれるほど笑った。



『よくやった! よく頑張った! それでこそ男だ』



バっと伯陽の胸からはがされ、驚いて伯陽を見上げる。



すると伯陽の面すらも朔と同じように涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。



『し……しょう?』



この人に助けられ、この人の下で学べ、本当によかった。そう心の底から思った。



『バッ、泣くやつがあるか。男が軽々しく泣いてはならぬ。涙をふけ……ズズ……』



鼻をすすりあげる。



師匠こそ、そう告げたくとも朔の舌は思うようにそれ以上を語れなかった。



そのあとも、泣いて、笑って、怒って、また笑って。それを繰り返した。



『…………』



これが人と心を通わせるということ。そのとっかかりを見いだせたのかもしれない。



それは目に見えるものではなく、それらを超越した特別な何かーーーー



『よぅし。修行をつづけるぞ。まずは地脈がなんたるかを理解せねばならぬ。ゆえに滝にうたれ天気を身体で感じとるのだ。……ぅむむ。少しの時も惜しい。ほれ、あれなる滝壺に飛び込め。なぁに、どうせ死にはせん。その器は不死身なのだから』



行ってこい、と足蹴にされた。



『ひぇぇぇぇ』



断崖絶壁だ。



死にはしないだろうが痛いものは痛い。


しかし師匠の言葉は神の言葉。それを逆らうなど頭の片隅にもなかった。



言われるまま滝の上から身をなげると朔の身体が水飛沫の中へ吸い込まれる。



少し時をおいて滝壺に朔の背中がぽっかりと浮かびあがった。当然気絶している。



それを見て伯陽は仰向く。



『こっんのバカ者! 腹から飛び込むやつがあるか。大の字でとびこむやつなどはじめて見たぞ』



そのあとで回収され、やんやとこっぴどく怒られもしたが嬉しかった。



本気で怒ってくれる人がいて。心の底から案じてくれる。



次からは気をつけよう、そう胸に刻んだ。



『よし。次なる修行の場に移るぞ。旅の支度をせい』



『? ……はぃ』



忙しくしていればそれまでのすべてを忘れられた。



家の守り神とするべく一服もられたことや家族愛を知らずに育ち、温かいものに飢えていたころのこと。


ぞんざいに扱われ、それでも自我をたもつことで必死に人であろうとしたことも。



こうして相伴い営々修行にあけくれ、何十年にもおよぶ旅暮らしが終ろうとしていた。







『ここも廃村になって長いようだ。にぎやった村だけに見るに忍びない』



華南国。東北に位置する慶州にさしかかり、一つ峠を越えた先に東郷というそれほど大きくもないこじんまりとした街がある。



伯陽はしきりに陽を気にして確かめるように仰いだ。



『今宵はこの先の村をこえた東郷にて宿をとるとしよう。もう陽もかたむきはじめた。急げ』



『…………』



『気になるのか?』



どこかそぞろな朔を一瞥した。



朔は憮然として『別に?』と答える。



『ふっ。そうか? ならば急ぐぞ。何やらこの土地の気は淀んでおる。長居は無用だ』



伯陽は足早になった。



朔もつられて歩き出すと、ふいに嗄れ声に背中を打たれた。



『おゃ?』





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